「罪と罰」
フィルフィナが打った一手は、
「
悲鳴のような、悲鳴にしか聞こえず、実際悲鳴そのものの声を上げてフィルフィナは涙目で
「お嬢様ったら、快傑令嬢の活動にばっかりかまけて、最近はちっともわたしにかまってくれない! わたしは便利な道具を出す便利なメイドでもなければ、便利なエルフでもないんです! わたしにも心があるんです!」
「……それは知ってるけど」
「だから、もう久しぶりに遊んでくれると
「……服を全部
「それは、お嬢様が恥ずかしがられる仕草が、とてもお可愛らしいから!」
「…………」
ふくれっ
「お嬢様と遊ぶのが楽しくて! つい調子に乗ってしまったんです! わ、わたしがお嬢様から本当に何かを
「……私の大事なものは奪ってくれているけどね」
「はい?」
「――それはともかく」
こほん、とリルルが咳払いをする。
「――取りあえず、この
「小切手でいいですか!」
ほとんど反射的に小切手を取り出したフィルフィナは、それに七桁の金額を書き込んだ。
「
「さすがフィル」
リルルは
「伊達に十年お父様と付き合ってないわね。私も小切手は嫌いじゃないわ。特に、
最敬礼で差し出されたそれを、満面の笑みを浮かべてリルルは
「それで、
「あぅぅ……」
やはりそれからは
「で、でも、お嬢様からの
「そこまで暴力的なことはしないわよ」
「そうなんですか?」
フィルフィナの心に、ふたつの感情が複雑に
「あ、いえ、別にがっかりしているわけではないのですが……お、お嬢様の気がお済みになるのでしたら、フィルはもう、なんでも甘んじてお受けいたします!!」
「そうね」
真顔になったリルルはフィルフィナから目線を外し、少しの間考え込んだ。そのリルルの頭の中でどんな『お仕置き』が組み立てられているのか、フィルフィナは異様に興奮した。
判決は、きっかり一分後に
「――フィル、目を閉じて歯を食いしばり、
「ひゃ、ひゃい……」
暴力的ではないといったのに、これは軍隊などでいう
その疑問があっても、フィルフィナは素直に
固く閉じた目、完全の暗闇の中で、リルルが近づく気配がした。
「くらくらするだろうけれど、倒れないでね」
「お……お願いいたします……」
フィルフィナは、胸の
「いくわよ」
足音が一歩分、近づいた。肩に力の全部を入れ、奥歯を噛みしめてフィルフィナは、次に来るだろう
自分の髪に、
「――え?」
リルルの閉じられたまぶたが、掛け値なしの
心がとろけるほどにあたたかく、やわらかいもの――それが口の
「はぅあ――――――――!?」
「お、ぉお、おぉお、ぉ嬢様……!?」
一秒にも満たない接触が解かれて、リルルの気配が
「はい、お仕置きは終わり」
フィルフィナの伸びきった体は元には戻らない。
「もう、こんなことしちゃ嫌よ」
「お――おおお、お、お嬢様ぁぁ!
「ちょっとちょっと」
「そ、そそそ、そうしていただければ、フィルはこの場で死んでもかまいません! い、いいえ、いっそのこと――この場で死にたい!!」
「それもダメ。フィルに死なれたくないし、フィルと結婚しなきゃいけなくなるのもダメ」
エルフの女性の耳にキスをするという行為が、結婚を約する神聖な意味を持っていることを
「せ、責任を取れとは申しません! お嬢様、お願いですからぁ!」
「――フィル、この世で最も
「は――はい?」
「それはね」
リルルが微笑んだ。女王の
「『
「は――――」
フィルフィナの心が真っ白になった。実際、十数秒の間、自分の名前さえ認識できなくなっていた。
「先に帰ってるわ。フィル、お風呂の用意お願いね」
「は……はは、はは、はははは……」
「ほ……ほ、惚れた弱み、ですか……」
主とメイド。生まれも育ちも、種族さえもが
リルルが太陽で、自分は月。少女が
ふたり共に生きていこうと約束を交わし合った時に、それぞれに定めた
「な、な、なるほど……。わたしが、お嬢様に勝てないわけですね……これは……あはは……」
◇ ◇ ◇
勤務を終えたニコルが自宅の近所にたどりついたのは、夜も
家々の窓にはまだ明かりが灯っている。これから酒場に繰り出して一日の不平不満を酒で
昼間の作戦――財宝移送作戦に
いや、むしろ上がった気配さえあった。
その光景に、リロットが警備騎士団に信頼を置いてくれている、形の上では敵対関係とされているこの少女はやはり敵ではなく、味方であるという認識が固定化されたのだ。
警備騎士団が裏切ればそのまま
そこに、まんまと偽快傑令嬢が現れた構図が決定的だった。
遠く離れた森の中で交戦があったらしい。作戦の失敗を知らせる信号が打ち上げられたのは、残念ではあったが――。
「……とはいえ、困ったことがないでもない……」
自宅に最も近いラミア列車の駅で降り、そのまま
「これでまた、リロットを
やはり明かりが消されてはいない自宅の姿が見え――その前に一台の馬車が横付けされているのを見て、ニコルの直感に刺さるものがあった。
「――あれは?」
反射的に耳を
母と
――そもそも、言い争っている相手は、母と……
「なんだ……!?」
ニコルは扉には触れず、壁に体を寄せて聞き耳を立てた。
「――だから! いってるでしょうが、
内側から響いて来た母の声に、ニコルの心臓が弾む勢いで
「わけがあろうがなかろうが、この
「そんなインチキな証文! 適当なでっち上げでしょうが!」
「インチキかどうかはあんたが決めるんじゃないんだ、法律が決めるんだよ。なんなら裁判で
「だ、だいいち、そんなものはこの十六年間
「二者間で
「こ、こんなものは……! あ……あの人が、女遊びでこんな額の借金をしていたなんて、あり得ない! あの人はそんな人間じゃありません!」
「お宅の死んだ
「母さん!」
ニコルは突入していた。
「おや、騎士の坊やがお帰りかい。話は聞いてたんだろ。扉の向こうで耳を澄ましている気配が丸わかりだったぜ」
「…………!」
用心に用心を重ねた
「父が借金をしていたなんて、あり得ません!」
「そんな議論はいいっていってんだろうが。この紙の効力を
「帰ってください!」
「ああ、帰るさ。こんな貧乏一家から、八桁の金が出てくるとか期待してねえよ」
あっさりと男たちは外に出る気配を示した。
「証文の写しは置いといてやる。この家が
「あなた方は……!」
「騎士の坊や。いきなりこんな話が降って
肩と肩をすれ違う瞬間、男が笑う。
「原因はお前さんなんだ」
「なに……!」
「自分がこの最近、どんな馬鹿な行いをしたか心当たりがあるだろう?」
「…………!」
ニコルの
「……あの公爵令嬢の手の者か!」
「即答で当てたか。まあ、わかるよな。お前、調子に乗りすぎたんだよ。……じゃあ、どうすればいいかもわかるな?」
ニコルが
「……エヴァレー嬢に会えるのか?」
「今夜の内か。問い合わせてやってもいいぜ。俺もこんな所に何度も足を運びたくないからな」
男たちは扉を開き、ニコルに対して
「母さん、ちょっと出かけてくるよ」
「ニコル……!」
「大丈夫。
ニコルが自分から外に出たのをククク、と笑って男は自分も続く。後に出た男が乱暴に扉を閉め、不安げな表情しか見せない母の姿が見えなくなった。
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