第25話 大切なもの
「相変わらずの下種ね。唯依には近づかないでって忠告したでしょう」
声を頼りに道路側に視線をやると、両腕を組んだ姿で立っていたのは瑛梨さんだった。
連絡をしたのは私だけど、まさかこの短時間で瑛梨さんが駆けつけて来るなんて思いもしなかったので驚きはある。
「お母さん……?」
「瑛梨っっ」
瑛梨さんの登場に慌てた風の飯沼が、あんなにしっかり掴んでいた唯依の手を離す。
その反動で放り出された唯依を私は胸で受け止めてやる。
「今度こそ本気で潰すわよ」
瑛梨さんの眼光が飯沼を刺すと、飯沼は後ずさり挙げ句に一言も言わずにその場から逃亡する。
まあ人を殺しかねないドスのきいた声だったけど、余程会いたくない存在だったということだろう。
飯沼が消えたのを確認してから瑛梨さんの視線が唯依に移る。
「唯依、これで分かったでしょう」
「…………はい」
答えたものの泣き出した唯依を背中から抱き締めて包みこむ。
瑛梨さんが来てくれたお陰で事態が終息したことは確かだ。でも、唯依は飯沼のことを父親のように慕っていたので、整理がつかなくて当然だろう。
「ゆかりも来てるから、乗って行きなさい」
その声は先程までの棘はなく、唯依の母親としての愛情が籠もったものだった。
店のすぐ近くの路上にゆかりは車を駐めていて、瑛梨さんに続いて私と唯依も後部座席に乗り込む。
唯依の涙は止まっていたけど、まだちょっとぐすぐすしていて、並んで座りながらも腰に腕を回して寄りかからせてやる。
「瑛梨さん、有り難うございます。私一人だと躱しきれなかったかもしれないので助かりました」
「お礼を言うのはワタシの方よ、七海ちゃん。唯依を守ってくれてありがとう。七海ちゃんがいてくれたお陰で、取り返しがつかないことにならずに済んだわ」
「……七海が呼んだの?」
私の右肩に顔を乗せている唯依が小声で聞いてくる。
「呼んだわけじゃないけど、ちょっと気になったから連絡はしておいた、かな。唯依に無断でごめんね」
それに唯依は小さく首を振ってから私にしがみついてくる。
「不肖の娘には七海ちゃんはもったいないくらいね。唯依、七海ちゃんに感謝しなさいよ」
「…………」
「唯依、それはいいから」
まだ落ち込んでいる唯依は、瑛梨さんの言葉に応じる余裕がないのは当然だった。
「唯依、飯沼は昔から女好きな上に無責任で幾人もの女性を傷つけてきたような男よ。優しい振りを装うのもあいつの常套手段なの。男に免疫がないって言っても、もうちょっとしっかりしなさい」
「…………どうして来たの?」
「あなたの母親だからよ」
溜息交じりにそんなこと当然でしょうとばかりに瑛梨さんは口にする。でも、唯依は今まで瑛梨さんがそんなことをする人だなんて分かっていなかったのは明白だった。
「なんでこんな時だけ……」
「唯依、それは言っちゃだめ。自覚なかったかもしれないけど、唯依は瑛梨さんにもゆかりにも守られて育ってきたんだよ」
「七海……」
「知ってる? 瑛梨さんもゆかりも唯依のこと大好きで、何よりも大事なんだよ。多分二人とも唯依に何かあったら、今日みたいに唯依のことを最優先してくれる。私なんかよりずっとずっと深く唯依を愛してくれてるよ」
「……そんなの、どうしろっていうのよ」
「唯依、何も知らない子供なら、親の言うことに反抗しても、それはそれで仕方ないと思ってる。でも、今の唯依はもう自分で判断して、考えられる年でしょう? 自分で考えて答えを出すべきだから」
敢えて突き放す言葉に、唯依は視線を落とす。両手で拳を作って耐えきろうとしていることは分かった。
「できるよ唯依なら。唯依が答えを出すまで私は家に帰らないから、一人でじっくり考えてみて」
「どうして? 七海は関係ないじゃない」
弱っている唯依には酷なことだとは分かっていたけど、唯依が変われるとすれば今しかないと、心を鬼にする。
「別れるとか離れたいとかそういう話じゃないから心配しなくていいよ。唯依が相談に乗って欲しいなら連絡してくれたらいいしね。ただ、まずは一人で整理して考える時間と場所が必要だと思ってるから」
「ほんとに?」
「うん。私は唯依が答えを出すのを待ってる」
私の顔を覗き込んできた唯依に、約束だと触れるだけのキスをする。
ゆかりにはミラー越しに見られているかもしれないと思いながら、そんなことよりも唯依を安心させたい思いが勝っていた。
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