「ニコルと、もうひとり」

 フィルフィナがにぎる二丁の拳銃の発砲を、バズの前に杖を突き出したマハの防御魔法が弾き返した。着弾と同時に輝く光の壁が二人の体をおおうほどの大きさに展開する。


「デルモンを最優先で追おうってか。まあそれが最適解だな。だけどな、それを俺たちがみすみす見逃みのがすと思ってるのかって――――うわぁ!!」


 リルルとフィルフィナのふたりが、ポイ捨てでもするかのように足元に向けて投げつけてきた爆弾――両手で包めるほどの大きさのものに、バズとマハがその場から飛び退く。


「死にたいのか馬鹿が! こんな室内で爆弾なんて使う奴が!」


 短い導火線どうかせんが燃えきようとするのと、その爆弾を踏みつけるようにしてリルルとフィルフィナが走り込んで来たのとは、同時だった。

 バスン! と消化不良を起こすような情けない音が弾み、二つの黒い球が盛大に黒煙をき出す。


 煙だけで終わった頼りない破裂が収まった時、二人の姿は室内にはなかった。


「ち――ハッタリか!」


 常識を超える跳躍力ちょうやくりょくで、バズが天井に開いた穴から屋上に飛び上がる。少し離れた所に描かれた緊急きんきゅう用の転移鏡てんいかがみが効力を失って閉じ、広がった白いかさが飛び降りるよりは少し遅い速度で舞い降りて行くのが見えた。


「あいつら、俺たちを放置かよ!」

「放置じゃないでしょ。下から上がってくる騎士たちに任せたのよ」


 バズが屋上から戻る。その間にティーグレは戦う気など毛頭ないのか、奥にある緊急避難部屋セーフルームに引っ込んでいた。完全に第三者の立場を決め込むつもりらしい。


「……取りあえず、あの騎士たちをどうにかしないとね」

「どうにかしろ!」

「どうにかするわよ。あんたなんかと一緒につかまって斬首ざんしゅされるなんて真っ平だからね」


 頭のフードを外し、隠し持っていた三角帽さんかくぼうかぶってマハは階段に移動した。まだ騎士たちの姿は見えないが、派手に打ち鳴らされる足音は確実に三階ほど下まで迫ってきている。ここまで到達するのに三十秒もかからないだろう。


「――ったく」


 マハはつえの尻で階段を叩き、何事かを口の中でつぶやき始めた。



   ◇   ◇   ◇



「八階! あと二階です!」


 金属製の全身甲冑かっちゅうを身につけて十階分の建物をけ上がる――訓練の演目えんもくの中にないことはない行為だった。翌日には全身の筋肉が炎症を起こして動けなくなる行動だ。しかし明日のことをいってはいられない。ニコルを先頭とした二十数人の騎士たちは、走りに走った。


 最初の異変、自分の靴裏くつうらが階段をたたく音に響く手応え、それがなくなっていることに気づいたのは、やはりニコルだった。


 コンクリートをんでいた感触が、水気を含んだセメントに変わっている――その認識、すさまじい頼りなさが、脚の神経を走って背筋にこおるような寒気を送った。


「先輩たち! 階段から離れてください!」

「階段から離れてって――」

「早く!!」


 ニコルの後ろをぴったりと着いていたラシェットが、少年の頭の上で信じられないものを目撃していた。

 上に続いている階段が、砂に戻るかのようにくずれてきている――人が走るよりも速い速度で!


「――逃げろぉぉ!」


 駆け上がる者と駆け下りる者、双方が激突しなかったのは奇跡だったのかも知れない。ニコルの声にみちびかれたかのように集団は反転していた。いや、最初に気が付いたニコルが、ラシェットたちの体を押しやったのも大きい。


「先輩、早く!」


 騎士たちに続いてラシェットが七階のおどり場に飛び込む。先頭を走っていたニコルが逃げる集団の最後尾となる――すでに、もう二段先までの階段が砂となって崩れて消えている!


「ニコル! 手をばせ――」

「先輩!」


 どう考えても間に合わないことを理解しながらも、ラシェットがニコルに向かって腕を伸ばした。

 だが、その手がニコルの手に触れることはなかった。

 砂の雨と一緒になって、金色の髪の少年は、巨大な縦穴となった階段のを落ちていった。


「ニコル――っ!?」



   ◇   ◇   ◇



「これで少しはつでしょ」


 この建物には階段はひとつしか存在しない。それを全て消し去ったのだから、徒歩でここまで上がって来る手段はまずなくなったはずだった。


空挺くうていがあるかも知れないな。連中にも空を飛ぶ手段は皆無かいむじゃないだろう」

「撃ち落としてやるわ。王城が燃えるのも見届けないといけないし。脱出はデルモンに下ろしてもらえばいいかしら――」


 二人の背後で、ガチャ、と重い金属が重なり合う音がした。その、どう考えても甲冑が鳴った・・・・・・音に一瞬で背中を汗で冷やし、バズとマハはゆがませた顔を振り向かせていた。

 ひざを着いて体を支えているニコルが、そこにいた・・・・・・・・・・


「……どうやって上がってきた」

「企業秘密だ」


 バズの吊り上がった目、奥の瞳の中でニコルが立ち上がる。その手にはレイピアが握られていた。


「グァンモンみさきの事件のあらましは聞いている。君たちには他国での陰謀いんぼう加担かたんした容疑もかかっている。――無駄な抵抗ていこうはやめ、大人しく投降とうこうしろ。この建物は完全に包囲ほういされている」

「……ガキ、ここまでたどりついたのは、お前一人か?」

「僕にはニコル・アーダディスという名前がある」

「……どうやら、このガキ一人だけらしいな」


 続いて人影が現れないことに、バズは肩を揺らした。どうやってこのチビが上がって来たのかはわからなかったが、大した問題ではない。


「あら、可愛い顔をした坊やじゃない」


 落ち着き払った表情を浮かべて自分を凝視してくる少年騎士に、マハは微笑ほほえんだ。


「待っている間、退屈たいくつなんでしょ。この坊やで少し遊ばせてもらってもいいかしら」

「どうせなら俺とからめよ」

「あんたと寝るのは二度とゴメンよ。自分勝手ばっかりなんだから」


 鼻を鳴らして相棒を突き放す。


「坊や、お姉さんといいことしましょう」

「投降するのか? しないのか?」

「投降するのはあなたよ」


 艶然えんぜんと笑ったマハが見開いた両眼が、まぶしいくらいのあやしい輝きを発した。


「うっ!」


 その光をまともに正視したニコルが顔を歪め、脚を折って片膝を着く。その体がうつせに倒れるまで、数秒とかからなかった。


「――ま、チョロいものね」


 昏倒こんとうして身動みじろぎもしなくなったニコルにマハが歩み寄る。かぶとからのぞく、少年のまぶたを閉じた横顔、少女の面影おもかげすらほんのりと見せるその整った顔立ちに、思わずほほを染めていた。


「おい、やめとけよ」

「なによ、あんたにあたしを止める権利なんてないわよ。別に見てるのはかまわないから、そこで大人しくしてなさいよ」

「そうじゃなくてな……」


 バズが眉間みけんにしわを寄せた。


「そいつ、じゅつが効いてないぞ」

「え――――」


 ニコルの目が、開いた。

 その体がバネ仕掛けのように跳ね上がり、放されていなかった剣が風切り音を上げて嵐の速度で旋回する。それを杖で受け止め、かろうじて斬撃ざんげきをマハは回避かいひした。


「――あたしの魅了チャームを、まともに受けたはずなのに!?」


 振り回された杖での殴打おうだをニコルがかいくぐる。双方共に体勢を整えるために間合いが開いた。


「――以前、同じ技を受けたことがあってね。その時は一発でやられてしまったんだ。それ以来、じゅつに対抗するための訓練は、重点的に受けて来た」

「おい、こいつ見た目以上にやるみたいだぜ。遊ぶなんていうのは、あきらめるんだな」


 部屋の隅に追い詰められないようにニコルが進み出る。マハがそれを受けながら後退し、バズが大きく外に回ってニコルの背後についた。


「もったいないわねぇ」

「ガキ、今大人しく降参して武器を放り出したら、命だけは助けてやる。お前も一対二で戦うとかいう不利はしたくないだろう。死ぬぞ」

「投降しろ。君たちに逃げ場はない」


 剣を構えたバズをレイピアで、杖を構えるマハを視線でニコルは牽制けんせいした。


「……こいつ、本当に融通ゆうづうが利かない奴だな。安月給のために死にたいのかよ。ああ、デルモンじゃねぇが面倒くせぇ――マハ、一撃で仕留めるぞ。攻撃魔法なんか使うな、建物がぶっ壊れる」

「わかってるわよ」


 三人の足が最適な間合いを探るように、それぞれにった。たとえ足の指一本分のみ込み、その浅い深いでも、生死は左右される。それぞれの間合いに確信を持てるまで擦り足の探り合いが続く。


 天井に空けられた穴が、部屋の真ん中に陽の光を直接落とし込んでくる。その輪の中に、三人は直線を結んでいた。


「――よし」

「行くわ!」


 バズとマハの気が満ち、その足が床をろうとした瞬間に――それは、天から落ちてきた。

 ニコルがバズの剣をレイピアの腹で受け、少年の背を殴打おうだしようと飛びかかったマハが振り下ろした杖を、紫陽花あじさい色のドレスの少女がレイピアでがっちりとはばんでいた。


「誰だお前は!」

「――君は!?」


 おどろきの間隙かんげきを突くように、ニコルと少女が相手の得物を弾く。再び間合いが開く。

 突然空から降ってきて、自分の背を守ってくれた少女の出現に、ニコルは驚きを隠せない。

 なにより、その少女がかぶる見知ったフォルム帽子ぼうしが、少年を絶句させていた。


「私の愛しい騎士を、むざむざ殺させるわけには参りません! その非道と横暴をはばむため、僭越せんえつではありますが――助太刀すけだちさせていただきます!」


 その帽子は真っ青な薔薇バラかたどり、既視感きしかんの強い作りのドレスは、全く見慣みなれない鮮やかな紫陽花色に染め上げられている。ニコルの記憶の中にある薄桃色の少女とは、その雰囲気ふんいきをどこか決定的にことにするその立ち姿に、ニコルは声も出なかった。


「私の名は、快傑令嬢サフィネル! 王都の平安を乱す方々にお仕置しおきを加えるため――ただいま、参上いたしました!」

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