「騎士のキズナ、ニコルとラシェット」(その七)

「――あのあとも、俺がちょうどこの病室に運び込まれて、お前が看病かんびょうしてくれたんだっけな」

「……そうですね」


 二人は、長い回想の旅から帰ってきた。


 軍病院の病室で、病人と付添人つきそいにんという立場で語り合う。窓から差してくる赤い光も薄くなり、ニコルは立ち上がって壁のランプに火をともした。魔鉱石の青白い炎がガラスいっぱいに広がり、新たに部屋の中に朧気おぼろげな陰影を浮かび上がらせた。


「お前と組んで病院に運ばれるのはこれで三回目だな、ははは」

「……すみません、いつもいつも、先輩にケガをさせてしまって」

「俺がドジなだけだ。それはそうと……ニコル」

「はい」

「俺が運び込まれてからだな、その」


 どこかじるようにして視線をそむけたラシェットに――ニコルは、少しの逡巡しゅんじゅんはさんで、いっていた。


「……まだ、先輩の家の方々は、お見えになっておられません」

「……そうか」


 予想通りというていを見せていても、ラシェットの顔から落胆らくたんは消えていなかった。


「末の息子や兄弟が重傷をったっていうのに、見舞みまいにも来てくれないか」

「……先輩、差し出がましいようですが、先輩はその、ご家族とは……」

「西部方面隊にいるころ、いや、そもそも育ちからして親兄弟のひんしゅくを買っていたからな」


 自嘲じちょうの笑いがくちびるねた。


「貴族とはいえ、の男爵家、貧乏子だくさんの家だ。上の兄貴や姉貴たちに比べて、下に行くほど手も金もかけてもらえない。俺もなんとか警備騎士団に転がりこんで無役むやくなのをまぬがれた口だ。それをひがんで乱暴に育ちゃ、家族もあきれるってもんだ」

「ですが、先輩はこっちに来てからはそしられるような行いはされてなかったはずです」

「今までの負債ふさいがデカすぎたってことさ。もう見捨てられてる」

「そんな……」

「まあ、いいさ。仕方ないことをやんでも仕方ない。俺は、お前という相棒がいればそれで――」


 カツ、カツ、カツ! と乾いた鋭い音が扉をへだてた向こうで響いたのは、この時だった。

 急速に近づいてきた音はこの病室の前で止まる。ほとんど反射的にニコルの腰が浮いていた。

 一呼吸置く間もなく扉が乱暴に開け放たれ、扉の向こうから現れたその姿に、ニコルの顔におどろきの色があふれ出た。


「――ニコル! ニコルや!」


 知らない顔ではないその姿に、ラシェットが思わず身を起こそうとし、引きつるように走った痛みに小さい悲鳴を上げてそのままる。そんな先輩の悲劇にも気づかず、奇襲を受けた形になったニコルはさけんでいた。


「――お母様・・・!?」

「ああ、こんなところに! ニコル、無事なのですか!」


 貴婦人の威厳いげんを示す深紅色ふかべにいろのドレスの長いすそで床をぬぐうようにし、ゴーダム公爵夫人――エメス夫人は、きょを突かれた二人の心の空白に突き入るように病室に入り込むや、立ち上がって動けないニコルをいきなり両腕いっぱいに抱きしめた。


「お前が一向に我が家に訪れないので心配し、居場所を警備騎士団に問いただしたら、昨日から軍病院にいるというではないですか! 私は取るものも取らずここに来たのです! ニコル、ケガなどしていないのですか!? お前の可愛い顔に傷でもついたらと思うと、母は気が気でなくて!」


 ばっ! と体を離すやエメス夫人はニコルの顔に指を当ててその肌を調べ出す。虫眼鏡を使っていないのが不思議なくらいの念の入りようだった。


「お母様、ニコルは無事です。ケガひとつしておりません。ご案じくださいませぬよう」

「そ……それならいいのですが……。今夜は、前々からどうしてもといっていた晩餐ばんさんの日でありましょう。なのにお前が顔を出さぬものですから、母は気が気ではなくて!」

「すみません、任務に続き色々ありまして、失念しつねんしていました。お母様、どうかお許しください」

「王国のため王都のため、つとめ第一。そのことは仕方ない。謝ることもないのです、しかし――」


 エメス夫人が、今まで声と共にき出した息をまとめて吸う。肺に空気が入り込む音まで聞こえたようだった。


「……ニコル、お前の活躍かつやくの話を聞くのは母として実に鼻が高いのですが、それはお前が危険な現場にいるということに他なりません。安全な内勤ないきんに配置換えしてもらってはどうか。なに、私が夫を動かせば、それくらいのことは容易たやすく――」

「お母様、あまり大きな声を立てられては。何分なにぶん、病室ですので」

「おや、そういえば。お前がいる場所を探すので頭がいっぱいで、気づきませんでした――こちらの方は、どなたか?」


 目の前で公爵夫人が巻き起こす迫力に唖然あぜんとしていたラシェットが、その声で我に返った。


「お母様、いつもお話ししている方です。僕の先輩に当たる――」

「この方がラシェット・ヴィン・ストラート殿、ストラート男爵の御子息ごしそくか?」

「え?」


 ラシェットは目をまばたかせた。部屋の表に名前をしるした札かなにかが出ているのか出ていないのかはわからないが、そんなものを一切見ることなく突入して来たこの夫人が、自分の名を言い当てるとは思っていなかったからだ。


「ストラート先輩は僕をかばって負傷されたのです。昨夜のり物で、僕を背後から狙撃そげきしようとしたぞく凶弾きょうだんを僕の身代わりとなり、その胸に受けて――」

「まあ!」


 夫人の顔が輝く。さほど明るくない部屋が本当に一瞬、光で満ちあふれたかと錯覚さっかくするような笑顔がいていた。


「我が息子の命を、その御身おんみていして救っていただいたのか!」

「いえ、自分は、任務を果たしたまででして」


 ニコルの体を半ば押しのけるように、夫人の体がズッ、と前に押し寄せた。


「それで、御怪我おけがの方は! 大事ないのですか!」

「さ……幸い、それほどの深手ではなく、命に全く別状はないとのことで……」

「それはよかった!」


 布団の上に置かれていたラシェットの手を、エメス夫人の白く長い指がかき抱くようににぎりしめた。


「――ニコルが会うたびもうしております、自分は、素晴らしい先輩を持ててよかったと!」


 ラシェットは言葉も出なかった。自分のいない場で、ニコルはそんなことをいってくれているのか。


「このことは夫のゴーダム公爵の名前で、すぐに御家おいえの方に感状かんじょうを送らせていただきます! ニコルや、大切な先輩の心配がなくなるまで、看病をして差し上げるのですよ。私のことは気にせずともよい!」


 ラシェットの手を放し、こぼれるような満面の笑みを浮かべた夫人は、その場でくるりと反転した。


「――男同士、男でしかできない話もありましょう。母はここで消えます。ラシェット殿、お身体の方、どうかご自愛なさいますように!」


 舌の上で転がる笑い声を残し、一陣いちじんの風のようにエメス夫人は去って行った。


「――失礼な物言いかも知れんが、なかなかすごいお母様だな……」


 ニコルの顔に笑みが浮かぶ。困ったなというのが半分、照れたのが半分という笑いだった。


「お前も愛される体質らしいな」

「奥様はああいう方ですから。ですが、本当にいい奥様です」

「俺もお前を助けて得したことがあったよ」

「――なにをですか?」

「……ゴーダム公爵の感状を家族が受け取れば、少しは俺のことを見直してくれるんじゃないかってさ……」

「ああ……」


 ラシェットは目を細めた。


「お前と一緒に一生懸命やってれば、いつか、本当にいいことがあるような気がするよ。……いや、もうすでにひとつあるか、いいこと」

「なんですか?」

「お前のような、いい弟分を持てたってことさ。俺は下がいない末っ子だからな。――下っていうのは、嫌か?」

「いいえ」


 ニコルが笑う。

 今度は本当に裏も表もない、それを見る全ての人間の心を魅了みりょうしてやまない笑顔だった。


「僕は一人っ子でしたから。兄弟が、お兄さんができたのは嬉しいです。――双子の妹みたいなのは、いるんですが」

「例のお嬢様か」

「ええ……」


 少年のほおしゅが差した。

 自分が女だったら、真っ当惚れているようないいヤツなのにという複雑な想いに、ラシェットは微笑んだ。


「――多分、出世の方はお前の方が早いだろうな。ニコル、貴族になったら俺を騎士団長にしてくれよ。絶対だぞ」

「そんな……僭越せんえつです」

「兄貴の頼みがなんで僭越なんだ。大人しくいうことを聞いていればいいんだ」

「はい……先輩、いいですか」

「なんだ?」

「昨日からあまり寝てなくて。少し眠らせてもらって、いいですか」

「お前、帰ってもいいんだぞ」

「いえ、取りあえず一眠りしたいんです」


 ニコルはラシェットの返事も待たずラシェットの枕元に自分の腕を枕のように折って、頭を置いた。

 目を閉じたニコルが数分とかからずに寝息を立て始め、その早さにラシェットは笑ってしまった。


「――ニコル、よろしくな」


 返事はない。

 ただ嬉しげな横顔を見せて眠るニコルの髪をひとつで、ラシェットもまた目を閉じる。

 そんな二人の姿を、魔鉱石の明かりはなにもいわず、優しい光で祝福するかのように照らし続けていた。


「王都警備騎士団始末記――ニコルとラシェット」終わり

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