「魔界の中枢にての、謀議」

 重装の甲冑かっちゅうをまとった二人の騎士を護衛として引き連れ、コルネリアは一国の正式な使者としての体裁を整えた服装で、巨大な卵を縦に割ったかのような形をした魔界の王宮の大広間に乗り込んでいた。


「く――――」


 エルカリナ城の玉座の間に迫る広さの空間だ。窓や明かり取りのたぐいは一切なく、蛍光石けいこうせきだと思われる、自ら光を発する材質の石で天井や壁、床の全面が形成されている。しかしコルネリアが馴染なじんでいる蛍光石と決定的に違うのは、それがうっすらとともしている光が、薄い血の色だということだ。


 たった三人で中央に立たされる地上からの使者を遠巻きに包囲するかのように、軍人らしい軍服姿や文官と思われる制服、甲冑を身につけた兵士たちが合わせて二百人が立ち並ぶ。

 その数を正確に数えようとして、コルネリアはやめた。一斉におそいかかられれば、命はない規模に違いはなかった。


 エルカリナ城から魔界皇子まかいのおうじ自ら、王妃候補のリルルを白昼堂々はくちゅうどうどう拉致らちするという蛮行ばんこう。それに対して抗議におもむいた使者に無言の圧力を加える魔界側。

 双方が言葉もなく真っ向から対峙たいじする中、空気が泥水に変わったような重苦しさがこの場に充満していた。


 謁見えっけんの間の奥、最上位の存在が座すると思われる場所は、矢でも貫けなさそうな重々しい緞帳どんちょうさえぎられ、その向こうが不在なのかどうかもわからない。

 ただ、この場に魔界においての責任者に位置する者がいない、というのはコルネリアにもわかっていた。


 この間に通されてから、十五分は経過しようとしていた。暗い紅に染まる部屋の色調と、咳払せきばらいのひとつもない息詰まる沈黙ちんもくが、待たされる立場の心臓をめ上げてくるころだった。


「――いや、わりい悪い、待たせた待たせた」


 せかかっていたコルネリアの顔が上がる。ズレかけていたメガネを押し上げて元の位置に戻した。

 真正面を見ると、見知った顔が奥に繋がる右の通路から出てくるのが見えた。


「よう、コルネリア。何時間かぶりか? わざわざ魔界にようこそ、歓迎かんげいするぜ」

「……ダージェ王子殿下におかれましては、ご機嫌うるわしいと!」


 地上ならいざ知らず、敵地の真ん中の真ん中ではへりくだるしかない。こちらのその反応も計算に入れているようなふざけた態度に、き上がった怒りをこらえてコルネリアは唇をんだ。


「ああもうそれはそれは、麗しいの一言だぜ。なんせ今日は俺の嫁になる女を迎え入れた日だからな。こんな不躾ぶしつけな訪問がなきゃ、今頃リルルとむつみ合ってるところだが、ま、同盟相手だ。無下むげにすることもできないしな、はははは!」

「お客人を前にして、なにをはしたないことを。ダージェ、口をつつしむことよ」

「…………!!」


 コルネリアの目が、左奥の通路に向けられた。


「またダージェがやんちゃをしてしまったようで。姉から謝罪させていただきますわ。この子の暴れっぷりはもう、私としても手がつけられなくてね。困っているところですのよ」


 闇の色をした重々しいドレス、よくもそのすそまないものだと思うほどの、床を完全に掃くようにして後ろに長く広がるスカートが見る者の意識を引きつける。その闇色に、腰のあたりにまで伸びたまさしく火炎の色をした真っ赤な髪が網膜もうまくに焼き付くようだ。


「モーファ……レット妃殿下も、ここにおいでに……」

「貧乏ひまなしというところですが、同盟相手の使者に来られては無礼ぶれいもできませんわ。いそがしい身ですが、お顔を見に参りました。まあ、陛下の名代みょうだいと思っていただければ結構」


 人を嘲笑あざわらう表情が素顔に定着してしまったかのような、美しいが親しみをかせない顔立ち。美少女と美女の中間にあって年齢を迷わせる顔が、その真っ赤な目や紅色の唇の端に妖艶さをかもし出している。ダージェよりもやや背は高い。高熱の青白い色をしたおうぎが胸の前でゆるやかにあおがれていた。


「誰が親父の名代なんだ。王位の継承けいしょうは男がするってことになってんだろ。引っ込んでろよモーファ」

「モーファレット姉上、とかせめてモーファ姉さん、とかいいなさいな。それに名代というのは、陛下から実際にうけたまわったこと。コルネリア殿、魔界にわざわざお越しになられた用件を私がうかがいますわ」

「――では、単刀直入に申し上げる」


 やはりここに『魔王』は臨席りんせきしないのか――できればじかうったえたいと思っていたコルネリアは、内心の落胆をおくびにも出さず、言葉を続けた。


「つい先ほど、我が国王の王妃候補であるリルル嬢の身柄がダージェ王子殿下自らの手によって拉致され、この魔界に連れてこられたのです。我が王国としては、このような行いを決して容認できない。正式な発表はまだではあるが、リルル嬢は実質的に我が国王、ヴィザード一世の婚約者である!!」


 書簡しょかんを読み上げることもなく、コルネリアは朗々といい放った。レンズの奥の瞳が、ぎ上げられたばかりの刃が帯びる剣呑けんのんな光を放っていた。


即刻そっこく、そのお身柄を返還へんかんしていただきたい!!」

「ご用件は承りましたわ。しかし、そうはおっしゃられてもね」


 モーファレットの形のいいまゆゆがめられる。


「ダージェはかなり独断専行で動くたちではありますけれど、今回は我が王の意向で動きましたのよ」

「……魔界の意志によるものだというか!」

「これがどういう意図にもとづいて行われたことか、さっしはつきましょう。予定では秋に入る前の侵攻計画がびに延び、季節は冬のまっただ中。魔界の食料備蓄も底をきつつあり、もう半月もすれば、それはそれは苦しい最終決断を下さなければならない時期になりますのよ」

「……最終決断、とは?」

「白々しい。あなたもおわかりでしょう。すで兵糧ひょうろうとぼしくなっている我々が地上を収奪しゅうだつする際、最も手近な相手を標的にする、ということてすのよ。なんせ、魔法陣を合わせて隣にいるような国がひとつ、ありますものねぇ?」

「……我がエルカリナ王国に侵攻しようと……!」

「最悪の場合ですわ、最悪の」


 扇を振ってモーファレットは顔の半分を隠す。燃え盛る溶岩を煮詰めて純粋な結晶を取り出したような紅い目が、炎の色を帯びていた。


「今の魔法陣の大きさではそれほど数は送れないですものね。こちらのゴーレムなら二百体は送れるかしら? それで王都にどれだけの被害が出るかは、まあ、ちっぽけなものでしょう」

「――――」


 謙遜けんそんするように笑うモーファレットの言葉を、コルネリアは頭の中で再現して見せた。王都の外郭がいかく、防備の薄い一点をねらって殺到さっとうするゴーレムの群れ。矢や銃弾を易々やすやすと弾き、その腕力で城壁を確実に破壊し、大口径だいこうけいの大砲の直射でなければ倒せない怪物。


 攻城戦においての切り札だろうが、それを完全にはばめる確証がコルネリアにはない。王都の防衛部隊の軍人に聞いても同じことだろう。


 もちろん殲滅せんめつが不可能なわけではない。だが、そんな物が地から湧いて生活の場を襲撃したとなれば、王都に住む民たちがどれほど混乱することか。その一点が心底から恐ろしかった。


「――手口が乱暴らんぼうだったのは、謝罪しますわ。しかし、もう我々がそんなことを口にするまでに追い詰められているということはご理解いただきたいの。リルル嬢の身柄はこちらでしばらくお預かりさせていただきます。ええ、もうそれは丁重ていちょうに丁重におもてなしをさせていただきますが」

「……いうまでもないことかも知れないが、リルル嬢は我が国王にお輿入こしいれなさる前の大事なお身体からだである! 傷つけること一切かなわぬとの我が国王の言葉を受けている! 万一そのようなことあった場合は、我が王国から魔界に攻め込むことも可能性のひとつとして考えておいてもらいたい!」


 モーファレットとコルネリアの視線が、絡み合って火花を散らした。それを退屈たいくつそうにダージェが耳を小指でほじりながら見、謁見の間の周囲を取り囲む二百人のしんたちが、私語のひとつもなく聞いていた。

 地の底から足の裏を揺らす低く重い『声』が響いて来たのは、そんな時だった。


「――使者よ」

「っ」


 この世界に存在する弦楽器、その最も重い弦を響かせればこうなろうというほどの、空気の分子の一つ一つをも激震させる『声』。謁見の間を囲んでいる壁、天井、床の全てが激しく震えて震動の音を立てる。コルネリアの鼓膜を打ち鳴らし、さらにその裏側で音が増幅ぞうふくしているようだった。


 コルネリアの目が緊張きんちょう強張こわばり、額とこめかみにドッと汗が浮く。聞いたことのない声ではあったが、そんな声を出せる存在がどのような位置づけにあるのかということは、本能で察しがついた。


「ワ……ワイブレーン……陛下……」


 真っ赤な緞帳は上がっていない。いや、そもそも緞帳の向こうに声の主はおろか、玉座に相当するものもない。

 魔界の主はまさしく、この足元にいる――。


「……口上こうじょうも、問答も、それくらいでいいであろう」


 今まで沈黙をつらぬいていた魔界の臣たちがわずかにざわめいている。この『声』が聞こえてくるのは、滅多めったにないことなのか。


「我が長女が申した通りである。ほろび行く魔界には、時間がない。そして、このまま滅びを受け入れることもできぬ」


 感情のない『声』――いや、『音』というのが正確なところかも知れない。が、コルネリアの汗腺かんせんを全て開かせ、脂汗あぶらあせ湧出ゆうしゅつさせるだけの力があった。


 膝の震えが起き出し、気力を奮い起こして唇を噛むようにこらえようとしても、それを止められない。気の弱い者であれば泣き出すどころか発狂にまで至っただろう。

 リルルをさらった魔界の罪を糾弾きゅうだんしてやろうという、つい一分前まで体を熱くさせていた意志のたかぶぶりは、もはや冷めた湯のように冷え切っていた。


「そなたの国王に伝えられたい。なんの意図をもって計画を遅らせているのかはもはや問うまい。さきの約束を履行りこうせよ。それまでリルル嬢は、人質として預からせていただく。誠意を見せてもらえれば、魔界も定められた約束を果たそう」

「う……う、う、承った…………」


 今、自分は伝説の魔王と話している――その認識がはねけがたい重圧となる中で、コルネリアは必死に口をこじ開けるようにし、それだけを音にすることができた。それ以上は無理だった。

 演奏が終わるように重い低音の気配が引いていく。声の主の気配が去ったのを、コルネリアはようやく知った。


「へっ、親父の声にビビり上がるとか、可愛いところあるじゃねぇか、コルネリアちゃん」

「ダージェ、あなたはだまっているのよ。コルネリア殿、魔界をここまで待機させた分のつぐないはしていただきたいわ。私たちは兵糧に使うはずだった分の食料も食い尽くしつつあるのよ。食料の大規模な供与きょうよをお願いしたいわね。ええ、それはもうたくさんたくさん、たくさん――兵糧がなければ、侵攻もできない」

「……わかった。それについてはこちらにも用意がある。明日にも搬入はんにゅうをさせよう……」

「まあ、物分かりのおよろしいこと」


 モーファレットが扇で隠していた口元を見せた。明らかな笑みがあった。


「それと、具体的な計画始動の日時を取り決めたいわね。もう延期も見送りもなし。できれば、ヴィザード一世陛下のご出席をたまわりたいわ。今日中にお返事をいただきたい――約束できて?」

「……了解した。日が暮れるまでには、国王の意向を伝える」

「よかった。話し合えばわかり合えるものね。さて、使者殿はお忙しい身。お帰りをお見送りして」

「無用だ。……それでは、失礼する」


 コルネリアとその護衛たちはきっかり百八十度の回れ右をすると、足音を余計に響かせながら出ていった。

 謁見の間の周囲を固めていた臣たちも自動的に解散し、広い空間に二人の王族の姿しかいなくなる。


「やっと本腰を上げるか、連中め。あいつら本当に腹の内が見通せねぇ。この魔界に魅力は感じてないだろうが、握手する時も何か隠し持ってないかに注意する必要があるよな。――モーファ、地上の半分を占領したら、エルカリナ王国もつぶす算段でいるんだろ?」

「可能ならね」

「こちらは王都の首根っこを押さえてるも同じなんだ。すきを見て背中をぶすっと刺しちまえばいいさ。ああはいったが、リルルは好きにさせてもらうぜ。俺の嫁にするつもりでいるんだ。いいだろ」

「いいわけないでしょう。事態がどう転ぶかわからないのだから、自重じちょうしなさいな。だいたい、魔族のおさるいする者が人間の娘を嫁にするなど、軽率けいそつもいいところよ」

「俺の嫁は俺が決める。これに指図を受けてたまるか――んじゃ、俺は早速リルルを口説くどかなきゃならんからな。後の面倒なことは頼むぜ、姉貴・・


 ダージェは口元をめくり上げるようにして笑うと、元来た通路に消えた。

 モーファレットがはああ、とため息をらす。その息がわずかに炎の色をまとった。


「父上、どう思われますの。あの出来そこないについて」

「……我が座を継がせるわけには、いかんな。思慮浅しりょあさく、直情ちょくじょうが過ぎる。モーファレット、そなたが我が座を継ぐに相応ふさわしい……」

「息子がいるのに女の魔王が誕生する。しきたりに反することですわ。周囲が納得致しましょうや?」

「その息子がいなくなれば、納得するしかないであろうな」

「――――」


 モーファレットがわずかに目をつむった。心の中で何かを切り離すために必要な動作だった。


「……魔界存亡の危機だ。息子が可愛くないわけではないが、あやつのわがままで魔界を滅ぼすわけにはいかん。モーファレット、準備をしておけ。なるべく使いたくはないが……必要となれば、致し方ない……」

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