「罪と罰」

 フィルフィナが打った一手は、無条件降伏バンザイだった。


さみしかったんですー!」


 悲鳴のような、悲鳴にしか聞こえず、実際悲鳴そのものの声を上げてフィルフィナは涙目でうったえた。


「お嬢様ったら、快傑令嬢の活動にばっかりかまけて、最近はちっともわたしにかまってくれない! わたしは便利な道具を出す便利なメイドでもなければ、便利なエルフでもないんです! わたしにも心があるんです!」

「……それは知ってるけど」

「だから、もう久しぶりに遊んでくれるとおっしゃったから! これは好機チャンスだと! お嬢様がわたしにかかりっきりになってくれるように、わたしの機嫌を取ってお金を借りてくれるようにと、こんなものを使ったんです!」

「……服を全部いてくれたのは?」

「それは、お嬢様が恥ずかしがられる仕草が、とてもお可愛らしいから!」

「…………」


 ふくれっつらになっていたリルルのほおに、しゅの色が浮かぶ。


「お嬢様と遊ぶのが楽しくて! つい調子に乗ってしまったんです!  わ、わたしがお嬢様から本当に何かをうばうなんてあり得ません! それともお嬢様は、わたしがそんなことをすると思っているのですか!」

「……私の大事なものは奪ってくれているけどね」

「はい?」

「――それはともかく」


 こほん、とリルルが咳払いをする。


「――取りあえず、この償いオトシマエはしてくれるのよね?」

「小切手でいいですか!」


 ほとんど反射的に小切手を取り出したフィルフィナは、それに七桁の金額を書き込んだ。


法定利率年利二割を上乗せさせてもらっています! お納めください!」

「さすがフィル」


 リルルは微笑ほほえんだ。


「伊達に十年お父様と付き合ってないわね。私も小切手は嫌いじゃないわ。特に、他人ひとに切らせるのって素敵」


 最敬礼で差し出されたそれを、満面の笑みを浮かべてリルルはふところに収めた。心が暖かくなった気がした。


「それで、制裁お仕置きの方だけれど」

「あぅぅ……」


 やはりそれからはまぬがれることはできないのか、とフィルフィナは心と体で泣いた。


「で、でも、お嬢様からの制裁お仕置きならむしろご褒美ほうび……。お嬢様、わたしに平手打ちビンタでもムチでも打ってください!」

「そこまで暴力的なことはしないわよ」

「そうなんですか?」


 フィルフィナの心に、ふたつの感情が複雑にうずを巻いた。


「あ、いえ、別にがっかりしているわけではないのですが……お、お嬢様の気がお済みになるのでしたら、フィルはもう、なんでも甘んじてお受けいたします!!」

「そうね」


 真顔になったリルルはフィルフィナから目線を外し、少しの間考え込んだ。そのリルルの頭の中でどんな『お仕置き』が組み立てられているのか、フィルフィナは異様に興奮した。

 判決は、きっかり一分後にくだされた。


「――フィル、目を閉じて歯を食いしばり、肩幅かたはばに脚を開いて立ちなさい」

「ひゃ、ひゃい……」


 暴力的ではないといったのに、これは軍隊などでいう鉄拳制裁てっけんせいさいを加える時の姿勢ではないのか。

 その疑問があっても、フィルフィナは素直にしたがった。リルルのこぶしほおに食らう、初めての体験だ。ドキドキする。


 固く閉じた目、完全の暗闇の中で、リルルが近づく気配がした。


「くらくらするだろうけれど、倒れないでね」

「お……お願いいたします……」


 フィルフィナは、胸の動悸どうきの制御ができないまま応えた。痛みを保存する方法はなかっただろうかと、頭のすみで考えた。


「いくわよ」


 足音が一歩分、近づいた。肩に力の全部を入れ、奥歯を噛みしめてフィルフィナは、次に来るだろう打撃インパクトの瞬間を待ち――。

 自分の髪に、誰かの・・・髪が触れた感触を覚えて、反射的に目を開けた。


「――え?」


 リルルの閉じられたまぶたが、掛け値なしの零距離ゼロきょりにあって、それ以外、本当になにも見えなかった。

 心がとろけるほどにあたたかく、やわらかいもの――それが口のはしくちびるをギリギリかすめる、ほんの側――そこにちょん、と乗った感触が置かれた。


「はぅあ――――――――!?」


 爪先つまさきが立ち髪の毛がねたフィルフィナが、反射的に体を限界まで縦にび上がらせる。


「お、ぉお、おぉお、ぉ嬢様……!?」


 一秒にも満たない接触が解かれて、リルルの気配が退いた。


「はい、お仕置きは終わり」


 フィルフィナの伸びきった体は元には戻らない。くつの爪先の爪先が、全部の体重を支えきっていた。


「もう、こんなことしちゃ嫌よ」


 かすかに頬を赤くしたリルルの横顔が流し目を見せ、涙目でフィルフィナはその肩にすがりつき、全身全霊ぜんしんぜんれいで、懇願こんがんした。


「お――おおお、お、お嬢様ぁぁ! 後生ごしょうです! フィ、フィルの耳に、このフィルフィナの耳に、今のお情けをくださいませ!!」

「ちょっとちょっと」

「そ、そそそ、そうしていただければ、フィルはこの場で死んでもかまいません! い、いいえ、いっそのこと――この場で死にたい!!」

「それもダメ。フィルに死なれたくないし、フィルと結婚しなきゃいけなくなるのもダメ」


 エルフの女性の耳にキスをするという行為が、結婚を約する神聖な意味を持っていることをっているリルルがこばむ。


「せ、責任を取れとは申しません! お嬢様、お願いですからぁ!」

「――フィル、この世で最も克服こくふくできない弱味って、なんだか知ってる?」

「は――はい?」

「それはね」


 リルルが微笑んだ。女王の風格ふうかくさえ、その微笑みにはあった。


「『れた弱み』っていうのよ」

「は――――」


 フィルフィナの心が真っ白になった。実際、十数秒の間、自分の名前さえ認識できなくなっていた。


「先に帰ってるわ。フィル、お風呂の用意お願いね」


 優雅ゆうがに肩をひるがえしたリルルは、髪の微かな香りを残して、悠々ゆうゆうと去って行った。


「は……はは、はは、はははは……」


 あるじのキスを下賜かしされた口元を指で押さえ、そのまま固まっていたフィルフィナは、数分が経過してからようやく、魔法の束縛そくばくから解放されていた。


「ほ……ほ、惚れた弱み、ですか……」


 主とメイド。生まれも育ちも、種族さえもがちがうふたりが、共に歩んでいくために選んだ役柄やくがら

 リルルが太陽で、自分は月。少女がようで、自分はいん

 ふたり共に生きていこうと約束を交わし合った時に、それぞれに定めた仮面ペルソナ

 

「な、な、なるほど……。わたしが、お嬢様に勝てないわけですね……これは……あはは……」



   ◇   ◇   ◇



 勤務を終えたニコルが自宅の近所にたどりついたのは、夜もやや更けてからだった。

 家々の窓にはまだ明かりが灯っている。これから酒場に繰り出して一日の不平不満を酒でうすめようとする、まだ酔っ払っていない酒飲みが大勢表をうろついていたりで、街は寝静まってはいない。


 昼間の作戦――財宝移送作戦に偽装ぎそうした、偽快傑令嬢捕獲ほかく作戦は失敗に終わったが、警備騎士団の士気は落ちてはいなかった。

 いや、むしろ上がった気配さえあった。


 警備騎士団自分たちが用意した鉄箱の中に、快傑令嬢リロットが目の前で自ら入って納まり、外から鉄鎖をかけられた――。

 その光景に、リロットが警備騎士団に信頼を置いてくれている、形の上では敵対関係とされているこの少女はやはり敵ではなく、味方であるという認識が固定化されたのだ。


 警備騎士団が裏切ればそのまま逮捕たいほとなるその状況じょうきょうに、王都の危機を救うためその可能性を考えず、快傑令嬢リロットは身を投じた。

 そこに、まんまと偽快傑令嬢が現れた構図が決定的だった。

 遠く離れた森の中で交戦があったらしい。作戦の失敗を知らせる信号が打ち上げられたのは、残念ではあったが――。


「……とはいえ、困ったことがないでもない……」


 自宅に最も近いラミア列車の駅で降り、そのまま家路いえじをたどる。庭も持たない小さな一軒家が少しの隙間だけをけて建ち並ぶ夜の住宅街を、思いをめぐらしながらニコルはひたひたと歩いた。


「これでまた、リロットをつかまえることがやりにくくなった……本当に困ったことだよな……うん?」


 やはり明かりが消されてはいない自宅の姿が見え――その前に一台の馬車が横付けされているのを見て、ニコルの直感に刺さるものがあった。


「――あれは?」


 反射的に耳をませると、家の中から怒声どせいが聞こえてくるのがわずかに鼓膜こまくを震わる。


 母と祖母そぼのいつものケンカでないことはすぐにわかった。一日に必ず一度はものすごい勢いの口論こうろんをする母と祖母だが、その底に悪意のかけらもない、じゃれ合いのようなそれを見てきて、ニコルはつらいと思ったことなど一度としてなかった。


 ――そもそも、言い争っている相手は、母と……


「なんだ……!?」


 ニコルは扉には触れず、壁に体を寄せて聞き耳を立てた。


「――だから! いってるでしょうが、うちの人・・・・がそんな借金を作るわけがないって!」


 内側から響いて来た母の声に、ニコルの心臓が弾む勢いでね上がった。母がいう『うちの人』といえば、それはニコルの父――自分が生まれる直前に他界している――しかし示さない。

 

「わけがあろうがなかろうが、この証文しょうもんには効力があるんだよ。ここに書かれている金額を返済へんさいする義務があんたらにあるっていうわけだ。借りた金は返さなくちゃならん、当たり前だよなぁ?」

「そんなインチキな証文! 適当なでっち上げでしょうが!」

「インチキかどうかはあんたが決めるんじゃないんだ、法律が決めるんだよ。なんなら裁判であらそってもいいんだぜ。――負けた場合は、したがってくれるんだろうな?」

「だ、だいいち、そんなものはこの十六年間督促とくそくもなかったでしょう! 督促がない借金なんていうのは……!」

「二者間で債券さいけん譲渡じょうとが成立すれば、五年の督促なしでの債務さいむ消滅っていう期限は、時間が巻き戻されるんだよ。この証文は、十六年で四回も譲渡が繰り返されているんだ。履歴りれきもそうなってるだろ?」

「こ、こんなものは……! あ……あの人が、女遊びでこんな額の借金をしていたなんて、あり得ない! あの人はそんな人間じゃありません!」

「お宅の死んだ亭主ていしゅの人間性なんて、こちとら知ったこっちゃないんだよ。この証文が示す借金、一千二百万エル、耳をそろえて返すか返さないかっていう話なんだ。――金がないっていうんなら、このボロを地面ごといただくことになるがな」

「母さん!」


 ニコルは突入していた。居間いまの食卓に使われるテーブルには母のソフィアが真っ青な顔を見せて座っている。それに対しているのは、三十を少し過ぎたばかりの男が二人組――どうも真っ当な仕事にいている堅気カタギには見えないにおいしかなかった。


「おや、騎士の坊やがお帰りかい。話は聞いてたんだろ。扉の向こうで耳を澄ましている気配が丸わかりだったぜ」

「…………!」


 用心に用心を重ねた隠蔽いんぺいではなかったが、それでも、素人に見抜かれるような隠れ方はしていなかったつもりだ。


「父が借金をしていたなんて、あり得ません!」

「そんな議論はいいっていってんだろうが。この紙の効力をうたがうんなら、出るところに出ろ。簡易裁判所にうったえる手続きの仕方は教えてやるよ」

「帰ってください!」

「ああ、帰るさ。こんな貧乏一家から、八桁の金が出てくるとか期待してねえよ」


 あっさりと男たちは外に出る気配を示した。


「証文の写しは置いといてやる。この家が更地さらちになるまで一週間もないぜ。まあ、訴えたところで、二週間先には同じことだがな」

「あなた方は……!」

「騎士の坊や。いきなりこんな話が降っていてきて、どういうことかわけがわからないんだろ?」


 肩と肩をすれ違う瞬間、男が笑う。煙草タバコのキツいにおいが、歯と歯の間かられた。


「原因はお前さんなんだ」

「なに……!」

「自分がこの最近、どんな馬鹿な行いをしたか心当たりがあるだろう?」

「…………!」


 ニコルの脳裏のうりひらめくものがあった。


「……あの公爵令嬢の手の者か!」

「即答で当てたか。まあ、わかるよな。お前、調子に乗りすぎたんだよ。……じゃあ、どうすればいいかもわかるな?」


 ニコルが歯噛はがみする。奥歯がわずかにきしむような音を立てた。


「……エヴァレー嬢に会えるのか?」

「今夜の内か。問い合わせてやってもいいぜ。俺もこんな所に何度も足を運びたくないからな」


 男たちは扉を開き、ニコルに対してあごをしゃくって見せた。


「母さん、ちょっと出かけてくるよ」

「ニコル……!」

「大丈夫。戸締とじまりはしっかりしておいてね。――じゃあ、連れて行け」


 ニコルが自分から外に出たのをククク、と笑って男は自分も続く。後に出た男が乱暴に扉を閉め、不安げな表情しか見せない母の姿が見えなくなった。

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