今夜は鍋です
「そりゃー、年だよ、年」
台所に居た美弥は、後ろから聞こえた叶一の言葉にびくりとする。
耳を澄ましてみると、もちろん、美弥の年の話などではなかったのだが、なんだかムカついたので、持っていったビールをテーブルに置く振りして、叶一の後頭部にぶち当てる。
「あっ、ごっめ~んっ。
当たっちゃった?」
と笑うと、叶一は頭を押さえて振り向いた。
予想外にいい音がしてしまったが、まあ、近かったので、さほどでもないだろう。
「なんの八つ当たり~?」
と勘のいい叶一は言う。
「美弥、もういいから、あんたも早く食べなさい」
台所から野菜の載った大皿を持ってきた母、
はーい、と美弥は空いていた叶一の横に座った。
少し肌寒いので、今日の夕食は鍋だった。
叶一の前のすだちを勝手に取って、お皿に絞る。
「あれ? 大輔は?」
奥から漫画雑誌を片手に、弟の
洋ももう高校三年生。
すっかり図体がでかくなって可愛くなくなった。
「後から来るって」
ぐつぐつ鍋の煮える音を聞きながら、美弥は言う。
最近、大輔も叶一もほとんど美弥のうちでご飯を食べていた。
「え~?
龍泉さん、通り魔出ないか見張ってるの?」
さっきの龍泉とのやりとりを美弥が語って聞かせると、美弥の父にビールを注いだ叶一は、自分は日本酒をやりながら相槌を打つ。
「う~ん、ちょっと不安なんだけどね。
相手、刃物持ってるわけでしょう?」
まあ、大丈夫でしょ、と叶一は軽く流す。
最近、この界隈で、通り魔に切りつけられるという事件が続発していた。
どれもたいした怪我には至っていないのが、幸いといえば幸いなのだが。
「刃物といえば、八巻さんも刃物で刺されてたなあ」
現場を思い出すように叶一が呟いた。
「それ、その通り魔ってことはないの?」
と洋が口を挟む。
「手口が違うよ。
あれはただ、切りつけて喜んでるだけって感じ。
八巻さんのは背後から迷いなく、ドスッと一撃」
刃物のように立てた人差し指で、鍋の湯気を突いて見せる。
「大輔が八巻さんは刺される直前に振り向いてたって言ってたわよ」
そう言うと、叶一は顔をしかめる。
あまりその手の話題が好きではないのだ。
確かに。
大輔を信用していないわけではないが、死んだ人間だって、死に際して、慌てているわけだし、
必ずしも正しい映像を送ってきているとは限らない。
そういう余計な情報が入って勘が狂わされることを叶一は嫌った。
「他に何かわかったこととかある?」
美弥がそう問うと、なに? と叶一は笑う。
「依頼受けなかったのに熱心だね」
「ちょっと気になってね」
浩太のところに八巻絡みの依頼があったことも原因のひとつなのだが、もうひとつ――。
あのとき、去り際に振り返った前田が、心細そうにこちらを見ていたのが、なんだか心に引っかかっていたのだ。
「こんばんはー」
よく通る声が裏口からした。
またか、と美弥は舌打ちをする。
道の関係で、確かにあちらからの方が入りやすいのだが。
何故全員、裏口から入る~っ。
美弥は黒塗りの箸を握り締めた。
みんながみんなが裏口から入るので、狭い土間は靴でいっぱいだった。
また私の靴の上に靴載せてる奴が居たら、ぶっ殺すっ!
美弥にしては高めの靴を買ったばかりなので、どうにも気になった。
まあ、よく考えれば、自分が玄関から入ればいいだけの話なのだが……。
立ち上がって見に行くと、几帳面な大輔は裏口にしゃがんで、人の靴まで直していた。
叶一は大抵、台所の母などに話しかけながら脱ぎ捨てるので、靴は歩いている最中のように、人の靴の上に飛び散っている。
真紀子も美弥も忙しい夕食時なので、ついそのままにしてしまい、直すのはいつも大輔、という構図が出来上がってしまっていた。
「お帰り、大輔」
側にしゃがんでそう言うと、ちょうど叶一の靴の下になって倒れていた美弥の靴を直してくれているところだった。
濃い緑色の三センチくらいのヒール。
三センチが一番歩きやすいのだと、本で読んでから、大抵この高さだ。
「ただいま」
靴に目線をやったまま大輔が答える。
「何処行ってたの?
「もしかして、小久保っておじいさんのとこ?」
じいさんってほどの年でもないけど、と大輔は言う。
行ったのは間違いないようだったが、そのまま一緒にしゃがんでいても、何も語らない。
まただよ……。
大輔は必要以外のことは話さないし、叶一はぺらぺらなんでもしゃべってるように見えて、肝心なことは話さない。
この二人との会話には、いつも推理が必要になる。
そう思ったとき、後ろから叶一の叫び声がした。
「美弥ちゃん、ビールビールビールッ!」
「うるさいって、もう~っ」
美弥は振り向き、怒鳴り返す。
叶一は座ったが最後、絶対に食べ終わるまで動かないのだ。
「あの関白亭主めっ!」
思わずそう毒づいたあとで、大輔が居ることに気がついた。
亭主はなかったな、と思ったが遅かった。
ただの物の例えだったのだが、例えが悪過ぎた。
大輔はそのまま何も言わずに居間に行ってしまう。
ひとり取り残された美弥はしゃがんだまま、溜息を漏らした。
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