「世界を切り分ける」

 リルルはその日、起きてから日が暮れるまでの一日を、汗を流すことで過ごした。


 居間のソファーとテーブルを端に寄せて空間を作り、黒い腕輪から取り出したレイピアを振って剣の型を確かめる。きちんと訓練を受けたサフィーナに剣を習った日々を思い出し、基本の突き、り、払いの動作をきるほどり返し、飽きてもさらに繰り返す。


 息が上がったところでぬるめの風呂に入って汗を落とし、体が乾いてから今度は、尖塔せんとうの非常階段に出て四十メルト分の階段を何度も上下する。

 ほとんど鉄柵と鉄板だけでできている非常階段は、まるで空を上り下りしているようでこわかったが、リルルは恐怖を払ってそれを繰り返した。


 太陽が頭上をぐるりと巡るだけの時間を、体を動かすことだけで使う。非常階段を上り下りする金属音に気づいた女兵士が怪訝けげんそうな顔で下からのぞいてきたが、それがただの運動だと知ってすぐに興味をなくしてくれたようだった。


 冬の日暮れは早い。太陽が西の空の下に沈み星がまたたき出したころ、何回目かの入浴を終えてリルルは居間に戻った。

 時間通りに運ばれてきている夕食をる――太るのを警戒しているのか、食事はどれも量が少なく、運動で消費した分をまかなうには足りなかった。増量を注文するべきだろうか――。


「はぁ…………」


 リルルは、寝台代わりにしてもいいくらいに寝心地のいいソファーに、寝転がった。一日中動かして重くなった四肢ししの筋肉に、早くも筋肉痛のきざしが出始めている。痛みは筋肉が一時的に破壊されている証拠で、それを休息させた時、以前に優る成長を見せるというサフィーナの言葉を思い出した。


 リルルが一日を運動だけで過ごしていたのには、いくつかの理由があった。


 ひとつは、体を動かすことで不安をまぎらわせるため。

 昨夜のロシュとの接触で、フィルフィナに伝えるべきことは伝えた。文字通りの生き甲斐がいである、フォーチュネット家でのメイドとしての立場を失って意気消沈いきしょうちんしている彼女がなぐさめられるのを願う。


 が、立場の苦しさは自分とてさほど変わらない。ロシュが忍んできてくれるのが唯一ゆいいつの外界との連絡手段で、自分はこの尖塔でほぼ完全に孤立しているのだ。

 幽閉というのは、誇張でもなんでもない。体を動かしていればその分、考えることを減らすことができた。


 そして、もうひとつ。

 きたたるべき好機チャンス到来とうらいした時のために、思う存分体を動かせる状態に体調を整えておかねばならない。この尖塔で体を動かずにくさり続けていれば、一ヶ月先にはどんな体型になっているかわからない。その想像がリルルをぞっとさせた。


 ――好機チャンス


 それがいつ、どのような形で来るかなどは、わからない。

 ただ、メージェ島での戦いから今現在の状況じょうきょういたる流れが、全くの偶然ぐうぜんの産物であると考えることもできなかった。


「――はぁ」


 リルルは鉄格子がまった窓に体を寄せた。地上から無数の探照灯が灯り、闇の中に白い光の柱を何本も立てている。それはリルルを、ともすればこのエルカリナ城を閉じ込める光の格子にも見えた。いったいなにをこんなに警戒しているのか――。


 今夜もロシュは来てくれるかも知れない。日付が変わるまでの時間を、リルルはこのままひざを抱えて待とうと思った。胸の中で小さく光る、闘志という名の短剣を静かにぎながら。



   ◇   ◇   ◇



 エルカリナ城の出入りは、正門の検問けんもんにおいていくつかの種類の許可証の確認を受ければ、二十四時間を通して許された。この巨城が消費する物資を搬入はんにゅうする業者の数だけでも相当なものだ。そういう意味ではこの城は文字通りの不夜城といってよかった。


 午後八時を過ぎたころ、その膨大ぼうだいな人の出入りに混じって、奇妙な三人組が正門での検問を受けていた。


「――旅の曲芸師きょくげいし?」


 提出された書類を確認する兵士が、身分証に目を通して声を上げた。書類から視線を上げると、いかにも道化師という衣装を身につけ、顔には派手な化粧けしょうほどこした少年がニカッと笑った。

 その道化師に付きしたがうように、黒い外套ローブをまといフードを深くかぶった男が二人、立っている。


「国王陛下のおまねきに預かり、参上したんだ」

「ふぅん……」


 兵士が書類とその風貌ふうぼうに何度も視線を往復させる。書類が完璧かんぺきでなければ間違まちがいなく追い返していたところだが、あやしいという直感だけで通さないわけにもいかない。

 念のために所持品を細かく確認したが、短剣どころか針の一本さえ出てこなかった。


 首をひねり続ける兵士が通行を許可し、正門を通過した三人組は丘の長い階段を上がる。城の中に入り、二階に上がるところでまた厳しい検問を受けて三人は、そこから七階までを上がった。


 八階に上がる唯一の階段の前では、重装備の兵士たちが数人、自分たちの体を壁にして上への侵入しんにゅうはばんでいる。

 その前に、三人組は軽く自然な足取りで歩み寄った。


「国王陛下のお招きに預かり、参上したんだ」


 道化師は先ほどの台詞セリフを全く同じ調子でり返した。


「ここで待て。陛下にご確認を仰ぐ」

「その必要はない」


 遠く頭上から降ってきた声に兵士達は振り返った。階段を上りきった先に当の国王陛下、ヴィザード一世の姿があった。


「その者たちはが呼び寄せた。通すがよい」

「はっ……」


 兵士たちが統率された動きで階段の前をけた。道化師たちが階段を上がり始めた時、ヴィザードの姿はもう階上にはなかった。


 八階から九階に繋がる階段の前にも数人の兵士が長槍を手に持って控えていたが、既に道は空けている。道化師たちがそれを上りきると、九階の広大な玉座ぎょくざの間に出た――人気ひとけはない。警護の兵士の姿は一人もいなかった。


「よく来たな」


 ヴィザード一世は玉座に座して待ち受けていた。シャンデリアが十分に灯されてはおらず、薄暗く思える玉座の間のいちばん奥から声が聞こえる。

 それに礼をすることもなく、三人組は不躾ぶしつけささえ感じさせるズカズカという足取りで、真っ赤な絨毯じゅうたんみ荒らすように歩いた。


 三十歩ほどの距離きょりを空けて立ち止まっても、その三人組は一礼すらしなかった。


「それで今夜は、どのような芸を見せてくれるのかな?」

「変身っていうのはどうだ」


 後ろの外套姿を従えるようにしている正面の道化師――その彼が面白くもなさそうに呟いた瞬間、道化師の衣装が青白い炎を上げて燃え上がった。

 熱のない青い炎の揺らめきは一瞬にして少年の体を包み込み、顔に施している化粧までも炎を発して全身を包み込む。


 それは数秒とたず一瞬で収まり、炎が払われた後には、先ほどの道化師とは似ても似つかない少年の姿があった。


 あおと紫の狭間はざまの色をした美しい肌が、目を引きつける少年。猛禽もうきんの羽毛を思わせる髪が頭をおおい、竜の角に似た鋭く長い突起が三本、額から生えてそれが後ろに曲がっている。

 大きく形の鋭い目と小さな鼻、少し開いた口からはっきりわかるほどびている犬歯けんしが、気性きしょう獰猛どうもうさを表していた。


 そんなさまをヴィザードは全く動じずに見つめている。目の前で虫が脱皮だっぴするくらいの印象しかなかった。


「今夜は苦情の申し出にわざわざやってきたんだ。この国では客人に茶の一杯も出さないのかよ」


 声変わりをした少年の、特有の高さを残しながらそれなりに低い声が響く。好意の欠片かけらもうかがえないその言葉を、ヴィザードはまばたきで払った。


「茶葉ならあとで送ってやる。一抱えはあるほどにな」

「ふん。……まあいい、仕事の話をしようぜ」

「止めてない。早くするがいい――魔界皇子まかいのおうじ

「ちっ」


 魔界皇子と呼ばれた少年は舌打ちすると、小さく差し出した手の平を上に向けた。手の平にきざまれた光の紋様もんようが淡い光を発し、薄暗い中空に大人が抱えようとしても余るほどの球形――光球が浮かび上がる。


「親父にいわれてな。基本から確認してこい、だとよ。そちらの進捗しんちょくがあまりにも遅いんで、親父の方としてもしびれを切らしているんだよ」

「せっかちなことだ」

「せっかちじゃねぇ!」


 えた。魔界皇子がきばいた。


「こっちは今年も飢饉ききん、食料の備蓄びちくがほとんどねぇ! この冬を越せるかどうかっていう瀬戸際せとぎわなんだよ! 手前てめェの手が遅いから待てなくなってるんだろうが! 約束であれば半年前に準備は終わってる話なんだぞ! わざと魔界を危機に追いやっているんじゃねぇだろうな!」

わめくな。聞こえている。待たせている分補填ほてんはさせてもらう。港に一隻、大型の輸送船を停泊させている。魔族にわかる印をつけているからすぐに見つかるだろう。一隻分の小麦を積んでいるから、持っていくがいい」

「どうせ三年か四年前の古い小麦なんだろうが。パンに焼いたって不味まずいことこの上ねぇ」

らないのか」

「要るに決まってんだろ!」


 魔界皇子が気炎きえんき出し、肩を上下させて、言葉を切らせた。目の前のこの男にこれ以上怒りをぶつけても意味がないとようやくさとり、鼻を鳴らして気をしずめ、ここにおもむいた目的を思い出した。


「――仕事の話をするぞ。この球がこの世界の地図だ。間違まちがいないな」


 宙に浮かんだ光球が、ひとりでにぐるりと回る。刻まれている模様は陸と海との境界を示しているのか、海と思しき領域が青く塗りつぶされた。


「大まかは問題ない」

「どうせ大まかな話だからな。これがこのエルカリナ大陸か」


 ふたつの弓状の大きな大陸、それと少しの距離を空け、両側から包まれるようにしてほぼ中間に位置する少し小さめの大陸が、赤く塗られた。ヴィザードがうなずく。


「手前ェの国はこっちをる」


 エルカリナ大陸の東側にある大陸が赤、エルカリナ大陸と同じ色に塗りつぶされた。


「こちらの大陸は魔界でいただく」


 続いて、反対側の大陸が黒く塗られる。細かい島はともかく、光球の陸地を示す領域のほぼ九割以上が、赤か黒か、どちらかの色に染まった。

 ヴィザードは肘掛ひじかけを使って軽く頬杖ほおづえを突き、その簡単な説明を聞いていた。


「このエルカリナ大陸を足がかりにして、エルカリナ王国と魔界の軍勢が協力、世界中に喧嘩けんかを売って全土を征服し、以降はこの取り決めに従って領域を山分けする――その方針に変更はないんだな」


 エルカリナ王国と魔界が結託けったく、共同しての、世界征服。

 知らない者が聞けば仰天ぎょうてんし、腰を抜かすであろうその計画を再確認・・・し――ヴィザード一世は小さく首を縦に振った。


「問題ない」

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