「誤算の名はニコル」

 快傑令嬢サフィネルの宣言と共に、倉庫の空気の全部が竜巻の遠心力にかき回された。


「参ります!」


 そのハイヒールでコンクリートの床をけずるようにり出したサフィネルが風のようにおどり出、抜いたレイピアを神速の速度でり出す。空から勢いよく降り注ぐひょうあられかという嵐のような突きが、猛然もうぜんと荒れくるった。


「うぐっ!」「げっ!」「がはっ!」「づぁっ!」


 その先端の軌道など目にも止まらないやいばが男たちの急所を的確にたたき、血の一滴もき出させず、大柄おおがらな体を次々に倒していく――背の高さまでびた雑草ざっそうるがごとくに、だ。


「さあ、さあさあさあさあ!」


 少女が持つ胆力たんりょくとは思えない、ふところに飛び込む鋭いみ込み、舞うかのように大胆不敵だいたんふてきに振るわれる剣。


 まさに紫陽花あじさい色の旋風つむじかぜが吹き、吹いて、吹いて、吹いて、吹き荒れた。


われの名は、快傑令嬢サフィネル! この名、どうぞこの痛みと共にお覚えください!」


 倒す者の裂帛れっぱくの声と倒される者の悲鳴が、制御せいぎょのかなわぬ火薬の爆発のように連なった。


「……張り切ってるわねー」


 快傑令嬢リロットも負けてはいない。足が地からはなれたかのように浮き足だった賊共ぞくどもにムチを振るい、一薙ひとなぎで五人の男の戦意を粉砕ふんさいし、その体を吹き飛ばした。

 二薙ふたなぎ、三薙みなぎとムチの先端が次元をくほどのうなりを上げて、袈裟斬けさぎりの航跡こうせきを空気にきざむ。


「おああああ……」


 苦労して集め、育てた手下たちがまるでドミノ倒しかなにかのようにくずされていくのを目の当たりにさせられながら、頭目とうもく呆然ぼうぜんと立ちくすしかなかった。

 自分が長い時間と膨大ぼうだいな労力をついやした成果が、夏のさかりの太陽にさらされる氷のように溶け、消えつつあった。

 美しいドレス姿の災厄さいやくは、二十秒とかからずに自分以外の手下を全て床に打ち倒してくれて、なにをする余裕さえ与えてもらえなかった。


「仕事が……かせぎが、金が、計画が……今日のために、今日のために懸命けんめいに汗を流してきたのに……」

「そういうセリフは、真面目に仕事をしている人間がいうものでしょ! 大人しく降伏しなさい!」


 最後の獲物えものをムチの射程しゃていとらえて薄桃色の少女がいい放ち、紫陽花色の少女もそれに続いた。


「この一団で強盗を働いたことはなさそうですが、他にずいぶんと前科ぜんかはありそうですね。その量如何いかんつかまった時の待遇たいぐうが決まってくる。まあ、それは自業自得というものでしょうが」

「うるせぇ!」


 二人に五十人で対していたものが、今は、二人に一人で対するはさみ撃ちの構図となっている。あらがいようがないのはわかっていても、最後の意地が仮面の頭目を屈服くっぷくさせなかった。


「てめえらなんかこわかねぇ! たかが、たかが、たかが二人の娘っ子じゃねぇか!」


 頭目が拳銃を抜く。たった一発しか装填そうてんされていないその武器では、とんでもない幸運に預かって一人を倒すことがかなったとしても、もう一人に叩きのめされるだけだということを頭で理解しきっていたが、抵抗するしかできなかった。


 先端が黒く光る銃口がサフィネルに向けられる。その殺意のひらめきに、二人の快傑令嬢たちの声がそろってねた。


「行くわよ、サフィネル!」

「来なさい、リロット!」


 力強く地を蹴り、二人のドレス姿の少女たちが矢の早さで宙に舞い上がる。

 一瞬で拳銃のねらいをらされ狼狽うろたえた頭目が上げた視線の高さで、少女たちがひざを抱え丸めた体に独楽コマの速度のきりもみスピンをかけ、空気をかき回す風車のように前方向への回転に転じた。


 超速の速度で前転する二人の体が次にはしなやかにび上がり、空中でそれぞれの右脚が突き出され、自ら起こした空気の流れに乗って美しい落雷へと変貌へんぼうし――、


 そして。


二連ダブル!」「令嬢!」「蹴撃キィィィ――――ック!!」


 胸と背中に二人の令嬢の急降下蹴りがそれぞれに突き刺さり、バキボキメシャと生理的に不快な粉砕音ふんさいおんが響くとと同時に、


「うげぁ――――――――!?」


 頭目の口から飛び出した悲鳴が、金属のマスクを内から飛ばしていた。


 二人の令嬢が宙返りの軌道を描いて着地し、前にも後ろにもらぐことができずに意識だけが吹き飛んだ頭目の体が、気まぐれに上から吹き付けてきた風に押され、仰向あおむけに倒れる。

 かがみ込んで着地の残心ざんしんを切った二人の快傑令嬢たちが、ピクリとも動かない男の様子に青ざめた。


「――いっけない! やり過ぎちゃった!!」


 声を上ずらせてリルルは立ち上がった。二人で練習して覚えたばかりの大技を調子に乗って食らわせてしまったが、当てるところまでを意識し過ぎていて、当てたあとのことを考えていなかった。

 衣装と同じくらいに顔を青くしたサフィーナが、頭目にけ寄ってその手首を取る。


「だ、大丈夫、生きてるわ! ――かろうじてだけど!」

「ならよかった!」


 前後からの蹴りをまともに受け止めさせられた頭目の胸、破けた服の下の分厚い胸甲きょうこう、それがくだけた金属の破片が、布の裂け目からボロボロとこぼれ落ちる。


「鎧を着けてくれていて、本当に幸運ラッキーだったわ! これがなかったら、間違まちがいなく死んでたもの!」

「悪人とはいえ、殺したら寝覚めも悪いし、ご飯も美味おいしくなくなるわ。ちょっと調子に乗り過ぎちゃった」

「リル……リロットが『行くわよ!』なんていうんだもの。思わず調子を合わせちゃったじゃない」

「ごめんごめん」

『お二人とも――』


 二人が耳から下げているイヤリングが、震動して声を発する。ここにはいないはずのフィルフィナの声がした。


『どうですか? 倉庫内は制圧できましたか?』

「ばっちりよ。このあと警備騎士団がここに来る予定なんでしょ?」

「次の目標に向かわないとね。リロットも私もすぐに移動するわ。で、あとどれくらいで、警備騎士団は来るの?」

『それがですね』


 遠方の高所に位置し、魔法のオペラグラスで倉庫一帯を監視かんししているフィルフィナは、いった。


『今、倉庫が包囲されました』

「えええええぇぇぇぇぇぇぇ――!?」


 二人の体温が、音を立てて数度下がった。


『今夜の警備騎士団はなかなか素早いですね。予想よりも二分は早いですか。参りましたね』

「そもそもがキツキツな計画じゃないの!」

あわてないで、リロット。天井から逃げればいいんだから」

「ううう……あとで責任を追及するからね!」

「リロット、早く!」


 サフィーナがムチを上に向けて振る。伸縮自在、先端も使い手の意思に従って動くムチ――その働きははめている魔法の手袋によるものなのだが――が侵入してきた天井の穴を飛び出し、屋根に自らしがみついて・・・・・・固定された。紫陽花色のドレス姿がするすると上にり上げられていく。


「私も急がなきゃ」


 リルルもそれにならい、ムチを振り上げた。狙い通りにムチは屋根の一端に取りつき、リルルの体を上げていく。


「よいしょと」


 屋根の表面に指をかける。次には、油汚あぶらよごれなのか、ぬめる・・・感触が手袋越しに伝わり、引っかかりを失って手がすべった。


「わぁっ!?」

「おっと」


 下に沈みかけた体を止めたのは、とっさの間合いで手首をつかんでくれた手だった。


「大丈夫ですか?」


 優しげな、親切げな少年の呼びかけが頭上から降ってきた。


「あ……す、すみません、お手数おかけします」

「いえ、これくらいは当然のことです、フローレシアお嬢さん


 その聞きれた少年・・の声と、続いて手首にかけられた手錠てじょうが閉まる感覚が、リルルの心臓に金属音が響くきしみを上げさせた。


「僕は警備騎士、貴女あなたは快傑令嬢リロット――快傑令嬢を追う僕からしたら、もう自然で当然のことなんだ。やっと、こっちからつかまえることができたよ、リロット・・・

「あ――――」


 絶望にひたいを陰らせたリルルが上をあおぐと、夜の月を背にしたニコルが微笑んでいた。


「こんばんは。いたかったよ、快傑令嬢リロット」


 その天使の愛らしい微笑ほほえみを得て、リルルは真っ白に飛びそうな意識の片隅かたすみで、やはりこの少年の笑顔を宝物のように見てしまう自分の目を捨てられなかった。

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