……へぇ?

「ふふ。こうしてお買い物もそうですけど、お出かけするだけで心が躍るなんてまだまだ子供なのでしょうか」


 早朝、斗和君の家までの道を歩きながら私はそう呟いた。昨日のことになるけれど、去年の水着でも大丈夫かなと思って試着してみた結果、胸の辺りが少し窮屈だったため新しいのを買うことになった。元々一人で買いにいくつもりではあったのだが、寝る前の電話で一緒に行きませんかと誘ったところ了承をもらったのだ。


「ブラのサイズが大きくなった時点で水着も合わなくなるのは当然ですよね……」


 大きいサイズの下着となると値段もそれなりになる。お小遣いでどうにかなるものではあるけど、下着とかはお母さんが進んでお金を出してくれるから助かっていた。まあ遺伝……とでも言うのだろうか、お母さんも胸が大きいので下着のことでよく困ることがあるらしい。娘の私も大きい方なので、そう言った悩みについては共感というか分かってくれているのだろう。


「好きな人に揉まれると大きくなると言いますし……なるほど、納得です」


 一人納得するように私は頷いた。そういうことをする前の段階で、キスをしながら揉まれるというのは最早定番だった。キスをされるだけで脳みそが蕩けそうになるのに、胸も一緒だとすぐに私自身……コホンコホン、一体朝から私は何を妄想しているのですか!?


「……………」


 思わず今の顔を誰かに見られたかと辺りを見回すが、幸いに早朝と言うこともあって人の姿はあまり見ない。私は気を取り直して斗和君の家への道を歩き出した。

 家に着いた段階で8時過ぎ、たぶんまだ斗和君は夢の中だと思われる。私が斗和君の家に着くと伝えている時間は10時くらい、2時間も早いことになるし当然と言えば当然だ。


「お邪魔します」


 明美さんは朝早くから仕事に行っているので私の訪問に気づく人は居ない。斗和君と明美さんが私にくれた合鍵を使って玄関からそのまま入らせてもらう。

 靴を脱いでそのまま斗和君の部屋へ、コンコンと控えめにノックをして私は扉をそっと開けた。


「……すぅ……すぅ……」

「ふふ、やっぱり寝てました」


 夏と言うこともあって暑いのか布団を蹴飛ばして寝ているのは男の子って感じがする。ゆっくりと近づいてベッドに腰かけると若干音を立てて軋む音が聞こえる。それでも斗和君は眠りから覚めることはなかった。


「……寝顔、可愛いなぁ」


 いつもは凛々しくてカッコいいのに、こうして無防備に眠っている姿は愛らしさを感じてしまう。大人っぽい雰囲気を纏う斗和君も好きだけど、こうして年相応な姿も大好きだ。……ダメだ、こうしてジッと斗和君の顔を見つめていると自然と顔が近づいて行ってしまう。キス……したいなぁ。


「……耐えるのです絢奈」


 ブンブンと顔を振って何とか欲望を抑え込む。ジッと斗和君を見つめていると止まらなくなりそうだったので私は部屋を見渡してみることにした。あまり部屋を見られるのを好まない人は多いだろうけれど、私と斗和君の間にはそんな遠慮は必要ないようなものだ。


「……あ」


 斗和君の机に置かれていた一枚の写真、私と修君が斗和君を挟むように写真に写っている。この時はまだ小学生になったばかり、だというのに既に斗和君のことが好きなのを隠せていないのか私の表情は恋する乙女のようだ。


「私はこの写真を破ってしまいましたけど……」


 斗和君が事故に遭った日、家に帰った私は自分が持っていた同じ写真をハサミで切り裂いた。修君が写っている部分だけを切り取るように、私と斗和君しかそこに写ってないようにするために。他の写真も黒く塗り潰したりしたけど、それだけ私が抱えていた憎しみはとても大きかったのだと実感する。


「……………」


 写真を優しく胸に抱くように瞳を閉じる。

 もしかしたら……あの時、斗和君が私を救ってくれなかったらどうなっていたのだろうと思うことが時々ある。正直なことを言えば、私は修君もそうだし彼に集まった人たちを滅茶苦茶にしてやるつもりでいた。人として悪いことだと理解していても、悪い意味で私は斗和君のことしか見ていなかったから。


「きっと私もそうだし、斗和君も幸せになれなかったんだろうな」


 上手く行く保証はない、けれどがあった。その目的を達成し、斗和君に悟らせることなく私だけが胸の内に秘めていればいい、そんな覚悟もあったのだ。そんな私が抱いた勝手な決意、それは完膚なきまでに斗和君に否定された……その否定が、私を救ってくれた。


「斗和君」


 写真を置いて再び斗和君の傍に近づいた。顔を寄せると規則正しい寝息が聞こえてくる。


「斗和君、何度だって言います。私はあなたに会えて本当に良かった……あなたという存在に巡り合えて本当に幸せです」


 斗和君と続く過去からの繋がり、それはこれからの未来に向けても繋がっていくのだと私は確信している。永遠に色褪せないこの想いを斗和君だけに、それこそ……ふふ、今となっては斗和君に処女を捧げたあの時の言葉を本当の意味で伝えることが出来る。


「私の愛と献身をあなたに……いつまでも愛しています」


 チュっと音を立てて私は斗和君の頬にキスをした。私の愛の囁きと共に捧げた頬へのキス、斗和君はまるで虫を追い払うようにキスした場所を摩っていた。その様子に苦笑をすると共に、ほんのちょっとだけこいつめっていう気持ちがないわけじゃない。


「斗和君、あなたの彼女は一途なんです。斗和君が好きで好きでたまらなくて、斗和君が居ないと生きていけない重たい女なんです。そして――ほんのちょっとエッチなんですよ?」


 女の子にはない男の子だからこそ起こる現象、私は利き腕で優しく触りながらポジションを変える。まだ呑気に眠り続ける愛おしい彼を襲う動物の豹のように、私は――。






「とりあえず水着をまず最初に見に行きたいのですが」

「分かった。……もちろん試着したのを見るのは確定かな?」

「当然です!」


 何を当たり前のことを、そんな反応の絢奈だ。こうして水着を一緒に買いに行くと去年のことを思い出す。その時に絢奈が選んだ水着はビキニのようなタイプで露出は多かったが、白という色は絢奈の美しさをこれでもかと引き立たせていた。言葉を失うくらいに見惚れたのだが、その反応に絢奈は満足して買ったんだったか。


『あの、斗和君。実は水着が小さくなってしまっていて、一緒に買いに行きませんか?』


 電話で絢奈が言っていた言葉を思い出す。


「……ふむ」


 チラッと横を歩く自慢の彼女を見てみる。絢奈は電話で水着が小さくなるといったが……水着が小さくなったんじゃなくて絢奈の胸が大きくなっただけなのでは。


「斗和君?」

「……おっと、何でもない」

「ふふ、斗和君はエッチです♪」


 見られていたことを恥ずかしがる様子を一切見せず、絢奈は笑みを浮かべてそう言った。……あぁそうだ認めよう、俺も男だからな。けど、今の絢奈の言葉には少し反論があるぞ俺にも。


「さっきの絢奈さんの方がエッチだと思います」

「あ、あれは仕方ないんですよ! だってオチ――」


 ハッとするように絢奈は口に手を当てて言葉を呑み込んだ。でもある意味今の言葉が止まらなかったら俺にも軽傷とは言えないダメージが来ていたことになったんだろうな……。

 でもビックリしたぞ。何かムズムズすると思って目を覚ましたら絢奈が……ねぇ? 目がバッチリ合ったあの時の空気はちょっと耐え難い何かがあった。けど、それでも俺は男の子だったんだなってその後に思い知らされたけど。


「……まあ、最高でした」

「あ……ふふ、はい♪」


 それから満面の笑みを浮かべた絢奈と腕を組んで街の中を歩く。そんな中、二人の女の子が男に言い寄られている場面に遭遇した。


「ナンパですね」

「あぁ、見た感じ大学生かな」


 大学生くらいの男が同い年くらいの女子二人に言い寄っている感じだ。女の子二人は心底めんどくさそうに対応しているが男の方がかなりしつこい。俺と絢奈は頷き合いその場に向かい、俺は男の肩に手を置いた。


「はいそこまで。無理なナンパはやめようぜお兄さん」

「あ? 何だてめえ――」


 振り向いたその顔、俺はどこか見覚えがあったが……どこだったか、確か……。そこまで考えた所で男は俺の背後に居た絢奈を見て顔を青くし始めた。そして変なことを言いながら足早に立ち去って行った。


「……えっと?」

「ちょっと睨んだだけなんですけど」


 ……へぇ。

 とりあえず深くは聞かないことにしよう。さて、とりあえずこれであの男は帰ってこないだろうしこの子たちも心配はなさそうだ。


「あの、ありがとうございました!」

「いえいえ、それじゃあ気を付けてな」

「本当にありがとう!」


 元気な子だな、どことなく真理に似ている気がする。もう一人の方は茫然としていて言葉を発さない……どうやらよっぽど怖かったのかもしれないな。

 後は隣のお友達に任せるとして、俺が絢奈と一緒に歩き出そうとした時、ガシっと手を掴まれた。


「え?」

「あ、あの!」


 手を掴んだのは茫然としていた女の子だ。彼女は顔を赤くしながら大きく叫ぶように言葉を続けた。


「私、白鳥しらとり結愛ゆあって言います! お名前を聞かせてもらえませんか!?」


 その言葉に次に呆然としたのは俺だった。

 そして同時に……夏だと言うのに温度が下がったような錯覚を覚えた。

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