階下から激しい銃声が響き、階段の壁に反響する。

 先頭に立って狭い階段を上り始めた神崎は、かすかにつぶやいた。

「死ぬんじゃないぞ……」

 部下の坂本に向けられた言葉だった。

 神崎の肩には、武器や弾薬類を詰め込んだ背嚢がかけられている。その後ろには、防弾ジャケットで武装した矢作たちが続く。矢作の背後はサブマシンガンを持ったケイコが監視しているので、逃げようと試みることもできない。

 神崎は上からの攻撃に気を配っていたが、人の気配は全くなかった。ペントハウスのドアを中からロックされれば、突入は容易ではないことを知っているのだ。

 ケイコが言った。

「どうやってドアを開けさせるの⁉」

 神崎が応える。

「力づくだ。タワー2は刑務所ではないから、特別の改修はしていない。ぶち破る方法はある。多分、な」

 矢作が言った。

「多分? 確かじゃないのか?」

「所長とはいえ、知らされていないことも多い。周の居場所も隠されていた」

「それじゃあ……」 

「行けば分かる!」

 ペントハウスの階にたどり着いた神崎は、背嚢を降ろした。エレベーターホールへ出る金属製のドアの前で、わずかに息を整える。

「跳弾を避けろ。耳を塞いで目を閉じろ!」

 矢作とケイコは神崎の陰に隠れるようにして壁に張り付いた。

 神崎は長さの短い機関銃――M9サブマシンガンを取り出すと、マガジンが空になるまでドアノブの周囲に銃弾を連射した。立て続けの銃声が壁に反響する。空の薬莢が廊下に飛び散る軽い金属音が混じる。背嚢から手榴弾のようなものを取り出すと、ドアを蹴り開けてホールに投げ込んだ。

 大音響とともに凄まじい閃光があたりを包む。スタングレネードと呼ばれる閃光手榴弾だった。爆発による直接の殺傷能力は小さいが、大音響と閃光が〝敵〟の行動力を数十秒間無力化する。

 その間に神崎はサブマシンガンのマガジンを差し替えていた。ホールに飛び出した神崎は、短い連射を三回繰り返した。

 ケイコはサブマシンガンを構え、階段を少し下がった。階下からの攻撃に備えて銃口を下に向けている。パンツスーツ姿の若い女には似合わない姿だ。

 階段に戻った神崎が言った。

「敵は始末した。ドアを爆破する」

 神崎は背嚢からタバコの箱程度の黒い包みを取り出した。包装には『C4』の文字があり、電子装置らしいものがあらかじめセッティングされている。プラスティック爆薬だ。神崎は爆薬を持って再びホールに出て、すぐに戻った。さらに背嚢からアンテナが付いた電子装置を取り出すと、さらに階下へ下がっていく。それが起爆装置だ。矢作とケイコの様子を確認すると言った。

「爆破するぞ」

 起爆装置を握ると、腹に響く爆発音があたりを包んだ。階段が激しく揺れる。壁にヒビが入った。

 耳を押さえていた矢作が、顔をしかめる。

 神崎は矢作の手に、銃身が異様に太い銃を押し付けた。

「信号弾だ。人間に当たっても死ぬとは限らないが、動きは止められる。敵を見たら撃て」

 神崎は背嚢を肩にかけ、サブマシンガンを構えて階段を上った。ホールへ出るドアは完全に吹き飛んでいた。行く手を塞いだドアの残骸を避けて、神崎がホールへ出る。エレベーターホールは深い霧のような埃に満たされている。

「死体があるぞ。見ない方がいい」

 ホールへ出た矢作は埃を吸い込み、激しく咳き込んだ。だがその目は、吸い寄せられるように廊下の端に折り重なった死体に向かう。皆、引きちぎられて焦げている。視線を引きはがすように前を向く。

 ケイコもサブマシンガンを構え、背後を警戒しながら後ずさりしてきた。

 矢作は、信号弾を突き出しながら二人に挟まれて進んだ。

 ペントハウスのドアも、壁ごと吹き飛んでいた。神崎は腕を伸ばして部屋の中にサブマシンガンを突き出すと、連射した。すかさず閃光手榴弾を投げ込む。

「耳を塞げ!」

 爆発音が去ると、神崎がペントハウスに飛び込む。矢作たちが続く。中には、四人ほどの男がうずくまっていた。

 だが、手にしている武器はやはり手製の改造銃だ。いかに周金幣といえども、ファントム・プリズンで武装した中国軍人を警護に付けることはできなかったのだ。

 神崎が、彼らにサブマシンガンを向けて短い連射を繰り返す。それは、一方的な殺戮だった。

 矢作は、こみ上げる吐き気をこらえようとした……だが、できなかった。傍らのカウンターに手をついて、その陰に嘔吐した。未消化の朝食を一気に吐き出す。何度か腹が引きつると、苦い胆汁が口に溢れる。恐怖と苦しさに涙がにじむ。

 ケイコの声が飛ぶ。

「早く! 早く奥へ!」

 螺旋階段に姿を消した神崎は、すでに階上に進んでいるのだ。

 矢作は、涙でかすんだ目を前に向けた。

 カウンターの陰に、怯えたようにうずくまった者がいた。中国風の衣装を身に着けた、若い女だ。矢作と目が合う。

 と、女は矢作に向けて何かを突き出した。改造銃だ――と分かった瞬間、矢作も反応していた。何も考えていなかった。勝手に反応していたのだ。銃弾を避けるために身体を大きく傾け、手に持ったままだった信号銃を向けて、撃つ。

 発射の反動が矢作の腕を跳ね上げる。至近距離で撃たれた信号弾が、女の腹に突き刺さる。その勢いで女が壁に叩きつけられ、血反吐を吐いた。信号弾が赤い煙を激しく吹き出す。

 振り返ったケイコがカウンター越しにサブマシンガンを発射する。銃弾は、確実に女の顔面を打ち砕いていた。もう、顔つきも分からない。年齢も、役割も、知る術はない。

 もはや、知る意味もないのだ……。

 ケイコは呆然とすくむ矢作の腕を引っ張って、螺旋階段を上がる。背後に、信号弾の煙が膨れ上がっていく。階上のフロアを仕切る壁にドアがあった。開いている。ケイコがドアの奥を覗き込み、矢作を押し込む。自分も中に入ると、煙の侵入を防ぐためにドアを閉じた。

 神崎は、ソファーに崩れるように座った周金幣に銃口を向けていた。周の前には、血まみれの執事の死体が転がっている。その傍らの大理石のテーブルにはiMacが、そして、スイス銀行の送金装置が置かれていた。

 周金幣は薄笑いを浮かべ、中国語で神崎に何事かを語りかけた。

 ケイコが神崎に翻訳する。

「もう、送金を終えたんだって……」

 横で聞いていた矢作には、その意味が分からない。

「何を?」

 神崎は言った。

「こいつの言葉は分かる……スイス銀行は、すでに空っぽだと……全額、世界中の銀行に分散した後だと言ってる……」

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