31話 もう一人の救世主

 昼食後。

 お腹がくちくなった二人が「最近食べたもので、いちばんうまかったものは?(※13)」的な議論を愉しんでいる、と。


「こんにちは」


 どこか、子猫をあやすような女の声がする。

 発音は、「こんにちは」の「ん」にアクセント。やはり標準語ではない。

 すると仮面少女は、さっと仮面を頭にずらして、直立不動の姿勢を取った。


「あっ、あっ……そ、村長!」

「お邪魔してよろしい?」

「え、ええっ。散らかってますけども」

「かまへんぇ」


 同時に、きい、と音を立てて木戸が開かれる。

 そこから、眼を細くした美しい小顔と、――石けんの甘ったるい匂いを感じて、狂太郎は目を見張った。


「おや? ……あんた」

「あらあら。まあまあ」


 顔を合わせるなり、二人揃って意外そうな顔になる。

 そんな二人に、仮面少女は顔をぴょこぴょこ動かして、


「えっ? えっ? お二人、お知り合い?」

「いや。初対面だ」


 すると”村長”も、皮肉っぽく笑った。


「せやねえ。知り合いっちゅうわけやない」

「じゃ、なんで……?」


 不思議そうな表情の少女に、”村長”は猫をくすぐるような口調で、


「悪いけどあんさん、ちょっと席、はずしていただける? うちはちょっと、この方とお話したいことがあるから」

「えっ。……でもぉ」

「ええから。はように」


 有無を言わさないその口調に、仮面少女は「はあい」と応え、渋々その場を後にする。

 そうして、二人っきりになって。


 狂太郎はまず、先に口を開いた。


「驚いたな。――ぼく以外の”日雇い救世主”に出会うのは初めてだ」

「あら、そおなん? うちは三度目やけど」


 そう応えた女は、一目でわかるほど、この世界には似つかわしくない格好だ。

 一見、学生服のように見える。だが世界中を探しても、彼女の着ているような制服は見当たらないだろう。

 強いてそれを一言で表現するならば、――「物語に登場する架空の魔法学校の制服」とでも言うべきだろうか。彼女はそのコスプレじみた格好を、まるでそういう私服であるのように着こなしている。

 あるいはその、堂々とした態度と自負心が為せる業かもしれない。


 歳は若い。十代後半、あるいは二十代前半。


 その容姿の第一印象は、


――黒髪の乙女、だな。


 というもの。

 つまり彼女は明らかに日本人で、ついでに尋常ならざる美形だった。

 髪を高い位置のサイドテールにまとめている点がちょっぴり子供っぽいが、それすら彼女から漂う高貴さのアクセントとなっている。

 好みが分かれる点があるとするならば、その勝ち気な眉と、他人を射貫くような眼光だろうか。

 総じて彼女は、なんだか触れがたい、手を出しがたい類の美女であった。


 とはいえ狂太郎も、美人と出くわすだけで舞い上がるほど、若くもない。

 あくまで仕事上の付き合いであるという体を崩さず、


「ええと……こういう時、ぼくは、どうすればいいんだろう?」

「あら。ご存じないん? そういうときはね、担当の名刺を見せるんよ」


 少女はにっこりと眼を細めて笑う。薄目を開けて覗き見える黒目が、こちらに完全には気を許していない事実を物語っていた。


――そういえばナインのやつに、「最初に渡した名刺、絶対なくすなよ」とか言われてたっけ。


 鞄のポケットの小物入れになっている場所をまさぐって、今はくしゃくしゃになりかけていたそれを取り出す。


「ほら」


 表面には印刷された文字で、


『人事部

 社員 No,9

 (有)エッジ&マジック異界管理サービス』


 裏面には手書きで、


『・スキル:《すばやさⅩ》を付与しました。

 ・スキル:《バベル語(上級)》を付与しました。

 ・スキル:《異界適応術Ⅰ》を付与しました。

 ・スキル:《異界呼吸術Ⅰ》を付与しました。

 ・スキル:《精神汚染耐性Ⅰ》を付与しました。』


「ふーん。そっちの天使は、……ナンバー9なんやね」

「そちらは?」

「ナンバー6」

「へえ。何番までいるんだろ」

「さあ? うちも正直、連中のことはよぉ知らんし」


 なんだろう。

 そのセリフを素直に受け取れないのは、その丁寧すぎる言葉の抑揚のせいだろうか。

 彼女は裏面の文字をゆっくりと読んで、


「《すばやさⅩ》か。なんやずいぶん、使いにくそうなスキルやねえ?」

「ん。……ちょっとまて。”救世主”ごとに付与されるスキルは違うのかい?」

「あらら。そんなことも知らんの?」

「そうだ。嘘を吐く理由がどこにある」

「ふうん……」


 少女は、妖しげな微笑を浮かべる。

 吸い込まれてしまいそうな眼に、狂太郎は思わず目を背けて、


「……それで? 君の能力は?」


 すると娘は悪戯っぽく、応えた。


「えっ。教えられへんけど」

「は? こっちは名刺を見せたじゃないか」

「うん。せやね」

「だったら、そっちも見せるのが礼儀というものじゃないのか?」


 名刺ってそういうものだろ。他人のだけど。


「いーや♪」

「なぜだ」

「きぎょーひみつやから」


 この世の中には、な性格というものがある。

 その者の不思議な魅力で、通常では道理の通らない取引ですら、あっさりと押し通してしまうのだ。彼女がそれだった。


「…………」


 だが、こと仲道狂太郎に対して、その手は通用しない。

 硬派だからとか、そういうカッコイイ理由ではなく、単に心が枯れているのである。


「馬鹿にするのもいい加減にしろ。きみ、協力する気があるのかね」

「協力? ……うふふふふ。協力ねえ」


 彼女は、先ほどと同じく、真意の読めない笑みを浮かべて、


「そんじゃ、やさしいうちが教えたる。”救世主”同士はね、あんまり協力なんて、せえへんのよ。”救世主”が同じ世界に派遣された場合、ほとんどは競争になる。どっちが先に世界を救うか、っちゅうね」

「そう……なのか?」

「うん」

「ってことは、……きみは、敵だと?」

「だとしたら、どうします?」

「今すぐきみを拘束して身動きを取れなくするだけだが」

「うふふ。こわぁ」


 彼女は、笑みを崩さないままだ。

 こちらの出方をうかがっているのか、――いや。

 どうも、こちらが手荒な真似をした瞬間、手痛いしっぺ返しが待っている気がする。

 彼女の纏う雰囲気は要するに、そういうものだ。


――敵意。


「そりゃ堪忍やねえ。……でも、直接手ぇだすのはさすがにNG。そしたら、うちの担当が黙っとらん。あんたもクビにはなりとぉないやろ?」

「ふむ」


 狂太郎は少し彼女の言葉を斟酌して、


「喧嘩はNG。だが協力はしない。……同じ会社のライバル社員、みたいな関係ということかな」

「そ。聡い方でよかったわぁ」


 掴めない態度から一転、どこか媚びるようなセリフだ。蕩けるように甘い言葉だ。そのギャップ一つで、彼女に夢中になってしまう男がいてもおかしくはない。

 だが狂太郎、眉間にくっきりと皺を寄せて、


「……わかったよ。だが、そもそも”終末”を防げなければお話にならない。そうだろう」

「せやね」


 そして、苦い顔を作った。

 だったらやはり、お互いにスキルを把握しておいた方がいい気がするが。

 もし”救世主”同士の争いに巻き込んで、現地民を死なせてしまうようなことがあったら、悔やんでも悔やみきれない。


「なら、最低限度でいいから、情報共有をお願いできないか」


 そっちだって、足を引っ張られるのは困るだろう?

 暗にそういう意図を含ませている。


「もちろん。かまへんよ」


 少女は下品でない程度に口角を上げて、


「その前にひとつ、うちら、やり忘れてること、あらしまへん?」

「忘れてる?」

「な・ま・え。うち、あんさんのこと、なんて呼べばええの」

「……ああ、そうだった」


 名刺を渡したせいだろう。自己紹介した気持ちになっていた。


「ぼくは仲道狂太郎だ。よろしく」


 すると彼女は、例の油断ならない笑みを浮かべて、


「うち、火道ひどう殺音ころね(※14)いいます。あんじょう、よろしゅうにね」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


(※13)

 ちなみに、仮面少女の方は、

「空きっ腹の時に囓った、シーアスパラガスっちゅう野菜」

 狂太郎は、

「リンツ・リンドールのチョコレート」

 とのこと。

 余談だが、シーアスパラガスもリンツ・リンドールのチョコもコストコで買える。機会があったら、ご賞味あれ。

 とくにシーアスパラガスはなんか……すごく異世界っぽい味がする。


(※14)

 物語の最初に断らせていただいたとおり、彼女も偽名とさせていただく。

 なおこの偽名は、のちに筆者がお会いした際、本人に直接、名付けてもらった名前だ。

 コロネパンが好きだからつけたらしい。だとしてもこの当て字はどうかと思うが……。

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