「奇術師との対決」

 医師の手配をすませ、万が一を考えてローレルの側にフィルフィナを残したリルルは今、エルズナー侯爵邸の前にいた。

 手配した高級馬車で屋敷の正門に乗り付け、降りる。


 厳重に閉ざされた広く大きな門。その向こうにいる二人の門番が、青を基調とした、装飾の少ない落ち着いたドレスに身を包んでいる少女の登場に微かな戸惑いの様子を見せる。


「どなたかな?」


 お供が一人もいない、まだ幼さすら感じさせる若い貴婦人の出現に、門番の顔に緊張が走っていた。その肩越しにエルズナー邸が見える。一昨日訪れた・・・ゲルト侯邸に匹敵する規模の邸宅だ。


「――訪問のお約束もなく、突然ご訪問させていただく無礼をお許しください。私、リルル・ヴィン・フォーチュネットと申す者です」


 リルルは軽く一礼する。門の格子越しに一枚の札を差し出した。貴族としての身分証だ。


「フォーチュネット……ああ! 坊ちゃまの!」

「これはこれは! 未来の奥様! お話はうかがっております!」


 自分たちが仕えている主人の長子に婚約話が舞い込んでいるというのは、門番という末端の立場でも興味があることなのだろう。


「未来の奥様だなんて、私は……」

「いやあ! お噂はかねがね! まぁ……なんてお可愛らしい、いえ、これはとんだ失礼を! お綺麗なお嬢様で!」

「お褒めのお言葉をいただき、ありがとうございます」


 カーテシーとはいかないまでも、優雅な雰囲気を漂わせて頭を下げてくる少女に二人の門番は沸き立っていた。


「今、取り次いで参ります! 詰め所でお待ちください!」

「さ、ささ、お体が冷えます故、こちらにお入りください。あなたのような御方にはむさ苦しいところかも知れませんが……」


 一人の門番が屋敷まで全速力ですっ飛んでいく。脇の小さな扉が開かれ、リルルはまたも一礼してそれをくぐり抜けた。


「今、すぐにお茶などを……いや、貴女様のお口に合う物などなくて、どうすれば……」

「喜んで頂戴します。お気遣いはご無用になさってください」

「まあ……我々下々の者にも、そんなご丁寧ていねいに……。坊ちゃまは素晴らしい奥方と巡り逢われたのですなぁ! これはもう、ただただ嬉しいことで!」


 四人も入れば窮屈になるくらいの大きさしかない詰所に通され、粗末な椅子を勧められる。リルルは嫌な顔ひとつせずにそれに座ったが、実際嫌な気持ちはかけらもなかった。


 ポットのお茶を勧められ、ごくごく自然な所作でそれを口に含む。


「そ、それでは、しばらくお待ちください」

「あら、お話相手にはなってくださりませんの?」

「いえ、私めごときにお嬢様のお相手など。お耳汚しになるだけで……そ、それでは職務がありますので、これで」


 必要以上に腰を折った礼をして、門番が詰所を出て行く。後にはリルル一人になった。

 壁の半分ほどはある窓から外をのぞく。


「……ここが、バリス様の住んでいるお屋敷……」


 高級住宅地にあるとはいえ、裕福な平民が住む家でしかないフォーチュネット邸と比べ、規模は五倍も六倍も大きい。ここで働いている人間だけで何十人になるだろう。

 そんな家を継ぐ貴族に嫁入りするということは、その裏方一切を取り仕切る立場に自分がなるということなのだ。


「……私に、そんなことが……?」


 できっこない、と思う。素直に。

 フィルフィナと二人で暮らしている今の生活がどれだけ気楽なものかということを思い知る。多分、もう一人外の人間を迎え入れただけで、リルルの生活は破綻してしまうだろう。


「嫌だなぁ……」


 小さな家でいい。ニコルと二人で暮らせればどれだけ気楽で楽しいことか。それにフィルフィナがいてくれれば、もう何もいうことはないのに……。


 屋敷の方から取り次ぎに向かった門番が、全速力でこちらに向かってくるのが窓から見えた。

 頭の中の甘い妄想を振り払って、リルルは立ち上がった。

 自分も、戦わなければならない。



   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇



「突然のお見えで驚きました。ちょうどよかった、私もお会いしたいと思っていたところです」


 約束もなくいきなり押しかけてくるような不躾ぶしつけな訪問にも、バリスは笑顔で対応してくれた。大きな玄関から邸内に通され、慣れないくらいに広い廊下を通りバリスの先導で応接間まで案内される。


 途中、十何人ものメイドたちとすれ違う。一人一人が珍客の登場に足を止め、深々と頭を下げてくる。それに会釈を返しながら、リルルはこの屋敷の内側をほんの少し垣間見た気がした。


 応接間の長テーブルの前、椅子を勧められて座る。革張りでしつらえられた座面と背もたれのクッションが心地好かった。


 席について息も吐かぬうちに紅茶が運ばれてきて、少しの軽食と共に二人の前に置かれる。

 一礼してメイドたちが下がり、部屋の扉が閉ざされると、広い応接間にはバリスとリルルの二人しかいなくなった。


「それでフローレシアお嬢さん、本日はどのようなご用件かな?」

「……バリス様のお父上は、警察関係にお顔が利くとうかがいまして……」

「ご存じでしたか。確かに、警察関係に一族や親戚は多い。叔父もある地域の署長を務めていますよ……しかし、それが?」

「実は、ある事件を調べていただきたいと……」

「ある事件?」


 ソフィアの家の周辺一帯で起こった、流行病はやりやまいに見せかけたであろう毒混入事件のあらましをリルルは告げた。

 要領を得にくいたどたどしいリルルの説明ではあったが、紅茶を口に含みながらバリスはそれを一度も聞き返すことなく静かに聞く。


「お医者様がおっしゃるには、どうしても毒の特定が必要だと……そうしなければ解毒剤が用意できず、解毒剤なしにはその患者の根本的な回復は望めないと」


 ギックリ腰がまだ半分ほどしか回復しておらず、馬車の中に荷物のように押し込められて運ばれてきたノワール医師が診断した結果だった。

 栄養を摂らせるなどの対処療法はできるだろう。しかし、それは時間稼ぎにしかならない。

 完治できなければ、弱った老体の身には、もしかしたら……。


「ですから、一刻も早く毒を投げ込んだ者を特定し、捕まえて、どんな毒を投げ込んだか聞き出さないことには、私の知人の命が危ういのです……」


 ――リルルの、今回の訪問の目的。

 警察官僚に影響力があるバリスを説得して、犯人の逮捕を実現すること。

 今、リルルが頼ることができる確からしい伝手つてといえば、これくらいしかなかった。


「――趣旨は、わかりました。そんな陰謀が実際にあるかどうかは定かではないが……そこの点から探ってもらうことにしましょう。早速私から父に掛け合いますよ」

「本当ですか! ありがとうございます!」


 軽い頼み事を受けるように了解してくれたバリスに、リルルは声を上げていた。確たる証拠も提出できず、一個人の立場で警察に動いてもらおうなどと虫のいい考えだと思っていたところに、このあっけないくらいの反応は嬉しかった。


「こちらに、フローレシア」

「はい」


 窓際に立つバリスに、リルルも並んだ。

 壁の面積の半分以上もあろうという広い窓から、もう昼時に近い太陽の光が明るく入っていた。

 窓の外に目を向ける。庭には広大な庭園が広がり、それを丁寧に手入れする職人たちの姿がそこかしこにあった、綺麗に刈り揃えられた植木が大きさの等しい緑のブロックのように並んでいる。


 邸宅もまた格式を示すもののひとつなのだ。ロクに手入れもしていない自分の屋敷を思って、リルルは世の中の仕組みを思う。


「貴女は私の妻となられる方だ。――しかし、それは確定はされているが、少し先の未来の話であって、今はそうではない」

「はい……」


 バリスの言葉の先が読めない。戸惑う。


「ですから、お話は承ったが、無償というわけにはいかない」

「……謝礼が必要というのならば、おいくらでも……」

「貴女からそんなものをいただこうとは思っていません。私が欲しいのは」


 バリスが振り向いてきた。体が正面を向いている。気配が迫った、と感じた時には、バリスの手がリルルの腰にそっと乗せるように当てられていた。


「貴女の心と、唇――失礼」


 完全に頭ひとつ高い背丈のバリスが、その上体を傾けていた。気が付いた時にはリルルの顎にも手が触れられ、軽い力で微かに顔が上を向かされる。


『えっ?』


 爪先立ちになる、無意識に。顎が上げられた勢いで自然にそうなっていた。自分でもわからない。


 今まで近づけられたことのない距離に異性の顔がある。目と目が視線を介してぶつかる。リルルの大きな目がいっそう、広く見開かれてその奥の瞳が震えていた。


 どこか彫刻めいたバリスの顔がさらに指の幅ひとつ分、迫る。小さな息の熱さを唇の先に感じる。深く暗い光をたたえた黒水晶の輝きに似た瞳が、まっすぐにリルルを見つめていて――。


『――――あ』


 その瞳の中に、リルルは見ていた。

 そよ風に、そのやわらかい金色の髪を触らせて微笑む少年の姿を。


「――いやっ!」


 全力がその腕に込められていた。リルルの手がバリスの胸に当てられ、次の瞬間には迷いなくそれを突き飛ばしている。

 バリスの足は動かない。相手を突き飛ばしたはずのリルルの方が体を大きく揺るがせて、ムチのように飛んで来たバリスの腕に支えられる。


「――――あ!!」


 自分の手がやってしまったことに気づいて、リルルの頭から血の気という血の気が引いていった。


「――わ、わ、私、な……なんという失礼なことを……!」


 こばもうという思考が働く暇もなかった。手が勝手にやってしまったとしかいえない。が、そんなことをいい出しても言い訳以上のものになるはずがない。

 今自分が置かれている立場、その自分が今、この瞬間にやってしまったことを理解して、リルルの心が小さくない絶望に囚われた。


 そんなリルルをさらに動揺させたのが、まるで慌てもしていないバリスの平然とした様子だった。


「――やはり、ね」


 リルルの腰から手を放す。口づけを拒否されたことに微かな怒りも見受けられない。むしろ、微笑んでさえいた。


「やはり、私の直感は正しかったようだ。当たるものですね」

「な……なにを、ですか……」

「貴女には想い人がいますね?」


 リルルの鼓動が数秒、停まった。

 銃弾のように胸を貫いていった言葉に、呼吸もできなくなった。


「……バ、バリス様……!?」

「ああ……誤魔化ごまかそうとしなくてもよろしいですよ」


 遊戯ゲームで一方的に主導権をとった者の顔。その余裕がバリスの表情いっぱいに現れていた。


「私がその方の名を一回で当てたら、素直に白状していただけますよね?」


 リルルの理解が追いつく暇もない。どこか子供めいた楽しむ笑顔を見せながら、バリスは唱うようによどみなく続けた。


「その名は――ニコル・アーダディス殿」

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