第01話「出会いに彩られる園遊会」

「リルルとニコルの事情」

「おーっほっほっほ! 私は快傑令嬢よ!」

「ンな理由わけあるかァ――――ッ!!」


 快傑令嬢リロット――リルルの、炎の風を巻く貫通突きストレートパンチが、そのドレス姿をした人影の顔面に炸裂さくれつした。


「ぶふぅぅぅっ!!」


 鼻柱をまともに打ちくだいた威力いりょくの衝撃に、ドレス姿そのものが吹き飛び、路地裏ろじうらに積み上げられた木箱をぎ倒す。


「な……なんだ、手前てめェ!」

「それはこっちのセリフだぁ――――!!」

「うごふォ!!」


 竜巻を呼ぶような遠心力をつけた裏拳うらけんが、立ち上がってきた偽快傑令嬢のあご粉砕ふんさいする。もろいモルタルの壁に細長いその体形が激突した。


「あ……あ、あなた、人をめてるの? おちょくっているの? か、か、かかか、かいへ……あ、舌んだ……か、快傑令嬢をいったい、なんだと思っているの……!?」


 日の差さない細い路地で、攻撃的な気配が炎のように揺らめく。いうまでもなく、その激しく燃えさかる波動のしんとなっているのは、リルル自身だった。


 ――王都は今、混乱の坩堝るつぼにあった。


 文字通りの跳梁跋扈ちょうりょうばっこ快傑令嬢が日に何度も重要な場所に出現し、取り返しのつかない悪事を働き続け、王都を混乱のうずたたき込む連日連夜。


 そんな中。


 夕日が落ちた時間帯の下町、酒場が建ち並ぶ、薄汚れた界隈かいわいの汚れた路地裏。

 快傑令嬢リロットとなって街中という街中をけずり回るリルルは今日、七人目・・・の偽快傑令嬢を捕捉ほそくしていた。


「こ……こ、こ、困るのよね……そんなことを、もう、気軽にしてくれたら……」


 暴力の化身と化し、ありふれた街のすみで荒れくるっている薄桃色のドレス姿の令嬢の背中を、胸元を半分はだけさせられて座り込み、脱がされかけたスカートを乱している若い娘が、震える涙目で声もなく見つめている。


 リルルは偽物を追い詰めていた。――いや、理性がそれを偽物とはとても認めがたかったが。

 マスクはともかく、誰のものを借りてきたのか、オレンジ色の鍔広つばひろ帽子ぼうしに適当なワンピースのスカート姿は、快傑でもなければ令嬢でもない――いや、そもそも女ですらなかった・・・・・・・・


「い――い、い、いったいどこの世界に、婦女暴行をやらかす快傑令嬢がいるのよぉ――――ッ!!」

「ぶでひっ!」


 壁から重力に引かれてがれかけた女装の男・・・・を、一秒間に九発繰り出されるリルルの正拳突きの豪雨ごううおそう。下からの突き上げに悲鳴も上げられなくなった男は、とっくの昔に白目をいていた。


「寝るなぁぁっ!! 起きなさぁぁぁぁぁぁいッ!!」


 リルルの背負い投げが旋風せんぷうを巻いて男が宙を舞い、地響きを立てる勢いでその体が叩きつけられた。その拍子ひょうしに、今まで腰が抜けて立てなかった女性が飛び上がり、ほとんど転がるようにして通りに向かって走り出していく。


 建物と建物の細い隙間、薄暗い空間で繰り広げられている阿鼻叫喚あびきょうかん惨状さんじょうに介入しようにもできなかったフィルフィナが、勇気の全てをふるって路地裏に踏み込んだ。


「も、もうおやめください、それ以上すると死んでしまいます」

「こんな奴は死んだ方がいいのよ!」


 薄桃色のドレスをまとった少女は、涙を流しながら片腕一本で女装の男をり上げた。


「私は――私はね、こんな下らない奴に汚名を着せられるために、今までがんばってきたんじゃないわ! どいつもこいつも、私の気持ちも知らないで、飲み屋で一杯引っかけるみたいに私の名前を名乗りやがってェ――!!」


 再び男の体が、高々とするどい放物線を描いた。


「フィル……心配しないで。私だってちゃんと理性は残ってるわ。大丈夫……殺しはしないわよ、殺しは……殺す以外のことは全部やらせてもらうけれどね!!」


 何ヶ月病院の寝台ベッドの上で動けない運命にあるのか、もはや計算もできない瀕死ひんし犠牲者ぎせいしゃに向かい、ズカズカと歩いていく主人の背中に声をかけようとし、フィルフィナはやめた。矛先ほこさきがこちらに向くのはなんとしてもけたい。


 まだ死にたくはなかった。


 物言わぬ失神の身に対して暴力の限りをくしても、胸の鬱憤うっぷんを晴らしきれない主人の胸中を思って、フィルフィナはため息をいた。


 事態は最悪だった。


 この数日、王都で何百人という偽の快傑令嬢が出没していた。本物の快傑令嬢に似せた扮装ふんそうをしていればまだマシな方で、マスクに帽子、それらしいワンピースドレスなら快傑令嬢だという強引な有象無象うぞうむぞうどもがあふれ出し、高らかに名乗りを上げては好き勝手な犯罪を起こしまくっていた。


 誰もそれを本物の快傑令嬢だとは思わない。いや、むしろ本物だと思わないからこそおそれた。偽物の快傑令嬢は手段を選ばない――その認識が、快傑令嬢の名乗りが上がるたび善良ぜんりょうな人々を恐怖させた。その恐怖を利用して盗みや暴行が横行する、王都はまさに無法地帯と化した。


 どこかを張り込む必要もない。適当にそこらの空を飛んでいれば、あちこちで快傑令嬢の高らかな名乗りといい加減なカーテシーが披露ひろうされ、市民たちの悲鳴が響き渡った。期間限定で今だけはどんな罪を犯しても許されるなどと勘違かんちがいをしているのか、夏の羽虫のようにいてくる連中どもだ。


 そのあまりもの多さに、警察機構も全く対応しきれない。絵に描いたような最悪の事態だった。


「ああああっ! もうっ!!」


 物思いに逃避とうひしていたフィルフィナは、ほとんど耳元で響いて来たリルルのうなりに背筋をばされた。どうやらようやく私刑リンチが終わったらしい。犠牲者ぎせいしゃの様子をフィルフィナは確かめようとしたが、万が一死んでいたらと思うと、怖くて路地裏の奥をのぞき込めなかった。


 あの偽物の快傑令嬢を追おうとも、偽物の偽物・・・・・が大量発生し、なかなか本物の偽快傑令嬢・・・・・・・・に接触できない状況じょうきょうが続く。

 偽物の偽物といえど、こいつらも到底とうてい捨ててはおけないような悪事を働いてくれる――リルルの取った方針は、フィルフィナを震え上がらせた。


「ぶちのめす」


 決意に輝くリルルの顔、その奥で爛々らんらんと輝く暗い瞳を見た瞬間、フィルフィナは自分が開けた扉に思わず抱きついたものだった。


『どいつもこいつもぶちのめすわ。快傑令嬢の偽物を演じるなんてお馬鹿なことをしでかしたらどういう目にうか、そこら辺に見せしめを作りまくってやるのよ。フフフ、フフフフ、フフフフフ…………もう、ああいう有象無象うぞうむぞう共に対しては、恐怖きょうふで対抗するしかないのよ――すさまじい恐怖でね!!』


 リルルは自分の発言を実行し、その行き過ぎを止めるために同行したフィルフィナは、現場に立ち会う度に毎回凄まじく恐怖した。


 リルルの方針は徐々じょじょにだが、効果を現していた――今日はまだ、七人の偽快傑令嬢としか接触していないのだ。

 昨日の半分だった。


 同時多発的にまがい物の快傑令嬢が大量発生する中、本物の偽快傑令嬢・・・・・・・・は順調に戦果せんかを重ねていた。名を知られた商家がいくつも被害にい、億エル単位の被害が着々と計上されていった。

 もはや予告状を送るという手間もはぶかれ、盗まれる物を持つ者は必死にそれを抱え、眠れぬ夜を過ごしていた。


「よくもお父様の会社がねらわれていないものだわ。王都有数の大企業なのに」


 幾分いくぶんは気が晴れたのか、ややすっきりした顔でリルルがこめかみの汗を手でぬぐう。めている白い手袋が、うっすらと赤く汚れていた。


 フォーチュネット水産会社。王都の人間が口にする全ての海産物はリルルの父・ログトの手をられているといっても過言ではない。貴族としてはうだつが上がらないことこの上ないが、そんな彼を貴族の世界にとどめている原動力は、その莫大ばくだいな資本から来ているのだ。


本物の偽物・・・・・捕捉ほそくするためには、お父様の会社を張った方がいいのかしら……」

「――旦那様は持って行かれて価値のあるものなど、手元にほとんど置いていません。全て取り返しがつくものか、動かせないものにえています。しっかりされている御方おかたです」

「こんなんじゃ本当にらちが明かないわ! こんなのモグラ叩きじゃない、アリ叩きよ!」

「――方法がひとつ、ないことはないんですけれどね……」


 フィルフィナのつぶやきに、心をねさせたリルルが、赤いフレームのメガネ越しに瞳を向けた。


「それはなに!?」

「助力がることです。協力をあおがねばなりません」

「もうこの際だもの! 四の五のいっていられないわ! ――で、誰に相談すればいいの!」

「それは……」


 提案した本人も乗り気ではない表情で、フィルフィナは淡々たんたんと語った。



   ◇   ◇   ◇



 完全に夜のとばりを下ろした王都東部の住宅街は、息を殺すような緊張感きんちょうかんに包まれていた。

 庶民しょみんの家にも快傑令嬢をよそおった女の――決して女に限った話でもなかったが――強盗が多数押し込んで来て、いつ自分たちがおそわれてもおかしくないという警戒感に街中が張り詰めていた。


 中の下くらいの暮らしぶりをしている平民たちの住宅地であっても、全く例外ではなかった。

 その窓枠には人間が侵入できないように板が格子こうしとして打ち付けられ、いつもは風を通すために開けられている窓も厳重げんじゅうに閉められている。


 手製の武器をでっち上げ、侵入して来るものがいれば返り討ちにしてくれる――殺気めいた空気をかもし出している家さえあった。

 そんな界隈かいわいにある、ニコルの実家。他の家と景色の中に埋没まいぼつしてしまいそうな、ごくごく普通の平屋の家。玄関などなく、出入り口の扉を開ければすぐ居間に通じるような家屋。


 その家の前に、二頭立ての大型馬車が一台、まった。その馬車を家の奥から窓越しに目撃した住人に緊張きんちょうが走る――今は外界から来る異質なものの全てが警戒の対象だった。


 馬車からは体格にめぐまれた二人の男たちが降り、無表情な顔で慎重しんちょうに周囲を見渡す。あやしい人間がいないかどうか、前後左右に視線をめぐらせてから、馬車の中に声をかけた。


「――大丈夫です」


 合図を受け、仕立てのいい服に身を包んだ一人の男が馬車から降りた。馬車の両側を警戒する男たちよりは、頭ひとつ以上背が低い。頭髪はやや薄く、小太りではあるが恰幅かっぷくがいいという印象まではいたらない。いうならば、腰が低いやり手の商人といった風貌ふうぼうの男。


 彼を一目見て、『貴族だ』といい当てられる人間は少ないだろう。

 王都において『魚貴族』という、あまり名誉めいよではないあだ名を頂戴ちょうだいしている伯爵、ログト・ヴィン・フォーチュネット――リルルの父だった。


 二人の護衛ごえいかたわらに置き、ログトはニコルの実家の扉をノックした。――返事はない。窓からはしっかりと明かりがれているというのに。


「私だ。ログトだ」


 間髪かんはつ入れずに扉が開いた。

 その丸い目をいっぱいに見開かせた中年の女性が、片手でほうきを構えた姿で突っ立っていた。


「――だ、旦那様だんなさま!?」

「久しぶりだな、ソフィア。突然押しかけてすまない――こんばんは」


 リルルの乳母をつとめた女性に、ログトは柔和にゅうわな顔で笑う。リルルが物心ついてからも、しばらく家政婦としてやとい雇われていた間柄あいだがらだ。気心が知れている。

 そのソフィア――母の後ろで剣のつんかに手を掛けていた少年もまた、予想外の訪問者におどろきを隠せない顔で、ログトを出迎えていた。


「旦那様、どうしてこちらに!?」

「ニコルもいてくれたか、よかった。駐屯地ちゅうとんちに出向いたのだが、今日は非番と聞いてな。押しかけさせてもらったよ。――ソフィア、もう夕飯なのかな?」

「え、ええ、ちょっと支度したくが遅れて、もうしばらくしたら用意が調ととのいますが……」


 ログトがこの家を訪れるなど、今までにないことだった。押し込み強盗を警戒していた二人の顔は、まさに呆気あっけに取られている。


「私も相伴しょうばんさせてもらってもいいかな、たまには手料理が食べたい。店のものも食べ続けると味気あじけない」

「え……ええ、それは、もう、大丈夫ですが……」

「ニコル、お前に話がある――少しの間、付き合ってくれないか」


 ログトが横を向き、小さく目で馬車を示した。これで出かけるという合図に、ニコルとソフィアが顔を見合わせる。

 一拍いっぱくをおいて、ニコルは前に目をえた。まっすぐにログトの目を見た。


「――かしこまりました」

「すまんな」

「……あの、旦那様、息子ニコルがなにかしでかしましたか。おしかりの言葉なら、息子でなくあたしに……」

「ソフィア、私はニコルをめこそすれ、叱ったりはしないよ。心配することはない。ただ、少し話したいことがあってな……」

「あ、ありがとうございます……」

「ではニコル、出かけよう」

「はい」


 二人の護衛に左右をまもられ、ログトが馬車に乗り込む。「戸締とじまりをしっかりね」と母に微笑ほほえみかけ、ニコルもログトの後に続いた。

 素早く護衛たちも馬車の中へと姿を消す。御者ぎょしゃがムチをひとつたたいて、馬車はゆっくりと進み出した。


 それが視界から超えるまで見送りたいと思ったが、ソフィアはその誘惑ゆうわくを断ち切って扉を閉め、厳重に鍵をかけた。

 昨日の夜、この近くの通りで強盗事件が起こったばかりなのだ。

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