046 運命

「予言?」

 お仕着せの官服を纏った玉座の間ダロワージの侍従たちに先導され、ギリスと並んで歩きながら、新星レイラスは眉をひそめて言った。

「未来視の英雄だという奴に会った。そいつがお前の即位を予言してる」

 ギリスは聞いたことをそのままスィグルに伝えた。

 歩きながら話すようなことでもないが、玉座の間ダロワージで王族の席についてから言うようなこととは、もっと思えない。

 行く道で聞いている者がいるとしたら、行列を率いる侍従たちだけだ。

 彼らは無言で歩き、こちらに背しか見せていない。

 だが聞こえてはいるだろう。構うものかとギリスは考えていた。

 彼らは秘密は守るようしつけられている。もちろん表向きは。

「ずいぶん調子のいい奴だな。その魔法戦士の名前は?」

「アイアラン」

「エル・アイアラン?」

 知らない名だったらしく、スィグルはさらに顔をしかめた。

 知るはずがない。ずっと王宮にいたギリスでも知らなかったのだから、つい最近まで異郷の囚われ人だったスィグルが知るわけはないのだ。

「ただのアイアランだ。これから英雄になるらしい。今夜の晩餐に来ると言ってた。あいつの目を見るな」

 ギリスは手短てみじかに用件を伝えた。

 夜の庭でアイアランの目を見た時、何かを奪われた気がした。魂を抜かれるような。

 もちろん錯覚で、魂などというものが実際あるのか、ギリスには分からなかったが、とにかく尋常の感覚ではなかった。

 その瞬間、アイアランは魔法を使ったのだろう。ギリスの未来をるために。

 それであいつは目隠しをしていたのか。魔法の使用を控えたくて?

 晩餐にも目隠しして来てくれればよいが、それも異様な出立いでたちだ。

「目を見るとどうなるの」

 スィグルは胡散臭うさんくさそうに横目で見てきた。

「死を予言する」

「お前もされたのか」

「された。長生きするって」

 ギリスが教えると、スィグルは可笑おかしかったのか、あははと声を上げて笑った。

「いいね。いい予言じゃないか? そのアイアランに感謝しろ」

「信じるのか」

 ギリスが尋ねると、スィグルは十数歩行く間、悩んだ顔で思案していた。

「そいつが未来視かは分からないけど、この世に未来視の竜の涙は本当にいるよ、ギリス」

「なぜそう思うんだ」

「トルレッキオで会った」

 前を見て歩きながら、スィグルは小声でギリスに教えた。

「は?」

 ギリスはあまりの話に言葉を失った。

「トルレッキオに? 異郷じゃないか。なんでそんなところに魔法戦士がいるんだ」

「魔法戦士じゃない。でも未来を能力ちからを持ってる」

 スィグルは大したことではないような口調で言ったが、ギリスは思わず渋面じゅうめんになった。

 こいつはそんな大事な話を、他の誰かにしただろうか。たとえば父親である族長リューズ・スィノニムに。

 言っていないのではないかという予感がして、新星がなぜもっと族長と話さないのかギリスは悩んだ。

 知っていれば族長は手を打ったのではないのか。そんな話は、長老会でも、噂のひとつさえ聞いていない。

 ギリスが知らないだけなのかもしれなかった。

「そんな奴が本当にトルレッキオにいるなら殺さないといけない」

 ギリスは深く考えもせずに、そう答えた。

 魔法戦士は部族の守りだが、もし敵方にもいるのなら脅威だ。

 ギリスが知る限り、エルフ四部族で竜の涙の魔法戦士を擁するのは、この部族のみで、異民族は石の制御ができないのだ。

 長年の友邦である海エルフ族でも、石を持った子供が産まれたらすぐ殺すという。

 養父デンが、野蛮な奴らだと話していた。養父デンはかつて湾岸地帯を訪れたことがあるのだ。

 ギリスも養父デンも、もし生まれ間違って、領境の向こうにいる母親の腹に天使が落としていたら、今頃もう生きてはいない。湾岸の野蛮人どもに石打ちにされ殺されている。魔法戦士の仲間たちも、ことごとくそうだ。

 それを思うとギリスは身震いがした。

 タンジールに生まれ落ちたことを、改めて聖堂の天使に感謝しないといけない。

 諸々のことが落ち着いたら、また礼拝堂に行こうと、ギリスは思った。

 大抵の日には、夜中にうっかり死んだ時に備え、ギリスはその日の贖罪しょくざいはその日のうちに済ます習慣だった。

 ゆるしの天使ブラン・アムリネスに祈って罪のゆるしを請えば、天使は大抵はゆるすはずなのだ。

 聖堂の者たちはそう言っている。あらゆる罪をゆるす慈悲深い天使が、ブラン・アムリネスで、それに存在を許されて皆が生まれてくる。

 だから生まれ落ちた以上、竜の涙も天使に許されて誕生しているはずだ。

 それを赤子のうちに石打ちにして殺す連中がいるなど、ギリスには許しがたかった。

「殺さなくていい。お前の敵にはならない」

 侍従の背を見て歩きながら、スィグル・レイラスが念押ししてきた。

 ギリスは納得がいかず、深いため息をついた。

「そいつは何を予言したんだ」

「いろいろ。楽園の到来を。でも魔法戦士じゃないんだ。予言するために生きているんじゃない。他の役目がある」

「他の役目って?」

 そんな壮大な魔力を与えられながら、他の役目などあるわけがない。

 アイアランも、あんなに弱っていて病弱でも、他の子供達のように見切りをつけられたりはせず、未来視の魔法のゆえに生かされているぐらいだ。

 未来視は、何ものにも優先される魔法のはずだ。だって滅多に生まれないのだから。

 そいつが本当にトルレッキオにいるなら、今も自分の部族のために未来をているかもしれない。

 アイアランも、おそらくそうだろう。そのために生かされている。

「お前に関係ないよ、ギリス。とにかく未来視を使う竜の涙は実在するんだ。そのアイアランも本物かもしれない」

 興味深げに新星レイラスは言った。

「もう晩餐の席にいるだろうか? 見つけたら教えてくれ。会って話す」

 命じるようにスィグルは言い、もちろんそれは命令だった。王族なのだから、命じる権利がある。

 しかしギリスは不承知だった。それで不満顔をしていたのかもしれない。

「なんだよ。言いたいことがあるなら言え」

 スィグルも不満そうに口を尖らせて聞き返してきた。

「言いたいことはない」

「嘘だろ。顔を見ればわかる」

 なぜバレたのかと、ギリスはため息をついた。

 表情を読まれるほど、顔には出していないはずだ。

 いつも誰からも無表情だと言われる。自分ではそのつもりはないのに。

 しかし新星には慧眼けいがんがあるようで、誤魔化ごまかせないらしい。

「アイアランと会うのは賛成できない。あいつが来るというのを止めることはできないし、英雄たちは王族と会える建前だ。でもお前が拒めば無理には会えない」

「お前には許可したっけ。会いにきていいって僕が許したか」

 ギリスの言葉に、スィグルは淡々と反論してきた。

 そうだっけとギリスは悩んだ。射手が新星に会うのに許可がいるのだろうか。

 毎日会うのに、いちいち目通りの許可がいるとなると面倒この上ない。

「だめなのか?」

 動揺してギリスが聞くと、新星は可笑おかしそうに、けらけらと笑った。

「だめじゃないよ。そのアイアランてやつが、僕の衛兵を蹴倒けたおすんじゃないなら」

「そんなことしないだろ。あいつは体が弱ってる。玉座の間ダロワージまで歩けるかも怪しい」

 ギリスが答えると、スィグルは深刻な顔をした。

「具合が悪いのか。どうして?」

「竜の涙で」

 ギリスは肩をすくめた。新星はなぜそんなことを聞くのかと思った。

「お前はこんなに元気そうなのにな」

 驚いているのか、残念がっているようにも見える顔つきで、スィグルは呆れたようにギリスを見て言った。

 何に呆れられているのか全く分からない。

「天使に感謝してる」

 ギリスがそう言うと、スィグルは意味ありげにふふんと笑った。

「天使も喜ぶだろう」

 苦笑して答え、スィグルはまた先導の列の行先に目を向けた。

 もうすぐ玉座の間ダロワージだ。別の殿下の列と行き合うことはなかった。

 それもそのはずで、出会わないように配慮されている。

 もし王宮の通路や辻で列が出会えば、どちらが先行して、どちらが道を譲るか、その場で決めねばならなくなる。

 大抵は年長の者を先に行かせる決まりだが、当代の息子たちには生まれた年の順が無いに等しかった。同日に生まれた者さえいる。

 誕生したのが朝か昼かで、一生道を譲らねばならないとなると、高貴なる殿下がたも揉めるのだ。

 そのような面倒がないよう、列は生まれ順に呼び出される決まりだ。

 今宵、スィグル・レイラスより先を歩く王族はいないはずだった。

 年下の者が先に玉座の間ダロワージに到着して年長者を待つしきたりだ。

 列が遭遇すると年長者が先に行くのに、そうでなければ年下の者が先に行くのだ。妙な決まりだとギリスは思っていた。

「ギリス、僕は会いたいという者には誰とでも会う。もちろんお前もだ。なんでも話を聞く」

「限度はある」

 ギリスは反論した。害意を持つ者とは会えない。

「でも天使がそうしろって」

 しれっと言う新星に、ギリスはまた絶句した。

 それがものの例えなのか、本当の話なのかも、こいつの場合分からない。

 ちょっと話すだけでも疲れる。

 新星は派閥のジョットのサリスファーと同い年ぐらいのはずだが、明らかに何かが違った。

 それが何かはわからないが、これが王族というものだろうか。

「天使が……?」

 ギリスは困って聞いた。新星は頷いていた。

「そうだ。広く皆の言葉に耳を傾けるべきだと、猊下げいかが僕にも勧めていた。でも生憎あいにく、我が部族には族長が民の声を直に聞く機構はない。そうだろう。戦場以外では」

 滔々とうとうと新星は話した。そのように聞こえた。

 実際には短い話だったと思うが、ギリスは苦労して聞いた。

 こいつが何を言っているのか、分からない。

「戦場では族長は民の声を直に聞くか?」

 そんなことあっただろうかとギリスは自分の記憶を手繰った。

 族長は戦場でも陣の幕屋で厳重に守られており、絨毯の上を歩き、王宮と変わらない豪華な寝台で寝ている。

 兵士が粗末な天幕で震え、布一枚を地に敷いて眠る時でも、王族は絹の布団で寝ている。

「聞くだろ、英雄譚ダージにもある。父上が兵士と兵糧を煮た鍋を囲み、故郷の母は壮健であるかとお尋ねになる場面がある」

 新星は真面目にそう言っているようだった。

 ギリスは何と答えるか、困って目を瞬いた。

 陣鍋じんなべか。サリスファーも言っていた。よほど有名な歌らしい。

「嘘だ。それは。いつも食っているわけじゃない。ヤンファールでは俺は見てない」

「嘘じゃないだろう。英雄譚ダージは事実をもとにまれるものだ。嘘を書くのは冒涜ぼうとくだ」

「お前の父上に聞いてみろ。いつも民の声を聞いているかどうか」

「不敬だぞ、ギリス」

 ぴしゃりとむちで打つような声で、スィグルが叱りつけてきた。

 声は平板で、その横顔は怒っているようではなかったが、スィグルの黄金の目は列を先導する侍従たちのきらびやかな宮廷服の背を見ていた。

 もう玉座の間ダロワージの扉が目の前だ。

 そこは王族が使う出入り口で、豪華な大扉の上には、絡み合う二匹の蛇の紋様の、巨大な浮き彫りが掲げられている。アンフィバロウ家の永遠の蛇の紋章だ。

 一匹の白い蛇はアンフィバロウを、もう一匹の暗くかげった蛇は、英雄ディノトリスを表している。アンフィバロウは星で、ディノトリスはその影だ。その二匹の蛇が、輝くたまで表される玉座を支えている。

 族長の額冠ティアラにも、それと同じ紋章が意匠として施されている。

 この部族の民がもっとも敬意を払うべき紋章が、この永遠の蛇だ。

 スィグル・レイラスは作法通り、その絡み合う二匹の蛇に深く一礼をした。

 ギリスもそれにならうしかない。これは風習なのだ。

 ギリスは生きたアンフィバロウを見たことはない。ディノトリスもだ。

 彼らがどんな王族で、どんな魔法戦士だったのか、本当のところは分からない。

 それを無条件の敬意で迎えるのはどうかと思うが、太祖と射手は、この部族の誇りであり、皆をひとつにまとめるためのたがなのだ。

 永遠の蛇のゆえに、民は玉座をあがめ、その号令に従う。

 その星に従うことで、奴隷の身から解放された祖先たちと同じく、今も皆が正しい方向に導かれると信じて、民は皆、アンフィバロウ家の血筋を引く族長に服従している。

 皆を正しいほうへ導くからこそのアンフィバロウだ。そうでないなら誰も玉座の星をあがめはすまい。

「民の声を聞くなら民に会うしかない」

 ギリスは困って教えた。それでも新星はけろりとしていた。

「だから会うって言ってるだろう。お前や、そのアイアランという奴にも。誰でも僕に会いたい者には会う」

「王宮の中でか。ここに入れるのは博士か官僚か将軍か侍女だけだ」

 民はここにはいない。

 ギリスはそう説明したつもりだったが、スィグルはまだ平然としている。

「そうだよ。魔法戦士もいるだろ? お前たちはこの部族の民の象徴なんだ。王族の兄弟であり、臣民の代表だ」

 スィグルは少し苛立ったように、当たり前のことだという口調で言い返して来た。

 ギリスはそれを聞き、少々言葉に詰まった。

「俺、実は、王宮の外にいる者と口をきいたことがない」

 ギリスは白状した。

 新星と話していて急に気づいたが、そういえばそうだ。

 戦場でも兵士と話したことがない。誰もギリスに話しかけてこなかった。

 行軍中も魔法戦士のデンたちが厳重にギリスを守っていた。

 ヤンファールに到着してそこで死ぬまで、ギリスは決して死ねない身だったせいだ。

 部族の命運をその魔法に賭けると養父デンが皆に命じており、それが玉座の意思とも言われた。

 だからギリスはその時、族長リューズの次に守るべき、生きた決戦兵器と見なされていたのだ。

 生きていないと役立たない。

 誰とも会わず誰とも口をきくなと命じられていた。いつもデンたちから離れるなと。

 そうして行って帰ったヤンファールは遠い戦場だったが、思い返せば日頃よく知る者としか話していない。

 滅多に口も聞かぬ相手と話したといえば族長ぐらいだ。

 玉座のきみはヤンファールでは、直にギリスに作戦を伝えた。

 今日を限りにお前は死ぬかもしれぬ。本当に良いのかと、あの永遠の蛇の額冠ティアラの男は、何度もギリスに確かめた。出陣も自ら号令した。

 それに見送られてギリスは突撃したが、そんな者に、そこらの一兵が気軽に話しかけてくる訳がない。

 準王族という扱いは本当だった。

 絹の布団とはいかないが、英雄たちにも休むための幕屋は与えられた。簡単な寝台もあったし、地に横たわれとは命じられていない。

 それでも寒かったとエレンディラも言っていた。それはタンジールの快適な寝室と比べてのことだ。

「俺は臣民を代表してない。知らない奴をどうやって代表する」

「エル・ギリス。滅多なことを言うんじゃない。ここをどこだと思っているんだ」

 心なしか青ざめて、スィグル・レイラスが言ってきた。

 玉座の間ダロワージだ。この部族の宇宙の中心と言える場所だ。

「お前たちは民に代わって部族の声を届ける者として、この王宮にいるんだぞ。言葉をつつしめ」

 チビのくせに叱りつける口調で言ってくるスィグルに、ギリスはやむを得ず頭を下げた。

「お許しを」

「悪いと思ってないだろ、お前。ゆっくり話そう。お前が心から詫びるまで僕は何時間でも同じことを言うからな」

 牙を剥く黒雷獣アンサスのような顔で言い、新星は広間からの呼び出しを待っていた。

 それはたまらんなと思い、ギリスは新星に従い苦笑した。

 こんなチビに説教されながら、この先の長命を生きるのはたまらん。

 そう思うと笑えたが、不快ではなかった。

 養父デンもよく説教する男だったので、その空白が埋められて丁度ちょうど良い。

 今はもうギリスを真面目に叱るものもいない。いつまでも諦めの悪い、深情けのエル・ジェレフぐらいだろう。

「第十六王子スィグル・レイラス・アンフィバロウ殿下のご来臨。太祖アンフィバロウのお血筋にして偉大なる族長リューズ・スィノニム・アンフィバロウ閣下のご嫡子ちゃくし。高貴なる殿下を者皆ものみな跪拝きはいをもってお迎えせよ」

 とどろくように響き渡る侍従の美声が玉座の間ダロワージから聞こえ、おごそかにスィグル・レイラスを呼んでいた。

 それにスィグルはあごを上げ、いかにも高貴の血筋のものらしく皆を見下ろす目つきになったが、じっと脇で見ているギリスに一瞥いちべつをくれて、べえっとあざけるように舌を出した。

 驚いてギリスが唖然とすると、スィグルはくつくつと押し殺した笑い声を立てた。

「行こう、ギリス。もっと英雄らしい顔をしろ」

 スィグル・レイラスが指輪をした手のこぶしでギリスの飾り帯を締めた腹を叩いてきた。

 つくづく殴ってくる殿下だ。

 ギリスは呆れて、華麗な絹の靴で広間ダロワージにに歩み出した新星レイラスの後を追った。

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