エピローグ

「迷宮の下の迷宮」

 王都エルカリナの地下には地下迷宮ダンジョンがある。

 いや――正確に表現すれば、王都エルカリナは迷宮めいきゅうの上に建っているというのが正しいのかも知れない。

 王都の住人たちの生活を支える地下下水道ちかげすいどう。それが地下迷宮の正体だった。


 コア・エルカリナの百六十万の膨大ぼうだいな人口がれ流す汚物おぶつ――そんなものをそのままわんに流してしまえば、海は汚染おせん正視せいしに耐えないものになるだろう。しかし、現実にはエルカリナ湾は清浄せいじょうそのものだった。


 王都の全域に広がる地下迷宮のいたる所に、通路を隙間すきまなく満たそうとうままり込んだ巨大なスライム――ゼラチナス・キューブと呼ばれる――が生息し、自分の栄養とするために、有機物ゆうきぶつで構成される汚物やゴミを吸収・分解しているのだ。


 動きが緩慢かんまんで知性がなく、ただ栄養を求めてうごめく魔物。めったに・・・・地上に出ることはなく、たとえ家の真下でそれがうごめいていたとしても、市民は安心して眠ることができる。

 そんな、都市と共生して生きる魔物そのものはほぼ無害といって良かったかも知れないが、地下下水道自体は危険な空間だった。


 無計画な拡張かくちょうに拡張を続けてからまった糸のように入り組み、もはや全貌ぜんぼうも定かでなくなった地下下水道。下水道局にも正確な地図が存在せず、何者かが勝手に通路を作ったりふさいでいる――いや、地下下水道自体が生きている・・・・・といううわささえまことしやかに流れている。


 行き場を失った犯罪者などが逃げ込み、奥に入り込むとほぼ生還せいかんは見込めないという話が説得力を持って受け入れられるその空間は、その複雑さ故に様々ななぞを生んだ。そんないわく付きの下水道も、保守点検ほしゅてんけんのために定期的に立ち入らなければならない。


 正体不明の魔物、迷宮内に住み着いたとされる凶悪犯きょうあくはん、そんなものがひそんでいるという空間に立ち入るには、ある種の特殊技術が必要とされ、その能力を持った者が、高額な報酬ほうしゅうと引き替えに危険な地下迷宮に足をみ入れることとなる。


 まだ三十歳に満たない男性冒険者、アドラーがひきいる一行パーティーも、そのような危険な仕事をけ負う者たちだった。


「……なんか、おかしいとは思っていたんだ」


 壁に点々とはめ込まれた、ほのかに暗く白い光を放つ蛍光石けいこうせきの列を目で追いながら、アドラーは今回のこの仕事を請け負ったことを、早速後悔し始めていた。


 総勢七人のパーティーだった。偵察ていさつおよび地図管理の自分アドラー、補助魔法担当の女魔法使いのコスカ、前衛ぜんえいつとめるゴブリンの――名前を覚える気もない臨時雇りんじやといの三人組。そして、お目付役としてついてくる依頼元いらいもとの二人――小人種族ハーフリングらしい男と正体不明の女性。


 ゴブリンたちは亜人街で雇った連中だ。組むのは初めてで、これっきりの付き合いになるだろう。魔法使いのコスカとは付き合ってる仲で、話が通じそうなのはこいつしかいない。


 後ろを黙々もくもくとついてくるハーフリングと女にいたっては名乗りもしなかった。二人とも鼻の先しか見せないフードをまとっていて、その姿さえ明らかではない。


 最初から破綻はたんしているこんなパーティーで、危険な地下下水道に足をみ入れるべきではなかった。だが、以前所属しょぞくしていた地下下水道探索たんさく専門のパーティーを人間関係のもつれで追い出されたアドラーには、これしか食う手段がなかった。


 方位磁石コンパスを必要としない優れた方向感覚。歩数で正確に距離きょり把握はあくする特殊能力。地下であっても現在の座標位置ポイントかんで知ることができる自分は、地下探索においてかすことのできない戦力――そうおごってリーダーの女を寝取ねとったら、あっさり追放されたのだ。


 戦闘技術を欠いている自分だけでは、地下下水道を探索はできない。寝取ったがために共に追放されたコスカも補助魔法が使えるだけで正面戦力にはなり得なかった。そのため、いくつかかあるパーティーに加入を打診だしんしたが、全て拒絶きょぜつされた。


 自分からパーティーを崩壊ほうかいさせた行為がまずかったらしい。特殊能力には評価を得ているようだが、どこのパーティーも人間関係を破壊するような人物を歓迎かんげいはしないのだ。仕方なく自分がパーティーを主催しゅさいすることになり、足りない正面戦力はその都度つど高額の傭兵ようへいおぎなうしかなかった。


「そんなことしてちゃあ、金がいくらあっても足りねえ……けど、新入りを育てるのも大金がかかる……」


 まとまった大金をかせぎ、事情にうとい新入り冒険者を固定パーティーに組み込んで育てるしかない。しかし、その大金はどうやって稼げばいいんだ――そんなジレンマにおちっていた矢先に、今回の仕事が舞い込んだのだった。


 ギルドを介さない直請じかうけの話だった。それはありがたい。仲介料ちゅうかいりょうを取られずにすむ。が、逆をいえばそれはギルドをかいすると都合つごうが悪い、ヤバい・・・案件だということだ。


 話にならない。依頼をろうと立ち上がったアドラーの足をい付けたのは、目の前に積まれた高額の前金だった。札束が四束――しかもそれが半金だという。

 仕事の内容は、地下下水道における指定方面の地図作成。簡単ではないが、難しい仕事でもない。


 何故、下水道局員には決して見えないこの二人がそんな地図を求めるのか、理由はわからなかったが、この額はそれを聞くなという意味も込められているのだろう。詮索せんさくはしなかった。興味を示さないことが生き残るための条件だという、前のムカつくリーダーの言葉を思い出す。


 その前金で格安のゴブリンたち三人を雇い、少なくない不安を覚えながらアドラーは地下下水道に侵入したのだ。


 王都の北東の平民住宅街からもぐり込み、灰色のコンクリート色の世界をそのまま西に向かう。


 地下下水道の探索についてはアドラーはれきっていた。必要な装備については熟知じゅくちしているし、万が一野営やえいすることになっても都合のいい場所を頭の中に入れてある。


 アドラーといえどもその全てを知っているわけではなかったが、今まで足を踏み入れた区域については全て地図として情報を持っていたし、大まかであれば頭の中にも入っている。この真上が王都のどこに当たるのかさえ正確に思い起こすことができた。


 道中はさして危険なことはなかった。四角に切られた高さとはば三メルトの通路をぴっちりふさぐようにふくれ上がった直方体ちょくほうたいの巨大スライムを幾度いくどかやり過ごし、西に西にと進んでいく。


 スライムが浄化じょうかしてくれているとはいえ、所々から汚水おすいが流れて来るのだからにおいはそれなりにある。特別に配合はいごうした香り草を詰めたマスクで口と鼻を塞げば、呼吸は平気だった。視界も悪くない――頭の位置辺りに点在てんざいして埋められている蛍光石は、それ自体が勝手に発光する便利な鉱物だ。


 が、同時に弱くない磁力じりょくも発している。そのために手持ちの方位磁石がくるい、今どの方位に向かっているのかをわからなくしてくれるのだ。地図を持っていても容易よういに迷いかねない迷宮を一行は進んでいく。


 途中、所々でフード姿の二人が指を差す。その指示に従っている内に、細く長い間道かんどうに入った。その時点でアドラーの思考に危険信号が灯った。階段になっている下りを延々えんえんと下りている――頭上はすで河川敷かせんじきちがいない。


 やがて階段が途切れ、水に全くれていない、乾いた細道ほそみちに出た――アドラーの知らない、長い長いまっすぐの道だ。


「運河の底を、道が通っているだって……?」


 地下下水道に潜り始めてもう十年以上つが、初めて知る事実だった。東西の下水道を何故つなげる必要があるのか。その必要性がわからない。

 どうやら依頼人が調べたいのは、官庁や貴族の邸宅ていたくが集中する王都の北西部のようだ。


「……じゃあ、なんで北西部の入口から侵入しないんだ?」


 疑問は、歩いている内に氷解ひょうかいした。

 歩く歩数を常に意識する。頭の上は運河を越え、もう貴族の邸宅が密集する区域に入ったはずだ。細い道が終わり、目の前に複雑な分岐ぶんきが広がる。見慣れた地下下水道の様子だった――いや、ちょっと待て。


 通路の見た目は地下下水道に間違いないのだが、決定的な違いがあった。


「……下水が流れていないだって?」


 地下下水道として作られているはずなのだが、この区域には水が一滴いってきも流れ込んできていない。というか、運河をくぐるために相当の高さをくだってきたはずなのに、それから上がっていないのだ。


 アドラーは理解した。何故北西部から下りなかったのか――北西部からここには下りられないのだ!


「じゃあ、この水路はなんのためにあるんだ……」


 水路――いや、水が流れていないので水路とも呼べないものか。地下下水道のもう一つ下の階層に広がる、純粋じゅんすいな地下迷宮。後ろを無言でついてくる二人の依頼人にアドラーは恐怖を覚え始めた。この二人は最初からこんな空間があるのを知っていたのだ。


 地図作成なんてうそっぱちだ。俺たちはわからない道を探っているのではない――もう概要がいようはわかっている道を進むための、方位磁石代わりに使われているだけだ!


 指が差された方向に向かって歩けばいいとだけ考えているゴブリンたちはもちろんとして、そのゴブリンの後ろを歩けばいいと思っているコスカまでそれに考えがおよんでいない。ただ物珍ものめずらしそうにキョロキョロと首を巡らしているだけだった。


 アドラーの皮膚ひふが汗をき出して下着をうっすらとらす。自分たちが向かおうとしている方角に危険信号がチカチカとともる――ここは、王城の真下!


「ヤバいな……」


 すきを見て走り出すか。だが、引き返そうにも後ろは謎の依頼人が固めている。こいつらが俺たちの後ろについているのはへっぴり腰なんかではない、俺たちが逃げ出すのを警戒しているためだ!


「ぷぎゃ!」


 言葉もほとんど通じないゴブリンたちが足を止めた。行き止まりだ。が、床をふさぐような大きな扉があった。一枚が大きなテーブルほどの大きさがある鉄製の扉。しかし取っ手もなにもない。持ち上げて開くようにも見えなかった。


 ハーフリングらしい・・・小柄な男が初めてアドラーの前に出る。壁の小さなくぼみの前でごそごそと何かをまさぐり、取り出したものをそれにめ込んだ。

 その瞬間、震動が辺りをおそった。

 ほとんど体験したことのない地震か、と思った時にはそれは体のバランスをくずすくらいの大きさになって、アドラーとコスカが床に手をつく。


 断面からして短剣の長さほどの厚みがある鉄製の扉が、重い音を立てながらゆっくりと左右に開いていく――この扉はどういう仕組みで開いているのだ!


「ありがとう」


 女がフードの下から言葉を発した。今まで沈黙ちんもくに沈黙を重ねていた、女が発した初めて聞く言葉だった。


「あなたたちの仕事はこれで達成されたわ」

「おい、ここから先に進まなくていいのか。いや、帰るにしても俺の先導せんどうがないと――」


 アドラーは立ち上がる。本能がふところに手を入れさせている。


「もうらないの、あなたたちは」


 蛍光石のあわい光を受けて、女が持つやいばがきらめく――いつの間にそんなものを抜いた!?


「あなたたちはここから先に進むことも、戻る必要もないのよ――さようなら」

「っ!」


 マントの下で抜いていた短剣をアドラーが振りかざした時、放たれる矢の勢いでんだフードの女はアドラーの脇をすり抜けて、その背中に回っていた。

 振り抜いた刃には一滴いってきの血にも濡れていない。だが、アドラーの胴体は背骨に達するまでの切断を受けていた。


「て……めぇ」


 一瞬で目から光を失ったアドラーが倒れる。その音にコスカが悲鳴を発し、開く扉に見入っていたゴブリンたちも異変に気づいて顔を向けた。

 稲光いなびかりのような軌道きどうを描いて疾走はしった女の刃がその四人をり倒すのに、三秒とかからなかった。


 叫びを上げるいとまも与えられずに、残った四人が次々に倒れる。乾いていた地面にあふれる血が流れ出して、それがコンクリートの灰色を鮮やかな色彩でいろどった。


「ご苦労様。あなたたちがいなければここにはたどり着けなかったわ。感謝するわね」


 アドラーの懐をまさぐり、メモ帳を取り出す。侵入した入口から現在地点までの進路が克明こくめいに記録されてあった。この地図と、密かに通路の壁に残してきたしるしを合わせればもう案内人は必要ない。

 重々しい音が止み、鉄の扉が開ききる。その下には人が十人は横一列になって下りられるような巨大な階段がその口を開けていた。


「やはりあった。我が家に伝わる口伝くでんは真実だったということだな」


 背の低い男がフードを外し、白い髪が中からこぼれてのぞく――その下に隠れていたのはハーフリングなどではない、人間の少年だった。


「王城の真下に存在する最下層の迷宮、閉ざされた扉――全て言い伝えどおりだ」


 少年の高い声に似つかわしくない、落ち着いた口調。色素が抜けきった白い髪に、どこか赤い気配をまとった黒い瞳のコントラストが邪悪な気配を感じさせる。

 あの夜にリルルが遭遇そうぐうした、ヴォルテール家の当主と名乗った少年だった。


 そして。


「そうだと私が前から教えてあげているのに、見るまで信じないのね」


 女の方もフードをぐ。撤退てったいするリルルたちの殿しんがりつとめたフィルフィナに矢を浴びせた、ダークエルフの女の顔があらわになった。

 金色の髪が自ら光を発しているかのように輝き、とがった耳が息苦しさから解放されたようにまっすぐ後ろにびていた。


「お前たちのようなものの言葉を一つ一つ真に受けていたら、身がもたないからな」

「あら、それはご挨拶あいさつ

「そんな問答はいい。進むぞ」

「ふふふ……どんなお宝が待っているのかしらね?」

「知っているだろうに、白々しらじらしい」

「うふふ」


 二人が階段をゆっくりと下りていく。後に残されたのは物言わぬ五人の死体と――その五人があっという間に斬殺ざんさつされるのを目撃していた一人の少女だった。


「な……なに、あいつら…………」


 悲鳴を漏らさないために口と鼻を手で必死に押さえ続けていて、二人の姿が消えたことにようやくそれを放す。


「うう……あの階段の下も偵察ていさつしないといけないのかな……こわいよぉ……でも仕事だし……でも見つかったら殺されるかな……でもやんなきゃいけない気がするし……でも怖いし……」


 女面鳥身ハーピーの少女だった。

 リルルが亜人奴隷市で助け、ヴォルテールていから外に投げ出されたリルルを助けた少女だ。羽毛を落とさないよう全身をぴっちりとした黒い服で包み、頭もまた完全に黒いフードでおおっているという姿。


 鉄の扉は開いたままだ。二人が下りた足音ももう聞こえてこない。追うことはできる――しかし、床に転がっている五人の死体を見ると足が動かなかった。見つかれば命がないのは容易よういに想像がついた。


「シーファ、ごめん、あたし怖い。でも行かなかったらシーファは怒るよね。あたしを可愛がってくれないよね。……よし、行こう、怖くない、怖くない、怖くなんか、怖くなんかないんだぞ……」


 物陰からようやく体を離す気になって、そのハーピーの少女は半歩半歩歩き出す。完全に腰が引けていた。ネズミ一匹飛び出してきただけで彼女の心臓を止めるには十分だろう。


「――――」


 そんな少女の背後で、さらに揺らめく一つの黒い影があった。

 確かな歩み――しかし足音のかけらすら出さない足取りでハーピーの少女の背後を取り、確実に間合いを詰めていく。

 ハーピーの少女は気づかない。完全に前にしか意識が行っていないからだ。


 黒い影が全くの無音で両の腕を広げる。それが閉じるだけで全身を拘束こうそくされるような距離にまで接近されながら、ハーピーの少女はなおも前だけに感覚を集中させていた。

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