「あなたが望むのは、金色? それとも銀色?」
「そんな……こんな素晴らしい殿方とお近づきになれて、私の方こそバリス様のご期待を裏切ってはいないかと……」
ちくり、とリルルの心を裏側から刺す痛みがあった。それが肌を刺す感触そのものに思えて、リルルは思わず小さな声を漏らしてしまう。
「――リルル?」
「い、いえ、なんでもありませんの……ですが、何故バリス様のような素晴らしい方が、今まで……」
動揺を隠そうと思いつくままに口走ったことが失言につながると気づいて、リルルはハッと言いよどんだ。
「今まで、縁談もなく独り身でいたのかと?」
バリスの受け答えに、リルルの心が凍るように冷えた。いちばん受け取られたくない受け取られ方をされていた。
「も、申し訳ありません! 私、なんて失礼な物言いを」
「かまいません。当然思われる疑問だ。侯爵家の長子など、生まれる前から婚約者が決まっていてもおかしくはない。……あなたは妻になる方だ。隠さずに話しておきましょう」
バリスは後を振り返る。二十歩も後を、かしずくようにフィルフィナがついてきていた。
「私にも確かに婚約者がいました。――ただ、三ヶ月前に事故で亡くなってしまったのです」
「まあ……それは、まことにお悔やみを……」
「ちょうど今頃はその婚約者と結婚するはずだったのですが、かなわず……そんな時にあなたのお父上からこの縁談を持ちかけられたのですよ。まだ喪に服すべきなのかも知れませんが、婚約は婚約、結婚をしたわけではないですからね」
白い横顔に寂しそうな陰影が浮かんでいる。遠いものを見つめる眼差しに、リルルは心底からの同情を覚えた。
――ニコルが事故で死んだ、などと聞けば平静でいられるはずがない。半狂乱になり、それが鎮まるのに何年かかるだろう。
「その婚約者との方とは……その……」
「家と家の約束で決めた話です。しかし、いい方だった。私も愛しておりましたよ。ただ、いつまでも悲しんではいられない。私にはエルズナー侯爵家長子としての責任があるのです」
「…………」
責任、という言葉にリルルは押し黙った。自分にも、フォーチュネット家長女としての責任がある、といわれているように感じたからだ。
「貴族は、家のためならば意に沿わぬことも受け入れなければならない。それは宿命のようなものです。しかし――こうやって受け入れたくなる宿命もまた、ある」
なめらかに耳に触る声。それは歌劇の舞台を思わせた。
「リルル、私はあなたが気に入りました。あなたが快く受け入れて下されば、私たちはいい夫婦になれそうだ。そう思います」
「も……もったいないお言葉で……」
上手く言葉をつなげられない自分のつたない話術にリルルが自己嫌悪に陥りかけた瞬間、それは胸の中で鳴り響いた。
鋭く、硬く澄んだ鉄琴の音がリルルの懐で緩やかな旋律を奏で出す。バリスも耳を叩くその音に足を止めた。
「これは?」
「あ……わ、私の……」
懐から音の発生源を取り出す。今朝受け取ったばかりの、ニコルから贈られた懐中時計がそれだった。つまみのひとつを引くと、鳴り響いていた音がやむ。
「ほう……軍用でよく使われる型の懐中時計ですね。誰かのお形見かな?」
「ええ、これは――」
互いに婚約者と認め合った少年から贈られた、などと説明ができるわけがない。さりとて気が利いた言い訳も思いつかなかった。曖昧な微笑みで時を
「報償の品として贈られることが多い品ですね。ですが、あなたのような可憐なフローレシアが持つには相応しくない品ですよ。ちょうどよかった、ここに――」
バリスは自分の懐を探り、ひとつの手の平に乗るくらいの小さな箱を取り出してリルルの前にそれを差し出した。赤いリボンが結ばれている白い箱だ。この大きさは――。
「本日はあなたの成人の日、お誕生日と聞いていたので、贈り物を用意していたのですよ。この場で開けてご覧なさい」
「え、ええ――あ、ありがとうございます。では、遠慮なく……」
バリスの手に乗ったままの箱を開ける。リルルの握り拳大ほどの大きさの、球形に近いものがさらに包装紙に包まれていた。その包みも取り去る。
「まぁ……!」
中から出てきたその品に、リルルは思わず感嘆の声を上げていた。
懐中時計だった。銀――メッキなどではない、純粋に銀の地金で作られたそれ。
細工だけでどれだけの手間と時間がかかるのか。蓋を開くと、磨き上げられた文字盤の上を金細工の針が音もなく回っていた。時刻を示す数字も優雅な筆致の金文字であしらわれている。
物の価値に疎いリルルでも、それがかなりの値を張る逸品だというのが容易に想像できた。
「こんな、素晴らしい時計を……」
「進呈します。遠慮なく受け取っていただきたい。そういう品こそ、あなたに相応しいものです。リルル、自信をお持ちなさい。あなたは自分で思われているよりも、ずっとずっと素晴らしいフローレシアですよ」
「は……はい……」
手にした懐中時計が重い、色々な意味で。
静かな、しかし力強い気品をほこるそれに、リルルは息を飲んだまま二の句が継げなかった。
「こちらは大切な場所にしまい込んでおくといい。あなたは将来のエルズナー侯爵夫人なのです。その自覚をお持ちなさい」
バリスが前を向く。リルルがうなずいたかどうかは見ていなかった。確認するまでもないことだと思っていたのだろうか。
「さあ、そろそろあなたを檻から解き放たなければならない頃合いです。……後日また、私の檻の中に入って下さるかな?」
「…………」
頬を薔薇の色よりも濃く染めて、リルルはうつむく。
うつむいた心の中で、やわらかい金色の髪を風にそよがせる少年のことを想った。
『ニコル……』
体は離れていても心は離れないと信じていた気持ちに、微かなぐらつきを覚えて、少女は固く目を閉じた。
『私……どうなっちゃうの……』
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
面会式が一段落する。今日は、婚約した二人が単に顔を合わせるという意味合いしかない儀式だ。ここから、貴族界に向けて二人が近々結婚するということを知らせ、関連する人物や家々への挨拶回りが始まる。
先だってのお披露目パーティーも行わなければならない。フォーチュネット伯爵家はともかくとして、エルズナー侯爵家の家名は名高い。それなりの格式で催しを行わねばならない。
婚約式が成立するのは一ヶ月後、実際に結婚式が行われるのは早くても二ヶ月は先だろう。その間、この王都の中をどれだけ駆けずり回らないといけないのか……。
「私はエルズナー侯とまだ話があるでな。お前たちは二人で帰りなさい。フィルフィナ、リルルを頼むぞ」
「かしこまりました、旦那様」
フィルフィナが深々と頭を下げる。
ログトはフィルフィナの深い事情は知らない。娘の相手となってくれる有能なエルフのメイドでいてくれるフィルフィナに、それ以上の興味は持っていないようだ。偏見や蔑視がないだけでもフィルフィナが助かっているところはあったが。
「いい縁談だろう、リルル。これ以上の良縁はまず望めない。お前は幸せ者だ。わがままをいうのではないよ」
「……はい、お父様、失礼いたします」
行きに乗ってきた馬車にリルルとフィルフィナが乗り込む。屋敷に、とフィルフィナが告げると、御者は手綱を振るって馬を走り出させた。
後部の
「……それで、どうするんです? あれで妥協するんですか?」
「バリス様に失礼な物言いをしないで!」
「これは申し訳ありません」
口ではそういうが、フィルフィナの頭は少しも下がっていなかった。
「旦那様もおっしゃっていましたが、実際、素晴らしい縁談ですよ。エルフの男性も美形が多いですが、あの水準はなかなかいないですね……なにか不満な点があるのですか?」
「……こんなのだったら、お父様と同じような歳のお相手の方がマシだった……」
乗り込んだっきり、自分の膝小僧に顔を埋めようとするかのように体を折っているリルルがうめく。
「そうだったなら、ニコルへの想いを揺らがせずにすんだのに!」
「つまり今揺らいでいるわけですね」
「……バリス様はいい方よ。きっとよき伴侶になって下さる……でも、私はニコルと一緒になりたいの! バリス様が良さそうだからといって、気持ちを曲げたくない!」
「とはいえ、何もしなければそのバリス様と一緒になるしかないのですよ」
慈悲のかけらも見せずに、ちびっこいエルフメイドは現実を提示した。
「どうします? ニコル様と駆け落ちして、誰も知らないどこかで一緒に暮らしますか? お手伝いくらいしますよ?」
「……そんなことしたらお父様が草の根分けても探しにくるし、何より、ニコル本人が承知するわけないのはフィルだってわかってるでしょ……」
「ゴーダム公の元での騎士見習いの口も、旦那様の働きかけで実現したことですしね。それはそれは旦那様に御恩を感じていらっしゃるでしょう。旦那様を裏切られる御方じゃありませんね」
「じゃあ、私に一体どんなことができるって――――」
きゅるるるるるるるるるる…………。
「…………」
「…………」
体を折り曲げているリルル――正確にはその腹部から発した響く音に、二人はしばし沈黙してしまう。
「……派手に鳴りましたね」
「……お昼時だもの……ああ、お腹が空いたわ! 早くなにか食べたい!」
「その格好でどこかの料理店に入るつもりですか?」
相当に高級な店でも浮いてしまう立派なドレス姿だ。店に踏み込んだ瞬間、全員の注目を集めるのは確実だろう。
「……なら、ソフィア! ソフィアの家に行きましょう! 久しぶりに顔を見たいし!」
「まあ、それも悪くはないでしょうね……」
フィルフィナが前方の窓を開けて、行先の変更を伝える。リルルは折り曲げていた体を起こした。むしゃくしゃしている。なにか強烈な気晴らしがしたい。
「快傑令嬢になって憂さ晴らししたいとか考えてはいけませんよ、お嬢様」
「…………そんなこと、考えてもいません!」
「今、嘘をつきましたね?」
「…………ちょっと」
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