99話 退屈は人を殺すか
「なるほど」
言って、狂太郎はガラケーをぽいっと道ばたへ放る。
必要な情報はもう、得られた。その辺に放っておけば、きっと親切な誰かが届けるだろう。
この世界の住人は基本、――善人ばかりのようだから。
なおこの時、狂太郎はちょっとした失策をしている。
もっとよくニュース速報を調べていれば当然、飢夫に関する情報を得られた可能性があったためだ。
だが、結果から言うとそれで良かった、とも言える。
いま、彼が飢夫について心配したところで事態は何も好転しなかったし、むしろ今後の行動の妨げにしかならなかったためだ。
――さて。今度の仕事は……かなり厄介なことになりそうだぞ。
この時点での狂太郎の見解は、こうだ。
・”終末因子”はこの世界の主人公役。あの”ああああ”という名前の少女だ。
・しかしこれは、彼女を始末すればどうにかなるような、そんな単純な問題ではない。
・たぶん、この問題はかなり根が深い。一朝一夕で解決するのが難しいほどに。
この世界に来たときから、ずっと気付いていた。
どうやらこの世界での仕事は、かなり相性が悪そうだ、と。
おおよそ、この頃である。
彼が、ギブアップを視野にいれ始めたのは。
――といっても簡単に諦めるわけにはいかん、よな。
やるべきこと、やれること。全てを行う。
この世界を離れるのは、それからだ。
狂太郎がすべきことは一つ。
”終末因子”である彼女に、考え直して貰うしかない。
この世界との向き合い方を。
――参ったな。
今さらになって、飢夫を『動物工場』に送ったことを後悔している。
この手の仕事はきっと、やつの得意分野なのに。
しかし、彼を待って行動するほど、悠長なことは言っていられない。
”天岩戸作戦”。
信じがたいことだがこの世界の住人は、自らを犠牲にすることによって”ああああ”の慰み者になろうとしているらしい。
▼
狂太郎が再び”ああああ”の自宅を訪れると、――相変わらずゴミが散乱したその一軒家から、いつもよりどんよりした雰囲気が漂っていた。
「この辺のゴミは、あれか。島の連中を寄せ付けないための措置だったのかな」
彼のゲーマー的直感は、正しい。
これは『かいもり』における裏技の一つである。家具を家周辺に配置することにより、自分以外のキャラクターの侵入を防ぐことができるのだ。
もちろん、動物とのコミュニケーションを愉しむ本作において、そのような真似をするプレイヤーは少ない。
だが、と、筆者はここで、ふと思う。
十五年間。
十五年間ずっと、ただただこのゲームをやり続けていたならば。
あるいは島の住民たちの、あらゆる会話パターンを知ってしまったのであれば。
ある日、何もかも急に、嫌になってしまったとしても無理はない。
もちろん狂太郎は、彼女の張った精神的な防壁など、もろともしなかった。異世界の住民にとっては”神の子”が配置した動かしがたい家具であっても、彼にしてみればそれは、ただの障害物にすぎない。
「もしもし。いるか」
二度目になるノック。
どたどたどた、ばたんと、足音がして。
がちゃり、と、扉が開く。
「……なに?」
暗闇の中に、ぎょろりとした目玉が二つ。
彼女と離れていたのは数時間ほどだったが、早くもその生活は荒廃しつつあるようだ。
狂太郎は眉を段違いにして、
「なんだ、きみ。ずいぶんと元気がないなあ」
そして、彼女の髪にそっと手を当てて、その真っ白な顔を覗かせる(※11)。
一瞬、”ああああ”はぼんやりとそれを受け入れていたが、すぐに我に返って、
「ちょっぴり、気分が悪くって」
と、一歩だけ退く。狂太郎は気にせず、ずいっとその内部に入り込んだ。
「どうした? 今朝までとは大違いじゃないか」
「……。だって私、気付いちゃったんですもの」
「気付いた? なにに?」
「この数日、一度にこれだけ不思議なことが続いたんだから、……きっとしばらくまた、退屈な時間が続くだろうって。何年も、何年も……」
「後ろ向きなやつだな」
部屋を不躾に見回すと、”島の住民バリア”は室内にまで及んでいる。中はまるで、ゾンビの侵入を防ぐ人類ただ一人の生存者というような風情で、窓は完全に閉じた上、タンスやらなにやらで完全に塞いである。
「あの、その。ちょっと。申し訳ないんですが気分が優れないので、出て行っていただけませんか」
「悪いが、それはできない」
凶相の男に無理矢理部屋に上がり込まれるとか、一人暮らしの少女が見る悪夢のような光景だが、狂太郎の方は狂太郎の方で、わりと切羽詰まっていた。
このままの状況が続けば、死者はどんどん増えていくだろう。
”彼女を愉しませる”という、ただそれだけのために。
「……私の頼みごとをこうもあっさり断るなんて。本当にあなたって、イレギュラーな人、なんですね」
「言っただろ。ぼくは異世界から来たものだ。だからきみ、ぼくと飢夫に惹かれたんだろう?」
「ええ、まあ」
彼女はそう、素直に言って、
「あなたが普通でないことくらいは、最初からわかっていたのです。私に対して批判的な目を向けたのは、あなたが最初、でしたから」
「そうかね」
だれも口出しされなくなった大御所系の芸人が、ちょっと自分に噛みついてくる後輩を手元に置くようなものだろうか。
「でも、あなたはきっと、そのうちいなくなる。そうでしょ?」
「”終末因子”を取り除ければな」
「じゃ、やっぱりそうだ。世の中は変わらない……ずっと退屈なまま」
”ああああ”はそこで、深く嘆息して、
「毎日毎日……同じことの繰り返し。それがきっと、永遠に。無限に繰り返されるんですね。この世界で」
「ずいぶん思春期めいたことを言うじゃないか」
「シシュンキ……? なんです、それ」
どうやら翻訳がうまくいっていないらしい。
あるいはこの世界の住人には存在しない言語なのかもしれなかった。
「まあ、いいや。何にせよ、きみには話さなきゃならんことがある。ここ数日で起こった事件について、――すこしばかり私見があってね」
「私見? なんでしょう。どの事件も、きれいさっぱり解決したように思えるのですが」
「それなんだが」
ここで話すわけにはいかない。
たしかネットの情報によると、――この家にはたしか、盗聴器が仕掛けられているはずだから。
「これから少し、浜辺を歩かないか」
「浜辺、を?」
「ああ。――つまり。デートだ」
すると少女は、ちょっとだけ頬を赤らめて、こう応えた。
「まあ。……いいですけど」
「準備は、一時間くらいかかるかい」
「いえ」
彼女はそこで、本格的に頬を赤らめて、
「前回は、心の準備が必要だったんです。私、着替えは早い方なんですよ」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(※11)
「おい。おまえまさか、女の子の髪にいきなり触れたのか」
「ん? そうだけど?」
「いきなり無神経だとは思わなかったのか?」
「え? 思わなかったけど?」
「彼女、どういう反応だった?」
「別に、普通だったけど?」
「普通って……その、厭がったりとかは」
「え。どうだろ。でも言われてみれば、すぐに顔を背けられたような」
「しっかりしろ。大事なとこだぞ。彼女、おまえに少しでも気があったのか、それともなかったか。それによってこの辺の描写はぜんぜん変わってくる」
「ああ、それはない。このときは。たぶん」
「だったらおまえ、ぜんぜん気がない女子の髪を、出会い頭にナデナデしたことになるが。それでいいか」
「うん」
「……おまえ……」
「なにか?」
「おまえ案外、ジゴロの才能、あるかもな」
「そーお?」
「あるいは、人との距離感がバグってる奴」
以上、打ち合わせ時の会話より。
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