「少年と少女の心、震える」

「あれは、昨日の彼女は、快傑令嬢じゃありません!」

「そんなことはわかりきってるんだよ!」


 警備騎士団の実質的な現場責任者・アイガス中隊長は、自分で歩けもしないくせに乗り込んで来たニコルに、険しい顔で一喝いっかつしていた。


「え…………?」

「お前もあの号外を読んだのか。余計なことをしてくれた奴がいたようだな。……おい、そいつを座らせろ」


 さして広くはない中隊長の執務室。窓の脇にある本棚と物入れ、事務机と来客用のテーブルと四人掛けのソファーが入ってしまえばもう、人が歩く隙間すきまがあるだけの空間だ。

 門で行き倒れそうになっていたニコルがソファーに座らされ、警備兵が一礼して退室していった。


「……あのな、お前はそんな失礼なことを考えているとは思わないが、俺たちもそんなに馬鹿じゃないんだ。自慢じまんじゃないが、俺たちは快傑令嬢とは付き合いが長い。かれこれ八ヶ月はやられたりやられたりを繰り返してる。ある意味、深い仲なんだよ」

「はぁ…………」


 アイガスが立ち上がり、背中の窓に体を向けた。部屋の中に酒の臭いが小さく漂っている。事務机の上にブランデーのびんふたを外されて立っていた。最も勤続が長く、前任が倒れたために急遽きゅうきょ昇進し、今の立場に納まったいちばんの年かさの警備騎士だ。


 まだ四十に差し掛かるか、かからないかというくらいの歳のはずなのに、顔に深くきざまれたシワは、見た目の印象を軽く十歳は上乗せしてくれていた。


「なんていうかな、快傑令嬢とは信頼関係があるんだよ。切った張ったに発展しても、あいつのレイピアで血を流した警備騎士なんていないんだ。ムチで吹っ飛ばされても、骨折した者さえいなかった。それがどうだ、今回の被害はひどすぎる。死人が出なかったのが不思議なくらいだ」


 ここに連れられるまでの、閑散かんさんとした駐屯地の空気を思い出してニコルはだまるしかなかった。――人が少なすぎる。


「動ける人員は十人といない。実質、壊滅かいめつだ。いちばん傷が軽いお前でさえも入院が必要、生死のさかいからなんとかこっちに戻って来た奴さえいる……爆弾で人を吹き飛ばすなんて、あの小娘にそんな度胸はない。俺が断言する」

「じゃあ、なんであの新聞は」

「空から落ちてきた爆弾に、我が愛すべき警備騎士たちが軒並のきなみ吹っ飛ばされて、ドレス姿のわけのわからん娘が降ってきて、『快傑令嬢リロット』なんて名乗ってみろ、そう書くしかねぇじゃねぇか」


 いがあるのか、言動に投げやりな感じしかない。しかし自分でそれに気づいたのか、恥入はじいりを隠すように小さく咳払せきばらいをした。


「問題なのは、そいつが本物か偽物かっていう話じゃない。そんなふざけた奴があばれているのを、俺たちがつかまえられないってことなんだ。……今までは捕まえられなくてもよかった。むしろ民衆は、俺たちが快傑令嬢を捕まえないことを期待していた」


 アイガスが振り返り、自分の席に着く。酒瓶に手が伸びたが、かすかにのどを鳴らし、それを理性で止めた。


「……警備騎士団なんてのは、正義の正体不明の令嬢に蹴散らされる、マヌケな道化ってな。――ついでにいってやろうか。団長のランバルト公爵も、本心ではリロットを捕まえるつもりはないんだよ」

「……まさか」

「リロットを取り逃がし続けて、おしかりの言葉は出ても処分された人間なんていない。前回の『竜』の事件の解決にリロットが関わってることを知ってる人間は多い。公式では抹消まっしょうできても、人の口に戸は立てられない。……ニコル、お前、リロットを捕まえたいと思ってるか」

「それが僕の」

「任務抜きでだ」


 ニコルはアイガスがえている目の輝きに息を飲んだ。酔いの中に真剣さが光っていた。


「……彼女には、捕まってほしくないと思っています」

「だろ」


 アイガスの手がブランデーをつかみ、机の引き出しにしまった。


「だがな、それは快傑令嬢の名前がけがれていなくて、輝いているのが前提ぜんていの話なんだよ。私利私欲のために人を傷つけ金品をうばっていく奴は、なんとしても捕まえなくてはいかん。……いかんのに、警備騎士団は半身不随はんしんふずいだ。戦力が回復するのにどれくらいの時間がかかるか……」

「…………」

「ニコル、取りあえずお前は転院だ。駐屯地の医務室で寝てろ。事件があるたびに病院から抜け出されたら、本当に面倒だからな」


 これで話は終わりだ、といわんばかりにアイガスは立ち上がった。


「俺も話はだいたい把握はあくしてる。ニコル、お前、快傑令嬢と一緒に戦ったんだろ……いや、返事はするな。勝手な俺の思い込みだ。……彼女の名誉を守りたいのなら、自分がどうするべきか、俺がこの口からいうわけにはいかん。考えろ。……それはともかく」


 執務室しつむしつのドアを開ける。並べられた机にほとんど頭数がそろっていない部屋の、さみしい空気がそこにあった。


「お前の当面の任務は、自分の傷を治すことだ。――いいな」



   ◇   ◇   ◇



 宝飾店襲撃事件から、ちょうど二十四時間ほどが経過けいかしたころ。

 官庁街の一角に、神殿調しんでんちょうの雰囲気をかもし出す建造物として一見、異様な姿を見せる白亜はくあの施設――中央証券取引所。


 午後五時には取引が終了し、日が暮れる頃には人っ子一人いなくなるはずの施設しせつが、この日に限ってはあと二時間ほどで日付が変わるという時間になっても、騒然とした空気に包まれていた。

 会社の株券や各種債権さいけん、先物取引の証券などをあつかう、王国の経済を支える重要な歯車のひとつ。


 そこに、まさに降っていたといえる一通の予告状――『今夜半、中央証券取引所から貴重な証券類を頂戴しに参ります。快傑令嬢リロット』が舞い込んで来て、機能が事実上停止している警備騎士団に代わり、貴族たちから私兵を動員した文字通り、、烏合うごうしゅうの警戒が張られていた。


 しかし、その警戒はかれた直後から、微妙としかいいようのない空気に包まれていた。


「……なんで、証券なんかを欲しがるんだ?」


 少し経済に強い者なら、誰もが疑問として浮かべる問題だった。事実、やりを持って取引所の前に壁を作る兵士たちも、自分の両隣にいる同僚どうりょうたちと前の一点をにらみながら言葉を交わし合った。


「そんなもん盗まれたとしても、効力の停止を宣言すればいいんだ。全部に所有者の名前が書いてある。新しいものを代わりに発効すればいいだけの話だ」

「夜が明けた頃には、文字通りの紙切れですからね」

「前の宝石はまだわからない話でもなかったが、今回は本気でわからねぇな……お前、自分がリロットだったらどうする」

「俺がリロットだったら? そうだなぁ……」


 話題を振られた一人の兵士が考え込む。


「確かに証券なんか盗んでも価値はないな」

「だったら何故ここを襲うなんて予告状を出す」

「中央証券取引所と王立中央銀行は区画も離れてる。並べたらあんまりに見栄えがあからさま過ぎるっていうんで、一区画離しておいたんだ。つまり距離きょりがある」

「それで」

「要するに、証券取引所をおそうと予告し、戦力をここに集めるんだ。そこで中央銀行を襲う。陽動おとりだな」

「銀行を狙って札束を奪うのか? 札にだって通し番号は振ってるぞ」

「中央銀行には王家所有の金塊も多く保管されている。大金庫は金色でキラキラらしい」

「いっぺんでいいからそこで寝てみてぇ」

「金は刻印こくいんがされていても、溶かしてまた固めてしまえば元の姿なんてわからんからな。無刻印の金だって、売ろうと思えば売れる。俺だったらそうするな」

「なるほど、それはいい思いつきアイディアだ。それなら合理性もあるな」

「そうだろ」

「はっはっは――」


 小さい笑いが広がって、消える。

 声が途絶とだえた頃には、笑い声を上げていた者たちが、笑顔のまま顔面を蒼白そうはくにさせていた。


「指揮官に知らせろ!」

「誰がここの現場指揮をってるんだ!?」

「快傑令嬢が現れたぞ――!!」


 遠くから張り上げられた声に、右往左往うおうさおうしていた兵士たちが立ち止まった。


「中央銀行が襲われた! 金塊が奪われたらしい!」

「なに――!?」


 一様に叫んだあと、十数秒、場の全員が呼吸をすることも忘れる。心をそのままえぐり取られたくらいの衝撃があった。


「だまされた! こっちはおとりだったんだ! ちくしょう、今まで予告状でうそいたことなんて一度だってなかったのに!!」


 最後の守られるべき線を嘲笑あざわらうかのように易々やすやすと踏み越えてきた悪意に、その場にいた全員がいきどおりの声を上げる。しかし、そんなものが届けるべき相手に伝わるはずもなかった。


 無駄に集められ、無駄な時間の浪費を強要された兵士たちの怨嗟えんさの声を吸い込み、王都エルカリナの夜はいつもの闇をたたえる。

 星々が輝くその空を一瞬、横切っていったものの存在に誰が気づくこともない。


 いつもの様に夜は深まり、そして明けようとする。

 次の日に展開する物語、その予感を覚えさせるように。



   ◇   ◇   ◇



 連夜の『快傑令嬢』の襲撃を報じる号外に、その当の『快傑令嬢』であるリルルは、寝台ベッドの上でそれを広げながら激しく、戦慄わなないていた。


 ――王立中央銀行からの百二十カロクラムの金塊の強奪。額にして四億エル相当の被害。


「や……や、やりたい放題やってくれるわね……」


 紙面の向こうにあってその顔色を確認することはできないが、ブチ切れ寸前になっていることを確信しているフィルフィナが、主人の血管の強度を心配して内心ハラハラと見守っていた。


「フィルっ!!」


 呼ばれたフィルフィナが、直立不動のまま、こぶしひとつ分を飛び上がった。

 号外を両手で引き裂いてリルルが姿を現す。

 東の国の能面般若のような形相ぎょうそうをした少女が、そこにいた。


「あなた。いつまでこんな奴を野放しにしているつもりなの!!」

「それが、まだ手がかりがつかめなくて」

「いつつかめる予定なの!!」

「もう少し、お待ちを――」

「待てないわ!!」


 引き裂いた紙面を更に細分化する主人をの当たりにして、フィルフィナはそれを片付ける自分の苦労を思って顔を歪めた。しかし今迂闊うかつに言葉をはさめば、自分があの新聞紙のように引き裂かれかねない。


「早くこいつの前に私を連れて行きなさい! 私の大切な名前をこんなに汚してくれて! 許さない――私の許さないという言葉がどういう意味か、その体と心に思い知らせてくれるわ!」


 リルルが立ち上がる。フィルフィナはなにかをいいたかったが、必死に言葉をおさえた。八つ当たりで体と心に思い知らされるのは、なんとしてでもけたかった。


「お嬢様、どこへ!」

「ニコルの見舞いに行きます! 警備騎士団駐屯地なのよね!?」

「それはいいのですが、お着替えをしてください!」

「さっさと着替えさせて!」


 アイスブルーの瞳を灼熱しゃくねつよりも高熱に燃やしながらリルルは両腕を広げた。まるで不発弾の解体をする手つきで、フィルフィナがその寝間着を脱がしにかかる。


「この怒り――私の怒りがどれほどのものか、期待しているがいいわ! そして、本物の前に偽物がどういう末路まつろをたどるか、きっちりと教え込んであげるから!!」



   ◇   ◇   ◇



 だが、そのリルルの怒りにも関わらず、偽快傑令嬢の手がかりはようとしてつかめなかった。

 そして――数日の時が経過した。

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