「いたずら令嬢の本領」

「うくっ!」


 反射的にリルルは身を縮め、両腕を胸の前で交差した。ヴィザードの指から光のすじとなって飛んだ五本の糸状の刃はその四本がリルルの前で開いた光の盾に弾かれたが、残りの一本が足元をくぐり抜けてリルルの右足首を浅く切り裂く。


「失礼。淑女の体に傷をつけてしまった。紳士として許されざる行いだな。申し訳ない」

「なにを……!」


 ヴィザードの指に糸が巻き戻る。リルルは前方を警戒すると同時に傷口を確かめた。ほんの皮一枚を切り裂かれただけなのか、血が靴下を広く濡らしているがそれほどの深さではないようだ。


「ウィルウィナ様をあんな目に遭わせておいて、よくも!」

「そのエルフの女王との繋がりがどういうものであるのかというのも、興味深いところだ。本当に面白い話が聞けそうだな」

「……私の正体を知ると、びっくりするわよ・・・・・・・・

「楽しみだ。たっぷりとお茶の時間を取らせてもらおう。お付き合い願えるかな」

「願い下げだわ!」


 右手首の黒い腕輪から飛び出したムチがリルルの左手に握られる。体を翻すように振るったムチは青く輝く稲妻となり、ヴィザードの胸目がけて宙を駆ける。ヴィザードは大剣を前面に掲げただけだった。剣の腹にムチの先端が激突し、軌道が反れてヴィザードの背中、遠くで佇立ちょりつしていた柱を切断した。


 大樹の太さを持つ石の柱が、鏡のような断面を露わにして斜めにずれ、崩れ落ちる。倒壊、という言葉が相応しいその崩れようが神殿を揺るがせた。


「それだけか」


 ムチが幅数メルトの石の柱を切断する、そんな様を目にしてもヴィザードの目は震えもしていない。


「他に芸はないのか」

「――まだあるわ!」


 手品を披露するようにリルルの手からレイピアとムチが消える、手と手が合わされる。印を結ぶように絡められた指と指が離れると、その間に光のひもが現れた。


「私、あやとりが結構得意なのよ。――日記に書いておいてくださいまし!」


 風を巻くようにして手と手が二度交錯する。光の紐が一瞬でちょうの線形を描き出し、リルルがそれに息を吹き込む。


「むっ」


 リルルが掲げる光の蝶が、少女の息によって生命を与えられたかのように飛び出す――シャボン玉を吹くように重なる数十、数百の光のそれはまさしく蝶そのものとなって羽ばたき、舞い、群がってヴィザードに殺到した。


「なかなか面白い手品だ」


 ヴィザードが大剣を風車の如く振り回す。風の波動に光の蝶はもろくも形を崩され、ほつれた糸が幾重にもヴィザードの体に降りかかった。


「――鬱陶うっとうしい……」


 わずかな電流を光の糸は放つが、常人がそれを受けても少ししびれるほどだ。体に絡んだ蜘蛛の糸くらいの感覚でヴィザードはそれを体から払った。


「私は手品師と対決しているつもりはないぞ」

「私も自分が手品師のつもりはないわ!」


 光の紐を捨てたリルルが、今度は両手に二つずつ、計四つの筒を握り持つ。ヴィザードがそう視認した時は、それは弧を描く軌道でヴィザードに投げつけられた。


「また闇を噴き出す筒か!」


 ヴィザードが大剣を振るい、頭上でその筒を打つ。こんなものは、遠くに弾いてしまうに限――


「むぅっ!?」


 筒が剣に触れ――いや、触れる直前に、それは砕け散った。

 砕けて広がった破片がヴィザードの視界の中できらきらと美しく輝く。そして、筒の中に封じ込まれていた液体が溢れて零れ――


「薄いガラス!? うっ!」


 頭上で広がったそれをヴィザードはそれを頭から被った。不快極まるほどに粘る感触が肌にまとわりつき、鼻を突く異臭が立ちこめる。


「油だと!?」


 二つ目、三つ目、四つ目の筒がヴィザードの足元で砕け、飛び散った液体と電流を帯びた糸の欠片かけらが触れ合って、引火・・した。

 神殿の一角を炎が走る。音を巻いて広がる荒ぶる様を、リルルとヴィザードの両者が聞いていた。


「うおおっ!?」


 ヴィザードの体を芯にしたかのような真っ青な炎が立ち上る。身の丈の数倍もの高さにその炎の先端は届き、発せられる高熱の余波は距離を空けているはずのリルルのところまで届いた。

 小さなアパートメントであれば一棟をまるまる包み込む炎を前にしてリルルがたじろぐ――熱い!!


「……こんなに燃えるなんて聞いてないわ! フィルったら、こんな危ないモノを私に持たせて――」

「……はははは!」


 炎の向こうから、声がした。しかもそれが笑っていることに、リルルの喉が塞がった。


「――少し驚いた! 知恵はそこそこ回るようだ!」

「なっ…………!」


 炎の中で・・・・、ヴィザードが語りかけてくる――今、もの凄い炎の中心にあって、体をかれているにも関わらず!

 リルルが近くにも寄れないこの高熱の中で、ヴィザードは生きているのだ。


「残念だが、これくらいの熱量では、私を焼き殺すことはできない」

「ええ……!?」


 腕で顔をかばって後ずさるリルルの全身が冷や汗を噴く――熱さだけではない、目の前で起こっている、この信じられない状況に本能が恐怖していた。

 荒れ狂う蒼い炎がまるで心地好いそよ風でもあるかのように、ヴィザードは泰然たいぜんとして語りかける。


「炎が肉体を損傷するよりも、肉体を再生する力の方が早いのだ。こうして実演しているわけだが」

「な……なんとも感じないの!? あなたの体は!」

「いや、熱い。痛覚が働いていないわけではない。実際に体を焼かれる痛みはあるよ。再生にも痛みを伴うから二重に痛い」


 口調と内容が全く重ならない言葉に、リルルは心底恐怖した。まさか、これほどとは――。


「ただ、フローレシアお嬢さんの前で情けない悲鳴を上げるわけにはいかないのでな。せ我慢と思ってくれ。ははは」

「うう……!?」


 青い炎の向こうに人影だけが見える。火葬場においてはものの数分で死体を骨だけにしてしまうだろう勢い、その数倍の規模であろう燃焼の中で、その人の形をした影は両腕を開いて見せた。


「リロット。私は神の器をふたつ継いだのだ。天界と魔界、それぞれを治めていた神は滅んだ。その意味では私こそまさしく神の座に相応しい。その神に逆らう愚かさを知れ」

「神、ですって……」


 リルルは声に熱を込められなかった。不遜ふそんもいいところのはずのセリフに、説得力しか覚えなかった。


「無駄ないたずらはやめて、私の前にひざまずけ。そうすれば、少しは生き延びられる」

「……いたずら……」

「私は忙しい。楽しいことこの上ないが、いつまでも遊んでもいられない。もうそろそろいいかな? 死にはしないが痛いことは痛いので、これでお開きにしたいのだが」

「いたずら、ね……」


 リルルは、うつむいた。

 うつむいた下で笑った・・・その唇の形は、ヴィザードであっても見えなかった。


「――なら、私もいたずら娘の本領を見せてあげるわ。そろそろいい頃合い・・・・・だし」

「まだ無駄なことを……いい加減に手を焼かせるな」

「さんざん親やメイドを手こずらせた、年季の入ったいたずらを食らいなさい!」


 右手に持ったムチをリルルが振るう。炎が燃え尽きるのを待つヴィザードは微動だにしない。そんなムチが眉間を直撃してもさほどの問題はなかったからだ。


「これが終わったらお仕置きだな。まずはそのお尻を叩かせてもらおうか――ん!?」


 ヴィザードが、言葉を断ち切った。いや、断ち切られたのだ。

 自分を包み込む青い炎の内側からでも、それは見えてしまった。リルルが弾くように放ったムチの先が自分を狙わず、明後日・・・の方向に飛んだことを。


 そしてそれが、飛んでもないものを絡め取ったことを。


「――ふぅっ!」


 リルルの腕ががれた。ムチの先端でつかんだものを、ヴィザードの足元に滑らせる。


「――――」


 ヴィザードの目の前に、黒光りする鋼鉄製のものが流れて来た。

 ウィルウィナの背中からヴィザードの体にまとわりつき、それを絶対零度の凍気で凍結させた、蜘蛛クモの形を取った術式爆弾だ。


 その術式爆弾の内部から、自分が止めていたはずの刻み・・が作動しているのを耳に捉えて、炎に巻かれているはずのヴィザードの心が、冷えた・・・


「うお――」


 床の一面で燃えるこの炎が全ての機構を停止させていた凍結を解かし、稼働を再開させたのだという理解がヴィザードの頭の中でされたのと同時に、それは作動した。


 紫に輝く線で描かれる、直径五メルトを超える円形の魔法陣が一瞬にして出現した。数学者たちが数十人で一日をかけて描き込んだ複雑な幾何学きかがく模様と象形文字の複合体。次には、その複雑さに相応しいだけの威力を発揮した。


 リルルが全力で目の前に光の盾を張ったのと、この世の全てを吹き飛ばすかのような爆発が起こったのとは、同時だった。


「――――――――」


 五感ではさばききれないほどの光と炎と音が同時に閃き、世界の崩壊と誕生を一度に完遂させるのかと思わせるほどの現象の狂乱が、天界の一角を揺るがした。

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