255話 ミノタウロスの借り腹

 ”救世主”として働いていると、時折勘違いしてしまうことがある。

 この世で起こる争いごとは全て、”正義”と”悪”という、二つの勢力による殴り合いに過ぎない、と。


 ”救世主”の敵は、”終末因子”である。

 多くの”終末因子”は、世界の終焉を目論む。それは恐らく、絶対的な”悪”だ。

 だから沙羅は敵と戦う時、あらゆる容赦を考えない。

 ”終末因子”を殺し、救世を行い、――そして会社から、月給を受け取る。


 それが彼女の”正義”だった。


 だがここのところ、ぼんやりとした違和感を覚えている。

 覚悟が、定まっていない。

 仕事に、苛立ちすら感じている。


――あの時から、ずっとだな。


 そう、思った。


 沙羅の故郷のヨシワラには”ミノタウロスの借り腹”という悪習が存在する。


 ”WORLD0148”にはミノタウロス(※26)という、牛に酷似した種族が存在するのだが、これはあらゆる異種族の子を孕む性質があるらしい。

 ”ミノタウロスの借り腹”とはすなわち、ミノタウロスの雌に精子を提供し、子を孕ませ、産まれたそれが五歳になる年にソテーにして喰らうという、ある種のだ。


 血の繋がった親と子は、魔術的に特別な繋がりがあるという。

 そのため、自らの子を喰らうことで、より強力な魔力を獲得することが可能となる。


 欲望の追求には寛容なヨシワラでも、これはさすがに違法とされているが、――法律というものは時に、破られるために存在する。

 法に縛られぬ一部の有力者が大枚はたいて、金のないミノタウロス娘の腹を”買う”。

 そのような行為はヨシワラにおいて、人知れず行われ続けているのだ。


 恐るべきは生命の持つ、『強くなりたい』という欲求であろうか。


 ある日のこと。

 沙羅が、同僚のミノタウロスに助けを求められたことがあった。

 なんでも彼女、金に困って”借り腹”の仕事を受けてしまったらしい。

 だが今は、ひどく後悔している。


――望まず宿された我が子だが、今や情が産まれている。あの子をディナーの皿に載せたくない。


 同情した沙羅は、彼女を逃がすことにした。

 だがその時は、相手が悪かった。

 ミノタウロスが取引した相手は”サトゥルヌス”と呼ばれる神話クラスの大物で、ことはもはや、沙羅たちの手に負えないレベルの事態に陥っていたのである。


 とは、いえ。

 彼女には、チートスキルの力がある。

 禁じられた行為ではあるが、――本気で望めば、”サトゥルヌス”を殺してしまうことも不可能ではなかった。

 だが結局、沙羅はそれをしなかった。

 泣きじゃくるミノタウロスを説得し、我が子を引き渡すことを同意させたのである。


 沙羅たちの世界には、『七つまでは神のうち』という言い伝えがあった。

 法的にも、契約的にも、産まれてから七歳までは『神の所有物』らしい。


 ”ミノタウロスの借り腹”の契約は、そうすると決めた母親にのみ、罪が及ぶ。

 何せ相手は、神の眷属。

 彼にしてみれば、自ら手をかけた家畜を捌いて喰うだけに過ぎない。

 もしあそこで契約を反故にしてしまったら、――彼女はもはや、この世で生きていくことは敵うまい。


 母と子。どちらも救えぬと言うのなら、せめて片方だけでも。


 だが、未だに自問自答することがある。

 あの時、自分がした行為は果たして、正しかったのか?

 もちろん、安易な考えで”借り腹”に契約した母親にも罪がある、とは思う。

 だが、我が子を喰らうサトゥルヌスも、決して許されるべきではない。


 法律は時に、上位者を護るために働く。

 そこに絶対的な正義を見いだすことはできない。


 沙羅は未だに、あの時の答えを見つけられないでいた。

 だが、――この世界で出会った彼と。

 仲道狂太郎と過ごすうち、何かがわかる気がしていた。


 我らが為すべきこととは何か。

 ”正義”とは何か。

 その普遍的な在り方について。



「――ぶっつぶす」


 沙羅が宣言すると同時に、制作者クリエーターが手の中に”何か”を出現させた。

 ぱっと見では何も持っていないように見えるが、――よくよく観ると、透明な剣、……のようなものが存在している。


――さっきの攻撃は、あれを使ったのか。


 見えない、武器。

 これも何らかの”ウル技”だろうか。


 一瞬、訝しげな表情を向けた沙羅に、目の前の男は不機嫌そうに答える。


「そうだ。……そういえばお前ら、《■■■■》を求めていたんだったな」

「……いま、なんて?」

「《■■■■》だ。お前らは、《無》だとかなんとかいていたが。……名前はどうでもいい」」

「あなた、《無》に心当たりがあるの」

「ある」


――それなら、ここまで来て良かった。


 こいつをボコボコにして話を聞けば、それで済むじゃん。

 そう、単純に思う。


 だが、制作者クリエーターは不敵に笑って、


「期待させて申し訳ないが、《無》はもう、この世界のどこにもないぞ(笑)」

「……え」

「そのバグに関してのみ、――”ガール”が来る直前に、バグ取りデバックさせてもらった。もう二度と、お前らみたいなのが現れないようにな」

「――そっか」


 落胆する。

 元々期待してはいなかったが、現実として突きつけられると、空しい気分だ。


 ただ、このように考えることもできる。


――あとはもう、こいつをボコボコにして、気持ちよく故郷に帰るだけだ。


 と。


 そして沙羅は、身構えた。


 《無敵》が効かない相手との戦い。

 命がけの戦いになるだろうが、――構わない。


「ふふふ。ヤル気満々、という感じの顔だな」

「…………」

「本当ならお前には、一切の抵抗をしないでもらいたかった。それこそが”完璧”なバトルというものだからな……」


 だが、お前が抵抗するなら、それもいい。勝負だ。

 とか。


 わからないが、たぶんそういう感じのセリフを言おうとしていたのだろう。

 沙羅は気にせず、《火球》により制作者クリエーターの胸を狙う。


「――ふん」


 制作者クリエーターが透明な刀を振るうと、すぐさま沙羅の火焔が打ち消された。なかなか鋭い剣(?)捌きだ。

 とはいえこちらも、そこまでは想定以内。

 沙羅はすかさず、《炎柱》によって出現させた魔方陣を、敵の足元に出現させる。


 《火系魔法Ⅱ》で目くらましして、《火系魔法Ⅴ》でトドメ。

 これは、サラマンダーが使う定石の戦術だ。


「死、ね!」


 もちろん、異世界人であるこの男は、それを知らないはず。


――勝った。


 沙羅がそう思った、次の瞬間。


「………ふふふ」


 一切の予備動作なしに、目の前の男が消失する。


――消えた?


 一拍遅れて、猛烈な勢いの火柱が、その場に出現する。ドラゴンすら焼き殺すその技は、室内を少し明るく照らすだけに終わった。


「えっ。あれ? どこいった!?」


 よくわからないが、異常な挙動を見せたように思える。

 ぱっと見たところ、……真上に、猛烈な勢いで跳んで行った、ような。

 しかしだとすると、少し奇妙であった。

 この部屋には一応、天井がある。敵はその天井を通り抜けていったようだ。


――あいつ、どこに?


 透明になる能力。移動する能力。

 まあ、どれを持っていてもおかしくはない。なにせ相手は、『ファイナル・ベルトアース』というゲームの制作者クリエーターなのだから。


――だが、万能ってわけじゃないはず。


 沙羅は知っている。

 この世で、真に万能な存在がいるとするならば、――それは”造物主”と呼ばれる存在だ。


――そのはずなのに……これは、どういうことだろう?


 気づけば自身の両腕に、異変が発生していた。

 先ほど、ほんのわずかに傷つけられただけの部分に、ブロック・ノイズのようなものが発生している。

 まるで身体の一部分が、”けつばん”と化してしまったかのように。

 異変は、毒が身体を巡るように、ゆっくりと腕全体に広がっていた。


「やっば……!」


 つん、と、鼻の奥が痛む。

 かつて、ミノタウロスの娘を説得したときと同じ感覚。


 絶望の匂いがした。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


(※26)

 我々の世界で有名なギリシア神話の登場人物とはまったくの別物、とのこと。

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