185話 ゾンビ毒

 そして、十数分。

 ざっくり日記を、読み終えて。


「……ふむ」


 狂太郎は目を細める。

 その内容に関して、いろいろと言いたいことがある、が。


「つまり、あなたは、――」

「ヤマトでいい」

「――ヤマトは、こういいたいわけだな? この世界の”終末因子”、……というか、”異世界転移者”は恐らく、ヘルクくんである、と」

「たぶんな。アザミの調子が狂ったのは、やつと茶を飲んだその夜からだ。日記を読む限り、食屍鬼どもは死霊術師の支配下にあるようだし。まさか裏切る者はいまい」

「なるほど……」


 口では頷きながら、まるで納得した様子がない。

 とても信じられない、という思いが強かった。彼とはそれほど話せていないが、わりと好青年の印象だったから。


 だが、――と、思う。

 人は、他人の嘘を見抜くことはできない。

 実際、この前のマダミス会で自分は嘘を見抜くことができなかったではないか。


「とりあえずアザミには、注意喚起した方が良さそうだね」

「うむ」


 ヤマトが重々しく頷く。


「それと、せっかく手を組むんだ。《セーブ》と《ロード》について、もう少し詳しく聞きたい」

「ああ。なんでも聞いてくれ」

「きみのスキルは、《セーブ》によって記録した時間に、《ロード》を使って戻ることが出来る。――それだけかい」

「ああ、そうとも」


 今回の場合は、日記の書かれた『基督皇歴1613年 花月 16の日』から、『基督皇歴1613年 花月 12の日』まで時間を遡った、ということだろう。

 ここまでは、いい。


「問題はその、無敵に思える能力の弱点だ。きみが《ロード》にかかる時間は、どれほどだ?」

「起動後、――数秒ほどかな」

「数秒……」


 それだけ時間があれば、ヤマトが殺されてしまう可能性は十分、ある。


「ちなみに、きみが万一、致命傷を負った場合、《ロード》で傷は癒えるのか」

「時間が経てば、――さっきあんたに預けた日記帳と同じで、やがてダメージは消える。だが、その速度は、極めてゆっくりなんだ。だから、怪我の度合いがひどい場合は、――」

「そのまま、死ぬこともある、と」

「そうだ」

「……”終末因子”との戦いは、慎重になった方がいいな」

「ああ。――だからどうしても、あんたの力が必要だった」


 狂太郎、内心この男を見直している。

 金剛丸ヤマトはもっと、猪突猛進でものごとを進めるタイプだと思い込んでいたのだ。

 ”時間を巻き戻す”能力なんて与えられたら、特にそうなりそうなものなのに。


「わかった。もし必要なら、ぼくが盾になる」

「頼んだぜ」

「ところで、――いま、唐突に怖い想像が頭に浮かんだんだが、――……このやり取り、ちゃんとだよな?」


 するとヤマトは、一瞬だけ意外そうな顔をしたあと、「ぐはは」と満面に笑みを作って、


「安心しろ。まだ追記する段階じゃない」

「そうかい」


 すこし、視線を逸らす狂太郎。

 それが事実ならいいのだが。


「それじゃ、――己れはしばらく身を隠すぜ。”終末因子”に警戒させる訳にはいかないからな」

「一応、近くには居てくれるんだろ?」

「もちろんだ。合図をくれたら、援護する」


 ヤマトは、がつんと自らの両拳をぶつけて見せる。


「そんときゃ、とっておきの必殺技、……『百八式・超炎爆撃脚』をお見舞いしてやるからな」


――ひゃく、はちしき……?


 一瞬だけ首を傾げて、


「……いやまあ、なんでもいいか。とにかく助かる」


 この男の戦闘力と経験は、狂太郎のそれを遙かに上回る。

 ”異世界転移者”が何者であれ、心強いことこの上ない。


「じゃ、また後で」


 言って、ヤマトはポケットからガラス瓶を取り出す。

 ヨシワラでも見かけた”異界取得物”。《透明化の薬》だ。


――さっき、見えないところから急に現れたのは、これの効果か。


 ヤマトがそれを飲み干すと、その身体は空気に溶けるように消えていく。


「いいな、それ。一つ余ってないか?」


 虚空に向けて声をかけると、


「余ってないことはないが、……これ、身体にあんまり良くないぞ」

「そうなのか?」

「うん。――以前、会社の人間に成分を調べてもらったら、脂質と糖質が大量に含まれていたらしい」

「なんじゃそりゃ」

「お互い、歳だからな。気をつけよう」


――今のひょっとして、この男なりの冗談か?


 いまいち、異世界人のユーモアセンスはよくわからない。

 真偽不明のまま扉が開き、ヤマトは「そんじゃ」と言って、消えた。



 その後、工房アトリエに移動して。


「アザミ」


 狂太郎が声をかけると、――その灰色の髪の娘は、ルビーのように紅い目をこちらに向けた。


「ほえ? どうしました? キョータローさん」


 彼女、ずいぶんと珍しそうな表情をしている。

 この時間帯に狂太郎が顔を出すのが珍しかったのだろう。


「いま、ちょっとしたタレコミがあった。……きみ、今日のお茶会、止めとけ」

「えっ」


 彼女、少し癖のある髪をちょっと揺らして、少しだけ何かを期待するような顔つきになる。


「なんで、そんなことを? ――ひょっとして、やきもちとか」

「違う。毒を盛られる可能性がある」

「……毒?」

「うん。――きみは先月、”ゾンビ”と戦った日のことを覚えているかい」


 先月、と言ったが、狂太郎の主観ではほとんど数日前のことだ。

 《時空管理リモコン》で世界の速度を速めている影響で、時間の感覚がこの世界の住人とはズレがある。


「もちろん。わすれっこありません。……一生のトラウマだわ」

「どうもそれ、”終末因子”の影響らしい」

「”終末因子”って……ええと、以前聞いた、アレでしたよね? キョータローさんの、最終目的……」

「そうだ。この世界に終焉をもたらすもの。ぼくたち”救世主”の宿敵。どうやら、”ゾンビ毒”とでも呼ぶべきものをこの世界に持ち込んだ者がいる」

「ゾンビ、毒?」

「ああ。……なんでも、こことは違う世界で作られた、とてつもなく強力な毒らしい」


 狂太郎はさらに、事前にヤマトから聞かされていた、このような事実を口にする。


「”ゾンビ”の血液一滴、爪の欠片、皮膚片、髪の毛一本。……なんでもいい。それを一部でも口に含んだが最後、やがて”ゾンビ”の仲間入りしてしまう。要するにあの”ゾンビ”どもは、存在そのものが人間を殺すのに特化した”毒”なのだ」

「血の一滴、髪の毛一本、ですか。……それくらいなら、気付かず飲んでもおかしくありませんね」

「ああ。――ただでさえきみ、味覚音痴っぽいし」

「なんか言いました?」

「いーや、何も」


 視線を逸らす狂太郎。

 彼女の手料理をご馳走になった回数は少ないが、――とりあえず、カップ麺の方が百倍はうまいと思っている。


「ふーん。……ま、いいや。わかりました。それじゃ、しばらく口に含むものには気をつけるようにすることといたしましょう」

「そうした方が良い」


 あとは、ぼくがなんとかするよ。

 アザミは、そう続く言葉を遮って、


「それはともかく。今日のお茶会、……やっぱり、開きませんか」

「話を聞いてなかったのか? きみに危険が迫ってるんだぞ」

「いーえ。本当に危険なのは、強力な毒を危険人物が持ち歩いてるという事実でしょう。逆に、今日のお茶会にを持ち込まれることがわかっているのなら、現行犯逮捕することも不可能ではないわけでしょう?」

「ふむ……」


 ふーっと、鼻から肺の空気を吐き出して、


「だが、それだと、――きみにリスクを背負わせることになるが」


 狂太郎は、彼女の失われた足を見る。

 これまで、彼女が足を失うのは、――だから仕方ないと、自分を納得させてきた。

 だが、”終末因子”との戦いに、彼女を巻き込むわけにはいかない。


「だいじょぶだいじょぶ。今朝も金の卵を食べましたし。元気いっぱいです。私」

「そうかもしれんが……」

「それに、――キョータローさんを助けることは、”食屍鬼”の地位向上のためにも必要なことなんです。”ゾンビ”なんて連中をのさばらせてしまっては、”死霊術師”の名が廃る」

「そうなのか?」

「ええ」


 彼女は、強い意志を持って、頷く。


「私、あれほどおぞましい死体を観たことがありません。……あれには、魂が宿っていませんでした。……死体の皮膚の奥に、無数の、小さな虫のようなものが蠢いている感じ、と言いましょうか」


 言って、アザミは自分の言葉に身震いをする。


「そんなものの存在を、この世界に許しておくわけにはいきません」

「そうか」


 ここまで言ってくれた人を、無碍にするわけにはいくまい。


「きみは誇り高い娘だな」

「百人いたら、八十人は同じ判断をするでしょう。ごく一般的な判断ですよ」

「……まあ、それはそうか」


 世界が滅びてしまったら、自分の居場所もなくなるわけで。


「よし。わかった。では、そうしよう」


 ”異世界転移者”を、罠にかける。

 あの日記の二の舞は、絶対にごめんだ。

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