「リルルとフィルフィナの疑問」

 遙か遠くに見える海、かなりの高みから彼方に望む丸みを帯びた水平線の向こうに、赤い夕陽が没しようとしていた。

 魔法の傘の柄を握って高空を飛ぶリルルは、海を焼いていく日没の姿を焦る心で見つめる。


 快傑令嬢リロットの姿となって、ほぼ一直線に王都エルカリナからの南下を続けているリルルの心を、粘り着くようなにごりを見せて不安の黒い渦がうごめいていた。


 回路のように街道が繋がっている先に、またも広がった黒い消し炭の塊が見えてきた。リルルは唇を噛みながらその一面が焼き払われた残骸ざんがいの山、連なりの端に着地する。

 そこには、やや離れていたから燃えずにすんでいたのか、一本の立て札が残っていた。


『ゴッデムガルドの街にようこそ』とそれには記されていた。


ここも・・・…………」


 目的地に着いたという感動もなにもなく――むしろ脱力感を覚えてリルルの膝が砕けそうになる。

 雲に届くような高さを飛びながらここに到着するまで、いくつもの焼き払われた街や村の姿を見てきた。焼き払われた街や村しかなかった。小さな集落まで処理・・されているという徹底ぶりに、リルルは、この大陸の全てが焼かれているのではないかという不安に襲われたほどだ。


 避難民の集団とも、いくつもすれ違った。街や村の総員がそのまま流浪の民として流動しているのではないかと思えるほどの集団で、それは実際、街や村の総員だった。空から下りて尋ねてきたリルルに人々は判で押したように驚いたあと、「王都に向かえといわれた」と口にした。


 エルカリナ大陸に存在する人々の全てを、王都に集めようとしているとしか思えない行動だった。


「こういうの、知ってる……『焦土戦術』だったかしら、フィルがいってた……。人も物資を残さず、建物や施設も全部焼いて敵に利用させないためだって。そうすれば補給が続かなくなって敵の軍は潰れちゃうんだって。それが行われている……でも、もう・・? まだ敵はやってきてないのに……」


 やってきてからでは遅いのだ、という理屈もわからないではないが、早すぎる。


「まともに戦うつもりがないようだわ……このままだと、敵は王都にたどり着くかも知れない……」


 その時には、敵軍も補給がとどこおってせ細っているだろうが、現実的にどのようになるのかというのはわからない。戦争ほど、やってみないとわからないものはない――フィルフィナは常々そういっていた。


 それは、取りあえずはいい。今の問題は――。


「ニコルはどこ? ゴーダム公の騎士団はどこ? ……ここまで来る間に見えなかった……ここに来たはずなのに、どこに行ってしまったの?」


 見逃したとは思えない。ニコルやゴーダム公たちがこの街でいくらかの時を過ごすだろうという計算の元でここまで追いかけたが、柱の一本、屋根の一枚すらまともに残っていないこの街に部隊が留まれるとも思えない。


「他の場所に移動したの……? でも、いったいどこに……!」


 手がかりの一つもなく、西の空では夕陽がその頭の先までも隠れようとしている。夜の闇が全てを隠そうと忍び寄る中、リルルは途方に暮れていた。


「フィル……! こんな時にフィルがいてくれたら……! フィルもどこに行ってしまったの……!」



   ◇   ◇   ◇



 そのフィルフィナは今、大激戦の中にいた。



   ◇   ◇   ◇



 森と森に囲まれるようにされた、そこだけが拓けた空間。鬱蒼うっそうと生える木々の世界の中にやや大きな集落が存在する世界。

 エルカリナ大陸のほぼ真裏のこの場所は、ようやく東の空に日の出を見ようとしているころだ。


 だが、そこには早朝の穏やかさなどはなかった。昨夜・・から続いている戦いの震えに、静けさのはずの世界は大きく揺れていた。


「もうすぐ日が昇る! 日が昇れば相手が見えて押し返せる! 全員、気を引き締めろ!」


 鋭い声が青い空に飛ぶ。森の木々の間を駆け抜ける。少女の凜々りりしく美しい響きの中に精悍せいかんさを打ち立てるその確かな声に、疲れ切っていた森の戦士たちの心がもう一度熱し直された。


「弓の弦の緩みを確かめ、矢の少ないものは後方に下がって補給を受けろ! 慌てる必要はない! 空いた穴を誰かが確実に埋めろ! もうひと踏ん張りだ! 我々に後退がるべき後ろはない!」


 普段のメイド服から、エルフの戦士が身につける簡素な革鎧の戦装束に着替えたフィルフィナが、長い髪を一つに結わえた姿で腕を振っていた。無数の弓の弦が鳴り、矢が空を切り裂く音が重奏のように重なって響く。地上から打ち上げられる矢の密集はまるで噴水のようにも見えた。


「負傷者を下がらせろ! 死亡者を出すな! 建物は構わん! 命があれば建て直せる! 死ぬな!」


 前線の最前に立ってげきを飛ばすフィルフィナの背中と腰には矢筒がくくりつけられ、左手には折れかけた弓が握られている――既に弦は切れて使い物にならなくなっている。その頬には幾筋の傷が薄く刻まれ、鎧のあちこちは赤く焦げていたが、彼女は士気旺盛しきおうせいだった。


「がんばれ――これはあと、それほども続かない! 今が踏みとどまる所だぞ!」



 エルフの一族、『東の森の里』の外郭が燃えていた。まばらに点在している民家のいくつが炎上し、それを消火しようという動きは見られない。建物と建物の間が広いので簡単には延焼はしないようだが、炎の明かりに照らされて動く大勢のエルフたちの顔には焦りの色があった。


 森の中に息を潜めるようにして築かれた集落を完全に包囲して、空飛ぶ魔物たちがその上に覆い被さろうとしていた。


 正体のわからない竜、猛禽もうきん、巨大な昆虫、翼を背負った人型の魔獣。

 この空を脅かす悪しき翼を持つ者たちが、この場に勢揃いしたと錯覚させるほどの異質な集団だった。それらに共通していることはただひとつ、エルフたちに敵対しようとするその一点に他ならない。


 フィルフィナは、矢を放ちどれだけ撃ち落としても一向に勢いを減じさせないこの魔獣たちの襲撃に対して少しの怖れも見せない横顔を晒しながら、心の中は焦りに浮き立っていた。


 昨夜、『西の森の里』に残してきたはずのリルルが姿を消しているのを見つけ、その姿を探すと共に母の容態を確認しようと妹ふたりを引き連れて転移したフィルフィナを、魔獣たちの蹂躙じゅうりんおびやかされる『東の森の里』が待ち受けていた。


 里のエルフたちは子供を含めて総員で応戦していた。その不利を見て取ったフィルフィナはすぐさま、故郷のエルフたちを増援として動員した。結果、この限られた場所で、この世界でひっそりと暮らしているはずのエルフたち、森に定住しているもののほぼ全てが戦いの大渦の中で戦っている。


 まさにエルフ一族の存亡の危機だった。人間の世界で暮らしているエルフたちも少なくはないが、基本的に集団を作らない彼等のほとんどは、次代に血を繋ぐこともなく死んでいくのだから。

 十時間目に達しようとする戦いで意識も途切れかける中、フィルフィナは気力だけで前線にいた。


「フィル姉様、新しい弓を」


 同じく革鎧に着替えているスィルスィナが後方から駆け寄り、姉に弓を渡した。フィルフィナはそれを取るや否や、暗くなってきた空を埋め尽くすようにして飛ぶ、翼ある人影に向かって矢を放つ。


 びん! と音と共に衝撃波を発して空をえぐり、貫いた矢が、飛龍の喉元を穿うがつ。空中でその巨体を曲げた飛龍は悲鳴を上げることもなく頭と胴体を寸断され、その両方が地に墜ちた。


「おねーちゃん、もう矢がないよぉ!」


 泣きながら矢を放ち続けていたクィルクィナが姉の元に駆け寄ってくる。その泣き顔をどうにかしろとフィルフィナは唇を噛んだが、まだ逃げ出していないだけマシだと自分にいい聞かせて怒声を飲み込んだ。


「……私たちの里にある矢を全部運ばせなさい。一本も残らず」

「でもそれじゃ、同時にうちの里も攻められたら!? 矢がないと戦えないよぉ!」

「その時は、『西の森の里』は捨てます」

「そんなぁ!?」


 悲鳴のような、いや、悲鳴そのものの声を出してクィルクィナは顔の全部で泣いた。


「全ての民をここに移し、転移の扉は破壊して繋がりを断ちます。クィル、用意しなさい。――メリリリア女王陛下、そういうことでよろしゅうございますか」

「わかりました、フィルフィナ王女殿下」


 フィルフィナの側に立って自らも革鎧をまとい、弓を持って奮戦している『東の森の女王』、メリリリアがうなずいた。


「その時は、あなたたちの移住を許可します。里の再建にも全力を尽くして協力することを約束します。元々、エルフたちが一度に滅びないために私たちは東西に別れました。今こそ、エルフ一族が生き延びるために協力し合わないと」

「――クィル、急ぎなさい! ……いうまでもないとは思いますが、もしも逃げたりしたらどうなるか、わかってますね!」

「わかってるよぉ! おねーちゃんが死んでもあたしを追いかけてくることくらい! そんなことになるんだったら戦って死んだ方が百倍マシだぁぁぁ!!」

「行きなさい!」

「うわああああん!」


 泣き叫びながらクィルクィナは、まだ無事な宮殿に向かって走っていった。


「――可愛い妹殿ですね」


 怜悧れいりで美しい顔をすすで汚しているメリリリアが、自らも矢を放ちながら語りかける。フィルフィナもまた、次の標的に狙いを定めながら応えた。


「いつまで経っても馬鹿な妹で困ります。手ばっかりかかって……」

「でも、根は真面目で一生懸命じゃないですか。……失礼、こんな気安いことを」

「構いません。本当に馬鹿な妹ですから」


 空から払っても払っても、魔獣たちはその隙間を埋めるように新手が現れてくる。この魔獣たちはどこから現れているのか、誰が操っているのか、それとも自分たちの意思だけでこの里を襲っているのか――そんな疑問も頭からかすれるほどに疲れながら、フィルフィナは皮が破けた指で矢をつがえた。

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