「ティコの戦い」

 ティコは、箪笥タンスの中で膝を抱え震えていた。怖くて怖くて怖くて、本当に怖くて震えていた。


 戦うために庭に出たダージェとニコル、二人をまとめて葬るために乱入してきた謎の男たち。その襲撃から二人を守るため、目覚めたリルルは薄桃色の剣士に変身してバルコニーから出ていった。


 ティコは芋虫のようになんとか窓際に這いずり寄り、見た。

 リルルが光のムチを振るって暗殺者たちを薙ぎ倒し、さらに駆けつけて来た二人の仲間と共に残りの暗殺者たちを制圧したところを。


 これ以上はこの屋敷にいられないと判断したのか、リルルたちとダージェは協力し合うように一緒になり、どこかに去って行った。聞こえてきた話の内容からすると、この屋敷に設置してあった秘密の魔法陣からどこかに脱出したようだ。


 ニコルとダージェは和解したらしいことがティコには嬉しかった。どちらにも傷ついて欲しくなかったし、憎み合う関係にもなってほしくなかったこともある。


「ダージェ様……ニコル様……仲良くなったのかな……。ダージェ様だって、意地悪な時も多いけど、優しくしてくれる時もある……。ニコル様はもう、見たまんまの、優しそうな人だったし……。これで、よかったんだ……リルル様も自由になれたんだ……これで……」


 微笑むリルルの顔を胸に想い描いて、ティコは嬉しさと悲しさの相反する感情に胸を焦がした。

 が、ティコにとっての本当の恐怖は、ここからだった。

 階下から伝わってきた、尾てい骨から背骨までを震わせるような凄まじい悲鳴がその始まりだった。


「ひぃぃっ!?」


 人の命が搾り取られるのに似た苦悶の叫びが床を貫くほどの音量で響いて来て、その音に体を串刺しにされるような怯えを抱えてティコは部屋の隅の両開きの箪笥に飛び込んだ。扉を止めて暗闇の中で耳を塞ぐが、今度は女たちの悲鳴が床の下から聞こえてくる。


 その声のひとつひとつが、ティコには聞き覚えがあった。


「これは……この声は……!?」


 それが、この屋敷で働いている若いメイドたちの声だというのはすぐにわかった。物語でいう断末魔の声というのはこうなのか、という見本が屋敷を揺るがし、泣き叫ぶ甲高い声がひとつ飛ぶ度に、心臓に氷嚢ひょうのうを当てられたようにティコの体温を確実に下げ、体を内側から凄まじい悪寒でくすぐった。


 家具が砕かれる音、陶磁器が割れる音、大勢が廊下や階段を踏み鳴らす音に続いて、今度は男たちの怒声が聞こえてくる――知らない声、声、声、声だ。

 ティコができたことといえば、泣き叫びたいのを唇を噛むことで必死にこらえるだけだった。


「ぃ、ぃぃぃ、ひぃ、ひぃぃ…………!!」


 惨殺の嵐と化した悲鳴の列は四十ほど聞こえた後に、ぱったりと途絶えた。

 しかし、それがさらにティコの恐怖を増加させる。悲鳴が途絶えたということは虐殺が終了したということであり、今屋敷で足音を立てているのはおそらく、その虐殺者たちになのだろう。


 メイドたちが虐殺されたということは、ダージェの近習である自分も殺される。

 そこまで考え、箪笥の中でかけられていた服の袖を噛み千切らんばかりに噛んでティコが声を押し殺している中、いちばん近い扉が蹴破られる音が響いた。


「びぃっ!」


 反射的に肩が跳ね、足の爪先が箪笥の扉を蹴った。ギィ、と蝶番ちょうつがいが錆びたきしみを上げたのが、ティコの不運だった。

 ティコの耳にも聞き慣れた、甲冑かっちゅうがこすれる音が近づいてくる。息を止めても無駄だった。


 無情にも箪笥の扉は外から開けられ、ティコが見たこともない意匠デザインした甲冑姿の兵士――肌の色からして、明らかに人間――が二人立ちはだかり、静かに剣を箪笥の中に突き入れてその切っ先でティコの頬を叩いた。


「外に出ろ。いうとおりにしなければ、ここで殺す」



   ◇   ◇   ◇



 早朝にダージェの屋敷を急襲したヴィザード一世は、焦っていた。

 状況が予測とは全く違う形になっていたからだ。


「屋敷内をくまなく探しておりますが、ダージェらしき者の姿も死体もまだ発見されません」

「リルル様の所在もまだ不明であります。それらしき少女の姿もありません」

「陛下、申し訳ありません。捕らえたメイドたちから情報を得ようとしましたが、三人ばかりを見せしめにいたしましたところ、残りの全員が隠し持っていた毒で、服毒自殺を……」

「情報は取れずじまいか」


 大ホールから階段を上がった二階のホールで、ヴィザードは屋敷の内部を捜索する配下の報告に、無意識のうちに指の腹で顎髭あごひげを撫でていた。


「生き残ってるものはいないのか」

「……この屋敷の警護兵と、親衛隊らしき兵士は全てトドメを差してしまいました。生きている者は一人として……」

「早まったな……制圧を急いだばかりに……。一人くらい生かしておくべきだったか」

「申し訳ありません」

「メイドたちが全員自殺するというのは、予想しがたいことだ。すんだことを悔いても仕方がない。それより、ダージェの姿も見つからないというのはどういうことだ。逃亡したのか……リルルを連れてか……?」


 確かに、背中から翼を生やすことで飛行できるダージェなら、高空を飛ぶこの『浮遊砦』からの脱出は可能だ。リルル一人を連れて空を飛べることは実証されている。


「親衛隊が暗殺者まがいの格好をしているのは、身元を隠してダージェを暗殺で排除するためか……。なかなかややこしい頃合いで来てしまったようだ。しかし……」

「陛下!」


 廊下の奥から声が飛んだ。嬉しさをうかがわせる弾みがあった。


「子供を一人捕まえました!」



   ◇   ◇   ◇



 ほんの三十分前までは、リルルに抱かれて幸せな気持ちで眠っていたはずの部屋でティコは、二本の剣を肩に押し当てられて座らされ、涙を流しながら恐怖に震えていた。

 十数人の重い早足の足音が廊下に響き、暗い部屋の中に屈強な男たちが雪崩れ込んできた。


「ひぃっ」


 殺される、という絶望に震えるしかないティコは、自分の前に立ち塞がった男の気配に、涙と鼻汁でぐしゃぐしゃになっている顔を上げた。内に猛々しさを感じさせながらも、それを理性で包んだ精悍せいかんな壮年の人間の男がそこにいた。


「陛下、この子供です」

「ダージェの近習だな。――子供。この屋敷でなにが起こったか、知っているだろう」

「え、ええ、え……?」

「人間が一人、ここに連れ込まれたはずだ。知っているな?」


 無様な息の音を喉から発し、こめかみを引きつらせてティコは怯えた。その反応をヴィザードは見逃さなかった。


「知っている、というていだな、それは」

「し……知りません、ボクは、人間の女の人のことなんて……」

「私は女とはいってない」

「――――」


 ティコは、目の前にある光景の全てが、明るさと色を失ったような錯覚を覚えていた。


「誤魔化すな。質問に素直に答えれば、命だけは助けてやる。――ダージェは何故いない。そして人間の少女、リルルはどうした。この屋敷でなにがあったのだ。いえ」

「あぅ……あ、ああ、ぁ……」

「――――ふん」


 意味を成さない声を上げるだけのティコが、開けている口の中で舌が無様にもつれさせているのを見て、ヴィザードは微かに顔を歪めた。


「陛下、こんな子供くらい私たちがどうとでも吐かせます。我々にお任せを――」

「いや、お前たちを信じていないわけではないが、この子供からは確実に情報を取っておきたい。……こいつを使うか」


 ヴィザードは懐から一枚の金色に輝く細い布を取り出した。腕の長さより少し長いくらいのそれの端を両手で持ち、伸ばす。


「一度使えば無くなってしまうものだからな。無駄遣いは避けたかったが、リルルの居場所の手がかりは必ずつかまねばならん。計画に支障が来される。――さて」


 ティコの前で膝を着き、その金色の布をティコの頭に軽く巻き付けた。その意味がわからず、しゃくり上げながらティコは頭に巻き付いた布の感触を髪の上から感じる。


「では、もう一度聞くぞ。リルルはどうした」

「ボ……ボクは、知りません。リルル様がどうしたなんて、知らな――――ァァァァッっッ!?」


 意識に亀裂が走るような痛みが、少年の五感の全てに深い穿孔せんこうをえぐらせていた。

 頭に巻かれている布から、万力で絞め上げてくるのと等しい激痛が頭蓋骨に千本の針を食い込ませるかと思わせるほどに加えられる。頭痛、などというものを遙かに超えた苦痛に、ティコは自分の目玉が飛び出したと本気で信じた。


「――子供、よく考えて答えた方がいいぞ。その布に頭を巻かれたものは、質問に対して正直に答えなければ、とてつもない痛みを加えられる。最初のうちは痛いだけですむかも知れんが、その痛みは質問を繰り返す度に増していき、やがては発狂死するほどに至る……試してみるか」


 ティコの喉が鳴った。空気を吸おうとしても吸えなかった。


「リルルはどうした」

「知らな――知らな――あぅああ、ああアアあああああアアああア!!」


 ヴィザードが口にした表現を遙かに超える痛みに、少年の口から舌が飛び出る。脳の一点に落雷が墜ちたといわれれば信じられるほどの苦痛――それ以上の感覚、頭の中を無数のハチによって無限に刺され続けられる、刺激、猛撃、刺痛――。


「痛い、痛い、痛い痛い痛い痛いィィ!! 止めて、止めて、止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めてェ止めてェェェェ!! 痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛いィィィィ!! 今すぐ、すぐ、すぐすぐすぐ、すぐにやめてぇぇェェェ!!」

「すぐにやむぞ。お前が知っていることを話せば、すぐにやむ。試してみるがいい。痛みはたちどころに消える。――意地を張り続ければ痛みは際限なく増して、本当に狂い死ぬぞ。それでもいいのか。死にたくないだろう――話せ」


 ヴィザードの言葉に嘘はなかった。痛みは限界を知らないように高まり続ける。顔が裂けて割れるほどにその全部を歪めるティコの口から出るのがもう、悲鳴を通り越して音ではなくなっている。


「この黄金の布の拷問にあって、口を割らなかった者を見たことがない。どんな屈強な者でも、どんなに意志の固い者でも最後には洗いざらいを吐いた。子供のお前が耐えられなくて、何の恥になるのか。耐えても無駄な苦痛があるだけだ。さあ、話せ。話すのだ――リルルは、どこにいる!!」

「――――――――!!」


 それでも、ティコの苦痛は続いた。続くのが当然の選択をしたから、続くのだ。

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