第76話 メルルの過去

「私、可愛いですよね」


 いつもと変わらない調子で、彼女が言う。


「ええ、可愛いわね」


 ふふっと笑うメルルの顔は、少し暗い。

 まるで可愛いことを悪いことだと思っているような……。


「前の世界では、可愛くなかったんです。不細工でした。好きになった男の子にも両親にも、容姿を悪く言われていました」

「……そう」

「ここでは皆、褒めてくれるんです。顔が悪くて勉強ができても、それしか取り柄がないように言われる。他には何もない、と。でも、顔がいいだけでちやほやされて……お店に来る人も皆、娘のように可愛がってくれるんです」

「……うん」

「私は、それで救われたんです。欲しかった言葉を、ここでは言ってもらえる。だからきっと、この世界は魂を癒す場所なのかなって思いました」


 本当に救われたのかな。

 それなら……なんでそんなに悲しい顔をしているの。


「大学入試が終わった後のことでした。もう、合格という結果も出ていました。私はただ、ビルの前の歩道を歩いていただけ。それなのに何かが上から落ちてきて……私はおそらく死にました」

「――――っ」


 全身の力が抜けていく。

 ショックで、唇が震える。


「大学生活に憧れはありました。化粧をすれば、なんとかなるかな。どんな毎日なのかな。でも、そこには辿り着けなかった」


 涙腺が崩壊したように、次から次へと涙がこぼれていく。

 かける言葉が……見つからない。


「だから、この世界で欲しい言葉をたくさんもらえて、期待していた大学生活以上の楽しい毎日をライラさんからいただいて……それだけで十分だったのに、恋人までできて。今、とても幸せなんです。ここで生を終えたら、次の人生にも前向きに挑めるかなって」


 そこまで言って彼女は、前を向いていた顔をこちらに向けた。


「もう、ライラさん泣きすぎですよ、優しいなぁ」


 本当に……幸せなのかな。

 それでは、前の世界のあなたが置き去りだ。


「私には……息子がいたの」

「そうだったんですか。どうりで、包容力があるなぁと思っていました」


 溢れる思いが止められない。


「どの学年でも不細工な子だと感じる子はいなかった。確かに顔が可愛い子はいた。私もよくはなかったから、生まれついての差があることは分かっているわ。普通、だったはずよ。男の子はからかいたがる子もいる。あなたの親はきっと甘えていたのよ。何を言っても、優しいあなたには責められないって」


 思いを伝えたくて、強くメルルを抱きしめる。私の袖を掴む彼女の手は、少し震えていた。


 本当は、子供を失った親の悲しみも伝えたい。

 座布団におさまってしまうくらいに小さな頃からずっと育てた子供が、突然いなくなって……。


 あったはずの未来。

 初めての大学。

 初めての就職。

 初めての結婚。

 たくさん見られるはずだった子供の未来が、突然失われる絶望を。


 でも……それを伝えたところで、彼女の悲しみを増やしてしまうだけだ。


 だから――、言わない。


「私なら一緒に考えた。髪型とか服とか眉の整え方だって、よく見せる方法はいくらでもあるもの。あなたは頑張っていたのよね。腐らずに一生懸命勉強して、将来に向かって頑張っていた。きっと大学に行けば、生き生きしているあなたに惹かれる人だっていたはずよ。過去の自分を貶さないで。一生懸命生きていたあなたを、卑下しないで」


 彼女の手が、身体が、震える。

 小さく泣き声が聞こえる。


「考えてもみて。スーパーのおばちゃんとか、絶世の美女ではなかったでしょ。容姿がどうとかなんて学生までの話よ。大人になれば一緒にいたい人を選ぶようになるわ。こだわらなくていいの、歳さえとれば小さなことなのよ。でもあなたは……歳をとれなかったのよね。それが何よりも辛い」


 体を離すと、メルルも私と同じように涙でぐちゃぐちゃの顔をしていた。


「きっと未来を奪われさえしなければ、前の世界でも幸せになれた。今のあなたも前の世界でのあなたも、すごくすごく素敵な人なのよ。絶対に、絶対によ」

「絶対に……ですか」

「そう、絶対なの」


 彼女は手で顔をぐっと拭くと、満面の笑顔で言った。


「ライラさんは、前の世界の私が欲しかった言葉を前の私にまでくれるんですね。やっぱり大好きです。私の女神様です」

「本当は飛んで行きたいわ。前の世界のあなたのところへ」

「その言葉だけで十分です。やっと分かりました。私は魂を癒すために、ライラさんのいるこの世界に呼び寄せられたんですね。前の世界の私が思い残すことは、本当にもうありません」


 薄暗かった表情は、今はもう見えない。

 今だけはそう思えても、また過去を振り返って悲しくなることもあるかもしれない。

 でも……。


「この世界を、全力で生ききります」


 彼女なら大丈夫――、そう思えた。

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