番外編「ラミアの白い恋」

「ラミア、雪に降られて」

 あたしは開けた口からはぁ、と息を出して、ほんのわずかでもぬくもりをかじかみきった手にびせた。

 風が、吹く、吹く、吹く。

 白くてついた風が、嫌になるくらいに、吹く、吹く、吹く。


「はぁぁっ……」


 幅四十メルトの大通り。王都エルカリナがほこる交通の大動脈。幅が広い、完全に整備された道が――まっすぐ、まっすぐ、定規じょうぎはかったかのようにまっすぐ伸びている。


 あたしは今、その真ん中にいる。――ひとり、だ。


「……寒い」

 

 空気は冷たくえきって、厚手の制服の下の肌にも容赦ようしゃなく突き刺さってくる。

 ……服を着ているのは上半身だけなんだけど。

 って、念のためにいっておくけど、あたしは露出狂ろしゅつきょう痴女ちじょじゃないのよ!


 人間型の上半身・・・・・・・はともかく、あたしの下半身――巨大なへびの胴体には布一つかぶせられてはいないのよ。見られて恥ずかしい部分は、なんとか露出していないんだけどね。


 いている三輌さんりょう客車きゃくしゃの下に胴体がもぐっているから、雪が積もるのだけはまぬがれているけれど……さ。積もっていたらその冷たさでとっくに死んでるわよ。


「はぁぁぁ…………寒い……寒い……」


 ――胴体がもう、完全に冷え切ってる。そこだけが冬眠とうみんしかねないほどの寒さ。

 上半身はまだ血のめぐりがいくらかいいから、こおらずにすんでいるようなもの……だけど、それだってそろそろ限界げんかいよ。


「寒い……」


 雪が降る。雪が降る。

 憎たらしいくらいに綺麗きれいな雪が、降る、降る、降る。

 ……もういいわ! これ以上降らなくて! きたからとっととみなさい!


「お腹空いた…………ひもじい……」


 予定通りに運行が進んでいれば、今頃ごはんにありつけているところ。でも、ごはんは操車場そうしゃじょうでしか用意されていないんだわ! もうお腹がぺこぺこなのよ!


「…………さびしい…………」


 話し相手の一人もおらず、この雪をけてみんな建物の中に入ってしまい、いつもは邪魔じゃまになるくらいに往来おうらいが激しい大通りに、今、あたし、ひとりぼっち。


 話す他人がいなければ、自分と話すしかないんだわ。そして、こんなひどい目にっている自分と話したって、ロクな問答もんどうになりゃしないのよ。


「寒い……ひもじい……寂しい……」


 寒くて、ひもじくて、寂しいという条件が並べば、心はどういう結論を出すと思う?

 答えは、簡単シンプルよ。


「…………死にたい…………」


 ――二時間ほど前だったっけ?

 夜明け前から季節外れの雪が降り出して、王都エルカリナはうっすらと薄い雪化粧ゆきげしょうに包まれた。

 途端とたんに交通は大混乱よ。


 道路を馬が滑り馬車がけ、常時速度違反いはんのケンタウロスがすべって止まれず荷馬車にばしゃ追突ついとつして――そんな玉突たまつき事故があたし、ラミア列車の軌道レール上だったからもう大変!

 荷馬車がぶちまけた食用油しょくようあぶらが道路をもう気持ちいいくらいに滑らせるっていうんで、事故の清掃作業に出動した交通局のドジ連中が、現場にたどりつく途中で転倒事故を起こして。


 ――アホ! ドジ! バカ! マヌケ!


 連絡担当の羽妖精フェアリーたちが伝えてくれる情報はそれくらい。現場はここから見えない、二カロメルトくらい先なのよ。でも、あたしたちには退避場所がない。軌道は延々とまっすぐ延びるこの一本しかないし、あたしに後退は無理なのよ!


 運行を開始していたあたしたちラミア列車がその事故を無視して走ることなんてできず――軌道上で待機していたら、雪が本格的に降り出してきたというわけ!

 それも拳大こぶしだいくらいのぼたん雪がボタボタと降ってきて、建物の一階の窓が半分埋まるくらいの高さまで雪が積もっちゃった!


 なによこの勢いは! 空の上で氷翼龍アイスドラゴンでも暴れてるっていうんじゃない!?


「さっぶぅぅぅぅぅぅぅぅ――――!!」


 立ち往生おうじょうして動かず、暖房だんぼうなんて全くない客車きゃくしゃからお客はみんな逃げちゃったけれど、あたしはここから逃げられない。客車が胴体に固定されているし、そもそもあたしの図体ずうたいはどの建物にも入り込めないのよ。


 だから、寒風かんぷうと降る雪に体をまともにさらして――街の真ん中で震え上がっている。

 人間たちはめいめいに建物に逃げ込んで、古いストーブを引っ張り出してだんをとっているんだろう――憎たらしい。


 人間たちだけじゃないわ! 亜人――しかも小型のラミアが男と手を取り合ってカフェの中に飛び込んでいくのをさっき見た。

 あいつらの胴体の長さはせいぜいが六メルトほど。なんとか建物の中に入れないことはない。家だって少し広めのものなら住めるもの……うらやましい!


 あたしの胴体の幅は、一メルトほどもあるのよ? 当たり前にある狭いドアが抜けられないの!

 ……あたしたちの種をこんな風に改良・・した奴等が本当に憎たらしい。

 列車を牽かせるなんていう、人間の都合をかなえるためだけにあたしたちをこんなに大きくした。


 おかげであたしたちの寝床ねどこは、交通局の操車場しかない。そこだけがあたしたちが入れる、本当に数少ない屋根のある建物。でも、そこには一日の仕事を終えないと帰ることができない。


 あたしたちの仕事は、朝から晩までこの客車を牽き続けること。

 約十二カロメルトのまっすぐな軌道。それを一日何度も往復する。

 一日に何度往復するのか……日によってまちまちで、いちいち数えてなんかいない。


 ただ、牽き続ける。あたしはこんな仕事がしたい、なんて思ったことも頼んだこともない。

 大型ラミアとして生まれたから、客車を体に固定されて走らされる。

 この客車が外されるのは、寝床に帰った時だけ。……なによ、こんな風にいえばあたしたちってほとんど囚人しゅうじんみたいじゃないの。あたしたちは奴隷どれいかなんかっていうわけ?


 ……さっき、あのカフェに入ったラミア。顔は知ってる――売春宿ばいしゅんやどで働いている奴だ。

 あたしたちの原種げんしゅ

 種族的に性欲せいよくが強くて淫猥いんわいな印象を持たれているからって、他に職業はあるでしょうが!


 だからあたしたちまで痴漢ちかんされるような目にうのよ! 今月だけで一体、何回胸をまれたり尻を触られたりしたか!

 ……本当、この街は痴漢が多いわね! 虫みたいにあちこちからいて出るわ!


 もう、本当、泣きたくなる。いや、この寒さなら涙も凍りそう。

 あたしはこの街でいったいなにをやってるんだろう。


 蛇がいくら小食の方だからって、この図体――いや、胴体。人間の軽く十倍は食べるのよ。そんなに食う奴が街の外に出たら、いったいどれだけの獲物えものらないといけないのか。

 あたしたちの気性きしょうは大人しい。いや、大人しくされた・・・。これじゃあ野生では生きていけない。

 人間から与えられる食べ物で生きていくしかない。食べ物をもらうには、客車を牽く。それでしか食べ物はもらえない。


 本当に奴隷か、あたしたちは。


 他に生きていくすべがない。これでしか生きられない。

 いつまでこんなことをしなければならない?


「……死ぬまで、こんなことをしないといけないのかぁ……」


 ……なら、いっそ、今死んでやろうかな。

 凍死とうしは苦しくないって聞いたことがある。苦しむことも感じられなくなるんだって。

 なんかもう、全部が面倒めんどうになってきた。この客車を牽くのも飽きた。毎日毎日同じ軌道ばかりで……。


「そうよね……死のっか!」

「なにをぶつぶつと物騒なことをいっているんです?」


 声がした。横を向く。

 あたしの頭や肩に乗った雪を見て、その声の主――濃紺色のメイド服を着た少女は首を傾げるように、いう。


「雪、積もってますよ」

「そりゃ、二時間も待ってるからね……」


 たんまりと積もった雪の上に、靴ももぐらずその女の子は立っている……あり得ないんじゃない? いくら積もっているとはいえ、降ったばかりの雪が体重を支えられるわけないじゃない。

 ……でも、確かに立ってるわね。いったい、どういう理屈なんだか……。


「……こんにちは、もじゃ子さん」

「こんにちは。もじゃ子ではありません」


 顔なじみのメイド――綿のようにふくらんだ緑色の髪がやわらかそう。妖精のように見える――いいや、立派な森の妖精であるその女の子は、そう挨拶あいさつをして頭を下げた。


「フィルフィナです」

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