第23話 接近
一ヶ月は再び飯沼が唯依に接近して来ないか気を張っていたけど、徐々にそれも薄れてきて油断をしていた時だった。
会社帰りにちょっとだけ寄り道をするという唯依からのメールは、買い物にでも寄るのだろうと気にも止めずに、遅くならないうちに帰りなよ、とだけ返事をしていた。
私は残業をすることが多くて大抵唯依よりも帰りが遅い。そんなこともあって、唯依が仕事終わりに寄り道をするのは珍しくないことだった。
その日も家に帰ると唯依は既に戻ってきていて、ただいまと触れ合うだけの挨拶代わりのキスをする。
「珍しいね、唯依が甘いもの買って来るなんて」
テーブルの上にある包装紙は、洋菓子メーカーのロゴが印刷されていて、開けられてなかったけど大凡の中身の見当はついた。
「今日は帰りに飯沼さんに偶然駅で会って、ちょっとだけホワイトデーのお返しを選ぶのをつき合ってくれないかって言われたから、そのお礼って。わたしは甘いもの好きじゃないから、七海が食べていいよ」
夕方のごった返している駅で偶然会うなんてそんなことはありえないだろう。それはどう考えても偶然を装った必然としか思えなかった。
「飯沼さんって、瑛梨さんに会うなって言われてるんじゃないの?」
「……七海がどうしてそのことを知ってるの?」
ゆかりと二人で車で話した日のことを、私は一切唯依には伝えていなかった。こっそり見守るつもりだったけど、うっかり言ってしまったので誤魔化すしかない。
「空港まで迎えに行った時、ちょっと変な感じだったからゆかりに聞いたんだ。私もあの人はあまりいい印象受けなかったから」
「駅で会って、駅近くのデパ地下に一緒に行っただけだから。飯沼さんのこと何も知らない七海にそんなこと言われる筋合いない」
「わかった。じゃあ好きにすれば」
その日私は唯依と一緒に眠る気にはならなくて、リビングのソファーに掛け布団だけを持ち込んで丸くなっていた。
口論から唯依とは一言も口を聞いていない。唯依のことを放ってはおけないけど、近くに居れば頭ごなしに叱って喧嘩をするだけな気がして、少し落ち着きたかった。
夜中、寝返りを打ちたいのに打てなくて目を覚ますと、背中に温もりを感じる。
「なんでいるの……」
それならばわざわざベッドでない場所を選んだ意味がない。でも、一人で泣かれるよりはましかもしれない。
「唯依、ベッドで寝なさい」
唯依の体を揺すると目を開いたのは分かって、ソファーから移動することを要求する。
「七海も一緒じゃないといや」
溜息を吐いて分かったからと、唯依の体を揺さぶって起こしてから、二人で一緒にベッドに移動する。
夕方の件を今更蒸し返すよりも今は睡眠を優先させたくて、さっさとベッドに潜り込んで目を閉じると、さっきと同じように背中に唯依がくっついてくる。
「眠いからつき合わないよ」
「こうしてるだけでいいから」
翌朝は休みだったこともあって、ちょっと寝坊してベッドで微睡んでいると、久々に唯依にがっつり襲われた。
昨日の件で唯依なりにストレスがあったのだろう。分かりやすくていいけど、相変わらず実力行使な所は直ってない。
「言いたいことあるなら聞くけど」
唯依からようやく解放されたタイミングで私は声を掛ける。それまで待ったのは下手に口を開けば火に油を注ぐだけだと過去の経験で学んでいるからだった。
「……七海はわたしよりあの人やゆかりの方が信じられるんでしょ」
言われてみて反省するところはあった。私は唯依の恋人で誰よりも唯依を信じてあげるべき存在なのに、唯依を信じられていない。
でも、一方で唯依は女性として魅力溢れる存在だからこその心配もある。
「ごめん。それは謝る。私は唯依を信じるべきだね。でも、私は飯沼さんに会った時にあまりいい印象を受けなかったから、ゆかりに話を聞いて肩入れしすぎたのかも」
「なんで信じてくれないの……」
か細い声は涙声のようにも思えて、ごめんと再び謝りながら唯依を裸のまま抱き寄せる。私を好き勝手するくせに唯依の体は華奢で、やっぱり心配をせずにはいられない。
「唯依を誰にも取られたくないのかも。飯沼さんがどんな人なのかも分からないから、唯依に何かあったらどうしようって不安になる」
「七海がそんな心配する必要ないのに。わたしが好きなのは七海だけなんだから」
「万が一ってことがあるでしょう?」
「……じゃあ、もし次何かあったらその場に七海も同行するならいい?」
唯依が出した譲歩案に同意して、私たちは仲直りをした。
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