「滅びの途上」
ニコルとロシュの作戦は、早々につまずいていた。
リルルに持たせたロケットが放つ特殊な香りをたどって場所を特定し、ニコルとロシュが乗り込む――そういうてはずだった。
が。
「ここで残り香が
「えっ!?」
まるで
大通り――だと思われる、幅の広い道。だが地面は砂と土だけで、
加えて、寒い。身に染みるほど寒い。
「この付近で、空に向かって飛んだようです」
「空? このあたりで?」
ニコルは周辺を見渡した。低空であれば残り香の
「空になにかあるから、まっすぐ上昇した……。しかし、なにがあるんだろうか……」
ロシュの視線を目で追っても、夜明け前の明るさしかない空しか映らなかった。
「上空に気流の流れが観測できます。
「……ダージェは
そもそもこの街はどんな街なのか。高い建物は一切見えず、城壁さえ確認できない。が、遠くから一望した限りは広さだけは王都に
「この街が魔界の首都……あり得なさそうで、案外そうかも知れない。聞き込めば手がかりもつかめるかな……」
「聞き込みはロシュがします」
当面の目的を得てニコルとロシュは市街を歩いた。幅がある通りにも関わらず往来は
「人も少なければ、物を運んでいる様子もない……街が死んでいるようだ……」
通りに面して商店らしい建物も建ち並んではいるが、そのほとんどが
そんな者たちの誰に話しかけていいのかとニコルは迷い続け、何十人かとすれ違い続けた。雨と風に色を奪われたような灰色の民家の軒先、家屋に通じる扉の内側で椅子に座っている老人に声をかけようとすることができたのは、このまま
「すみません、少しよろしいでしょうか」
「……なんだね?」
のっそり、という
「私、旅芸人なんです。ダージェ様に芸を
ロシュはニコルの唇の動きを完璧に読み取り、指示通りの質問をした。
「……あんた、そんなことも知らんのか。ダージェ様は『
乾ききった声が
「浮遊砦……?」
「魔界の高空に浮かぶ、空飛ぶ島だ。その小さな島の上に屋敷が建っている。同じ進路を飽きずにぐるぐると同じ調子で回る島でな……昔は
やはりここは首都だったのか。そして空を飛ぶ島、という不可思議の言葉がニコルの胸を
「それはまた、この上を通過するのですか?」
「七日にいっぺん、同じ時間に通過する。時報代わりのようなものだ」
「それは地上に降りたりはしないのですか」
「ないな」
「では、人の行き来や物の運び込みなどはどうしているのですか?」
「魔法の鏡で王宮と繋がっているそうだ。見たことはないがな。島は魔界中を飛び回るが、王宮の離れと変わらんということだ。用があるのなら王宮に出向けばいい。しかし、あんた
「っ!」
ニコルの背筋に冷たく鋭い物が走る。反射的に
「あんたら、魔族じゃないだろう」
「……何故そう思われるんですか?」
普段は感情を表すことが
「もう魔族の若いので、そんな
「……いつから気が付いていたんですか」
観念したニコルは歩を進め、死角から身を乗り出した。骨に乾いた
「この娘から誰かに
「……ニコルお兄様」
「ロシュ、気にしないでいい。このご老人は、僕たちを
「……面白い男だな。のぞいて見えるその肌、地上の人間か。……もてなしはないが、それでもいいのなら上がっていけ」
「……お邪魔します」
◇ ◇ ◇
そこは、人一人がギリギリ寝起きし生活をすることしか考えられていない、本当に
大人がひとり横になれば、寝返りを打つのも難しいほどに小さな寝台がひとつ置かれている。小さなテーブルがひとつ。少ない食器や細々なものを収納しているらしい戸棚を入れれば、他に大した家具はなかった。
わずかな明かりを取るための窓が小さく開けられている以外は照明も灯されず、まるで少しだけ戸を開けた便所のような暗さだった。そんな暗がりの中で老人は、たった一つの椅子を占有した。
「他の椅子はない。その寝台には座ってくれるな。二人も座れば脚が折れそうだ。……招かれざる客だ。立たされていても文句はなかろう……若いの、フードを取れ」
「……はい」
ニコルはいわれるがままにフードを脱いだ。明かり取りから
「……よく気が付かれましたね?」
「年寄りと思って見くびったお前の失態だ。以後、気をつけるのだな」
「……恐れ入ります」
「魔界になにをしに来た。何故ダージェ様の
ニコルは正直に今までの事情を話した。自分の身分まで何一つ隠すことはなかった。
「……ふん、ダージェ様に恋人を奪われてそれを取り返しに来た、というわけか。ご苦労なことだ」
「まだ質問したいことがあるのですが」
「かまわんよ、いくらでも質問していい。
「どうして僕たちを通報しないのですか?」
老人の目が、暗い紫の肌の中で鋭く細められた。
「僕たちに適当なことを話し、僕たちが立ち去ったあとで通報するという手段が取れたはずです」
「お前たちが、ダージェ様の首を取りに行くのかと思ってな」
「な……!」
ニコルは
「……あなたは、僕たちがダージェを殺そうとするのを見逃すつもりだったのですか……!?」
「若いの、知っておるか。魔界は、近いうちに地上に戦争を仕掛けるつもりなのだ」
「っ!?」
「……正式な
そんな世の動きの中でも足手まといにしかならない、と判断された老人は、
「若者だけでなく、戦えそうな若くない者や、中には女も訓練に駆り出されている。豊かな地上に出、戦って
「この都市の規模で……こんな
大岩を投げ込まれた泉のようにニコルの心はかき乱された。魔界の大軍団が王都エルカリナを
「近かろう、ということしかいえん。奪わなければ魔界全体が飢え死にするだけだ。もうこの冬を越す体力がないというのは、みなが
「……あなたは、戦争には反対なのですか。魔界がこのまま
「地上に
老人は枯れきった喉から息を
「遙か昔、忘れてしまうほど昔に我々がここに追い詰められたことが
「あなたは……」
「それでも、若い者はなんとか生きようとするだろうが……。お前さんたちに知ってることを話して、地上への戦争が
「…………」
ニコルは数秒、目を閉じた。言葉をまとめるのに少しの時間が必要だった。
「……僕は、戦いは好みません。話し合いですむのなら、それがいちばんだと思います」
「話し合いですまなかったら?」
「その時は、致し方ありません。戦うしか」
「……若いな。本当に若い。それでたった二人だけで乗り込んできたか。無茶なことだ」
老人は立ち上がった。枯れきり、多くの年輪を刻んだ肌に感情を隠して、ニコルに目を向けた。
「が、そんな無茶に自分を投じることができるのも、若さの特権だろう……。思うままに、行け。その結果はここにも届くだろう。それを楽しみにしているよ……」
「――お邪魔しました。おじいさん、お元気で」
「失礼いたします」
フードを被り直したニコルとロシュは一礼し、老人の家を出た。
老人はほんのひととき、家の中に吹き込んで来た若い風の息吹の名残を
「もしかしたら、ワシの人生の中での、最後の来客かも知れんな……。しかし、面白い客だった。名を聞いておけばよかったか……。茶の一杯も出せなかったのが、本当に
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