「騎士のキズナ、ニコルとラシェット」(その六)

 巨漢の片腕にのどめ上げられながらり上げられたニコル、その足の裏は完全に、地から離れた。


「くぅ、うう、ぅ……!」


 相手がいくらまだ少年の体格とはいえ、男一人を軽々と持ち上げてしまうその剛力ごうりきに、喉の輪を絞められながら少年は苦悶くもんおどろきの息をらす。


 息ができない。

 確実に骨の何本かはくだいたはずの手に、万力まんりきのような力が込められてくることが信じられなかった。


「クソ! まともな手だったら、このまま首をへし折ってやれるのに!」


 顔の全部を脂汗あぶらあせらす頭目とうもくえる。片手で人の呼吸を止めるこの力が、全力でないというのか!?


「ぐ……ぅっ!」


 苦悶くもんに青ざめたニコルの足が勢いよく前に振られ、爪先にも防護用の金属が入れられている軍用のくつが、頭目のあごを蹴り上げる――一度、二度、三度!


「フン!」


 軽くはないはずの打撃を、頭目は意に介そうともしない。まるでよそ風にでられているようだった。


「へなちょこめ。体重も乗らん蹴りだ。――首をへし折れないのなら、このまま岩にその頭を叩きつけてやる! 歳に似合わず腕は立つようだがな、頭蓋骨ずがいこつを特別硬くするなんてことはできんだろうが!」

「はな……せ……!」


 喉元を圧迫あっぱくしてくる、常人の二倍の広さはあるといわれても納得しそうな手。ニコルの両手がそれを引きがそうとするが、少年の腕力をもってしても指の一本すら剥がせない。


「無駄な足掻あがきだ。いい加減、大人しく死ね――――ん?」


 河原の一角を占めている岩にねらいをつけ、腕を振り落とそうとした頭目の脳裏のうりを、ひとつの違和感いわかんが冷たい刃物のように撫でた。

 瞬時に理解できないその胸焼けに似た予感に、頭目の腕が止まる。その正体を確かめなければならないという本能が働き、次にそれは言葉となって脳に認識された。


「いない…………」


 ここに流れ着いてきた、あのマヌケなガキが、いない!


「――あのガキは、どこに行った!」

「ここだ!」


 背後からの声に、頭目は振り向くこともできなかった。

 脇をめた左腕で剣を抱えたラシェットが全力で地を蹴り、頭目の背に体の全部でぶつかった。剣の切っ先が頭目の服を破り、そのまま肉に食い込もう――として、ガツッという固い手応えと共に止まった。


「……こいつ!?」

「――ははっ、残念だったな! ちゃんと着込みチェインメイルはつけてる!」

「うぐっ!」


 背後に向けてり出された頭目の蹴りがラシェットの腹に刺さり、体を吹き飛ばした。小石の絨毯じゅうたんに青年の背中がすべる。


「う……くぅっ!!」


 そのすきを突き、首を絞めていた拘束こうそくを引きちぎってニコルが頭目からのがれた。その足が一分ぶりに地面に降りる。


「まだやるか、チビ」


 足りない酸素を求め、あえぐニコルに、今しがた片腕を失ったばかりの人間とは思えない余裕を見せて頭目は笑った。


「剣もなく、素手ではかなわないお前に勝ち目なんてない。が、どうせ降参なんてしないだろう。今度こそその体、地面に叩きつけて砕いてやる」

「――くっ!」


 正面からおどりかかったニコルの拳が、頭目の顔面を打つ。決して軽くないその拳打パンチほおに受けても頭目はまばたきすらしない――こいつの肌や骨は、鉄かなんかでできているのか!


「無駄だ無駄だ。いくらでも殴れ。俺とお前じゃ、二倍以上は体重差がある。くわけがないだろうが」


 顔面に打撃を受けながら、頭目は大口を開けて笑っていた。完全にあざけりきったその哄笑こうしょうを前にし、ニコルは力を抜いていた・・・・・・・拳を引いた。


「なら――これでも食らえ・・・!」


 次に矢の速さで繰り出された掌打しょうだは、まさしく、頭目が開けたその口を直撃した。


「もごっ!?」


 手の平で口をふさがれた打撃に――ではない。手の平にせられていた黒い球状のものを、口の中にいっぱいに押し込まれた衝撃に頭目は目を剥いた。

 硬い鉄の感触と味、そしてわずかな火薬・・らにおいがする。これは――。


「な……んを……!?」


 舌を回せなくなった頭目は代わりに目を回そうとしたが、ニコルの手が持っているものを見た途端、その眼球の動きが震えて、固定された。

 一本のピンを指に引っかけたニコルが、くちびるに笑みを浮かべていた。


「――――!」


 そのピンの意味を頭目が知ったのと、ニコルが体を投げ出すようにしてせたのは同時だった。

 直径ちょっけい約六セッチメルト、重量四百クラム、炸薬量さくやくりょう二百クラムの手榴弾・・・炸裂さくれつは、そのきっかり一秒後に来た。


 大量の砂を詰めた袋を数十個、一斉に思い切り地面に叩きつけるのに似た爆発音が轟き、頭目の上顎うわあご下顎したあご、その両方が百八十度の角度に開くようにして、破裂した。


 悲鳴の欠片かけらも出なかった。


 頭目の頭がき出した爆風が、頭を抱えて地面に体を張り付けたニコルの背中をめ、鉄と血液と肉片が混ぜ合わされたものがき散らされる。


 首から上を失った頭目だったもの・・・・・・・が、どう、と音を立てて背中から転がった。


「し……し、死んだか……?」


 爆音を最後に、鳥さえさえずらなくなった静寂せいじゃくの森の中で、ラシェットが痛みに顔をゆがめながらつぶやいた。


「これで起き上がったら、それこそ怖いですよ」


 今まででも十分にバケモノじみた立ち振る舞いをしてくれたのだ。ピクリとも動かなくなった巨体を前にして、ようやく二人の緊張が雪のように溶けた。


「……大人しそうな顔をして、なかなか無茶しやがるな、お前は……」

「ありがとうございます」

めてねえよ」

「あはは」


 微笑ほほえんだニコルが立ち上がる。折れた右腕の痛みに動けないラシェットのかたわらに膝を着いた。


「立てますか、先輩」

「……お前、どうして俺を助けに来た」

「えっ?」


 きょを突かれた、という顔をしてニコルが、目をまばたかせた。


「……俺のことをうらんでいたんじゃないのか? あれだけ侮辱ぶじょくされたのに、まともに仕返しをできなくて。俺は、お前がずっとだまって俺の背中をつけねらうようにしていたから、こわくなってそれで……」

「ご……誤解です!」


 声が飛んだ。


「僕は仕返しをし過ぎたから・・・・・・、どう謝ろうか、ずっとなやんでいたんです。先輩に満座まんざの中であれだけのはじをかかせてしまって……決闘の申し込みといい、明らかに僕のやり過ぎでした。すみません」

「は――――」


 今度は、ラシェットの方が目を点にする番だった。目をいっぱいにいているラシェットの前で、ニコルは左襟ひだりえり徽章きしょうを指ででた。


 それが全てのきっかけだった。


「――小身の新入りに過ぎない自分が、こんな分不相応ぶんふそうおうな徽章を付けているのがいけないんです。反感を買うのは、もっともなことでしょう。……なにもあんなにムキになることもなかった。なにをいわれようと耐えればよかっただけなんです。それなのに、僕は簡単にげきしてしまって……」

「お……おい、おいおい」


 ラシェットが身を起こす。それだけで走る右腕の痛みに顔をしかめたラシェットの上体に、ニコルが手をえた。


「俺にあんなことをいわれて、怒るなっていうのが無理な相談だ。俺はお前を怒らせて、一対一の試合に持ち込むのが目的だったんだ。……体でゴーダム公に取り入ったなんていわれりゃ、腹を立てないヤツなんていない」

「ですが」

「ニコル。俺はもう、お前がゴーダム公にびへつらって特別扱いしてもらったなんて思っちゃいない。……四十人以上もいるぞくがいるのに、俺を助けに来てくれたんだ。一歩間違まちがえれば死ぬっていうのに。俺を見捨てればそれでコトは済んだだろうに」


 ニコルを見つめるラシェットの黒い瞳からはもう、にごりは失せていた。代わりにそこには、んだ輝きが宿っていた。


「お前は素直で、高潔こうけつで、強い騎士だ。俺が誰よりも保証する。ゴーダム公もきっと、お前のそんな気性を愛したんだろう……」

「先輩も僕をかばってくれたじゃないですか。――もう、自分が首にやいばを当てられていたのに、僕に逃げろといってくれた。僕はそれを聞いていました。先輩も勇気がある、貴族の名誉に相応ふさわしい騎士です。僕にそんなことができるかどうか……」

「なにいってんだ、お前なら楽勝だろうが……はは。俺は、お前を売ってまであの賊の足をめたくなかっただけだ。したくてやったんだ。誉められるようなことじゃねぇよ」

「ですが、僕は先輩を尊敬します。……僕も先輩を誤解していました」

「誤解なんかじゃないさ。俺はお前に思われたような、度量の小さい人間だ」


 でもな、と呟き、ラシェットは天をあおいだ。森の木々に囲まれてそこだけが、青く切り取られた空が目に入った。


「……お前に尊敬されるっていうのは、気持ちのいいもんだ。お前に尊敬されるような騎士を目指すのも、悪くないな」

「……はは」

「ははは」

「ははははは」


 ふたり、さざ波のように笑い合う。心と心が合わさった、確かめ合わずともそんな感触があった。


「――先輩、肩を貸します」

「大丈夫だ。足は無事なんだから歩ける。先輩に意地を張らせろよ……ニコル」

「はい」


 ラシェットは立った。ニコルを体の正面にとらえた。


「私の名はラシェット・ヴィン・ストラート。ストラート男爵家の、男七人、女六人兄弟の末っ子だ。貴公の勇気に助けられた。――感謝する」

「……僕の名はニコル・アーダディス。お名乗りをいただき光栄です。以後――」

「以後、よろしく頼むぜ、後輩――あてててて!」


 ひじを張り、鋭い仕草で目が覚めるような敬礼をしようとして――右腕全部に走った激痛に、ラシェットは派手な悲鳴をらした。


「大丈夫ですか、先輩!」

「大丈夫じゃない。ニコル、お前の馬に乗せてくれ。この腕じゃ、手綱たづなを握ることも」

「僕が馬を引かせてもらいますよ。任せてください、先輩」

「ああ――」


 ラシェットは、笑った。

 この数年で、いや、生まれてきてからいちばん気持ちのいい、さわやかな笑いかも知れなかった。


「頼りにしてるぜ――相棒!」

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