対 二

 陸王りくおうは騒ぎから離れる者達に混じって歩みを進めた。他にもまだ陸王を狙っている者がいる筈だ。周囲を軽く見回してみると、あとをつけてきた者の二人が人垣の中を覗き込んでいた。残る一人はどこかと、更に注意深く視線を走らせる。


 その時、ふと一人の男と目が合った。その途端、男が道行く者を掻き分けて駆けてきた。それを目にして反射的に陸王も人波の中に紛れ込む。


 あとを追ってくる男は陸王の姿を見失っては見つけ、見つけては見失いしながら人を弾き飛ばしつつ、執拗に追いかけてきた。その様があまりにもしつこくて、途中で陸王は駆ける足を止めた。相手が追いかけるのはこの人混みの中で駆ける者だ。だからついでに被っていた頭巾も脱いで、近場にいる母子おやこ連れの脇に並んで歩いた。


 するとそれだけで、あとを追ってきた男は間抜けにも陸王を追い越し、大広場の向こうに姿を消してしまった。

 それを見て、思わず溜息が漏れる。けれどまだ安心は出来ない。この大広場のどこから発見されるかも分からないのだ。ここは見つけられる前に、早々に城門へ向かった方が得策だとはんじた。


 そう決めて踵を返した瞬間、突然手首を掴まれた。


 瞬間的に身体が痺れるような感覚に襲われる。


 見つかったかと手首を掴んだ人物に目を遣ったが、意外な事に、見た事のあるような、ないような少年が陸王の手首を掴んで、明後日の方角に引っ張ろうとしていた。

 陸王は反射的にその手を乱暴に振り払った。



「なんだ、小僧」



 不機嫌も露わに言い遣るが、栗茶色の髪をした少年は再び陸王の手首を掴む。そしてしっかりと陸王を見た。



「こっちに来いってば、陸王」



 聞き覚えのある声で言って、強引に手首を引っ張る。


 陸王は困惑した。声に聞き覚えはあるが、その容貌は陸王の知る誰のものでもない。なのに少年は陸王の名を知っている。こんな奇妙な事はなかった。困惑するなと言う方が無理な話だった。



「誰だ、お前」

「いいから来いってば。話は安全なところに行ってからするよ。こっちだってば」



 必死に言い募る少年の目に、陸王は違和感を覚えた。薄い藍色の瞳の目尻に紅が差してあるのに気付いたのだ。



「お前、まさか雷韋らい……か」

「そうだよ。兎に角行こう。ここは危ない」

「お前、その髪と目の色はなんだ」

「なんでもいいから行こうってばさ」



 言って、更に強引に引っ張った。今度は陸王もそれに素直に従う。

 雷韋は辺りのあちこちに目を配りながら陸王の手を引いて、大広場から続く裏路地に素早く駆け込んだ。そして迷路のような路地を曲がったり直進したりしながら延々と走り続ける。


 陸王は雷韋に素直に手を引かれて走ったが、走るうちに、今自分が街のどの辺りにいるのかさっぱり分からなくなっていた。それでもそのままついていくと、やがて辺りが殺風景な寂れた風景に変わっていく。そこはもう裏路地ではない。狭い道を挟んで質素な家々が建ち並んでいるのだ。


 下町だった。


 辺りには棒っきれを持ってわいわい騒ぐ子供達の姿や、二階建ての窓から洗濯物を干している女の姿などが見える。

 雷韋はそこまで来て、ようやく足を止めた。


 大広場から裏路地を抜けて散々走ったせいで、二人共肩で息をしていた。



「どこだ、ここは」



 陸王が息を弾ませて問う。

 それには膝に手を当てて呼吸を整えながら雷韋が、「下町」とだけ短く返してきた。



「下町だ? ここのどこが安全なんだ」

「少なくとも街中にいるよかは安全だよ」



 言う雷韋の頭を、陸王はぺしっと平手で叩く。



「で、お前の姿は一体どうした。別人だと思ったぞ」

「叩くなよなぁ、もう。……髪は染めた。目の色も眼薬がんやくで変えた。でも、目の色は一日で元に戻るってさ」



 叩かれた頭をさすりながら答える。

 それを聞いて陸王は、へぇ、と呟くと、改めて雷韋の姿をまじまじと見た。



「なんか変か」

「さてな。どうでもいい」



 心底どうでもいいという風に、吐き捨てるように言う。

 その言い草が気に食わなかったのか、雷韋はふくれっ面を晒した。



「なんだよ、それ。生命いのちの恩人だぞ、俺は」

「誰も頼んじゃねぇよ」

「あんたの事、朝から見てたけど、狙われっぱなしじゃねぇかよ」

「朝から見てただ? なんだって俺の居場所が分かった」



 陸王が問うと、雷韋はそこで、う~んと唸った。そして腕を組んで小難しい顔をする。



「俺にもなんて説明すればいいのか分かんねぇ。ただ、なんとなく?」

「答えになってねぇぞ」

「だからぁ、なんて言えばいいのか……、既視感が気配で、匂いもあんたで……」

「わけが分からん」

「俺にだって分かんねぇよ!」



 と、いきなり逆ギレしていきどおる。



「なんとなくあんたの感覚を追ってみたんだ。そうしたら宿屋に着いて、そこからあんたが出てきたんだ」

「感覚? なんだ、そりゃ」



 陸王は渋面じゅうめんを作り、盛大な溜息をついた。



「んな事言っても、どう説明していいんだか分かんねぇってばさ」



 そんな雷韋に陸王は、嘆息をついて踵を返す。



「兎に角、ここまでだ。じゃあな、サル」

「あっ、ちょっと、待った待った待った」



 去ろうとする陸王の腕が雷韋によって捕まえられる。



「どこに行く気だよ」

「グローヴ領だと言っただろう。あそこの領主に俺は賞金をかけられたんだ。脅してでも取り下げさせる」

「危ないって。きっともっといい案が出るからさ、俺と一緒に来てくれよ」

「一体どんな名案があるってんだ」



 陸王のその言葉に、雷韋は俯いた。俯いたまま小さく答える。



「今は分かんない。でも、これから考えるよ」

「俺はまだるっこしいのは好きじゃねぇ」



 陸王が何かを倦厭けんえんするように言うと、雷韋はがばっと顔を上げた。



「よく考えろよ。向こうには闇の妖精族ダーク・エルフがいるんだぞ。あいつの魔術にどうやって対抗しようってんだよ。もしあんたが強くても、魔術を自在に使う相手とどうやって戦うってんだ。あいつの精霊魔法エレメントアはきっと全部、言霊封ことだまふうじだ。根源魔法マナティアだって使ってくるぞ」



 いきなり捲し立てられて、言葉を失った。陸王は心の中で、そうだ、と呟く。宿で一晩中苛立っていたせいで、相手方に闇の妖精族がいる事を失念していた。

 とは言え、闇の妖精族もただの人族ひとぞくだ。どうにか出来ない相手ではない。



「兎に角さ、今俺が世話になってる人のとこに行こうぜ。あんたがどうしてもグローヴ領に行きたいんなら、それなりの対抗策考えなきゃだろ」

「お前が世話になってる奴? 信用出来るのか、そいつは」



 胡散臭うさんくさげに問う。



「うん、……多分。少なくとも俺は助けて貰った」

「信用出来んな」



 陸王は鼻で笑って、雷韋の寄せる信頼を一刀両断する。



「あー、もう! あったま固いなぁ。少しは人を信用しろよ」

「俺はお前の事すら信用してねぇんだぞ」

「だったらこのまま突っ込んでいって、闇の妖精族に殺される方がいいのか?」

「殺されるとは限らん」

「闇の妖精族を舐めるなよ。冗談抜きで殺されるぞ」



 あおく変わった雷韋の瞳が陸王を真剣に睨み付ける。その顔には子供じみた表情は一切ない。雷韋はどこまでも真剣だ。

 陸王は自分を睨み付けてくる雷韋の瞳を黙って見返した。まるで、どこまで雷韋が真剣なのかを測るように。探るように。


 そうして暫し睨み合い、結局先に折れたのは陸王だった。目を逸らすのと同時に、面白くなさそうな舌打ちが返る。小さく吐息も漏れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る