「ログトの密会」

 ――時は、『森妖精の王女号』がエルカリナ港に帰港した、その数時間前にさかのぼる。


 リルルの父であり、王都エルカリナで流通する水産・海産物の全てをほぼ一手にあつかう大企業の経営者であり、同時にエルカリナ王国における伯爵位を持つ人間、ログト・ヴィン・フォーチュネット。


 伯爵という高い位を持ちながら、放蕩ほうとうの限りをくし、領地の全てを二束三文にそくさんもんで売り飛ばしてしまった先代のために、貴族としては零落れいらくした家を建て直し、かつての自領を取り戻すために人生の全てをける――当人は、もう初老しょろうに差し掛かろうという五十代半ばの男だ。


 そのログトは今、王都エルカリナでも最高級位に位置するホテル『シャルス・エル・エルカリナ』の最上階の廊下ろうかを、客室係に先導されて歩いていた。


「こちらです」

「ああ」


 廊下の絨毯じゅうたん、天井の照明、壁紙や部屋の扉の全てにぜいついやした長い廊下を歩きながらログトは思う――自分を呼びつけ、今から面談めんだんする相手はこのいちばん奥なのか、貴賓室きひんしつの中でもこれまた最上位のものではないか、と。


 重要な商談しょうだんあり、是非ぜひとも社長本人のご足労そくろうを望むという、一週間に何通あるかわからない書面での連絡。そんなものにいちいち関わり合っていれば、この身がいくつあっても足りない。

 差出人さしだしにんは聞いたこともない名前だったが、商談の場をこのホテルに指定したことがログトを動かした。


 このホテルは頭ひとつ飛び抜けた高額の料金であることに加え、出入りする人間の身分、素性すじょうきびしく問う。その最上階に部屋を取れるということは、社会的に信頼するにあたいする人物だということを示していた。

 なにより、ログトの中にある好奇心、いつもは理性でおさえているそれが刺激された。こんな曖昧あいまいな文面でここを指定するのか、と。


 ログトの予想通り、客室係はいちばん奥の部屋の前でその足を止めた――最上級ホテルの最上級の部屋だ。

 失礼します、と客室係が扉をたたくと、どうぞという声が中から聞こえて来た。


 部屋の扉が開き、口元をへの字に曲げたログトは、無言で頭も下げずに部屋にみ込んだ。

 寝台などはない、単純に面会や会議だけに使われる部屋。その中央にえられた応接用のテーブルの前のソファーに座っていた背広姿の男が、にこやかな笑顔を作って立ち上がる。


「ようこそいらっしゃいました」


 印象のうすい男だった。長身でもなければ短身でもなく、せてもいなければ太ってもいない。通勤の列車で毎朝隣の席に座られても気が付かないかも知れない――特徴とくちょうがないのが特徴の男だ。覚えるとっかかりがない。


「初めまして、フォーチュネット伯――いえ、フォーチュネット水産会社社長殿、とお呼びした方がよろしいですかな?」

「どちらでもいい」


 毛の長い絨毯じゅうたんでも足音がするくらいに歩を踏み込んだログトは、すすめられる前にどっかりとソファーに座り込んだ。無愛想ぶあいそうそのものの顔でここに呼びつけた相手の顔をにらみ、脚を組んでソファーに背を沈める。その全身からほとばしるような不機嫌さに、背広の男はむしろ微笑びしょうして自らも座った。


「おいそがしいところ、不躾ぶしつけなお呼び立てをして申し訳ありません」

「お忙しいんだ。早く仕事の話をしてくれ」

わたくし、こういう者です」


 男はテーブルに名刺を置き、ログトの手前まですべらせた。


「イエル・レーメスさんね……」


 作法もなにも無視し、片手でそれをぞんざいにつまんだログトが、一瞥いちべつしただけでそれをテーブルに放った。


「アイガード王国の実業家さん? その前に、後ろにひかえている二人はなんなのかな?」

「ああ、これですか」


 少し距離きょりをおいた壁のきわに、調度品のように無言で立っている二人にイエルは視線を向けた。黒い服に合わせて目立たなくしているが、薄い胸甲きょうこうに目元が隠れるかぶとを身につけている。背丈は高い方で、体型もがっしりとしている――どこかの兵士のようなたたずまいを見せている男たちだ。


護衛ごえいです。もちろん武器も」

「このホテルでは針一本持ち込めない。私も護身ごしん用の暗器あんきは自分から差し出した。あとから見つかって、身ぐるみがされるように調べられるのは時間の無駄なのでな」

「ま、お気になさらず。――それでは、早速商談と参りましょう。このたび、私どもも本国で水産会社をち上げることになりまして、是非とも御社おんしゃが持つ経営知識をご教授きょうじゅいただきたく、社員の研修けんしゅうなどを――」

「イエルさん、だったかな」


 ログトは名刺をイエルの方に突き返した。


「あんた、実業家なんていうのはウソだろう」


 イエルの口が止まる。が、その口元には微笑が浮かんだままだ。


「私がこう思った理由わけが知りたいか? ――あんた、商談をしている人間の顔をしてないんだよ」

「面白いですね……続きをどうぞ」

「これから水産業を起ち上げるんだろう。この王都エルカリナでその知見ちけんを持っている人間は私だけ。その私にすげなく断られたらどうするんだ。頭でえがいていた予定が全てくるう。なのに、入室してから私が不機嫌な顔を見せているのに緊張感きんちょうかんが全くない――これをどう解釈かいしゃくするべきかな?」

「私がそういう性格の人間である、というのは予測にふくまれないのですか?」

「これまで多くの商売人と付き合ってきた。どんな大企業の社長だって、取引に際しては多少の緊張はするものだ。この取引がダメであれば、次の段取りを組まねばならぬ――そんな雑念ざつねんみたいなものが、あんたには一切ない。他人事ひとごと芝居しばいている目だよ、あんたのは」

「いやあ、そこまで見抜かれているのなら、もう抵抗ていこうのしようがないですな」

「認めるのか」

「では興味ついでにお教えください。私が実業家でないなら、なんに見えます?」

「役人かな……。それも多分、軍か警察。しかし荒事あらごとたずさわる人間とは思えない。目のくばり方からすれば、諜報ちょうほう関係の機関に所属しょぞくしている人間かな」

「――ふふ、ふふふ……!」


 イエルが肩を揺らして笑い出した。ログトが目を細め、壁際の護衛たちはなおも声の一滴もらさずにそれを見つめる。

 笑いは一分弱は続いただろうか。しおが引くようにそれが収まるのを、場の全員が無言で待った。


「参りました。完敗です。では、本物の名刺を出しましょう」


 テーブルの上の名刺をぴりりと破り捨て、イエルはふところからもう一枚の名刺を差し出した。


「……エルカリナ王国軍情報部第一課課長、イエル・レーメス……国内の防諜ぼうちょう任務担当の課の人間が私になんの用だ? 私に叛乱幇助はんらんほうじょ容疑ようぎでもかかっているのか?」


 さすがにログトの腰がわずかに浮いた。こんな名刺を手にしたことは今までに一度もなかった。


「その場合はこんな面倒なことはしません。夜討よう朝駆あさがけ、逮捕状たいほじょうを持って急襲きゅうしゅうさせてもらえればすむことです。ご安心を。あなたには悪い話ではありませんよ」

「……そう願いたいものだな……」

「あなたにご足労いただいたのは、ごくごく内密の会談の場を持ちたかったからです。だましたのは申し訳ない。謝罪させていただきます」

「――――」


 ご安心を、といわれてもログトの不安はぬぐえない。やましいことは皆無かいむではなかったからだ。現在の会社を起ち上げてからは完全に合法でやってきたが、それ以前のことを問われれば――。


「実は、私ではない、ある人物・・・・と面会していただきたいのです」

「なら、こんな面倒な前座ぜんざを組まなくても、素直にその人物に会わせれば……」

「我々としても、王都でも有数の敏腕びんわん経営者といわれるあなたがどれほどの人物なのか、大変興味がありました。それ以上に、そのある人物・・・・があなたという人間を見定みさだめたいと希望されたので」

「わかった。会おう、会えば解放してもらえるのだろう。誰だか知らんが、私は本当に忙しいんだ」

「では、我々は退室します。一対一の面会を希望されておりますから――失礼をいたしました」

「ふん」


 腕を組み憮然ぶぜんとしたて顔でうつむいたログトの前で、イエルが立ち上がった。二人の護衛も壁際から離れ、イエルに従うようにして出口に向かって歩き出す。入れちがいでそのある人物・・・・とやらが来るのだろうか。それを待とうとしたログトの目の前で、異変は起こった。


 ログトの対面で、誰かが座る気配がした。ログトのあごが反射的に跳ね上がる。同時にログトの背後で、廊下につながる扉が閉じる気配がした。


 ログトの前でソファーに腰と背を深々と沈めたのは、二人の護衛のうちのひとりだった。


「どういうことだ」


 目の前に座り込んだ護衛、閉ざされた出口を交互こうごに見やったログトの背筋と心臓が冷えた。


「何故お前は部屋を出ない」

「――ふふ」


 警戒するログトの前で薄く笑った男が、自らの兜に手をかけ、それを頭から外してテーブルに置く。中に収まっていた短めの髪が、その金の色をさらした。


「――――!!」


 目元さえ隠していた兜の下から現れた顔をその瞳にうつし、ログトの顔が全ての筋肉を戦慄わななかせて、最大限の恐怖に引きつった。

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