「薄桃色のつむじ風が吹き荒れる」

「かっ……快傑令嬢……!」


 奴隷市どれいいちショーに参加していた男たちの口から異口同音いこうどうおんれる――絶望の言葉。

 その存在を知らぬものはもう、王都には一人もいないといって過言ではない。

 その活躍によってどれだけの悪が成敗せいばいされてきたか。盗賊、悪徳商人、魔族、貴族……。


 特に、彼女の活躍かつやくによってこの一週間、両手に余る数の上級貴族がその陰謀いんぼうあばかれ、叩きつぶされてきたのだ。毎朝のように紙面しめんかざるその活躍かつやくに、すねに傷あるものは自分が標的ひょうてきにされぬかと震え上がるほどなのだ。


「――女性の心をみにじり! その体を売り物にし! 汚れた金で売買しようなどという言語道断ごんごどうだんの行い、この正義の瞳が決して見逃しはしないのです! ……その上……その上!」


 舞台の真ん中で無数の光を浴びるその少女の顔を、誰も視認しにんできない。いや、見ることはできるが、顔を覚えられない。到底とうてい解読不可能な文字を読まされるのに似ているのか、見た、といった瞬間から印象が頭からがれ落ちていく。


「……乙女のこの清らかな胸を、生まれたての赤ん坊みたいだとか、ゴレゴン大平野だとか、無乳地帯だとか、どこの隙間にでも入りやすいとか、ブラジャー要らずで経済的だとか……」


 男たちの頭に巨大な疑問符ぎもんふが浮かぶ。風向きがおかしな方向に変わってきたのを全員が感じた。


散々さんざん侮辱ぶじょくしていただいたうらみと憎しみ――もとい、乙女の怒り!」


 顔は見えない、わからなかったが、舞台の上の少女が滝のような涙を流しているのはわかった、その魂の慟哭どうこくを耳元で聞かされた錯覚さっかくとらわれた。


「ゆ……許さない、許さない、許さない!」


 ムチが鋭く舞台を打つ。その一閃いっせんで舞台の一角がすっぱりと切断され、あざやかな断面をあらわにした。


「絶対に許しませんよ、悪党ども!! じわじわとなぶり殺しにして差し上げます!!」

「そっちがおもかよ!?」


 地から空に駆け上がる稲妻いなずまのような勢いで、少女がんだ。その手から放たれた弾丸の速度でムチの先端が飛ぶ。


「ぎゃああっ!」「ぐへっ!」「べしっ!」「びぇぇ!」


 客たち数人を凄まじい勢いで打ちのめす。胸、腹、腰、股間こかんと、ありとあらゆる部位をピアノを速弾きする調子リズムで打たれ、あっという間に十人がぎ倒される。


「うおおおおおお――――――――!!」


 美少女にあるまじき雄叫おたけびを上げながらリルルの腕が間断かんだんの休みなく、その肩から腕がもげるのではないかと思える勢いで振られ続け、まさに無差別そのものに人間が打たれ倒れ踏みにじられていった。


「うわああああああ! ぎゃ、虐殺ぎゃくさつだ! 殺されるぞ――!!」

「に、に、逃げろ! 貧乳令嬢に殺されちまう!」

「扉が開かねぇ!」


 開幕前に意気揚々いきようようと入ってきた、地上につながる階段への扉が――開かない。鍵がかかる形式の扉ではないはず。少し重いが、押しても引いても開くはずの扉が、今は体当たりしてもビクとも動きはしなかった。


「ダメだ開かねぇ! どうなってるんだ!」

「早く開けろ! 鬼が、悪魔がやってくる!」

「開かねぇっていってるだろう!」

「誰か、誰か警察を呼んでくれェェ――――!!」


 この地獄のような状況から逃れようと扉に押し寄せる男たちの背中では、阿鼻叫喚あびきょうかんの景色が現出げんしゅつしていた。


 打ち上げに半分失敗した花火のように男たちが宙を舞い、中途半端ちゅうとはんぱ軌跡きせきを描いて地面に叩きつけられる。ムチを振るうだけでは鬱憤うっぷんが晴れないと判断したのか、リルルがその場にいる男どもの襟首えりくびつかまえては投げ飛ばし始めたのだ。


「うわあ――!」「ぐえええ!」「ひであべっ!」


 ちぎっては投げ、ちぎっては投げ。一秒に一人が天井に向かって飛ぶ。狂乱きょうらんが会場を荒れ狂い、怒号どごうと涙と命乞いのちごいが台風のように風を巻いた。


「怖ぇ……貧乳の恨みは怖ぇ……!!」

「助けて、助けておがあちゃん! 俺、いい子になるからぁ!!」


 男の一人が、立ちふさがった少女によって部屋の角に追い詰められる。涙と鼻水とよだれをれ流した男は、目の前に迫ってくる美少女の姿をした怒りの化身けしんを必死におがみながらその場にひざまずいた。


「待て、俺は貧乳も好きなんだ。それにそもそも、さっきの侮辱ぶじょくには加わってない!」

「誰が私のお胸を侮辱したのかは、詳細しょうさい把握はあくしていません!」


 容赦ようしゃという言葉をとっくに捨てた少女の怒声どせいが響き渡った。


「ですから、全員ぶちのめします!」

「そんなぁ!?」


 宣言せんげん通りにぶちのめされた男が壁に顔面を激突させ、壁の味と食感を存分に味わいながら床に倒れた。


「…………思い出した」


 少女の至近で尻もちをついていたために、その怒りの直撃から逃れられていたガガブが頭に手を当てた。記憶の中で情報と情報が直結する。この場で一人だけ冷静な者がいるとしたら、それは彼だけに他ならない。


 舞台の上にたった一人残されている彼だけが、ある意味観客の立場だった。

 先ほどまで熱狂のるつぼと化していたはずの会場は、異様なくらいの沈黙ちんもくにのしかかられていた。無理もない、声を出す者がもういなくなっているのだから。


 百人以上はいたはずの客たちが全員床に倒れ、それぞれがめいめいに泡を白目しろめいて気絶している。意識を保っているのは、ガガブただ一人――いや、もう一人いた。


「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」


 ガガブに背中を向けて肩を上下させ、いまだおさまらない怒りに体を震わせている、薄桃色のドレスの少女。その少女がこの惨状を作り上げたのは明白だったが、ガガブには恐怖はなかった。ただ、自分の頭にひらめいた認識に感動だけがあった。


「――リルル・ヴィン・フォーチュネット」


 少女が振り返る。振り返るしかない言葉だったからだ。


「……何故、私の正体を!?」

「そうか……やはりそうか! どこかで見た顔だと思っていたのだ!」


 リルルが舌打ちする。素直すなおすぎる自分の反応をやんだ。


「顔を青くって印象を隠していても、私の眼力がんりきからは逃れられないよ。去年発刊された『王都エルカリナ美女・美少女年鑑』。確か百一位が君、リルル・ヴィン・フォーチュネットだった」

「百一位……」


 その微妙びみょうな順位にリルルは落胆らくたんにも取れる調子でつぶやく。

 周囲を見回し、自分とガガブ以外の人間が目覚めていないことを確かめた。


「そうか、快傑令嬢リロットの正体は、伯爵令嬢……! 素晴らしい! なんというめぐり合わせだ。私は今夜、ここに来られて本当によかった!」

「――仕方、ありませんね」


 リルルトがメガネに手を掛け、それを外した。メガネに付与されていた認識阻害そがいの魔法が解かれ、人の意識にモヤをかけさせていた効果がなくなる。


「おお…………」


 女神をあおぐようにガガブが微笑ほほえみを浮かべてその姿――顔を見つめた。まだ幼さを十分に残す少女の顔立ち。大きな目と美しいアイスブルーの瞳の色にガガブは感嘆かんたん吐息といきらした。


「……ちなみにその百一位ですが」

「なにかね?」

「何人中の百一位なのですか?」

「王都エルカリナに住む美少女、選りすぐりの千人の中の百一位だ」

「…………フィルフィナという名前はありました?」

「ああ、背は低いが緑の髪をしたメイドの少女の名前だな」


 あるのか。


「順位は確か――」

「……えっと、順位は聞きたくありません」

「そうか」


 快傑令嬢リロット――いや、メガネを外した彼女はもう、リロットではない。

 フォーチュネット伯爵家の一人娘、伯爵令嬢リルル・ヴィン・フォーチュネット。

 それが、少女が持つもう一つの名前・・・・・・・・・・・・だった。


「……快傑令嬢リロットは、顔を見えなくする魔法で正体を隠していると新聞では読んでいたが……実物を是非ぜひともおがみたかった。その光栄こうえいよくすることができるとは」

「おめいただいているのですよね?」

「……待て。何故、自ら正体をさらしたのだ」


 リルルは薄い微笑みを浮かべている。その手に一つの物体――手の平と同じ幅をした、銀色に光る物体が乗せられていることにガガブは気づかない。


「君ほどの立場がある人間。何故、そんな快傑令嬢なとをやってるのかは知らんが、それが世間に知られれば身の破滅はめつだろう」

「ええ、まあ、その通りです。そのために顔を隠しているのですから」

「で、では、何故私に顔を見せるなどということを……」

「――ふふ」


 言葉をつなげながらガガブは自分の言葉の結論を読んだ。どうやら、この論理の軌道レール崖下がけしたにつながっているらしい。


「わ、わ、私をしゃべれなくするつもりか。し、しし、しかし、快傑令嬢は人をあやめないと……」

「そうです。私は、今まで一人として人を殺めたことはない」


 静かな口調。しかし自信に満ちた強い響き。


「それが、たとえいかなる悪人であったとしても――それが私の信念であり、ほこりです」


 銀色の輪っかがリルルの指にはめられる。四つの小さな輪に親指以外の指が通され、それらをつなぐ幅広の輪っかを手の平が硬く握った。


「ですが、私の顔を見たことは忘れていただかねばなりません」

「ど、どどど、どうやって……」

「――失礼します」


 リルルがガガブにムチを投げつけた。まるで意思を持つへびのように自ら動いたムチがガガブの体に巻き付き、腕ごとその体を絞め上げる。


「ううっ!」


 見えない糸でられたがごとく、ガガブの体が直立した。ムチから発せられた電気に筋肉が反応して足が勝手に立ったのだ。


 その右手に拳鍔メリケンサックをはめたリルルがゆっくりと舞台に上がってくる。ガガブは動くことができない。ムチに何重にも巻き付かれた上に足がマヒして動かない!


「――貴方あなた、今までに何人の奴隷どれいを買ったのですか?」


 優しささえ帯びた、穏やかな目だった。状況が状況ならガガブはその色合いに感動を覚えただろう。だから素直に答えていたのかも知れない。


「お……覚えていない……もう、収集物コレクションは数を数えるのも面倒になってきた」

「――そうですか」

「だから、頼む。君も私の収集物になってくれないか。金は――金は、いくらでも積む。十億、二十億、三十億――――」

「……ふふふ」


 リルルが手の金属を握りしめた。その瞬間、紅蓮ぐれんの炎がリルルの右腕を包んで燃え盛り始める――いや、それは炎に見えて実際の炎ではない。

 リルルの感情――怒り――を生命のゆらめきオーラに変換した光景、許せない、と思う心の発現はつげん


「そ――それがかなわないなら、どうか、どうか、君が私をってくれないか!」

「うるさいだまれ!」


 リルルがえた。右腕をしんにして燃え上がる炎がリルルの全身を包む。少女の生命そのものを燃料にして、高い天井にまで届くほどに炎が、火炎が燃え上がる!


「あなたのような人がいるから、女の不幸が減らないのです!!」


 リルルが左足を踏み出す。ステップに全部の体重を乗せ、右腕を振りかぶり、己の体と闘志の全てを反時計回りに回転させる!


「地獄にちなさい! このひとでなしがぁ――――っ!!」


 裂帛れっぱくの気合い、叫び、遠心力――その全てを乗せて、凄まじい火炎を帯びさせた銀色の拳が流星の速度で前方に突き出されていた。


奴隷制撲滅どれいせいぼくめつパぁァァァァァ――――――――ァァァンチィッッ!!」


 リルルの拳が男の顔面に突き刺さる。鼻柱はなばしらを砕きその顔面にめり込んだ渾身こんしんのストレートがガガブの体を砲弾の勢いで吹き飛ばしていた。


 声を発することも許されないガガブが舞台の厚い幕に飛び込む。拳を顔で受け止めた瞬間に意識も吹き飛んでいた男の体が、音を立ててうつ伏せに倒れた。


 顔面への怒りの殴打おうだと引き替えに、まる一日の記憶を奪い去る忘却ぼうきゃくの魔法を帯びた拳鍔メリケンサックの一撃。これで紳士しんしガガブはリルルにった記憶はおろか、今夜この場来た記憶も失った。


「――おやすみなさい、よい夢を!」


 リルルが手をかざす。ひとりでにガガブの体から離れたムチが、見えない糸で引かれたかのようにその手に飛び込んできた。


「……あの司会の姿がない?」


 再びメガネをかけ、リロットに戻ったリルルが気づく。あの派手な燕尾服えんびふく。一目見ただけでその存在に気づけるようなあの目立つ存在が――見当たらない。


 この会場から直接地上に出られる大きな出入口は、開いた形跡けいせきがない。

 と、いうことは……。


「……裏か!」


 追わなければならない――この亜人奴隷市に関わっている者は、全て叩きつぶす!


「逃がしは――逃がしはしませんよ!」

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