52話 空を駆けるメシア
ぴょん、ぴょん、と。
変動する足場を渡り歩きながら、最後の鉄板に行き着く。
そこまでは、それほど難しくない。ウォーターパークのアスレチックだ。
問題は、そこから先、である。
ゆっくりと落下する宇宙基地の破片の上で、狂太郎は大きく深呼吸をした。
心臓が、痛くなるほど鳴っている。
無理もない。狂太郎が今しようとしているのは、あらゆる点において人間の本能に反する行為だ。
――飛ぶ。飛ぶぞ。
狂太郎、心の中でそう叫びながら、両足に力を込める。
自分に身を預けてくれている仮面少女の存在が、彼に最後の勇気を与えた。
そして、……ほんの一瞬だけ、《すばやさ》を十段階目にして。
跳ねる。思い切り。
限界まで加速した状況下での跳躍は、無重力空間におけるそれに近い。
斜め上に飛びながら、加速度を調整。弓なりにコーシエン村へと飛んでいく。
いま、狂太郎が存在しているのは、高度6000メートルほど。
四百倍に加速した世界にいて、彼は落下中、色んなものを観察する余裕があった。
コーシエンの円状に組まれた街並みが、ダーツ・ボードに見えたこと。
島上空を羽ばたく飛竜の群れと目が合ったこと。
連中、「嘘だろお前」という表情をしていた気がすること。
青空が眩しかったこと。
陽の光を受けた海辺が、ひどく美しく感じられたこと。
崩落した軌道エレベーターが、土煙を上げながら倒れていったところ。
落下の途中、破壊された宇宙基地の破片の一つに、丸顔くんとごま塩頭の姿も見られたこと。
二人とも、《無敵バッヂ》の効果で全身をオレンジ色の風船ガムのようなものに包まれていて、どうやら無事らしいとわかったこと。
仮面少女がしっかりと前を見据えていたこと。
そして、そして、そして――。
――だんだん暇になってきたな。
この緊迫した状況下で、あんまりやることがないことに気付いたのは、間もなくのことであった。
高度6000メートルから自由落下した場合、着地にまでかかるの時間はおおよそ2分ほどとされる。
この場合、十倍まで加速を緩めても、20分。安全圏に脱するまでは慎重に進むことを考えれば、もっと長い時間を空中で過ごす羽目になるだろう。
――早すぎるのも考えものだな。
かといって、焦れて手を抜く訳にもいかない。いま、この辺りは壊れた宇宙基地の破片が飛び交っている状態だ。その一つ一つが、弾丸を思わせる威力である。万が一にもこれを受けるわけにはいかなかった。
”日雇い救世主”として良い仕事をするコツは、こういう時、気長に待ち続けることだという。
すいすいと空中を泳ぐように身を捻り、雨あられと降り注ぐ破片を躱したり、逆にそれらを利用して方向を調整したり、帰還したらまずどこのラーメン屋に行こうかとか、そういうことを考えてたりしていると……、驚くべきことに火道殺音がまだ、こちらに着いてきていることに気付いた。
――マジか、この娘。
恐るべき勝利への執念だ。
正気でない、と表現することも出来る。
なにせ彼女、狂太郎と違って破片の回避ができない。……というか恐らく、していない。すでに彼女の全身はズタボロになっていて、全身から血の飛沫が噴き出している。
――負けない。絶対に負けない。
その表情から、強い意志を感じられた。
狂太郎は思う。物語がある、と。
きっと彼女にも、絶対に負けられない理由があるのだ、と。
とはいえそれは、狂太郎とて同じことである。
気付けば足元には、コーシエンの村が広がっていた。
村の人々はみな、こちらを驚愕のまなざしで見つめていて。
手の一つも振ってあげようかと思っていたら、仮面少女の方がすでにそうしている。彼女も彼女で、もの凄い胆力だ。数秒後には肉の塊になっていてもおかしくないというのに。
もちろんそれは、――狂太郎がそうさせないつもりだが。
気が付けば、目的地。
眼下には海辺が広がっている。
さて。
実を言うと狂太郎この時、ちょっとした勘違いをしている。
というのもこの男、どれほど高所から落下しようが、水中であればダメージを無効化できると思い込んでいたらしい。一応言っておくが、これは誤りである。確かに着水により落下時の衝撃をある程度緩和することはできる。だがそれは、高度6000メートルからの落下を想定していない。
勘違いの原因はまあ、マリオとかマイクラとか、その手の3Dアクションゲームだろうか。ゲームのやり過ぎが、直に命に関わった希有な例だ。
とはいえ、狂太郎はこの世界でも五体無事で帰還している。
無論、《無敵バッヂ》を装着していたためだ。
「う、お、お、お、お、お、お、おッ!」
着水の直前までは、それほどの恐怖はなかった。
だが、少し前に
――あれ? これひょっとしてマズいか?
と、思う。
このまま着水した場合、いかに《すばやさ》で強化されているといっても、保たないのではないだろうか、と。
だが結果的に、その恐れは杞憂となった。
着水の一瞬前。狂太郎と仮面少女の胸に装着していた《無敵バッヂ》がみるみる膨らんでいき、ジェル状の何かが二人の身体を包み込む。
「なんだこれ!?」
あらかじめ、火道殺音から説明を受けてはいた。
それでもなお、狂太郎はとっさに両手をジタバタする。正直、かなり不気味だった。ふわふわぶよぶよした何かに全身を包まれる、というのは。
ばるんっ。
狂太郎と仮面少女は、ゴムまりを水面に叩き付けたかの如く、跳ねた。一拍遅れて、火道殺音も同様の動きをした。
「ひゃほおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「わああああああああああああああああああああっ!」
前者は仮面少女、後者は仲道狂太郎。
もとより覚悟の上だった火道殺音は、声一つ上げずに耐えている。
ぽしゃん、ぽしゃん、ぽしゃん。
ゴムまりが三つ、海面にぷかぷかと浮かぶ。
三人はそれぞれ、両腕を必死に藻掻きながら、膨らんだ《無敵バッヂ》を取り除きにかかっている。
もっとも速かったのは、――もちろん、仲道狂太郎である。
「ぶ、はあ!」
口と鼻に塩水を吸ったため、拷問のように顔面が痛い。
《すばやさ》の弱点がある。ダメージを受けた状態で加速してしまった場合、その痛みまでもが引き延ばされてしまうのだ。
――我慢、我慢だ、男の子……!
必死に自分に言い聞かせる。
次に自由の身となったのは、身体が小さかったためだろう、――仮面少女だ。
「おっちゃん! あのうちゅーじんはっ!?」
周囲を見回す。奴は今、――浜辺の方に吹き飛ばされて、仰向けに倒れていた。
着水の影響だろうか、足が変な方向に曲がっているのが見える。
狂太郎、袖で顔面をごしごしやって、奴の方向に向かった。
波に攫われそうになる両足を動かしながら、宇宙人に向かって駆ける。
「やらせ……る、かあッ!」
その時、身体を殺音が剣をちょっと振るう。オーケストラの指揮者が棒を振る程度の、小さな動きだ。
だが、《こうげき》スキル持ちの”救世主”にとっては、それで十分だった。
剣の先から金色のエネルギー波が放たれて、
「させるかッ!」
狂太郎、加速。
しかし、
――!?
足が、動かない。
まるで、鉛に包まれているかのように、両足が動かないのである。
――まさかぼくのスキル、……水中では使えないのか?
これは狂太郎にとって大きな誤算であった。
この弱点、――土壇場で判明したが故に、対応が遅れてしまう。
倒れた
「しまッ……!?」
ある意味それは、虐げられてきた人類の魂が、その本懐を遂げた瞬間であったのかもしれない。
リゾート地を思わせる砂浜に、白い土煙が舞った。
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