「魔界の空を飛ぶ屋敷」
――魔界。
それは人間界の『下』に存在するといわれている世界だ。
厳密にいえばそれは、地上に存在する人間界の下――『地下』にあるという意味ではない。
人間界とはほんのわずか、
つまり、人間界と魔界は重なっているのだ――わずかにズレながら。
ただ、この『下層にズレている』という
地上と同じく、魔界にも太陽の光は降り注ぐ。が、わずかに違う次元に位置しているため、その光量は非常に弱かった。
真昼の時間でも、夜明けのわずかな白み具合にしか明るくならず、夜にもなれば地上と同じ真の闇になってしまう。
このような世界で、陽の光を成長の
代わりに、位相の違いさえ乗り越えて地上から徐々に侵食してくる
魔界の住人は、その中でも食べられるものと食べられないものを
当然のことながら、植物の魔素はそれを食べた者の体に
水や空気、食物を摂取せずに生物は生きられない。『地上の下にある』という絶対的な宿命が、魔界を幸せではない世界に変えていった。
だから、魔界の住人は思うのだ。
光あふれる地上に出たい、と。
自分たちには
それまで細々とだが
そんな世界に、
◇ ◇ ◇
ダージェの屋敷は、空を飛ぶ小さな島の上に建っていた。
地上から五百メルトほどの高さに、島を
地上より一回りは狭い魔界を、それはおよそ一週間で一周する。人間の全速力の二倍程度の速度だ。
どこか
その
その小脇に少女――リルルを抱えた姿で。
◇ ◇ ◇
玄関をくぐる手間も
「う」
まるで大きな小麦袋かなにかのようにダージェの肩に
「あん? ああ、ちょっと乱暴な着地だったか。すまねえな、ははは」
リルルの意識があるのを知らないダージェは、背中の翼をしまいながらいい加減な謝罪をして自室の大きな窓を開けた。
「さあリルル。ここが俺とお前の愛の巣だ。たっぷり愛し合うぞ」
部屋の真ん中に
「長旅お疲れさんだ。一時間くらいはかかったか。もうそろそろ目覚める
ダージェはほとんど
「なんだかんだで結構体が汚れたかもな。まずはあっつい風呂に入ろうぜ、二人でな」
仰向けになったリルルの体を叩き、はははと笑いながらダージェは寝室を出て行った。
扉が閉まる音を確かめたリルルが、まぶたの下に隠していた瞳を見せてそれをギラつかせた。
「――なにが二人で風呂よ! 乙女の胸を気軽に
ひとしきり怒りを振りまいたところで大きく息を
「空に浮かぶお屋敷、というわけね……これはすごいわ……」
あまり整備されているとはいえない庭園の先の景色は、突然切り取られたかのようにぼやけている。地上とこの屋敷とのあまりもの高度の差がそう見せているのだろう。
「閉じ込められていたお城の
「リルル! 起きてるか!」
「っ!」
吹き飛ばされる勢いで部屋の扉が開けられたのに、リルルは反射的に目を閉じていた。目で確かめるまでもなく、ダージェが戻ってきたのだ。
「なんだ、まだ目ぇ覚ましてないのか。ねぼすけだな。――しっかし、可愛い寝顔だなぁ」
扉の気持ちなど意にも介していない荒々しさでそれを閉め、ずかずかと近寄ってきたダージェが
「ひとっ風呂浴びようと思ってたが、臭いがするのもそれはそれで興奮するかもな。でもまあ、取りあえずは前菜からいただくか。んじゃ、その可愛い
「――させてやるわけないでしょ!」
「ぐほぉっ!?」
リルルの足の裏が、
「リルル! お前、男の顔を
転がるようにして寝台から
「それはこっちのセリフよ! 眠っている淑女に
「俺の顔に穴を空ける気か!? おっそろしい女だな……!」
「ダージェ様っ!?」
扉が音を立てて開かれる。メイドらしい姿をした一人の少女が、ノックもなしに踏み込んできた。
「ダージェ様、ご無事ですか!? 今、もの凄い悲鳴が!」
「メリサ、勝手に入ってくるんじゃねぇよ! 外に出てろ!」
「は、は――」
寝台から蹴落とされたダージェ、そのダージェを蹴落としたリルルに、使用人を示すらしいフリルを髪に
「ダ……ダージェ様、そ、その方は……」
「外に出てろっていってんだろうが! まあいいや。メリサ、このリルルがお前がお世話する俺の嫁だ。こんな乱暴者でもご令嬢だからな。心して
「嫁!? それでは、私はどうなるのですか!?」
「えっ」
メリサの
どうやら
「この一ヶ月、私を抱きもせずに屋敷を
「女、なんて失礼なことをいうんじゃねぇよ! ただの客人じゃねぇ、行く行くはお前の
「ちょ、ちょっとちょっと」
どうやら予想通りの
「わ……私は? ダージェ様、私を捨てられるということなのですか!?」
「捨てやしねえよ。ただのメイドになるだけだ。まあ、お前と遊ぶのは
「わかりません!」
「あのねぇ……」
自分を当事者として巻き込んでおいて
「
「酷い――酷い! ダージェ様、私にいってくれた言葉は全て嘘だったのですか!? 私がいちばん可愛いと
「嘘じゃねぇ、確かにお前はいちばんだった。顔も可愛いし具合も最高だったよ。ただ、お前より可愛いのが現れただけだ。具合はまだ試してないけれどな。でも俺はこのリルル以外抱かないと決めたんだよ。だからお前は用済みだ――なに、別に屋敷を追い出すわけじゃねぇよ」
「ダ、ダ、ダージェ様……!」
「あ、あああ、もう」
リルルはこの場から逃げ出したかった。メリサが体で
「わ……私は、それでもかまいません……! ですが、ですが、こ、この……!」
枕を抱えて顔を埋め、自分の世界に
反射的に枕から顔を離し、メリサの方を向く。案の定、泣き顔を震わせ、お腹に両の手を当ててその部分を強調していた。
「こ、このお腹の子はどうなるんですか……!?」
「はぁぁ? 腹の子?」
ダージェの顔が左右非対称に歪んだ。
「そうです、ダージェ様の子です! 私のお腹の中に、ダージェ様の子が……!」
「ガキか。ま、デキていてもおかしくないか。それなりのことはしたからな――どれ」
ダージェはメリサに近寄り、その腹に手を置いた。
「まだほとんど
「は、はい……。母にも聞きました、間違いないと。体の調子もおかしいですし……一ヶ月か、二ヶ月目ではないかと……」
「ふうん。ならよかった。おい、メリサ」
「は、はい――」
ダージェが歯を見せて
その
「そんな時期なら大丈夫だな――今すぐ、
微かに青みがかった銀色の風が巻いたのは、この瞬間だった。
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