「少年と少女の心、震える」
「あれは、昨日の彼女は、快傑令嬢じゃありません!」
「そんなことはわかりきってるんだよ!」
警備騎士団の実質的な現場責任者・アイガス中隊長は、自分で歩けもしないくせに乗り込んで来たニコルに、険しい顔で
「え…………?」
「お前もあの号外を読んだのか。余計なことをしてくれた奴がいたようだな。……おい、そいつを座らせろ」
さして広くはない中隊長の執務室。窓の脇にある本棚と物入れ、事務机と来客用のテーブルと四人掛けのソファーが入ってしまえばもう、人が歩く
門で行き倒れそうになっていたニコルがソファーに座らされ、警備兵が一礼して退室していった。
「……あのな、お前はそんな失礼なことを考えているとは思わないが、俺たちもそんなに馬鹿じゃないんだ。
「はぁ…………」
アイガスが立ち上がり、背中の窓に体を向けた。部屋の中に酒の臭いが小さく漂っている。事務机の上にブランデーの
まだ四十に差し掛かるか、かからないかというくらいの歳のはずなのに、顔に深く
「なんていうかな、快傑令嬢とは信頼関係があるんだよ。切った張ったに発展しても、あいつのレイピアで血を流した警備騎士なんていないんだ。ムチで吹っ飛ばされても、骨折した者さえいなかった。それがどうだ、今回の被害はひどすぎる。死人が出なかったのが不思議なくらいだ」
ここに連れられるまでの、
「動ける人員は十人といない。実質、
「じゃあ、なんであの新聞は」
「空から落ちてきた爆弾に、我が愛すべき警備騎士たちが
「問題なのは、そいつが本物か偽物かっていう話じゃない。そんなふざけた奴が
アイガスが振り返り、自分の席に着く。酒瓶に手が伸びたが、
「……警備騎士団なんてのは、正義の正体不明の令嬢に蹴散らされる、マヌケな道化ってな。――ついでにいってやろうか。団長のランバルト公爵も、本心ではリロットを捕まえるつもりはないんだよ」
「……まさか」
「リロットを取り逃がし続けて、お
「それが僕の」
「任務抜きでだ」
ニコルはアイガスが
「……彼女には、捕まってほしくないと思っています」
「だろ」
アイガスの手がブランデーをつかみ、机の引き出しにしまった。
「だがな、それは快傑令嬢の名前が
「…………」
「ニコル、取りあえずお前は転院だ。駐屯地の医務室で寝てろ。事件がある
これで話は終わりだ、といわんばかりにアイガスは立ち上がった。
「俺も話はだいたい
「お前の当面の任務は、自分の傷を治すことだ。――いいな」
◇ ◇ ◇
宝飾店襲撃事件から、ちょうど二十四時間ほどが
官庁街の一角に、
午後五時には取引が終了し、日が暮れる頃には人っ子一人いなくなるはずの
会社の株券や各種
そこに、まさに降って
しかし、その警戒は
「……なんで、証券なんかを欲しがるんだ?」
少し経済に強い者なら、誰もが疑問として浮かべる問題だった。事実、
「そんなもん盗まれたとしても、効力の停止を宣言すればいいんだ。全部に所有者の名前が書いてある。新しいものを代わりに発効すればいいだけの話だ」
「夜が明けた頃には、文字通りの紙切れですからね」
「前の宝石はまだわからない話でもなかったが、今回は本気でわからねぇな……お前、自分がリロットだったらどうする」
「俺がリロットだったら? そうだなぁ……」
話題を振られた一人の兵士が考え込む。
「確かに証券なんか盗んでも価値はないな」
「だったら何故ここを襲うなんて予告状を出す」
「中央証券取引所と王立中央銀行は区画も離れてる。並べたらあんまりに見栄えがあからさま過ぎるっていうんで、一区画離しておいたんだ。つまり
「それで」
「要するに、証券取引所を
「銀行を狙って札束を奪うのか? 札にだって通し番号は振ってるぞ」
「中央銀行には王家所有の金塊も多く保管されている。大金庫は金色でキラキラらしい」
「いっぺんでいいからそこで寝てみてぇ」
「金は
「なるほど、それはいい
「そうだろ」
「はっはっは――」
小さい笑いが広がって、消える。
声が
「指揮官に知らせろ!」
「誰がここの現場指揮を
「快傑令嬢が現れたぞ――!!」
遠くから張り上げられた声に、
「中央銀行が襲われた! 金塊が奪われたらしい!」
「なに――!?」
一様に叫んだあと、十数秒、場の全員が呼吸をすることも忘れる。心をそのままえぐり取られたくらいの衝撃があった。
「だまされた! こっちは
最後の守られるべき線を
無駄に集められ、無駄な時間の浪費を強要された兵士たちの
星々が輝くその空を一瞬、横切っていったものの存在に誰が気づくこともない。
いつもの様に夜は深まり、そして明けようとする。
次の日に展開する物語、その予感を覚えさせるように。
◇ ◇ ◇
連夜の『快傑令嬢』の襲撃を報じる号外に、その当の『快傑令嬢』であるリルルは、
――王立中央銀行からの百二十カロクラムの金塊の強奪。額にして四億エル相当の被害。
「や……や、やりたい放題やってくれるわね……」
紙面の向こうにあってその顔色を確認することはできないが、ブチ切れ寸前になっていることを確信しているフィルフィナが、主人の血管の強度を心配して内心ハラハラと見守っていた。
「フィルっ!!」
呼ばれたフィルフィナが、直立不動のまま、
号外を両手で引き裂いてリルルが姿を現す。
「あなた。いつまでこんな奴を野放しにしているつもりなの!!」
「それが、まだ手がかりがつかめなくて」
「いつつかめる予定なの!!」
「もう少し、お待ちを――」
「待てないわ!!」
引き裂いた紙面を更に細分化する主人を
「早くこいつの前に私を連れて行きなさい! 私の大切な名前をこんなに汚してくれて! 許さない――私の許さないという言葉がどういう意味か、その体と心に思い知らせてくれるわ!」
リルルが立ち上がる。フィルフィナはなにかをいいたかったが、必死に言葉を
「お嬢様、どこへ!」
「ニコルの見舞いに行きます! 警備騎士団駐屯地なのよね!?」
「それはいいのですが、お着替えをしてください!」
「さっさと着替えさせて!」
アイスブルーの瞳を
「この怒り――私の怒りがどれほどのものか、期待しているがいいわ! そして、本物の前に偽物がどういう
◇ ◇ ◇
だが、そのリルルの怒りにも関わらず、偽快傑令嬢の手がかりはようとしてつかめなかった。
そして――数日の時が経過した。
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