024 二対の翼

 王宮の通信室には沢山の鷹が飼われている。

 鷹が運ぶ手紙は速報用で、余程の用途に限られていたが、その中でも特に重要な、族長からの通信文を運ぶ鷹には全て、シェラジールという名がついていた。

 族長がかつてどこかでもらってきた鷹の子孫で、初代のシェラジールは隠居して王宮で無駄飯を食っているが、シェラジールの子や孫は鷹匠たかじょうに大切に育てられ繁栄した血統となっていた。

 スィグルが使おうとした鷹は、その中でも殿下がトルレッキオに人質としておもむく時に同行したという、当地の空を憶えた鷹だった。

 それもシェラジールの子孫で、シェラジール十八号という札をつばさにつけられている。

 なぜ族長は鷹に同じ名前しか与えないのか、ギリスは不思議だった。

 どれがどの鷹か、憶えるのが面倒なのかもしれないが、族長は英雄たちの名は全て知っているような博覧強記の男だ。

 銀の矢シェラジールという名を余程気に入っているのかもしれなかった。

「元気だったか、シェラジール十八号」

 スィグルは止まり木に止まっている精悍な鷹に向き合い、十八号と彫られた銀の札をつけているその翼をそうっと撫でてやっていた。

 とてもギリスを殴ってきたのと同じ手とは思えない、優しい手つきだった。

猊下げいかに手紙を届けて欲しいんだ。分かるだろ? 今回はもう一羽、お前のジョットを連れて行くんだ。向こうから手紙を送りたい時に使えるだろ?」

 スィグルは優しい声で鳥に話した。

 鳥に話が通じるのか、ギリスには分からなかったが、シェラジール十八号は忠実そうな目でスィグルを見つめ、短い声で鳴いた。承知したというように。

 スィグルはシェラジール十八号が足に取り付けられて持っている銀の筒に、しっかりと収まるように巻紙の手紙を入れた。

「なるべく早く戻ってきてくれ。悪いんだけど、このエル・ギリスが天使からの返事を待ってる。猊下げいかの返事が遅かったらかして」

 それも承知したのか、鳥はうなずくように何度か頭を下げていた。

 それにスィグルはにっこりとして、腕に鷹を止まらせるための革製の手甲を付けた。

「ギリスもこれ付けて。もう一羽連れて行くから、僕だけじゃ重すぎる」

 ギリスにも手甲を差し出して、スィグルは腕に付けろと促した。

 ギリスは日頃、そんなものを扱ったことがなく、支度に少々手間取るうちに、スィグルはもうシェラジール十八号を腕に乗せて待っている。

「どの鷹にしようか。十八号に選ばせよう。相棒だもんな」

 機嫌良くスィグルが言うと、鷹はまるで何もかも分かっているように、スィグルの腕から飛び立ち、通信室の止まり木に何羽も飼われている沢山の鷹の中から、部屋の奥にいる別の鷹の止まり木のほうへ音もなく飛んでいった。

 空中をすべるような鷹の滑空を見て、ギリスはそれが好きになった。

 一度だけ、ギリスも鷹通信タヒルを飛ばしたことがある。

 ヤンファールでの戦勝を告げる鷹を、出撃の褒美として族長に所望した。

 リューズ・スィノニムは二つ返事で、一番速い鷹をギリスに貸してくれた。

 王都で待つデンに勝利を知らせるために。

 その鷹がどのシェラジールだったのか、ギリスにはもう分からない。

「五十二号か。これはお前の兄弟? それとも孫?」

 スィグルはそばに行って鷹に尋ねたが、そんなことを鷹が答える訳がなかった。

 それでも殿下は満足げだった。

 どうもスィグル・レイラスは生き物が好きらしい。そうしていると殿下は本当にまだ子供に見えた。

 王族だと思って、期待もしたが、何のことはないただの子供だと、ギリスは少しがっかりした。

 ジョットどもの子守と大して変わらない。

 だが、ギリスは子守は好きだった。菓子でもくれてやって、一緒に遊んでやれば、子供には文句がないからだ。

「馬で上がるのは時間がかかるから、鷹匠たかじょうの昇降機を使おうよ」

 鷹を腕に再び乗り移らせて、スィグルはギリスが予想もしなかったことを言った。

「昇降機?」

「奥にあるよ。ギリスは五十二号を運んでやってくれ」

 そう言って自分の腕の鷹をスィグルが渡して来たところを見ると、そっちが五十二号らしい。

 ギリスは鋭い爪のある足で腕に乗り移ってきた鷹の意外な軽さに驚いた。

「乗ると怒られるんだけどね」

 苦笑して言い、スィグルは自分の腕にシェラジール十八号を乗せに行ってから、さらに部屋の奥へと進んでいった。

 通信室にはもちろん鷹匠たちがいた。これも官僚だ。

 王宮に雇われた文官で、身分は案外高い。

 族長のちょくを乗せて飛ぶ鷹を扱うのだから当然だ。代々、同じ家柄の者が務めている。

 鷹匠は王族の服装をしたスィグルにうやうやしく立礼をしたが、忙しそうだった。

「ギリスが先に乗って」

 スィグルがそう促したのは部屋の奥に幾つか並んでいた細長いおりのようなものだった。

 大人が一人入れる程度の大きさで、堅牢に作られており、ギリスにはそれが刑罰用のおりに見えた。

「嫌だよ」

 入ったら檻の扉を閉じられそうで、嫌な気分だったので、ギリスは断ったが、スィグルは遠慮なくぐいぐい押してきて、ギリスと一緒におりに入ってしまった。

「これすごく怖いんだよね。スフィルは絶対乗らないって昔、言ってたよ。無理矢理乗せたら泣いちゃってさ。僕だけが怒られた」

「何で?」

 ギリスが尋ねると、スィグル・レイラスはうふふと笑った。

 そして檻の扉を閉めた。

 驚いてギリスが見ると、スィグルは鷹のいないほうの腕を伸ばし、檻の天辺から吊るされていたかねぜつに結ばれた紐を掴んで激しく鳴らした。

 うるさい音にギリスが首をすくめると、スィグルは鐘を打つのをやめて、早口に言った。

「手を引っ込めておかないと、千切れちゃうよ」

 おりを掴んでいたギリスの手を、スィグルがそでを引いて退けさせた。

 それと同時だった。おりが急に動き出した。真上に向かって。

 ものすごい速さでおりの外の壁が下へ下へと降っていった。

 経験したことのない出来事に、ギリスは頭が真っ白になったが、鷹たちは平然としており、スィグル・レイラスは歓声を上げている。

 けらけら笑う王子と鷹を乗せて、おりはどんどん上に昇っているようだった。

 ギリスはぐうの音も出なかった。全身の血が足の方に下がるような感覚がする。

 軽く吐き気もした。目が回るような感覚が。

 それがやがて宙に放り出されたような感覚に変わり、おりはガクンと止まった。

 天辺につけられた鐘が反動で鳴り、ギリスは檻に頭をぶつけた。

 くらくらする。

 余程楽しかったのか、スィグルはまだ笑っている。

 とんでもない奴だ。

 ギリスもデンたちに普段そう言われるが、ギリスにも、そう言いたい気持ちが少し分かった。

「面白かっただろ」

 同意しろという口調で言うスィグルに、ギリスは顔をしかめて見せた。

「あれ。怖かった?」

 意地悪く言って、スィグルはおりの扉を開けた。

 そこは天井の高い広い空間だった。壁も床も石造で、やけに寒い。

 いつでも適温に保たれている王宮の中とは思えなかった。

 岩石が剥き出しになっている壁には、絵や花もなく、足元の石畳には細かい砂が吹き溜まっていた。

「ここ……どこだよ」

 ギリスは尋ね、そのだだっ広い部屋にも驚いた顔の鷹匠の一族の者や、甲冑を着た兵士がいるのを眺めた。

「第一階層だよ」

 平然とスィグルは言った。

 ギリスはさらに顔をしかめて、いつか見せてもらえた王宮の絵図面のことを思い出した。

 こんなものは、そこに載っていなかったぞ。

「鷹を上の階に運ぶための昇降機だ。でも人が乗れないこともないだろ?」

「乗れないこともないだろ?」

 人が乗るもんじゃないのかと、ギリスは唖然あぜんとしたが、レイラス殿下は笑って答えた。

「大丈夫、鷹匠は乗ってるよ」

「ここ、王宮の中じゃないな」

「いいや。王宮の中だよ。出櫓でやぐらだ」

「でも第一階層なんだろ」

 王宮は地下都市タンジールの第七階層に位置し、そこは王宮しかない階層だ。一番下に王宮がある。

 第一階層のすぐ上は地上だ。ほぼ地上みたいなものだ。

 ギリスは生まれ落ちて物心つき、十二歳の元服式まで一歩たりともタンジールの外に出たことがなかった。

 出たいとも思っていなかった。

 故郷を遠く離れてよそへ行ったのは、ヤンファールの戦いの時だけだ。その一度きりだ。

 タンジールこそが故郷で、何不自由ない場所だった。

 地上がこんなに近かったとは、ギリスは考えたことがなかった。考える必要もなかったのだ。

「鷹を飛ばすんだから、地上へ出なきゃ」

 嬉しげにスィグルはそう言った。ギリスはそれを呆れて聞いた。

「お前、イカレてるぜ。王族は外へは出ないもんだ。いくさでもなきゃ」

「出たことないの?」

 不思議そうにスィグルが聞いてきた。

「ないわけないだろ。元服してるし従軍もしたんだ」

 ギリスが答えると、スィグルもそうだろうなという顔で頷いた。

「じゃあいいじゃないか。行こうよ」

「行こうよ、って……」

 何の連絡も受けていなかった第一階層の者たちは、慌てているように見えた。

 壁から生えている伝声管から、今さら何かを騒いでいる声が届いていたが、スィグルは全く気にしていないようだった。

 兵はもちろん殿下を止めた。のこのこ出ていけるわけがなかった。

鷹通信タヒルを飛ばすだけだよ。この鷹を放ったら、すぐ戻るから。いいだろ?」

 頼み込む目で兵士を説得しようとするスィグルは、しばらく甲冑の連中と押し問答をしていたが、護衛つきでなら出て良いと話をつけていた。

 王族の命令は絶対で、もう子供でもない殿下が行くと言うのなら、兵たちには行かせるしかないのだろう。

 しかし地上へ出る都市の開口部は決まった時刻にしか開かない。

 どうやって出るつもりなのかと、ギリスにも分からなかったが、スィグルは歩哨ほしょうが立つための見張りやぐらがあるのを知っていた。

 砂の上に突き出した、小さな塔だ。交代で兵士が詰めているはずだ。

 スィグルは困っている兵たちには構わず、鷹を連れて遠慮なく塔の螺旋階段を上がっていき、ギリスはその後を追うしかなかった。

 夜の空気はひんやりとしており、地上は見渡す限りの砂だった。

 まだ夜明け前だ。

 恐ろしいほどの星が見えた。本物の星が。それに月も。

 弓のように痩せた月が、微笑む誰かの唇のように暗黒の空にかかっていた。

「星が見えるね」

 見ればわかるようなことを、スィグルは口に出して言った。

鷹通信タヒルの鷹は夜目が効くんだ。不思議だよね。ほとんどの鳥は夜は眠ってるのに」

 爛々らんらんとした黄金の目の鷹が、ギリスと同じように星を見ていた。

「僕らと同じで、暗視ができるんだよ。太祖と射手がこの地に辿りついた時から、このタンジールの地下に棲んでた鳥なんだ」

「知ってる」

 ギリスは説明するスィグルの話を聞いてから、そう教えた。

「なんだ。知ってたのか。案外、馬鹿じゃないな」

 歯を見せて笑うスィグルは悪気があったようだが、可愛げがあった。

 こまっしゃくれたジョットだ。

 それがずいぶん可笑おかしい気がして、ギリスは笑った。

「鷹を飛ばそう。シェラジール十八号、よろしく頼むよ。お前と別れるのは寂しいけど、猊下げいかによろしく」

 スィグルが腕の上の鷹にそう告げると、鷹は甘えた声でピュィ、と鳴いた。

「僕は元気だって猊下げいかに伝えてくれ。手紙に書くのを忘れた。それから……」

 スィグルは何か言おうとしたが、その声はすぐに薄れた。

 鷹に伝言してもしょうがないと、さすがに思ったのだろう。

「元気でね。シェラジール。必ず戻るんだよ」

 そのスィグルの言葉に、鷹が頷いたように見えた。

 しかしそれは気のせいだ。鷹は飛翔するために、身を屈めただけだった。

 スィグル・レイラスの腕を蹴って、鷹は舞い上がった。音もなく、風を切る翼の風圧だけを後に残して。

 その兄貴分デンを追い、ギリスの腕にいたほうの鷹も、力強い跳躍の感触を残して飛び立った。

 天使のもとへ。

 その二対の翼が連れ立って、星の降るような夜空に消えていくのを、ギリスは黙って見送った。

「月と星の船って、どこを飛んでるんだろうね」

 スィグルが急にそう言った。まだ空を見上げたまま。

「僕も乗れると思う?」

 自分の首に触れて、スィグルは少し困ったように微笑んで言った。

 そんなものは分からない。

 ギリスはそう思ったが、そうは言わなかった。

「今までに死んだ奴が皆乗ってるんなら、めちゃくちゃ大きい船だよな。それがどうやって飛ぶんだろうな」

 代わりにギリスが口にした言葉に、なぜかスィグルは笑っていた。

「そうだよね。おかしいよ。僕も小さい頃からそう思ってた」

「俺もずっと思ってた。そんな船、嘘なんじゃないか。もし、そんなものなかったら、俺たちどうなるんだ」

 ギリスが真剣に聞くと、スィグルはふふふと面白そうに笑った。

「司祭が言ってたけど、そんな話は神殿の教えにはないんだ。博士たちは言ってた。その船は部族の古い例え話で、実在してるんじゃなく、いつか作られる楽園のような国のことで、概念上の存在なんだ」

「概念上の存在」

「つまり、僕らの心の中にある船だ」

 スィグルはそう説明したが、ギリスは納得できなかった。

 そんな考えはつまらないと思ったのだ。

いつか自分が死んだら、養父デンたちが皆乗っている船が迎えにきてくれるほうがいい。

 そうじゃないなら、俺はいったいどこへ行けばいいんだ。

「船を探そう。僕らが皆で乗れる船を。天使とそう約束したんだ。僕が新星だっていうなら、お前もそれを手伝ってくれないか」

 そう語るスィグル・レイラスの黄金の瞳に、たくさんの星が見えた。

 新星とは何か、ギリスには分からなくなった。

「殴って悪かったよ」

 スィグルはそう言って、砂漠の夜気に冷えた手を、ギリスの左頬に押し当ててきた。

 腫れていた頬に、その冷たい指は心地よい気がした。

 第十六王子は治癒術を使う。ギリスもそれは教えられて知っていた。

 しかし、その魔法はジェレフのような奇跡の技には程遠く、朝までかかりそうだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る