六章 WORLD1944 『とある少女の恋文』

172話 大仕事

 ある朝、食堂に行くと、天使がおむすびのように丸くなっている。


「――…………」


 仲道狂太郎は、目の前のそれを二秒ほど眺めた後、


「――誰もいないか」


 と、朝食の支度を始めた。


「昨夜はどうやら、なんかのゲームで盛り上がっていたようだったからな。今日起きてるのはたぶん、ぼくだけみたいだ。……仕方ない。朝食は一人で食べよう」


 わざわざそんな台詞を口にしながら、共用の冷蔵庫を開く。


「タマゴは、――ああ、飢夫が買ってくれたか。じゃ、目玉焼き丼にするか」


 まず、冷凍保存してある米を電子レンジで温め、それを丼物専用の器に盛った後、鰹節をまぶす。それにちょっとだけ醤油を掛けて、あとはその上に目玉焼きとベーコンを載っけるだけ。

 あとは、インスタントの味噌汁を作るだけで、十分もかからず朝食の用意が完成した。なお、人が少ないときの野菜要素は、全て野菜ジュースによって解決することにしている。


「あのぉ……。気付いてる、よな?」


 天使が何か言っていたようだが、無視。


「ようし。いただきまーす♪」


 言って、わしわしと米をかっ込み始める。


「ええと……。おーい。狂太郎?」

「うまいなぁー。米はなんてうまいんだ。うまいなぁ」

「おい。狂太郎。絶対無視してるだろ」

「見えないなあ。……ぼくには何も見えない。――朝っぱらから、土下座してる天使の姿、とか」


 そこでナインくん、ほっぺをぷくーっと膨らませ、


「頼むぜぇ。――今回はマジで、あんたの助けが必要なんだ」

「……いつもそうじゃないか」

「いつもよりずっとずっと、やべー案件なんだよっ! 等級でいうと、第一等級の仕事ってこと」

「なんだそれ」

「そんだけデカい案件なんだ。なんなら”エッヂ&マジック”の社運がかかってるレベル。……ちょっと前に、親善試合があったろ? あれのお陰で、そういう仕事が舞い込んでくるようになったってわけ!」

「ふーん。お役に立てたようで、幸いだな」


 っていうかこいつら、下請けの中でも、信用度の低い方だったのか。


「そっちは社運が掛かってるかもしれないが、こっちも命が掛かってる。――どの辺がどう”ヤバい”のか、教えて貰おう」

「そりゃーもう。……何がっていうと……うまく言えないが……とにかくヤバいんだよ!」

「――なあ、ナイン」


 狂太郎は、さすがにそろそろこういう話をして良い頃合いだと思って、彼の肩を抱く。

 ナインは何故か少し、ぽっと頬を赤らめて、


「え? ……な、なあに?」

「きみの、秘密主義的なやり方にケチを付けるつもりはないが、いい加減、腹を割って話し合おうぜ。具体的にどう、危険が待ち受けてるっていうんだ」

「えーっと。……それは……その……」

「あんまりぼくたちを蔑ろにすると、マジで近々、退職者が続発するぞ」

「…………ぐむーっ」


 そこまで言われてナインくん、ようやく意見を翻す。


「わかったよぉ。――『あの家の連中は、逃がすな』って、上司にしつこく言われてるし」


 あの家、というのは要するに、狂太郎たちがいま居る、このシェアハウスのことだろう。


「ぶっちゃけ、今回確認された”終末因子”ってのは、……これまで、みんなが退治してきた連中とは格が違う。しかも、もともと他業者に依頼された仕事だったが、そこはすでに、手を引いてるらしい。……つまり”訳あり”の仕事だってことだ」

「具体的に、いつもとどう違う?」

「”終末因子”が、――どこを探しても見つからないんだってさ」


 狂太郎、眉間に皺を寄せて、いつもの怖い顔になる。


「それってわりと、いつも通りじゃないか」

「いや、いつもとは明らかに違う。――それだけよく探しても、見つからなかったってことだ」

「単なる見逃しの可能性は?」

「ないと思う。前任の”救世主”はかなり優秀な奴だからな。世界人口の増減もチェックしていたようだが、――大きな戦争も悲惨な殺人もなく、平和そのものだったらしい」

「ふーん」


 姿を隠すのが巧い”終末因子”ということだろうか?


「あるいはそもそも、無害な”終末因子”なのかも」

「それだけは絶対にない。全く他者を害さない”終末因子”など、この世には存在しないんだ」

「そうなのか?」

「ああ。――一度でも、オレサマたちに感知できるレベルの強い反応があった”終末因子”は、必ず何らかの形で、周囲に害をまき散らす。例外はない」

「ふむ」


 これまでに出会った、”終末因子”だった者たちの顔を思い浮かべながら。


「世界を人体に喩えるのであれば、”終末因子”は、死に至る病だと思ってくれ。――”救世主”による治癒を受けない限り、その病は必ず、世界を破壊する。このルールは、どういうタイプの”終末因子”でも変わらないんだ」


 死に至る病、か。

 ナインくんの説明としては、わりとわかりやすい部類に入る。

 言われてみれば、これまで除去してきた”因子”も、全く人を害さなかった者はいない気がした。


「となると、まだその”終末因子”は、赤ん坊の状態、ということかな」

「そうかもな。だが、眠ったり、休んだりしている訳じゃあない。確認されたのは、”終末因子”の活性化だから」


 その後、ナインくんはこう続ける。

 そもそも我々の住むこの世界には必ず、潜在的な”終末因子”が山ほどある状態なのだという。

 人体が、やがて老化による死を運命づけられているのと同様に、各世界にも寿命、というものがある。

 ”救世主”たちの仕事は、死に瀕した世界のための延命作業、と言えるのかもしれない。


――”日雇い”の医者とか、不安なことこの上ないが。


 話を進めつつ、出かける準備をして、


「つまり今回の仕事は、……時間が掛かるかもしれない、と」

「ああ。最悪、向こうの世界に一、二年は居る羽目になるかもな」

「げ。……マジかよ。それは困るな」

「だから今回は特別に申請して、”救世主”専用のアイテムを手に入れておいた。巧く使えば、いつものように一ヶ月以内で戻れるはずだ」


 言って、ナインくんが取り出したのは何か、型の古いリモコンを思わせるものだ。


「《時空管理リモコン》と呼ばれるものだ。これを使えば、世界を”早送り”できる」

「ふむ。”早送り”」

「要するに、余計な時間をスキップできるってこったな。ただしこれには弱点がある。時間を”早送り”している間、あんたは完全に無防備な状態になるってことだ。これを使う時は、必ず安全地帯にいるようにしてくれ」

「……わかった」

「それと、もう一つ。《不眠薬》だ」

「えっ? それひょっとして、――」


 覚醒剤とか、麻薬とか、ねむらなくてもつかれない薬とか、そういう類の何かでは。


「いや、それとは全く違う。害はない。一切、害はない。害は、ない」

「ホントかよ。――めちゃくちゃ念を押すじゃん。逆に怖いぞ」

「嘘だと思うなら、”金の盾”の連中に話を聞くと良いさ。向こうの連中なら、常用している者も少なくないはずだ。……健康には、一切の害はない。ちなみにこっちの世界に戻れば、体質も元通りになる」


 むしろだんだん、不気味になってきたが。


「……らしくないな。今回はいつになく、気が利くじゃないか」

「言ったろ。今回の仕事、マジでマジで、命かかってるんだって」

「ふーん」

「ちなみに、《不眠薬》の方はくれてやるが、《リモコン》はレンタル品だからな。紛失しないように、頼む」

「あいよ」


 狂太郎はぞんざいに答えて、――いつものコートに、リュックを背負う。


「ちなみに。……その、”優秀な前任者”ってのは、誰だ?」

「あんたも知ってる男だよ。――金剛丸ヤマトだ」

「ああ……彼か」


 この前の親善試合で、コテンパンにやられた相手だ。


「つまり、もしこれで、狂太郎がこの世界を救えれば……」

「わかってる。間接的な、リベンジ・マッチってことだろう?」


 言って、狂太郎は拳を突き出す。

 最近、二人の間では、これが異世界転移の合図となっているのだ。


「ガンバれよっ」


 天使も、その拳にグータッチ。


「オレサマは、――おまえのこと、史上最高の”救世主”だと思ってるんだからなっ」

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