亡霊の帰還

「簡単な話でね。七號ゲートの監視カメラに、上層へ向かう僕の映像を挿し込んだのさ」

「あいつらが慌てて出て行ったのはそのせいかぁ。お陰で助かったけど、じゃあ四號ゲートのアレは?」

「あはは。そっちの写り込みは単なる油断」


 ゆったりと微笑みながらコーヒーカップを傾ける阿賀美の隣で、羅畝がリラックスした表情を見せていた。床の上に足を投げ出して座り、細い腕を楽しげにひらひらと動かしている姿は、風に揺れる草花を想起させる。ぶかぶかのTシャツとタイトなジーンズの組み合わせも、彼女の容姿をより幼く見せているようだった。


「ウネ子」

路黒は口を挟んで、ふたりの盛り上がり掛けた会話に割り込んだ。団欒だんらんの時間を迎える前にやるべき事があったからだ。


「その呼び方やめてってば ――わかってるから」

 無言で額に青筋を立てる路黒を無視して、羅畝はすぅ、と息を吸った。そのまま数秒。

 さら、さらさら。風にそよぐ稲穂を思わせる音を響かせながら、羅畝の髪が伸びていく。襟足までしかなかったはずの毛髪は肩から腰、膝を過ぎて足首までを覆い隠し、あっという間に少女を薄緑色の繭様へと変化させてしまった。


「見つけた。天井裏にふたつと、壁の裏にひとつ」

 内側で何が行われているのか、もはや髪の毛とも蔓草つるくさの塊とも見分けがつかなくなった羅畝の身体がモソモソと揺れ、その中から放り出されたのは小型の盗聴器だった。いったいどういう原理になっているのか。


「あとは床下と寝室と……うわ最低、お風呂場とトイレにも一個ずつあった。これで、たぶん全部」

 オガワたちが家捜しのついでに仕掛けていったと思しき無数の耳を回収し、透明な袋に収めた路黒はそれを開いた窓から思いきり放り投げた。哀れ、機械たちは本来の役目を果たす事なく、事務所の裏手を流れるドブ川の流れに身を任せ、流れていった。


「路黒」

 これで気兼ねなく話せる、と室内を振り返った路黒は、気配もなく真後ろに立っていた阿賀美にギョッとして思わず立ちすくんだ。その長身を、やや下から両腕で包みこむように優しく抱き締めながら、阿賀美がささやく 。


「君が無事で何より。お仕事、お疲れさまでした」

 突然の抱擁に、路黒はわずかに身をよじったものの、振りほどこうとはしなかった。ほとんど崩れることの無い、その端正な相貌# に浮かんでいるのは困惑と、そしてまごうことなき“照れ”である。そこにずるーい!と言いながら緑の毛玉が突撃し、ふたりをつたで絡め取るようにしゅるしゅると巻きついた。


 穏やかな昼時の、荒らされた事務所の窓辺で抱き合う奇妙な三人組。これが『咒骨商』であった。


 しばらくしてのち

 申し訳程度に片付けられた室内で、宅配のピザを囲みながら会話する三人の姿があった。


「それにしても危ない橋を渡ったな、阿賀美。喪失した埋葬品を回収してくるなんて」

「彼女たちの依り代にできる物が他に無かったんだから仕方ない。まあ『弔い』は無事に済んだんだから、良しとしよう」

「でも路黒ってば刺されてキレて、虎になって暴れたんだよ!体毛だの血液だの物証も撒き散らすしさぁ」

 わいわいと騒ぎながら楽しげに談笑を交わしているが、その内容はずいぶんと物騒だ。

 

「私がスカベンジャーり屋たちに情報流して、現場を荒らさせてなかったら、もっとマズい事になってたんだよ?感謝して欲しいね」

 口元についたソースを舐め取りながら、羅畝が得意げに鼻を鳴らした。すっかり元の姿に戻ってはいるが、繭玉になった名残か、髪の毛は肩口まで伸びたままである。


「獣化した時の俺はゲノム情報が変化する。落ちた体毛を解析されても証拠にはならないし、そもそも街に暮らしてる獣人は俺だけじゃない」

「それでも、あのメスゴリラは嗅ぎつけて来たじゃない。肉体強化してた犯人はボコボコにやられてる、存在しない筈の腕時計も見つかってる、おまけに獣人の体毛とくれば『咒骨商』が疑われるのも当然でしょ」


 む、と唸った路黒は、沈黙を誤魔化すようにピザを口いっぱいに頬張るとあらぬ方向を向いてしまった。勝ち誇ったようにストローで水を吸い上げる羅畝をにこやかに眺めながら、阿賀美が静かに口を開いた。


「人間は自分の知らないもの、理解できないものを忌み嫌う。それは古くから血に流れる防衛本能の為せるわざだと、僕は思う」

 阿賀美がテーブルの上に手を伸ばし、ピザのひと切れを指で摘まんだ。りん。りりん。どこかで鈴が鳴った。


「だからヒトは知識を求める。収集し、共有し、拡散して種全体の存続を図ろうとする。その姿はいじましく、尊く、そして美しい」

 ゆっくりと傾けられたピザから、溶けたチーズと具材がずるずると滑り落ちて、真っ赤なソースに彩られた生地が顔を出す。それは皮を剥がれた獣の肉だ。あるいは人の。屍肉を狙ってカラス達が喚く。よこせ寄越せ。ぎゃあぎゃあぎゃあ。


「だからこそ人々は知らなければならない。目には見えないものが、確かに在るということを。それらが存在する意味を。そして、この街では起こり得ない事などない、という真実を」

 窓の外に見える空はいつの間にか深紅に染まり、半分に砕けた月が昇っていた。ドブ川は粘り気のある血液で満たされ、その中を浮き沈みしながら無数の亡者たちが流されていく。遠くに見える崩れた建物群の間を歩いていくのは首から上のない巨人だ。裸足の足音と子供たちの笑い声だけが周囲を通り過ぎ、黒い羽が頭上から降り注いだ。何もかもが赤錆に覆われ、空気までがざらついていた。


 阿賀美、と呼び掛けようとしたが声は出ず、代わりに路黒の喉奥から這い出てきたのは血まみれの胎児の形をした何かである。目も鼻も口も無いそいつが、床の上で蠢きながら震えているのを路黒は見ている事しか出来ない。


 幻覚であった。


 全ては一瞬の出来事であり、路黒はソファに腰掛けたまま、ぼんやりと冷めたピザを眺めている自分自身にようやく気がついた。その隣では目を閉じた羅畝が、路黒に寄り添うようにして眠っている。阿賀美の姿は、どこにも無かった。


 良くない夢でも見ているのか、眉間にしわを寄せながら呻く少女の頭を撫でてやるうちに、その表情は次第に和らぎ、静かな寝息を立て始めた。


 人間の薄皮一枚を剥げば、そこから血と肉が溢れ出すように、現実のすぐ隣には死者の王国が口を開けている。それを忘れるなという警告だろうか、もしくは叱咤のつもりなのか。いずれにしても、だ。


(相変わらず性格の悪い事をする。残酷だぞ、阿賀美)

 路黒は、自分の左手をゆっくりと開いた。いつの間にかそこに握られていたデータメモリと一片の骨を見つめたまま、彼は細く、長い溜め息を吐く。


 団欒の時間が、終わった。

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