第21話 ヨイチの作曲

 木曜日の放課後、良彦は2時間みっちりと数学を教え、金曜日には物理と化学を1時間ずつ教えた。

 樹子、みらい、ヨイチは真面目に習った。

 金曜日の午後7時ごろにみらいは帰宅した。母が玄関で仁王立ちしていた。

「毎日遅いわね。何をやっているの?」

「水曜日は部活だよ。昨日と今日は友だちに勉強を教えてもらっていたんだ」

「部活って何?」

「文芸部だよ」

「また小説を書いているの?」

「書いているよ」

 母は大きくため息をついた。

「まあいいわ。友だちが勉強を教えてくれているの?」

「うん。とても頭がよい男の子が、数学と物理と化学を教えてくれているんだ」

「男の子とふたりきりなの?」

「ちがうよ。教える子と習う子3人なんだ。男の子ふたりと女の子ふたりだよ」

「真面目に勉強しているんでしょうね?」

「してる」

「変なことはしていないでしょうね?」

「変なことって?」

 母はまた大きなため息をついた。幸福が逃げていくようなため息だった。

「それもまあいいわ。中間試験で結果を出せればね」

 母は台所へ去った。

 みらいの父は国家公務員で、毎日夜遅くに帰ってくる。終電近くの時間だ。いまはもちろん不在。

 高瀬家は公務員団地に住んでいる。ひとり娘のみらいは自室を与えられていた。

 みらいは自室で英語の勉強をした。文系科目は自力でよい成績を取らなければならない。

 7時30分に夕食を食べるために勉強は一時中断した。母がつくった料理はカキフライ、キャベツの千切りとトマトのサラダ、お味噌汁だった。カキフライは大きめの牡蠣を使っていて、美味しかった。

 8時に自室に戻り、英語の勉強を再開した。9時からは古文の復習をした。

 10時にお風呂に入り、のんびりとお湯に浸かった。樹子とヨイチと良彦のことを考えた。胸が熱くなった。しあわせだ、と思った。中間試験でいい成績を取り、このまま高校生活をつづけたい……。

 土曜日の朝、南東京駅前のバス停でみらいはヨイチに出会った。彼は黒いギターケースを背負っていた。

「おはよう。それは何?」

「フォークギターを持ってきたんだ。今日の勉強会が終わった後で、これを使って作曲しようと思ってさ。例の『わかんない』に曲をつけるんだ」

「『わかんない』に曲を!」

 みらいの胸が躍った。

 午前中に4コマの授業があったが、みらいは気もそぞろだった。『わかんない』に曲、『わかんない』に曲、とくり返し思っていた。

 午前12時に授業が終わり、その後のホームルームで小川が「週末はしっかりと勉強をしろ。そして遊べ」と言った。

 生徒たちは解放された。樹子、みらい、ヨイチ、良彦は『大臣』でラーメンを食べた。樹子とみらいはラーメン中、ヨイチはラーメン大、良彦はラーメン小だった。良彦だけニンニクを入れなかった。みらいは良彦くんに臭いと思われるかな、と思ってニンニクを入れたのを後悔した。

 樹子の部屋で数学を1時間、物理と化学を30分ずつ勉強した。終わったときには、午後3時30分になっていた。

 ヨイチが黒いギターケースから茶色い木目のフォークギターを取り出した。

「未来人が書いた『わかんない』の詞に曲をつける」と彼は宣言した。

 彼は右手にピックを持ち、左手でギターのネックを押さえ、かき鳴らした。いくつかのコードを鳴らし、「こうかな?」などとつぶやきながら、コードチェンジをして曲をつくっていく。たまに恐ろしく低い声で『わかんない』の詞を歌った。

「だいたいできた。聴いてくれ」

 ヨイチはギターを激しくかき鳴らし、低音の声で『わかんない』を歌った。カッコいい、とみらいは思った。

「16ビートの激しい曲ね。マイナーコードばかり使っていて、暗いわ。悪い曲だとは思わないけれど、あたしはもっと明るい曲を希望する」

「この歌詞だと、暗い曲調でいいと思うんだけど」

「この歌詞で明るい曲調がいいわ。意外性があるから。メジャーコードを多用したキャッチーでメロディアスな曲をつくってみてよ」

「バンドマスターがそう言うのなら」

 ヨイチはまたコードを鳴らした。今度の音は確かに明るい感じがする、とみらいは思った。マイナーコードもメジャーコードという言葉も初耳だった。ギターのことを何も知らない。知りたい、と彼女は切望した。

 明るい和音が交錯し、低い声でヨイチが「うーん、こんな感じ?」とか「いや、ちがうな」とかつぶやきながら、曲をつくっていった。

「できたぞ。明るい『わかんない』だ」

 ヨイチはピックをゆるやかに動かし、低音で歌った。耳に心地よいメロディだった。

「未来人、おまえに歌ってもらうから、メロディを覚えろ」

「うん」

 みらいは全身を耳のようにして聴いた。凄くいい曲、と思った。きれい……。

「ギターを弾くから、歌ってみてくれ」

「はい」

 ヨイチが伴奏し、みらいが歌った。みらいの声はヨイチがさっき歌った声より、1オクターブ高かった。

「いい声だ……」と良彦がつぶやいた。

 みらいが「わかんないんだよ~♩」と歌い終えると、樹子が拍手をした。

「いい曲ができたね。バンド若草物語の最初の曲。ヨイチ、なかなかいい作曲センスをしているわね」

「天才と呼んでくれ」

「天才」

「照れるな」

「未来人の歌も上手よ。高音が素晴らしいわ!」

「ありがとう……」

 みらいは頬を赤く染めて照れた。

 樹子は冷蔵庫からペプシコーラを4つ持ってきて、みんなに配った。

「この調子で若草物語の曲を増やしていきましょう」と彼女は言った。 

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