「光と陰の因習と、運命たち」

 リルルとフィルフィナが『土の世界樹』の幹から外界に出られた時、外は真の闇だった。

 一瞬で跳んできたここ、世界の裏側に来たために時差が半日狂い、二人は実質的に徹夜している。

 どうやら逃げ切り、安全圏に出られたという安堵感あんどかんに息を吐く。興奮と緊張感が途切れたと同時に、両方の肩が鉛に変わったかのような重い疲れがドッと上半身に染みこんできた。


「お嬢様、大丈夫ですか……」


 松明たいまつに火をつけたフィルフィナの不安げな顔が振り返っている。そのアメジスト色の瞳が震えているのに、リルルは、自分はよっぽど疲れている顔をしているのだなと苦笑してしまった。


「大丈夫よ。ウィルウィナ様のことを思えば、なんでもないわ。フィル、あなたこそ先に行っていいのよ。お母様のことが心配でしょう」

「……あの古狸ふるだぬき雌狐めぎつねかわからない母が死ぬわけないですよ。わたしは心配していません……」

「そっか」


 肩を貸します、と脇の下に肩を入れてきたフィルフィナの沈んだ顔に、まだこれくらいの強がりがいえるのなら大丈夫か、とリルルは希望を持つことにした。


「東の森の里まで、がんばってください。そこで休ませてもらいましょう……」

「そうね……贅沢ぜいたくをいうなら、お風呂も借りたいところだわ……ぬるめの気持ちいいお風呂……」


 疲れ切った二人は、晴れ渡った夜空にばらまかれた砂金のように光る星の下を歩き出した。今は美しい星々よりも、夜の集落に灯る人の明かりの方が恋しかった。



   ◇   ◇   ◇



「おお――無事であったか!」


 日が沈めば早々に眠りについてしまうのが一般的な生活形態であるのにも関わらず、東の森の女王、メリリリアは里の入口をかがり火で照らして待っていた。


 その周囲には、完全武装した数十人のエルフたちが弓に矢をつがえた物々しい体勢を取って息を張り詰めている。リルルたちを追ってくるかも知れない敵を警戒しているのだ、というのはわかった。


「女王陛下、お手をわずらわせてしまったこと、まことに――」

「そんなことは気にするでない。追っ手はどうなのだ」

「撤退時に追われた気配はありませんでした。心配ない、と思いたいのですが」

「それでも備えはするべきか。――そなたたち、すまないが今夜一日は寝られないものと思ってくれ。里の全戦力を戦闘配置する。かがり火をもっと増やし、警戒線を押し上げよ――急ぐのだ!」


 メリリリアの声に、返事も必要ないほど的確かつ俊敏に配下のエルフたちは動いた。斥候せっこうとしての分隊が三つ『土の世界樹』の方に向かい、里がさらにかれたかがり火の炎でオレンジ色に染め上げられる。


「――まずは、あなたたちも落ち着いた方がいいですね。部屋を用意しています。そこで……」


 さりげなくリルルの側に寄ったメリリリアが、女王の仮面を装いながら優しい地の声で語りかける。


「できるならウィルウィナ様のご容態を確かめたく……お顔を拝見することはかないましょうか……」

「治療も一通り終わり安静にしているところですから、傷に障らなければいいでしょう。こちらへ」


 任せたぞ、と女王の声を発し、きびすを返して歩き始めたメリリリアの背中に続き、リルルとフィルフィナも歩き出した。



   ◇   ◇   ◇



 胸に大きな傷を受けたウィルウィナは、宮殿の奥にある小さな一室の寝台に寝かされていた。

 寝台が二つも並べばもう人が立つ余地もなくなるその部屋の狭さに、リルルはまさしく病院の病室を連想した。いや、実際にここが病室だったのかも知れない。


「幸い、傷は心臓には達していませんでした。その……」


 薬師くすしや魔導士を下がらせ、横たわっているウィルウィナをのぞけばメリリリア、リルル、フィルフィナだけの三人が寝台を取り囲む。部屋は薄暗い明かりが低い高さで灯され、ウィルウィナの目に直接光が入らないように配慮されていた。


「突き込まれた刃が大きなおっぱいで止まってくれたのよ。いうでしょう、『大は小を兼ねる』って」


 メリリリアの言葉をいで身も蓋もないことを口にしたのは、ウィルウィナ本人だった。


「メリリリアにフィルちゃん、貧乳あなたたちなら背中まで串刺しだったわ。大きな胸は役に立つのよ」

「――とっとと死になさい!」


 怒りを脳天から噴き上げたフィルフィナがバン! と蝶番ちょうつがいが外れかねない勢いで扉を閉め、姿を消した。


「ウィル、大丈夫なの。喋ると……」

「ありがとう、メリリ。痛くないわけではないけれど、大丈夫よ。冗談もいえない方が辛いわ……」


 ウィルウィナの目が、細く開いていた。その頬に笑みが浮かんでいるのにリルルは胸を撫で下ろす。


「――リルルちゃん、長くは話せないから……簡単に話すわ。……ヴィザード一世は、『五英雄』の一人、ヴェルザラードの力を受け継ぎ、神の宝具をふたつ手に入れることで、強大すぎる力を手に入れている……あれ・・の爆発にも耐えたのでしょう、彼は……」

「……首が吹き飛んでも、再生していました。その上、鎧には傷もついていませんでした」

「……さすがはヴェルの鎧。天界から盗んできただけのことは、あるわね……あの術式爆弾でも、密着させないと破壊できなかったか……いいえ、密着させても無理だったかも……」

「ウィル、あなたたち、そんなバチ当たりなことを」

「五百年前のことよ。もう時効だわ」


 ウィルウィナの口元に、懐かしげな笑みが浮かんだ。


「自分を倒すには、生きながら心臓をえぐり出すしかない、そういっていました。ですが、あの鎧を前にしては、そんなことはできないでしょう」

「彼の野望を止めるためには、彼を倒すしかないのだろうけれど……」


 ウィルウィナの言葉に、リルルとメリリリアは沈黙した。

 しばらくの無言が、薄暗い部屋に沈着する。無力感に魂を侵食される。

 生きながら心臓をえぐり出す、そんな悠長なことをヴィザードが許してくれるはずはない。


「……でもね、希望がないことはないわ」

「え?」


 ウィルウィナが呟いた一言が聞き違いではないかと、リルルたちは聞き耳を立てた。


「王都で、ヴィザードが見せたあの映像、彼の剣が古竜神ワイブレーンの胸を貫いた様、リルルちゃん、あなたも見たでしょう。……古びた神とはいえ、鋼鉄そのものの体を易々やすやすと貫く剣が、こんな乳腺にゅうせんと脂肪の塊で、止められるわけないじゃない」


 包帯に巻かれたそれを呼吸の律動で上下させながら、ウィルウィナは言葉を繋ぎ続ける。額と頬に脂汗がにじみ始めているのに気が付いて、メリリリアがそれを布で拭った。


「ウィル、もういいわ。本当はかなり苦しいのでしょう。話はあとで――」

「ヴィザードに力を利用されている、ヴェル……ヴェルザラードが、私の胸を貫こうとした瞬間、自分の力を、一瞬……ほんの一瞬、断ち切ってくれたのよ……」


 ウィルウィナがうめいた。耐えがたい苦痛があるのか、わずかに身をよじる。


「……確かなことでは、ないわ。ただ、私がそう信じたいだけかも知れない……。でも、子孫に力を与えたヴェルの魂は、生きている……。私はそう思いたい……ヴェルが、自分の力を正しい方向に使ってほしいと思ってると、いうことを……私は、そう信じ……」

「ウィル!」

「お母様!」


 ウィルウィナが塊のような息を吐き出して気を失ったのと、なんの前触れもなく扉が開けられてフィルフィナが駆け込んできたのとは、同時だった。


「お母様、お母様、しっかり! しっかりしてください!」

「薬師! いや、回復術士を! たれか、誰かおらぬか!」


 入れ替わるようにメリリリアが部屋を飛び出していく。


「お母様っ!」

「フィル、大丈夫、ウィルウィナ様の息も脈もあるわ」


 フィルフィナが取り乱してくれている分冷静になれているリルルが、ウィルウィナの首筋に指を当てていう。


「無理をして話されるから、お疲れになられたのよ。……ウィルウィナ様、おどけていらっしゃるけれど、真面目な方なんだから」

「……見た目通りの、本当にいい加減な女王です。もう、こんな母親を持って娘のわたしがどれだけ恥ずかしい思いをしているか、本人にくどくどいって聞かせたいくらいですよ……」

「でもフィルはそんなお母様が心配で、扉の向こうで聞き耳を立てていたのでしょう?」

「…………また馬鹿なことを口にしたら首を絞めてやろうと思っていただけです」


 部屋に数人のエルフたちが駆け込んでくる足音の気配を耳にして、リルルとフィルフィナはどちらがいい出すまでもなく、狭い部屋から下がった。ほとんど同時に薬師と回復術士らしい四人のエルフたちが部屋に駆け込み、扉が閉められる。


「あとは彼等に任せましょう。私たちはいてもなんの力にもなれません」

「メリリリア様、わたしたちの力不足のために、大変なご迷惑をおかけし――」

「フィルちゃん、それは違うわ。天界の危機が止められなかったとはいえ、それを守護すべき我々がなんの手出しもできずに手をこまねいていた、という不名誉だけは避けられました……あなたたちの勇気ある行動に、こちらがお礼を述べさせていただきます」

おそれ多い、メリリリア様……」


 二人のエルフたちは互いに頭を下げ合った。リルルは少しの息苦しさを覚えながらそれを見守る。


「ウィルの体はしばらく動かせないでしょう。東の森の里の名誉にかけて、彼女の命を救ってみせます。それが不甲斐ない私たちにできる精一杯のこと。ですからフィルちゃん……フィルフィナ、心配しないで。西の森の方々にもよろしく……リロットさんも」

「もったいないお言葉です、女王陛下」

「それで、疲れているところ、こんなことを聞くのはとても気が引けるのですが、一つだけ質問をいいかしら。あなたたちがここを発つ時、聞きたいことがあるといったこと、それを覚えていますか?」

「あ……はい」


 リルルが記憶を巻き戻す。確かに『土の世界樹』に向かう前、最後にそんなことをいわれた。


「私はもうこの数百年、里の外の世界を知りません。そんな疎い私に教えてほしい。

 ――あなたたちは、『ティターニャ』という名前のエルフを知っていますか?」

「ティターニャ?」


 リルルとフィルフィナは、顔を見合わせた。


「もう四百年も前にこの里を去った、私の双子の妹です」

「双子の……妹君いもうとぎみがいらっしゃったのですか?」


 リルルとフィルフィナは、メリリリアの顔を思わずのぞき込んでしまった。双子、というならメリリリアと同じ顔をしているのだろう。しかし、見覚えは――。


「去った、というのは正しくない表現ですね…… 妹は追放されたのです。西の森とは違い、東の森では、王家における双子は凶兆とされている。そして、姉か妹か、ある程度の成長の末にどちらか一人を追放する……因習ではありますが、過去からの習いをくつがえすことは難しいのです……」


 リルルはまさしくその双子の姉妹である、クィルクィナとスィルスィナの姿を頭に描いていた。性格は正反対だがいつも二人で同じ場所にいるあの二人が、生まれる場所さえ違っていれば、掟に従い仲を裂かれることになっていたのか。


放逐ほうちくされた妹は音沙汰おとさたもなく、もう時が経ってしまいました。きっとどこかで生きているだろうとは思うのですが、私にはそれを調べるすべさえない。せめてどこかで息災そくさいにしていれば……生きるための援助くらいは、してやりたい……」

「――私、フィルやウィルウィナ様たち以外のエルフ自体、あんまり見たことないわ。フィル、あなたはどう?」

「――――――――」

「フィル?」


 フィルフィナはメリリリアの問いを受けながら、ずっと沈黙して考え込んでいた。記憶の層、固い鉱脈に細いツルハシを打ち立てるように。


「数十年ぶりにメリリリア様のお顔を拝見して、心に少しひらめくものがあったのですが……メリリリア様と同じお顔のエルフと、どこかで会っている気がするのです……。ですが、どうしても思い出せません。王都にも探せば五十人や百人の変わり者が紛れているでしょうし……」

「もしも思い出せた、どこかで会えたならば、姉のメリリリアがびていた、つぐないがしたいと伝えてほしいのです。この里に戻すことはできないが、せめて生活が立つようにはしてやりたい。私のことを恨んでいるでしょうが……」

「わかりました。かなったならば、必ず」

「頼みます」

「それでは、いったん失礼させていただきます。里に、母の無事を知らせたいと思いますので」

「ウィルの容態を知りたければ、いつでも足を運びなさい。便宜は計っておきましょう」

「恐れ入ります、メリリリア様――」


 リルルとフィルフィナは頭を下げ、西の森の宮殿に繋がっている転移鏡の間に足を向けた。


「――しかし、本当に会った気がするのですよ。言葉さえ交わした予感さえある……それも、何年前という話ではない……数ヶ月前くらいに……どうして思い出せないのでしょう、わたしはまだボケるには早いでしょうに……」

「そのうち思い出すわよ。ど忘れなんて、なにかの拍子に出てくるなんてしょっちゅうだもの」

「でしたらいいのですが……」


 リルルの慰めにも顔を晴れさせず、フィルフィナはじっと悩み続けていた。



   ◇   ◇   ◇



「お帰りなさいませ、国王陛下」


 まだ日が昇ったばかりの、早朝のエルカリナ城。

 無人のはず・・・・・の玉座の間に帰り着いたヴィザードを待っていたのは、冷たい調べと揶揄やゆする調子が混ざり合った女性の声だった。


「――帰っていたのか」

「あら、お言葉。向こうでの段取りは終わったので帰ってきたましたの。ここからはこっちの方がもう、寝る間もないほどに忙しくなるのでしょう? 国王陛下」

「寝る間くらいはある。昼寝はできないかも知れないが」


 ヴィザードは玉座に座り込む。球技ができるほどに広大な間は暖房もされていないが、今のヴィザードには暑さも寒さも関係ない。

 玉座に腰を下ろして息を吐いたヴィザードに、姿を見せない女の声だけがまとわりついていた。


「……向こうの作戦計画書は持ってきたのだろうな」

「どっさり。両手で抱えて崩してしまうくらい山積みに。それを今から読むことになるのでしょう?」


 背の高い玉座の背もたれを、細い指の手がつかむ。明らかに女の手、しかも、紫に近い深いあおをした肌の――。


「そうしなければな。お前にも手伝ってもらうぞ、ティターニャ・・・・・・

「よろこんで、私の国王陛下」


 ヴィザードの背後で、一人の女のエルフ――ダークエルフが暗い闇から顔を出していた。


「ここからの戦争ごっこ。とてもとても楽しみね。人間が私たちの手で踊って転げてのたうち回る様。想像するだけで心が躍るわ――」


 深い蒼の唇が笑う。陰惨いんさんささえうかがえる笑みを見せていながら、その顔立ちはまさしく、メリリリアと瓜二ふりふたつだった。

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