「舞台上の対決」

 舞台用語で『奈落』という言葉がある。

 舞台の直下、地下に設けられた空間だ。そこには表に出せない装置の数々、昇降機エレベーターで舞台に迫り出させることで演出効果を狙う大道具などが隠されている。


 今回の舞台の演目『快傑令嬢リロット逮捕』の台本が早速破綻しかけていることに、この上演の座長ともいうべきエルカリナ王国国王、ヴィザード一世はそれほど不機嫌ではなかった。いや、むしろこの即興劇を楽しんでいたともいえる。


 事実上の主人公であるリルルの颯爽さっそうとした、颯爽とし過ぎる名乗り、そして快傑令嬢リロットへの『変身』――。この『芝居』は人質を取ることで誘い出したリルルの心を掻き乱し、その身を捕らえることにその真骨頂があったのだが、その思惑はこの時点ですで頓挫とんざしていた。


『奈落』のすみからでも舞台の様子をうかがうことはできる。傾けた合わせ鏡に投影される鏡像きょうぞうがおおまかな様子だけは確認することができる。

 光の中で一瞬にして真珠色のドレスから、誰もが知っている薄桃色のドレスに変わったリルル。


 その姿を直接、間近で見られなかったことをヴィザードは後悔した。最初から自分が舞台に立っていれば、勇気を振るって自分の正体を明かし、どこにでもいる少女からこの王都にしかいない少女に『変身』した、その一世一代の晴れ姿をこの目で見ることができたのに!


「リルル、私はお前にびなければならん。お前を、ただの無力な少女と思い込んでいた私のこの認識を詫びねばならん。お前は普通の少女のように振る舞いながら、時が変わればこのように姿も心も変えることができる。……いや、お前の奥底にある魂に、こんな一面が眠っているのか」


 ヴィザードは舞台の中心の直下、そこに設置された昇降機に乗った。手すりも枠もない、ただ台が上に迫り上がるだけの簡易なものだ。それは本来、真なる主人公が舞台に登場するための装置だったが、ヴィザードは自分が脇役の値打ちにしかなっていないのではないかと危惧きぐした。


「――まあ、いい。この舞台、誰も本業プロフェッショナルの者は出ていないのだ。そもそもが素人ばかりの三文芝居。芝居として成立しているだけで大したものだろう」


 あらも破綻も、それはそれで一興。

 舞台と奈落をへだてていた天井が開いて上への空間を空け、ヴィザード一世のうなずきを合図にして昇降機は老人が起き上がるよりも緩慢かんまんな速度で上がり始めた。



   ◇   ◇   ◇



 舞台に続く『橋』の真ん中に立つリルルを挟むようにして舞台に、そして出口に繋がるたもとをそれぞれ四名ずつの甲冑姿の兵士たちが現れ、固めた。リルルとの距離は両方とも百歩以上離れているが、兵士たちは少女が進むことも退くことも不可能な形にこの場を詰めている。


「――よく来た、快傑令嬢リロット。素晴らしい登場のさまだった」


 舞台俳優顔負けに堂々たる声が、反響効果を最大限に狙って設計された劇場内に響き渡る。その口上と共に現れた人物の姿に、観客たちが大波のようなどよめきを上げていた。

 威厳溢れる重厚な軍服とマント、黄金の王冠を頭に戴いた国王が、舞台の中心に現れたのだ。


「陛下……!」

「本当!? 王様が来ているの!?」

「ありゃあ、陛下だ! 国王ヴィザード一世陛下だ!」


 一万人が混乱を起こすとこうなるのか、というほどに空気が重い油が波を打つように揺れた。三百歩は離れている末端の席から舞台の上の人物を子細しさいには見られない者たちも、観衆が口々に喚く言葉で状況を知る。


「……国王……!」


 リルルは『陛下』と敬称で呼んでしまおうとする舌を努力で制した。あれは自分の主君ではない――望んだことではないがこう言い切るしかない、『敵』なのだ!


「我が親愛なる国民たちよ。この取り急ぎ用意した舞台の一幕を観覧しに足を運んでいただき、この国王ヴィザード一世、感謝の言葉もない。この舞台の総責任者として、厚く御礼を述べさせてもらう。ありがとう」


 王冠がずり落ちないわずかな角度を、国王が頭を傾ける。真心がこもるその率直な言葉と態度に、市民たちの顔にほわっとした安らぎが宿る。この人間性がヴィザード一世の支持基盤といっていい。

 ヴィザード一世は、国民に愛される国王なのだ。


「さて今回、あまり誉められたものではない少々強引な手段によって、この場に快傑令嬢リロットをお迎えした。あらかじめ述べておくが、快傑令嬢リロットは法に照らせば立派な犯罪者である。警察機構の活動を妨害した回数数知れず、明白な指名手配犯として扱われている」


 国王の言葉に市民たちの顔に陰が過ぎる。市民たちにとって快傑令嬢リロットは英雄なのだ。快傑令嬢が王都を救った事件の数々は王都の市民ならば知らない者はいなかったし、この場に押しかけている者たちの中でも、快傑令嬢に直接助けられたという人間も百人ほどはいた。


 みな、快傑令嬢に、リロットに心を寄せていた。だから、快傑令嬢が現れて鮮やかに事件を解決していった翌日の号外は売れて売れて売れまくるのだ。快傑令嬢が捕らえられる様を期待している市民は皆無かいむといっていい。今捕らえられているサフィネルにも逃げて欲しい、と祈る者が大半だった。


「――しかし」


 国王のその言葉に、市民たちの注目の濃度が増した。


「しかし余は、快傑令嬢を憎んではいない。快傑令嬢が警察機構の力が及ばない、王都の病巣に直接手を入れ、我が愛する人民たちを救ってくれたことを知っている。それに感謝すらしている。彼女たちこそ英雄である。――なにを隠そう、余自身も快傑令嬢の支持者なのだ」


 微笑を浮かべたヴィザードの言葉に、市民たちの心から不安の黒い霧が引いていく。愛する国王と愛する快傑令嬢が闘って欲しくはない。というのが偽らざる心境なのだ。


「だからこうして、初めて・・・快傑令嬢リロットと対面できる場を得られ、余は大変喜ばしく思っている。お初にお目にかかる、快傑令嬢リロットよ」

「――――」


 リルルは微かに唇を噛んだ。その言葉からしてこれが三文芝居でしかないことを示していた。

 事前に聞いていたフィルフィナの言葉を思い出す。


『いいですか、お嬢様。劇場に多くの観客が来るからして、その観客を意識しなければなりません。彼等を心情的に味方につけることが、この芝居の台本をこちらの勝利に書き換える道なのです。天界で国王と戦ったことなど観客は知りません。その非をあげつらったところで理解はされないでしょう』


 くれぐれも、と真面目な目をしてフィルフィナはいっていた。


『これはまさしく演目、舞台なのです。限られた情報と状況の中で国王の偽りを暴露ばくろしなければなりません』

『……どうすればいいの?』

『あなたが王都を舞台にしてきた、その戦いこそが真実なのです。市民たちは、みんなはあなたがどれだけ身を粉にするように、心をすり減らすようにして戦ってきたかを知っています。その信頼こそ、あなたの武器。お嬢様、ご自分を信じなさい。あなたには、大勢の味方がいるのです――』

「……そうね、フィル。あなたのいうとおりだわ」


 リルルが顔を上げる。

 国王は自分が有利になる場としてこの舞台を選んだに違いない。人質を取り、衆目にリルルをさらすことでその動きを縛ろうとしたに違いない。


 だからリルルはまず、鋭い一手を打った。

 最初から、自ら正体を明かしてしまう。捨て身で相手の懐に潜り込む。

 全てを捨てて相手とぶつかることでしか、国王などという存在に勝てはしないのだ。


「――国王、ヴィザード一世に申し上げます!」


 リルルが顔を、視線を上げた。

 ここから自分は、自分たち・・・・は脱出する。

 それは賊としてではなく、英雄として出ねばならないのだ。

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