「奈落の底」
ウィルウィナの眼前、テーブルの上のカップに満たされた紅茶が、その水面に波紋を刻んだ。
「…………地震!?」
「ちょっと
それを追うように、
「この、震動の伝わり方は、爆発……!?」
「ご
「何か仕掛けてくるとは思っていたけれど、この城の中でやってくるとは、ね……敵も馬鹿ではない、か」
言葉を失ってしまっているニコルの手に、ウィルウィナが手を
「ニコルちゃん。お
ウィルウィナは自分の手首の黒い腕輪を叩いた。リルルやフィルフィナが
「これは……!」
手首から剣が生えて飛び出してくるという手品以上の技に、ニコルは言葉を失ったまま、目を見開いていた。
「持って行きなさい。あなたの好きに使うといいわ」
銀の
「……美しい……」
気品さえ
「こ、こんな素晴らしいものをいただいてよろしいのですか? 僕も
「あなたのお肩揉み、とても気持ちがよかったわ。それをあげるくらいの価値があるものよ。素直にいただいておきなさい」
ウィルウィナが
「これは切れ味も相当だけれど、魔法が込められているレイピアよ。きっとあなたの力となるわ」
「魔法……ですか?」
「使い方はね…………ほら、耳を貸して」
ニコルがウィルウィナの口元に耳を寄せる。と同時に、ウィルウィナは少年の小さな耳穴を
「ウ、ウィルウィナ様ぁ!」
「ごめんなさい、一度やってみたかったのよ。今度はちゃんと教えるから。――ほら」
短いが一通りの説明が終わり、微笑むウィルウィナの顔からニコルが耳を離す。
「――この剣は、そんなことができるんですか……?」
「あなたなら使いこなせるわ。上手に使いなさい。あと、これを」
それは腕輪からではなく、ウィルウィナの胸元から取り出された。一つの輪で結びつけられている、金色と銀色に輝く二つの小さな鈴だ。
ウィルウィナの手がニコルの手を取り、その手の平に鈴を
「『双子の鈴』よ。フィルちゃんたちにこれを持たせているわ。鈴の鳴り方で、同じ物を持っている相手のだいたいの方向と距離がわかるはず」
「ありがとう、ございます……」
「三人は今、移動している。フィルちゃんたちが無事なことは確かなようね」
「ええ……確かめてきます!」
失礼します、と一礼をし、ニコルは
「――さて、と」
もう一度手首の黒い腕輪をノックする。腕輪に
それが完全に
「――――来たわね」
窓の外から聞こえてくる、いくつもの折り重なった悲鳴。それが何を意味するかを、
◇ ◇ ◇
震えるまぶたをこじ開けるように少女が目を開くと、覚えのない景色があった。
「こ…………こ……は……?」
「あれ……あ、あいたた、たた…………!」
割れるかと思うくらいに頭がガンガンと痛んだ。それでも、目を開けてしばらくすれば思考の能力も戻って来る。数十秒をかけて自分の名前を思い出したリルルは、辺りを見渡した。
「――大丈夫ですか」
小さな手が体を揺り動かしてくる感覚に、リルルは目を向けた。衝撃――爆発の衝撃だろう――のために意識を失っていたようだ。何分、何時間気絶していたのかはわからない。
「フィ、フィル……」
「無理はいけません。……よかった。長いこと反応しないから心配していたのです……あっ、だから、無理をなさらないで!」
上体を起こす。体のあちこちを打っているのか体は痛むが、骨折や重い打ち身はないようだ。手足の関節も、指も動く――動ける。
「ここは……」
ようやくまともに回り出してきた頭で、リルルは周囲を観察した。
壁に埋め込まれている
「どうやら、わたしたちは階段を転げ落ちきったようですね」
フィルフィナの声にリルルは顔を上げた。何十段、何百段以上はある階段の上に、光が見えない。確か、
「とっさに銀の腕輪で
階上の光が見えないということは、
「そんな……」
リルルの心に重いものが突き刺さる。吐き気さえ
「――そ……そうよ! コナス様は! 確か、私たちのすぐ側にいたはず! コナス様は、どこに――」
「僕なら、君たちのおしりの下だよ」
目を丸くしたリルルが、視線を落とした。
今まで気づかなかったのが不思議なくらいに、がっつりとコナスの背中に乗ってしまっていて、苦しさの中でも笑顔を作ろうとする彼と目が合った。
「やあ、なんとか無事だったみたいだね、
「――す、すみませんっ!」
跳び上がるようにリルルが立ち上がる。瓦礫のかけらを全身に浴びたコナスが、ゆっくりと身を起こした。
「おはよう、よく眠れたかな」
「こ……国王代理殿下は、ご無事で……」
「コナスでいいよ」
玉座の間や
「余とかなんとか、もう、自分で演じていてもおかしくてさ……気が抜けないから肩どころか腰もこっちゃって。どうやら僕たちだけのようだ。気楽にさせてもらうよ」
丸い顔が笑う――その表情だけで、リルルの心に絡みついている鉄線が
「しかし、体が丸っこく分厚くて助かった。上手く転がれたせいで
「――扉の開放口は、完全に塞がっています。部屋が
一度階段を上まで上がったフィルフィナが、そう報告した。自分たち以外に巻き込まれた者たちが、どのような運命になっているのかについての予想は、口にはしなかった。
「ですが、まだいったん引き返す手段もあります。ここは、一度……」
「いや、このまま進んだ方がいい。時間がない」
フィルフィナの提案をコナスはやんわりと、しかし確かに否定した。
「割と、時間との勝負みたいだ。戻って隊を再編成して、という余裕は多分ない。手遅れになる前に、ヴォルテール男爵を取り押さえないと」
「私たちだけで、それが可能でしょうか……」
「戦うのは僕はからっきしだから、戦闘は君たちに
コナスが階上に向けていた視線を移した。振り返り、遠くまで見通せない暗がりに目を向ける。
「言い伝えでは、この先は迷宮になってるらしい。五人の英雄が散々迷わされたという魔王城の迷宮さ。さぞかし広大なんだろうというのは想像に
「そんな迷宮を、私たちで突破できるのでしょうか……」
「ああ、それは問題ない」
コナスがつむった右目をまぶたの上から
「そのために僕がくっついているんだ。先頭に立つからね。すまないが、
立ち上がったコナスが服を
リルルとフィルフィナは少しだけ顔を見合わせ――そして、その背中を追った。
◇ ◇ ◇
王城の地下も地下の
「これは……!」
大きな爆発があったということは、一目で見て取れた。元は
散乱しているのは、瓦礫だけではない。人の体や、体の部分も同じくで、文字通りに足の踏み場もなかった。
「これは…………
ニコルより先に
瓦礫が積み重なっている高さから、爆心地がどこであるかを
「ぐっ…………!!」
死体を目の当たりにした経験が
正気を無くすような様々な異臭が満ちている。地獄、という二文字をニコルは
「う……ん……?」
ちりん、と鈴がなった。
「こっち……?」
部屋の奥、瓦礫が最もうずたかく積もった向こう。その奥の奥から、もう一つの鈴が震える気配が伝わってきた――存在を感じる。
「この先……なのか……」
ニコルにはわからない。この瓦礫の山が築かれた向こうに、何があるのか。
ただわかるのは、リロットやフィルフィナたちが生きて、歩いているだろうということだけだ。
「追わなきゃ……」
そのためには、この瓦礫をどう
ニコルの耳が、細く鋭く遠くに響く笛の音を聞いたのは、この瞬間だった。
「――――!!」
それまで救出活動、いや、遺体の回収をしていた兵士たちが手や足を止める。その全員が、笛の音が響いてきた階上に目をやっていた。
「敵だ!」
声が飛んできた。敵、という
「敵が……魔物が城に押し寄せてくる! 奴等、下水道から
それまで下を向いて死体のかけらを集めていた兵士たちが、むしろ救いを見たような顔になって階段を駆け上がっていく。直視できないような惨状の中に身を投じているよりは、戦っている方がマシと思ったのか。
「僕は……!」
場の空気が一気に変わる中、ニコルは自分がどうすればいいのか一瞬では判断できず、三十秒の間、その場に立ち
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