フェイズ5――脱出
1
周金幣は、ペントハウスの窓に張り付くようにしてタワー1を見つめていた。5台のモニターを完備した監視室を離れ、最上階の寝室に逃げ込んでいる。
ペントハウスの窓は特殊なフィルターを装着し、外部からは一切部屋の中が見えない構造になっていた。夜間も、部屋の光が外に漏れることはない。しかも、ロケットランチャーで直撃を受けても数回は耐え得る強度を持っていた。だから、窓際に身を晒すこと自体には何の不安もない。
だが今は、激しい恐怖が、周の肥った身体から脂汗を絞り出させていた。
タワー1の上部が大爆発を起こした時は、周金幣の部屋まで大きく揺らいだ。隠しカメラの映像も同時に消えた。部屋から吹き出した炎がタワーを包んだときは、これで1兆ドルの隠蔽資産は守られたと確信した。あの劫火から、逃れられる人間などいるはずがなかった。
なのに、彼らは逃れた。
炎が消え去ると二人の人間が壁に張り付くようにぶら下がっていた。衣服も動きも、軍人には見えない二人が……。しかも一人は、明らかに女だ。周には理解できなかった。
さらに驚くべき事に、彼らは垂直の壁を平然と登り始めたのだ。まるで、猛獣をも倒す毒を持ったヤモリのように……。
周にとっては、悪夢そのものだった。
その一人は、確実にジーンゲイトを破るためにやってきた人物だ。でなければ、一般人がこんな場所にいるはずがない。1兆ドルを奪うための〝鍵〟が、まだ目の前に生きている……。
周金幣は二人を見つめながら、呪文のようにつぶやいた。
「落ちろ……落ちろ……落ちろ……」
しかし二人は、何の手掛かりもなさそうなホテルの壁をやすやすと登りきってしまった。
周金幣の脚がかすかに震え始める。
「大丈夫だ……ホテルの中は廃墟だろう……下へは降りられない……たとえ降りても、自衛隊に殲滅される……こっちのタワーに移動する方法はない……あるはずがない……絶対にこの部屋へは来られない……」
そう、自分に言い聞かせた時だった。
足元の階から、何かが発射された。ロープを曳航している。爆発した向かいのタワーとの間にロープが張られると、生き残った二人はこちらに向かって滑り始めた。高さ100メートルをはるかに超える高さで、離れ業を繰り広げている。
周には予測もできない展開だった。自分は、日本の〝軍隊〟に守られているはずだった。絶対的な安全性を約束されているはずだった。実際、自衛隊はタワーを破壊してまで侵入者を抹殺しようとした。それほど強力で隙のない防御を、あの二人はやすやすとくぐり抜けている。しかも、人間業とは思えないアクロバティックな方法で……。
彼らはいったい何者なのか……。
二人がロープを滑るスピードが鈍る。すると、どこからともなく現れた無人偵察ヘリが二人の周囲を舞った。体当たりで彼らをたたき落とそうとしている。
周は、思わず叫んでいた。
「そうだ! ぶつかれ! 落とせ……落とせ……落とせ……」
だが、二機の無人機は不意に破壊された。ロープを発射した仲間に撃ち落とされたらしい。
手にしたパイプを離してロープに掴まった二人の姿が足元の視界に消えると、周は振り返って執事に命じた。その顔からは、完全に血の気が失せている。
「廊下を……いや、階段を写せ! 奴らが生きているのか、確認しろ!」
ペントハウスの周囲の階段やホールには、死角がないように隠しカメラを設置してある。監視映像は階下で部下がチェックしているが、今はこの場でも見られるように準備している最中だった。
執事が分厚い樫の一枚板で作られたキングサイズのベッドの脇のテーブルに、27インチのiMacを運ぶ。
「下層階では自衛隊との銃撃戦が行われているようです。彼らがこの部屋までやって来られるとは思いませんが?」
執事が巨大な大理石のテーブルに置いたiMacをセッティングすると、周に向ける。キーボードを数回操作すると、画面に四分割された監視カメラ画像が表示された。三カ所には、違う角度から階段の踊り場が映し出されている。右下の一つに、銃を撃ちながら階段を上る数人の制服警備員の後ろ姿が映っていた。
周が画面に見入ってつぶやく。
「私もそう思いたい。だが、そもそもこのタワーを襲う者が現れるなどと考えた事すらなかった……」
テーブルの傍らには、ジーンゲイトを装備した本物の送金装置が置かれている。万一彼らがこの部屋に侵入するようなら、最後の手段を使わなければならない。可能な限り使いたくない一手だ。周にとっては、安全な港を離れて大海に漕ぎ出すほどの危険を伴う荒技なのだ。
船の大きさは決して小さくはない。海が荒れているとも限らない。それでも、予想もしない嵐に巻き込まれる恐れはある。その危険は、できる限り避けたかったのだ。これまでは、ずっと港に避難する事で身を守ってきたのだから……。
周は、最後の手段を使うかどうかを、彼らの動きに任せた。
万一、監視カメラが彼らの姿を映せば……彼らが階段まで迫ってきたなら……もうためらう余地はない……。
息を詰めて数分後――周金幣をあざ笑うように、彼らはやってきた。
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