279話 チャンピオン

 おじさんたちに感謝して、娯楽室を後にして。


「スカーレット、か。ぼくの感覚ではすこし、女っぽい名前だが……」


 今夜の宿部屋を目指しながら、得られた情報を噛み砕く。


 数年前、突如として現れた年少サモナー。

 その実力は強力無比で、当時、若干11歳にも関わらず、この地方を席巻していたならず者集団、”ランチャー団”を駆逐し、あっという間にチャンピオンへの挑戦権を獲得。その後、前任者を下し、あっさりと”サモナーチャンピオン”にまで成り上がったという。


 なお、その驚くべき経歴にかかわらず、その性格は一切の謎に包まれている。

 なんでも彼氏、チャンピオンになった後のインタビューにおいても、ほとんど話さなかったらしい。


「ふむ……」


 顎を撫でながら、考え込む。

 娯楽室の面々の話を聞くに、どうも兵子はその後、彼に会うことを目的としていたようだ。


――何か、”終末因子”に繋がるような情報があったのかな。


 狂太郎にはこの、スカーレットの正体に思い当たる節がある。

 無口で、常人より戦闘能力の成長速度が速い、となると、――彼は恐らく『ソウル・サモナーズ』の”主人公”役で間違いなかろう。


「兵子くんはきっと、スカーレットと接触すれば、なにかヒントが見つかると思ったんだな……」


 だが、そうするには一つ、厄介な問題がある。

 この世界の”サモナー・チャンピオン”には、そう簡単に会うことができないためだ。

 ”サモナー・チャンピオン”になった者には、多くの権限が与えられる代わりに、この国の治安維持のために尽力せねばならない義務が発生するという。

 そのためだろう。”チャンピオン”は常にこの世界のあちこちを移動していて、その場所を特定することはほとんど不可能なのだ。

 よしんばスカーレットにたまたま出くわすことができたとしても、彼には常にボディーガードがついていて、サイン一つもらうこともできないらしい。


「…………………」


 狂太郎は押し黙り、考え込む。


――ぼくの能力を活用すれば、彼と会うくらいのことはできるかもしれない。


 だが、まともに話をするためにはやはり、――真っ向勝負を挑む必要があるだろう。

 この世界のサモナーは、直接挑まれた試合を断ることができない。それは、”チャンピオン”であっても変わらない。


――彼に試合を申し出て、勝つ。その上で兵子の情報を聞き出すしかないか。


 これは要するに、オリンピック選手と話すため、金メダルを取るようなもので。

 ずいぶんと遠回りに思えるが、闇雲に動くよりもよっぽどマシだろう。


「そのためには……ふむ。ヴィーラにはしっかりと、強くなってもらう必要があるだろうな」


 嘆息、一つ。

 そして、今夜の寝所へ足を踏み入れた。


 この世界の住人における、最低限の生活として保障されているその部屋は、四畳半より少し狭い程度の空間に、無料の栄養水と珈琲、ポップコーンが出てくるフード・ディスペンサーのような装置が備え付けられている。なお、トイレと風呂は、共用のスペースを利用して行うらしい。

 それ以外には実に殺風景な構造になっていて、床には一面、低反発クッションが敷き詰められていた。クッションと毛布が各一つ、クローゼットが一つ、施設内でのみ利用可能な携帯端末が一つ、という感じだ。


――ちょっぴり刑務所っぽいな。


 というのが、率直な感想。

 そう思う一方で、一生働かなくて済むのなら、意外とそういう生活も悪くない、とも思う。


 一日三食。友だちがいて、ゲームがあって。

 人間が生きていくのに、他に必要なものがあるだろうか?


 この世界の住人は、大まかに分けて二種類、存在する。


 街を出て、モンスターと共に生きる者。

 公共施設へ留まり、人生を安楽に生きる者。


 ナマケモノにとってここはある種、理想郷のような世界だ。

 それもこれも全て、肉体労働をモンスターに肩代わりをさせられるが故の豊かさなのだろう。



 狂太郎が、部屋の端っこに座り込み、


「――さて」


 今日は随分と歩いた。さっさと寝ようかな。

 ……と思って毛布を手に取ると、《ブック》の中から、何やら咳払いが聞こえてくる。


「――?」


 狂太郎が不思議に思っていると、咳払いはやがて、『ええっと……その………うふふふふふ?』と、妙にキャラを作ったような、不可解な笑い声となった。


 そして、ぽよんとヴィーラが飛び出して。

 彼女の両手には、娯楽室あたりでガメてきたのだろう、精巧な作りの人形がいくつかと、積み木が一揃い。それに、空の段ボール箱が数個。


 そういえば、戦闘の途中、彼女と取引したのだった。

 命がけで戦う代わりに、彼女の”おままごと”に付き合ってやる、と。


『あのー。そのー。えーっと。……そろそろ……』


 だが、少女はまだどこか、この契約が守られるかどうか疑っているらしい。ちょっぴり照れたような表情で、狂太郎の様子を見守っている。


――正直もう、くたくたなのだが。


 それに彼女、25歳じゃなかったか。その歳で、おままごとって、どうなんだ。

 ……とは、思ったものの。

 狂太郎は、すばやく熱い珈琲を入れて、それを一気に飲み干し、


「よーし! それじゃあいっちょう、やるか!」


 と、気合いを入れた。

 子供じみた遊びに全力を尽くすことができるのは、我々オタクが持つ、数少ない美点であると言って良い。


 するとヴィーラは、ぱっと明るく笑って、『やろっか!』と、笑う。


「まず、配役はどうする? やっぱりおままごとというからには……きみが奥さんで、ぼくが旦那さんか」


 そう言ってみると少女は、にっこり完璧な笑顔を作ったまま、


『あっはっはっは! それ、マジで言ってたら速攻で性犯罪者として通報するけど。旦那さん役は、もちろん持ってきたお人形に任せるわ!(邪悪な提案ですね。旦那さん役は持ってきたお人形に任せます)』


 ちなみに彼女が持ってきたのは、なんだかぐにゅぐにゅした得体の知れない化け物を模した人形である。恐らく何か、ヒーロー系特撮番組に登場する敵役のフィギュアに違いない。


――さすがに、これよりはマシな見た目してると思うんだが。


『彼の名前は、よっしー! 高学歴、高収入、高身長の理想の旦那サマなの! 夕食には必ず帰ってくるし、やさしくてイケボだし……それに何より、すっごくクンニがうまいのよ!(彼は、よっしーと申します。彼はあらゆる点において、私の理想とする男性なのです)』

「……あっそう」


 狂太郎は目を逸らして、


「じゃ、ぼくはどうするんだ」

『あんたは、ペットのポチ。四本足で走り回って、ワンワン鳴きなさい(あなたには、ペットのポチ役をお願いします)』

「ポチ……」


 それ、ぼくである意味、ある?

 不思議に思ったが、


『ほら! 役になりきって! 「わんわん!」っていって! はやく!(もう”おままごと”は始まっていますよ)』

「わ、……わんっ」

『声に張りがないッ! おっさん、ひょっとして”おままごと”嘗めてる? そんなんじゃこの先、やってけないよ!(やるからには、本気でやりなさい)』

「これでもいちおう、本気のつもりで……」

『犬がしゃべるな!(犬がしゃべるな)』

「わんわん!」


 だいたい、その瞬間だろうか。


 狂太郎が、「今夜は、最悪な夜になる」と気づいたのは。



 彼女が”おままごと”に満足するまでかかったのは、それから数時間後。


 理想の男を夫に持ちながら、それとは別の超絶イケメンとの火遊び的不倫に狂うヴィーラの、極めて独善的な物語に付き合って、喉が張り裂けるまで「ワンワン」と叫ぶ羽目になって。


 結局、次の日に狂太郎が目を覚ましたのは、正午過ぎになってからのことであったという。

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