「夜遊びのあと」

 東からのぼる朝日が王都の闇を払いのけ、一日の始まりを告げ、人に目覚めをうながしていた。

 窓一つない、ほんのかすかにカビにおいがただようメイド部屋。

 故郷、エルフの里の者が見たら卒倒そっとうしそうな、まずしいとも見える質素しっそきわまりない部屋で眠るフィルフィナ。


 柱時計のかねが鳴らした大きな音に後頭部をなぐられ、フィルフィナは目覚めた。


「え……今、何時……」


 体感時間で時刻を計る――もう陽が完全に昇っている。寝坊ねぼうだ。いつもはこんな時間になる前に、ひとりでに起きることができるはずなのに。

 またも柱時計が鐘の音を鳴らした。玄関の呼びりんと連動しているのだ。


「こんな朝に……来客……」


 まさか呼び鈴を鳴らして襲撃しゅうげきしてくる暗殺者はいないと思うが、フィルフィナはまくらの下の拳銃を腰に差した。寝間着ねまきのまま部屋を出て玄関に足を運ぶ。


「フィルちゃん、おはよー!」


 玄関先で待っていたのは、ニコルが住む街区がいくの子供。ふたり――六歳くらいの小さな男の子と女の子。フィルフィナが無理矢理遊びに付き合わされたことがある子供達だ。


「おはようございます……どうしたんですか? こんな朝から」

「ニコルおにいちゃんにおつかい頼まれたの。お手紙なの」


 女の子が小さな箱を差し出してくる。手紙? 箱に――? フィルフィナの警戒心が警鐘けいしょうを鳴らす。


「本当にニコル様でしたか?」

「んん? 本当だよ?」

「リルルおねえちゃんに渡してくれって、お願いされたの」

「そうですか……」


 フィルフィナは箱を受け取る――中でカラ、と音が鳴った。少しだけ重い――箱に入っているのは紙だけではないようだ。


「じゃあフィルちゃん、またね」

「今度いっしょに遊ぼうねー!」

「あなたたち、待ちなさい。お駄賃だちんをあげますから」

「お駄賃ならニコルおにいちゃんにもらったの」

「千エルももらったよ。ぼくたちおかねもち」

「いいからそこで待つのです」


 フィルフィナは自室に小走りで戻ろうとし――ふと気が付いて、箱だけを浴室手前の脱衣所だついじょに置いた。扉を閉める。

 自室の戸棚とだなから一抱ひとかかえはある紙袋を取り出し、またも急いで玄関に戻った。


「これを持って帰りなさい」

「なぁにこれ?」

飴玉あめだまが入っています」

「わぁ、重い! こんなにもらっちゃっていいの?」

「いいのです。友達みんなに公平に分けるのですよ」

「わかったー! フィルちゃんありがとう!」


 よかったね、うれしいねと笑いながら子供達は門の方に歩いていった。門の所で立ち止まり、両腕を振って挨拶あいさつしてくる子供達にフィルフィナも小さく手を振る。


「――さて」


 脱衣所に戻り、子供達が持ってきた箱を慎重しんちょうに持ち上げた――においをかぐ。爆発物の臭いはしない。箱が開かないようにしばられているひもき、ゆっくりと箱を開けた。


「……ニコル様のものからで、間違まちがいはないようですね……」


 中に入っていたのは一通の封筒ふうとうと――軽く紙に包まれた、親指大くらいの何か。半分それがなんであるかさっしがついて、フィルフィナは包みを解く。

 紙の中から現れたのは、綺麗きれいな水色に輝くひとつの小石だった。


 宝石のたぐいなどではない、卵形たまごがたのただの自然石。よく見れば不純物もいっぱい混じっているが、川の底で何年も何十年もみがかれたのか、表面は鏡のようにつるつるとしていて触り心地がいい。


 綺麗な小石を集めるのが趣味しゅみ――そんなリルルへの、本当にささやかな贈り物ということだろうか。


「……いえ、これは、文面も確認しないと。読んだら発動する小型の魔法陣まほうじんがないとも限らないですし」


 封を切る。中の紙面を取り出して広げた。


「これは決して、主宛あるじあての手紙を盗み読もうとかいうのではないのです。わたしにはお嬢様の身の安全を守る責任があるのです――ええ、そうですとも」


 ニコルらしい丁寧ていねいでかっちりした文字が、乱れることなく列を並べていた。だが、読み込んでいくフィルフィナの目が次第にり上がっていく。

 最後の挨拶を読み終えるころには、その手が見てわかるくらいに震えていた。


「――あの馬鹿お嬢様!」


 口にしてしまって、フィルフィナはくちびるを手で押さえた。自分はあるじに向かってなんという暴言を。


「――あんの、おばかお嬢様!」


 手紙をにぎりつぶしたい衝動しょうどうおさえ、それを封筒に戻してフィルフィナは脱衣所を出た。絨毯じゅうたんいた廊下ろうかの床が鳴り響くくらいに足音をとどろかせて前進する。

 ノックもなしにリルルの部屋の扉を開け放つ。つくえの上に置いた鏡に自分を映し、鼻唄はなうたを歌いながら上機嫌で髪をいているリルルが振り向いた。


「フィル?」


 ごつんっ!!

 足音の大きさに小首をかしげたリルルの脳天に、容赦ようしゃ躊躇ちゅうちょのかけらもないフィルフィナの拳骨げんこつ炸裂さくれつした。


「いったぁ――――い!」

「痛いじゃありません!」


 頭を押さえて泣くリルルの前に、フィルフィナが封筒を叩きつける。


「あなたはいったいなにをやっているんですか! いつからいたいけな少年の心をもてあそ魔性ましょうの女みたいになったのですか! わたしはあなたをそんな性悪しょうわるに育てた覚えはありませんよ!」

「な、なに、いったい、どうしてなにが」

「ニコル様のお手紙です! 読みなさい!」


 一挙動ひときょどうで封が開いている封筒から手紙を取り出し、リルルがそれを読む。


「――ああ、ニコル……」

「ああ、ニコル、じゃない!」


 同一箇所かしょに二発目が炸裂した。


「いったぁぁぁぁぁぁぁぁい!」

「少しは自分の罪を思い知りなさい! ――なんなんですか、あなたは! 自分の顔がニコル様にわからないのをいいことに、ニコル様の心を自分勝手に揺さぶって! リロットにされたことの罪の告白をあなたにさせるとか、少しでもニコル様の気持ちを考えたのですか! このおばか!」


 思い出すのも恥ずかしい手紙の文面を思い起こしながらフィルフィナは怒る。


 快傑令嬢リロットに幾度いくどもキスをされたこと、偶然ぐうぜんに彼女の胸に触ってしまったこと。勢いで寝台ベッドに組み伏せてしまったこと、リロットのことを好きだといわされたこと、外の舞踏ぶとう会場で踊らされたことこと――。


 なんでそんなに赤裸々せきららに語るのか、せめてこれだけは隠しておくべきだろうという内容にまで触れていて、そのこと一つ一つに謝罪の意がえられている。

 これを机に向かって書いているニコルの心境を思うと、フィルフィナは重い絶望にとらわれた。


「し、仕方ないじゃないの! 私だってニコルといたい、ニコルと話したい、ニコルに触れたい、ニコルに触れて欲しい、ニコルとキスをしたいんだもの! 私たち、相思相愛そうしそうあいなのにそれができないの! リルルじゃできないの! でも、リロットだとできるのよ!」

「だからといって、あなたは――――!」


 三発目を食らわそうか――フィルフィナは全力で息巻いて――そのまま、しぼんだ。

 あとにはやり場のなかった怒りを雲散霧消うんさんむしょうさせたフィルフィナと、頭にこぶを作って涙目になっているリルルが残された。


「――すんでしまったことは仕方ありません。しかしお嬢様、いったいこれからどうするんです……」

「どうするって……」

「ずっとリロットの姿をよそおって、ことあればニコル様にせまるわけですか。その内、無理矢理ニコル様を力ずくで組み伏せて、その貞操ていそう無惨むざんうばってしまうおつもりですか?」

「そんなはしたないことはしません!」

「同じようなことをやってしまっているではないですか……。顔もよくわからない、どこの誰かもわからない女に迫られて、くたびるをむさぼられ体をまさぐられるとか、性的虐待ぎゃくたいですよこれは……」

「だってぇぇ……」


 涙目でうったえてくるリルルに、フィルフィナはこれをどうさとそうか本気で思いなやんだ。


「――あんまりおいたが過ぎるようでしたら、またその腕輪を取り上げてリロットになれないようにしますからね!」

「やだぁ! ニコルに手出しができなくなっちゃう!」

「せんでいい!」


 がん、がん、がん! と足をみ鳴らし、扉の枠が外れるくらいの勢いで廊下ろうかに出たフィルフィナは、リルルの自室の扉を後ろ手で閉めた。


「……まったく、このあほお嬢様は……」


 感情の全てを吐き出すように、地の底にまで届くような深いため息をき――眩暈めまいを覚えながらフィルフィナはその場を立ち去った。しばらくは、色々な意味で緊張が抜けない日々が続きそうだった。



   ◇   ◇   ◇



「ニコル?」


 フォークを持ったまま固まっていたニコルは、ラシェットの呼びかけにその半開きになっていた目をまばたかせた。自分が昼食をっていることを思い出す。

 官庁街かんちょうがいにある警備騎士団の駐屯地ちゅうとんち。まだニコルがれない、新しい職場。


 昼間の休憩きゅうけい時間にごったがえする食堂のすみ、連日変わり映えしない献立こんだてをトレーの上に並べて、ニコルは気合いの入らない午後をむかえようとしている。


「お前、さっきから上の空じゃないか。また心配事か? 首飾くびかざりの件か?」

「ええ、先輩せんぱい……」

「考えたんだけどな、うちの実家に腕のいい細工師さいくしが出入りしているんだよ。そいつによく似た首飾りを作らせて誤魔化ごまかすっていうのはどうだ? 時間をかせいでいる間に本物を取り返せばいいだろ。お前がその気なら、うちの親父に話を持っていって――」

「――先輩。首飾りは戻ったんです」


 ラシェットの舌が空転くうてんした。


「――戻った!? でも、ヴォルテールていでなくしたんじゃなかったのか!?」

「昨夜、リロットが僕の家にやってきたんです」


 もう二段階は大きな驚きの声を上げようとして、ラシェットはそれを胃の奥にまで押し込んだ。


「……本当か……!」

「やっぱり彼女が首飾りを持っていってたんです。……でも、彼女は盗むつもりはなかった、弾みで持っていってしまっただけだから、返すといって、これを」


 ニコルの手が、制服の上から首飾りとロシュネールの名札ネームプレートを押さえる。


「そ、そうか。……いや、二つの意味でびっくりしたぜ。そうか、リロットが……」

「――彼女、悪い人ではないと思うんですよ……」

「……そうだな……」


 警備騎士団としてのつらい立場だった。


 弱者を決してしいたげない――快傑令嬢リロットが倒すのはあくまで、欺瞞ぎまん不義ふぎで法のあみの目をくぐり抜ける、民衆に対しての悪。弱いものから一エルたりともうばったことのない快傑令嬢を、民衆は熱狂的に支持している――正義の顕現けんげんであると。


 公式に実在する正義の顕現であるはずの警備騎士団が、成り行き上リロットと対決しなければならない立場に立たされ――軽傷ですまそうというリロットの心遣こころづかいを受けながら蹴散けちらされ、その上民衆から非難ひなんを受けているのだ。


 こんなに複雑で情けない役人も、そうはいないだろう。


「リロットに殺された人間はおろか、骨折にいたった奴までいないからな……切り傷打ち身捻挫ねんざはたくさんいるけどさ」

「彼女がよくないことをしているというのも、理解しています。だから余計よけいに……」

「俺たちにもっと力があればなぁ……」


 食後のお茶を飲みながらラシェットがため息をいた。


「すみません、先輩……この事は、みんなにも上にも内緒ないしょに……」


 この事。

 自宅に、純然じゅんぜんたる指名手配犯である快傑令嬢リロットが現れ、そのまま見逃した――文字面もじづらだけ追えば、騎士団に対する背信はいしん行為そのものだ。発覚すれば団を追われても文句はいえない。


 その重さを知っているラシェットは一瞬目を丸くしたが――すぐに温和な顔に戻った。


「はは、お前でも内緒事を持つんだな。――よし、俺とお前だけの秘密にしておいてやる! 心配するな、誰にもいわないから!」

「助かります」

「いいっていいって! それだけ俺を信頼してくれているっていうことか。俺は嬉しいぞ! これからも力になるからな! なんでも相談しろよ! まずは飯を食え!」

「――先輩って、本当にいい人なんですね」

「わははは!」


 食事の邪魔じゃまをしちゃ悪いからな――笑いながらラシェットはニコルの肩を叩き、食堂を後にしていった。


「リルル……」


 朝、子供達に届けさせた手紙をリルルは読んでくれただろうか。許してくれるだろうか。返事をしてくれるだろうか。

 懺悔ざんげとして精一杯の罪の告白をした。彼女にうそいていたくはなかったから。


 だまっていれば、何も波風なみかぜも立たないのに――だが、そのおだやかさが許せない。荒波の方が気が楽だ。後ろ暗い思いにとらわれているよりは、彼女リルル面罵めんばされていた方がよほど楽だった。


 鳥料理の鶏肉をフォークでつついてもてあそびながら、思考をめぐらせる。


「……リロット」


 首飾りを返しに来てくれた彼女。リルルの代わりだ、といって口づけをしてきた彼女。リルルを愛してあげて――そういって微笑ほほえみ、空に消えて行った彼女。

 顔の印象はわからない。覚えていない。覚えられない。


 だから、ニコルは彼女リロットの顔に、当てはめてしまう。

 自分でもどういう理由でかはわからないが――彼女リルルの顔を。


「リルル……リロット……」


 ニコルはまだ、自覚するには至っていなかった。

 自分の胸を締め付ける想い人の名前が、リルルの一人から――もう一人、増えてしまっていることに。

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