047 約束

 玉座の間ダロワージはまだ閑散として見えた。

 王族のための席の一番末席に案内され、十六席ある殿下の席にギリスはスィグル・レイラスの側仕えの英雄として同席を許された。

 王子たちの席は広間の最前列にあり、壇上に玉座を見上げる位置の、きざはしのすぐ側にある。

 階段のすぐ脇の場所が上席だ。族長リューズにもっとも近い。

 そこから徐々に序列を下げながら両翼に王子の席が続き、十六番目はもう王族の席の終わりだ。

 むしろもう、その後ろに迫る英雄たちの席に近い。

 王子たちは互いに目を合わせず口もきかなくても良い程度に、離れて座すことができるよう配席される。

 仲が良いわけではないのだから当然と言えるが、その席には王子一人が座るのではなく、小間こまほどの広さがあるそこに、側仕えの官僚や将軍などが座る客座も設けられる。互いの席が遠いのはそのせいだ。

 晩餐の間、王子たちも気に入りの者と歓談する。

 そこで共に食事をとるのは友誼ゆうぎあかしだ。強い結びつきがあることを皆に示すのに良い機会だった。

 スィグル・レイラスの席の客座に座ると、ギリスはすぐ脇から始まる英雄たちの席の方を見た。

「子供ばかりだ」

 ギリスは驚いて、思わずスィグルに言った。

「そうか? 皆、元服しているように見えるけど」

 同じように英雄の座を見渡して、スィグルは不思議そうに言った。

 確かにスィグルの言う通り、元服してそう間がない若年の者たちが、まだ着慣れぬ風な礼装を着て、派閥の席にいる。

 デンたちが来るのを待つ席取りのジョットとしか思えない。

 やけに英雄たちの到着が遅い。

 髑髏馬ノルディラーンの席もまだまばらにしか居らず、ジェレフたちもいなかった。

 ギリスは渋面じゅうめんになった。

 英雄たちは遅れて来ても良いしきたりだ。族長リューズがそう決めた。

 堅苦しく宴席の最初から最後まではべることはない。

来て食って帰れと族長は気さくにそう決めたが、それは、厳しく呼び集めなくても族長リューズの晩餐には皆がこぞって来るからだ。

 今はまだ続々と王子たちの集まる時刻で、英雄たちは皆、末席のスィグル・レイラスを出迎えるために早々と来て、玉座の間ダロワージ跪拝叩頭きはいこうとうして待つ気はないということだ。

 ギリスはむすっとした。新星もずいぶん軽く見られたものだ。

 仮にも王族で、高貴なるアンフィバロウの血筋に子には違いないだろうに。

「そんなもんだよ、ギリス」

 喉が渇いていたのか、スィグルは女官が持って来た果実水を銀杯に注がせて飲んだ。

「最初からそんな、皆が大歓迎で叩頭してくれるとは僕も思ってないよ。昨夜は席もなかったのに、大した進歩じゃないか。焦ることない。父上はご壮健だし、僕はまだ十四歳なんだよ?」

 そう言うスィグル・レイラスは確かに幼い顔をしていた。ギリスはそれにため息をついた。

「俺は焦ってるんだよ。長くは生きない竜の涙だ」

「でも未来視のやつがお前の長生きを保証したんだろう? それを信じて落ち着けよ」

「アイアランを信じるのか」

 ギリスは自分がとがめる口調になるのを感じた。

 新星はそれに笑っていた。

「まだそいつに会ってもないよ。信じる信じないは会ってから決めることにしよう」

 俺はアイアランは信用できない。ギリスはそう言いたい気持ちを抑えた。

 信用できない根拠がなかった。

 太祖アンフィバロウにしたって、なんの根拠もなく、確かめようもないディノトリスの未来視だか千里眼だかで視たタンジールの幻影を目指して、部族を率い砂漠越えの決死行に出発しているのだ。

 その結果がこの玉座の間ダロワージだというなら、アイアランを信じない理由などないだろう。

 スィグルがアンフィバロウの血筋の末裔というなら、尚更なおさらそうなのかもしれなかった。

「誰か来るよ、ギリス」

 銀杯の縁ごしにスィグルは玉座の間ダロワージを見ている。

 ギリスはスィグルの黄金の目が見ているほうを見遣った。

 サリスファーだった。

 暗い緑色の礼装をまとったジョットが、なぜか五人の子供部屋の仲間を引き連れて、広間ダロワージの英雄たちの席からこちらに向かって来る。

 ギリスはそれにきょを突かれた。

 こんなに早く来られるものだろうか。

 ジェレフに言伝ことづてを頼んだはずだ。ちゃんと伝えて、用は済ませたのか。

 ギリスがそれを問う目で唖然と見上げる中、殴り込みにでも来たのかという目でサリスファーは新星の座の前の床に座り、連れの者たちと共に深々と跪拝叩頭きはいこうとうした。

「誰……?」

 ひそめた声で、新星がギリスの耳に聞いてきた。

 ギリスが新星に教える間もなく、ジョットが気合に満ちた声で言い始めた。

髑髏馬ノルディラーンばつのエル・サリスファーと申します、レイラス殿下。この度、初めてお目通りが叶い、無事ご帰還のお祝いを申し上げます」

「エル・サリスファー」

 新星はそれだけ答えた。

 まだぽかんとしている新星に向かって、サリスの横で叩頭していた奴がしゃべった。

「エル・ジェルダインと申します、殿下。同じく髑髏馬ノルディラーンばつより参りました、透視術師でございます。殿下にお仕えいたしたく、どうぞ我らを帰還式の隊列にお加えください」

 確かサリスファーの友達だ。学房からついてきたうちの一人だ。

 そいつが、やけにキリッとして喋っていた。

 暗い灰色の、えらく趣味の良い礼装の長衣ジュラバを着ている。

 ずいぶん着映えする奴だ。礼装用の髪型もかっこいい。

 デンの教えが良いのか、こいつの能力なのか分からないが、平服でぼうっとして見えた時には薄かった印象が、まるで別人のようだった。

 本番に強い奴なのか。平伏する姿まで絵になる。

 スィグルがそれを見て、感激した顔をしていた。

「エル・ジェルダイン。ありがとう。よろしく頼むよ。行列にちゃんと誰か来てくれるのか実は心配していた」

 サリスファーとその格好いいやつの顔を交互に見て、スィグルはほっとしたように言った。

 それに微笑み返し、サリスが勝手に話した。

「ご心配には及びません、殿下。ご出立しゅったつの時と同じように、英雄百名が、殿下のタンジールご帰還にお供いたします。僕らにお任せください」

 サリスファーが熱い声で断言していた。

 ギリスはそれを聞き、さすがに黙っていられなくなった。

「ちょっと待て、待てサリスファー、勝手に喋るな」

兄者デン……」

 サリスファーはきょとんとして、ギリスにも叩頭した。

 玉座の間ダロワージでは、とりあえず頭を下げろとでも思っているのか。

「これはお前のジョットたちか、エル・ギリス。まだ挨拶の途中だ。そちらの者は名はなんと?」

 にこやかに新星は小英雄の名を聞いた。首に包帯巻いてた奴だ。今も巻いてる。

 何歳なんだお前は、日焼けの治りが遅すぎるだろうとギリスは情けなく思った。

「エル・パラルディンと申します、殿下。お声がけいただき光栄です。火炎術師でございます、お見知り置きください」

 深々とこうべを垂れて、包帯の奴が言った。

 そんな名前だったのか、エル・パラなんとか……。

「エル・パラルディン」

 にっこりとして、新星レイラスはまた一発で英雄の名を憶えた。

 普通憶えられるもんなのか?

 そう思うギリスの横で、新星はいかにも利発そうに、すらすらとジョットたちと話している。

「火炎術は髑髏馬ノルディラーンばつほまれだと聞く。英雄譚ダージにも君の偉大なるデンたちが数多く出てくるな」

「はい。先の派閥長デン、エル・イェズラムも火炎術の使い手でいらっしゃいました。魔法戦士の放つ火炎は忠誠の火と申します。殿下をお守りいたします」

 熱っぽく包帯の奴は言った。

 その首の包帯を見て、スィグルが痛そうに眉を寄せている。

「それは訓練で負傷したの? 痛むか」

 まるで自分の首が痛いみたいに、新星は王族の飾り襟に包まれた自分の首に触れていた。

 それをエル・パラなんとかが感激した目で見ていた。

「いいえ、殿下。かすり傷でございます」

 ジョットがそう言うので、ギリスは驚いた。

 日焼けの後のただれが悪化してんだろ、お前がこらえ性なくくからだとギリスは絶句したが、場の勢いでかすり傷ということになった。

 新星はもう別の奴に目を向けている。よもや一人ずつ名を聞く気なのか。

 こいつら、サリスファーとその一味で十分ではないのか?

 しかし新星は残る三名にもいちいち直言を許した。

 エル・なんとかが名乗り、その術法を聞き、それをいちいち新星がめた。

 皆それに熱っぽく答え、王族の殿下を前にして申し分のない行儀作法だった。

 ギリスはそれを眺め、ただ驚いていた。

 こいつら……頭が良さそうだ。

 殿下もさすがは王族の殿下だが、他の連中も、さすがはサリスファーの友達だった。

 だが、その歓談に気をよくしたのか、サリスファーは膝を進めて、殿下に強請ねだった。

「殿下、ご不快でなければ、我らも晩餐のお席に側仕えいたしたく、お許しいただけますでしょうか」

 その話にギリスはびっくりした。

 そこまでこのジョットどもに求めていない。許した憶えもなかった。

「ここには七人も座れないよ、遠慮しろ」

 ギリスはスィグルの王族の座に客座が四つしかないのを示して、派閥のジョットどもを止めた。

 それには新星レイラスが、明らかにがっかりした顔をした。

にぎやかでいいじゃないか。大勢で食べるのもいいものだよ。僕は魔法戦士は好きだ。皆、まだ小柄だし、詰めれば座れるよ!」

 スィグルは屈託なく言うが、詰めて座るような席ではない。

 ギリスは不承知の顔をした。

 しかしスィグルは全く気にしなかった。

「あと三つ円座を持ってきたら座れるよ。あっちに沢山あるから持ってくれば?」

 英雄たちの区間を指差して、スィグルが命じた。

 命じたつもりではないのかもしれないが、王族が言うなら命令だ。

「行ってこい」

 サリスファーが後ろにいる三名に自分の座を取りに行かせた。

 座る時に後ろにいるということは、あいつらは序列が低いのだ。英雄たちの序列は厳格なものだ。

 ではこの首に包帯巻いてるかすり傷は、この中で三番目なのか?

 かゆいのを我慢できない程度の根性の奴が?

 ギリスは黙ったまま唖然とジョットたちを眺め、それが遠慮なく派閥の席から円座を持って嬉しげに駆け戻り、殿下の席にぞろぞろ入ってくるのを新星の隣の席から見上げた。

 六人いる。

 数えるまでもない、その人数を見て、ギリスは複雑な気分になった。

 新星の帰還式の行列が、さっきまで三人だったのに、今はもう八人だ。あと九十二人。

 昨夜までは自分一人だけだった。一日で八倍になったのだ。

 万が一この調子で毎日八倍に増えれば、明日には六十四名、明後日には五百十二名だ。

 そんなはずはないが、絶対ないとも言い切れない。

 もしスィグル・レイラス殿下が本物の新星であれば、いずれはそのくらいの数の英雄を配下に従えることになる。

 これは即位の前祝いだ。心してかからねばならない。

 ギリスは急にまた、そう思った。

 楽しげに席を詰めてくる無礼なジョットたちに押されて詫びられながら。

 帰還式は一月後の段取りだ。まだあと二十九日ある。

 新星の帰還式の成功を諦めるのは一ヶ月後まで取っておこう。その時でも十分間に合う。

「皆、何歳なの?」

 スィグルは不思議そうに、自分の背後にはべる、ちびっこい英雄たちに半身を振り向き、尋ねた。

「十四歳です。一人は命名日が来週で、今はまだ十三です」

 サリスファーが皆を代表して答えた。

 包帯のやつが十三なのだろうとギリスは目星をつけ、そちらを見たが、別の奴が照れたように新星に頭を下げた。

 えっ、じゃあ、包帯のやつはもう二年も日焼けが治らないのか。

 それはさすがに一遍いっぺんちゃんと施療院に言えとギリスは心配になった。

「命名日って、君たちの誕生日みたいなものだよね。お祝いしないと」

 祝い事が嬉しいのか、そう言うスィグルはにこにこしていた。

「殿下にそう仰せいただき、ありがたき幸せ」

 名前のわからない十三歳の奴が、感激したふうに答えた。

「祝いの品を取らせたい。何が欲しい?」

 スィグルが気さくに聞くと、名前の分からない奴も、他の連中も、戸惑った顔をした。

 王族から命名日の祝いが届くなど、まるで大英雄みたいだからだろう。

 スィグルは宮廷のはみ出し者で、この英雄たちもチビだが、王族は王族、英雄は英雄だ。

 真似事みたいな命名祝いでも、栄誉は栄誉だった。

「遠慮せず何でも言ってくれ。僕が与えられるものならだけど」

 スィグルは何を言われるのか緊張している顔で、でもどこか嬉しそうに言った。

 ジョットたちは少しの間、押し黙っていた。

 まだ十三歳だという奴は、しばらく考え、意を決したふうに言った。

英雄譚ダージが欲しいです、殿下」

「タイユーン」

 サリスファーがさっと青ざめて、そいつを止めた。

 さすがにサリスはまともな奴だ。でも十三歳も言ったからには、もう黙りはしなかった。

英雄譚ダージたまわりたく、どうかお与えください、殿下。今年でなくても良いのです」

 熱心な嘆願たんがんに、スィグルもさすがに言葉を失ったようだった。

 どうするのかと、ギリスはあんぐりして新星を見た。

 さっき居室へやでギリスにびたように、お前には英雄譚ダージをやれないかもしれないがと、このチビどもに頭を下げるつもりか。

 そう思って見守る中、新星は華麗な王族の衣装の懐から、懐紙かいしを取り出した。

「誰か筆を持ってるか」

 スィグルは一同を見回して聞いたが、いつでも筆を持っている奴がなぜかいるものだ。

 サリスファーが礼服の帯に煙管きせる入れとともに、立派な銀の矢立やたてを下げていた。

 携帯用の文筆具で、旅中の書物などに使うものだが、そんなものを王宮でも持ち歩いているのは宮廷詩人か宮廷絵師ぐらいだ。

 サリスファーは詩人のほうだった。

「お使いください殿下」

 墨を含ませた筆をスィグルに差し出して、サリスファーはまた新星ににっこりされていた。

「ありがとう。ちょっと借りるよ」

 そう言ってスィグル・レイラスは懐紙にさらさらと何かをしたためた。

 よもや即興の英雄譚ダージではないだろうなと、ギリスはおののいた。

 まさか誰でも詩をむのか、この宮廷では。即興詩は当たり前なのか。

 しかし、そうではなかった。

「これはね、誓約書だよ。今すぐには難しいけど、約束する。君に英雄譚ダージをあげる方法を、僕はこれから懸命に考えるよ。待ってくれるか」

 紙には新星の書いた端正な文字で、いずれ必ず英雄譚ダージあたうと誓約文が書き記されていた。スィグル・レイラス・アンフィバロウと署名もあり、今日の日付も記されている。

「エル・タイユーン」

 最後に宛名を書き、スィグルはそれを十三歳のやつに見せた。

 いかにも聡明な殿下が書きそうな、綺麗な字だった。

「血判をす?」

 王族の衣装の帯にある宝飾で飾られた短剣を抜いて見せ、スィグルは本気みたいに聞いていた。

 それに十三歳は青ざめて首を横に振った。

「いいえ。殿下のお言葉だけで十分です」

「悪いんだけど、長生きしてくれ。努力はするけど時間が必要だ」

「はい……」

 懐紙の誓約文を受け取りながら、エル・タイユーンはどこか上の空のようにスィグルに返事をした。

「何もなしじゃ残念だろうから、今年の命名日には代わりの祝いを何かつかわす」

 苦笑して、新星スィグル・レイラスは約束した。

 何をもらえるのか分からないが、ツイてる奴だった。

 英雄譚ダージ約定やくじょうする証文をもらったのは、この部族の長い歴史を紐解いても、この十三歳の奴が初めてだろう。

 詳しいところは、史学の師父アザンにでも尋ねなければならないが、ギリスはそんな話は聞いたことがなかった。

 約束などないものだ。戦場で活躍しても、英雄譚ダージにならない者もいる。

 そこは宮廷詩人や、それに詩作を命じる族長か、長老会の意向で決まるのだ。

 偉大なる族長リューズ・スィノニムは多くの英雄たちに英雄譚ダージを与えたが、それは約束のないものだった。

「よかったな。十三歳」

 ギリスは嬉しげに証文を懐にしまうジョットを褒めた。

「エル・タイユーンです、兄者デン

 さっそくサリスファーが怒った声で教えてくれた。

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