第75話 メルルの正体

 学園祭も終わった。

 二日目の午前はヨハンと一緒に演劇や歌唱部の出し物を見て、午後は東屋で感想を述べあったりして過ごした。


 アンソニーの相性診断については、お互い何も言わなかった。思うところがありすぎたからなのかもしれない。


 お遊びの相性診断。

 アンソニーの前で長時間悩みたくもなかった。あの瞬間に思った方を選んだだけだ。

 考える時間がもう少しあれば、お互い違う選択をしたのかもしれない。


 ――ヨハンは、信じたくて話したくて好きだと言われたいのね……。


 その三問が意外だった。


 信じてもらえるまで口説き続けると、ヨハンはよく言っていた。それなのに「信じられたい」ではなく、「信じたい」……。


 私も少し悩んだ。

 引っかかっていたのは、ジェラルドを見送った後の「浮気の算段かと思った」というヨハンの言葉だ。魚の骨が喉に引っかかったかのようにずっと突き刺さっていて、「信じられたい」を選んだ。

 もっと考える時間があったのなら……きっと「信じたい」を選んでいた。


 次に意外だったのが、「話したい」を選んだことだ。いつも私の話を聞いてくれるから「聞きたい」を選ぶと思った。……言いたいことを言えていないのかもしれない。


 最も胸に刺さったのは「好きだと言われたい」の一択だ。見た瞬間、心臓をわしづかみにされたような気分になった。


 ――好意を、私はあまり口にしない。

 どうしても引っかかっている。

 前世で過ごした四十年。


 ヨハンのことは好きだ。

 あれから少しずつ大人に近づいて、同じ言葉を言っても反応が変わっていき……でも、ずっと優しく見守ってくれた。いつだって支えてくれて理解してくれて尊重してくれる。

 大好きだから、中身が若くない私が汚してはいけないような――、そんな気がしてしまう。


 夫と結婚した記憶を持つ私が、好きだと言っていいの? 夫と子供までもうけた私が、十六歳の女の子のふりをして……。


 本当は、もっと好きだと言いたい。

 でも……言いづらい。


 今よりもそんな言葉を言い合えば、きっと濁流に飲み込まれるように後戻りできないほど好きになってしまう気がする。

 前の世界での夫のように、私に興味を失ってしまう日がきたら……絶望しかない。


 だから私は、好きだと言いたい方を選んだ。

 永遠に続く愛を信じられる日がきたら……。


 なんにせよ、もう少し踏み込んだ話をした方がいいかもしれない。


 そう思って、土の曜日に占いや授業の予習も終えた後、悩みに悩んだ末に近づかないようにしようと決めていたその場所に、来てしまっていた。


 このゲームの舞台「王立学園の秘密の花園」の、学園祭後にその場所に行けるようになる「秘密の花園」への入口。絶対に二人きりになれるそこへと通じる、共生の森の端にある池のほとり。


 壊れた柵の隙間を縫って奥に進むと、そこには花園がある……はずだった。


「やっぱり、メルルしか入れないのかしらねー」


 独り言を言いながら往復する。

 そもそも柵が壊れていない。


 メルルがいる時にだけ壊れるのかな……。

 学園祭後の平日に談話室で会った二人の空気は、いかにも恋人同士だった。

 入ったと思うのよね……、秘密の花園。

 私も入れたのなら、委員会のない日の曜日にメルルたちが昼食を食べている隙にでもと思ったのだけど。


「やっぱり、ヒロインしか無理なのかな」


 そう呟いた直後に、後ろから声をかけられた。


「ラーイラさん!」

「う、わぁ!」


 メルルだった。

 私が森の熊さんみたいに行ったり来たりしているのを見られていたのかしら。

 だとしたら、恥ずかしいわね。


 でも……なんだろう。

 ものすごく違和感がある。

 目が笑っていない。


「今から、私の言う言葉の続きを言ってもらえますか?」

「……どういうこと?」


 ここまで意味の分からないことをメルルが言ったことは、あっただろうか。

 正体が分からず気持ち悪い。


 森の中で珍獣に出会ったような気分で彼女を凝視する。


「ライラさんなら分かるはずです。ではいきますね」


 彼女が息を吸って言った言葉は……。


「鳴くよウグイス」

「……平安京」


 つい、すぐに答えてしまった。

 驚きで身体中が震えそうになるものの、矢継ぎ早にメルルが次々と言葉を繰り出す。


「いい国つくろう」

「……鎌倉幕府」

「ひとよひとよに」

「……ひとみごろ」

「鳴かぬなら、鳴かせてみよう」

「……ホトトギス」

「鳴かぬなら、鳴くまで待とう」

「……ホトトギス。ってもういいわよ、もう分かったわ」


 息が止まりそうな衝撃は、彼女の言葉に次々と答えていくうちに薄らいでいった。


 いきなり日本の学生生活を思い起こされたわね……。えへへと笑うメルルの瞳は、いつもよりも悪戯っぽい。


「……転生者なのね、あなたも」


 風が、彼女と私の間を流れていく。

 ふわふわと桃色の髪を揺らしながら微笑む彼女は、どんな姿だったのだろう。


「はい、私と一緒なら行けるかもしれません。行きましょう?」


 メルルに手を引っ張られる。


 まさか……同じく転生者だったとは。

 全く分からなかった。

 さっきの言葉を言ったってことは、私のことはバレバレだったのね。


 なんで一問だけ数学だったのかしら。

 メルルのセンスも謎よね。


 柵が一ヶ所だけ壊れている。

 さっきまでそんな場所はなかった。

 そこを越えて真っ直ぐに進むと……。


「うわぁ……、綺麗」

「ですよね、圧巻ですよね。ライラさんを連れて来られるなんて、舞い上がっちゃいます」


 色とりどりの花が、木々に囲まれて咲き誇っている。

 ――特別な場所。

 この世界で、永遠に色褪せない場所なのかもしれない。


「歩くと、花をつぶしちゃうわね」

「大丈夫ですよ。きっとここの花は、次に来る時までに元に戻ります。さっきの柵のように、そういう場所なのだと思います」


 私よりも、この世界に対しての理解が深いのかもしれない。


 私たちは幻想的に咲き乱れる花に囲まれながら、誰にも聞かれない秘密の話を始めた。


「この世界、メルルはどういう場所だと思っているの?」

「ライラさんは、どう思いますか?」


 まさか、質問を質問で返されるとは思わなかった。


「現実ではないと思っているわ。おかしいもの。水道設備は整いすぎているし、修繕工事も道路工事もほとんどない。それなのに崩壊する建物もないし大きな亀裂も生じない。騒音問題も出てこないわ。設定は暗い部分もあるし犯罪もあるけれど、お綺麗すぎるのよ、この世界」

「あはは、さすがライラさんですね。着眼点がすごいです」

「本だっておかしいでしょう。普通に木から作られているし安価よね。人名も違和感があるわ。王族にすらミドルネームもついていない。本当に、あのゲームそのままよね」

「色々ありますよね。たぶん矛盾したりおかしい部分は、突き詰めていくとさっきの柵みたいに見えなくなっていると思いますよ」


 やはり話すと、私よりも世界への理解がありそうだ。


「私は、魂を癒す場所なのかなと思っているんです」

「魂を?」

「はい。前世の心残りだったり、辛かったり悲しかったことをここで癒して、生まれ変わるんです。他にもこんな世界はたくさんあって、魂に合った場所へ行くのかな、と。誰かに強く想像された世界が、時間も空間も超越したような場所にたくさん存在しているのかもしれないと思っています」

「魂を癒して……ね。そういえば、そんな絵本を描いていたわね」


 そう言うと、思いっきりメルルが顔を赤くして、はわわわわと慌てふためいた。

 女神様の絵本ではない方を思い出しているんでしょうけど……あそこにあったということは、読んでもらうために置いたのよね?

 一応、読むのに躊躇はしたけれど。


「はぅ〜、ライラさん、読んじゃったんですか、あれを……。まさかそのようなことになるとは思いもよらず……」

「あったら読むでしょう」

「私の本を探してもらえるなんて、完全に頭になかったです〜」

「素敵な絵本だったわ」

「あ、ありがとうございます……。でも、恥ずかしすぎます……」


 前世の心残り……か。

 そうなのかもしれない。

 温かい家庭を築きたかった。

 仲のいい夫婦に憧れていた。


 九歳のライラからスタートすればヨハンとそうなれると、この世界に判断されたのかしら。


「え、えっと、ここが魂を癒す場所だと思ったのは、私に心残りがあったからなんです」


 メルルが話し始めた。

 前世での――、彼女の物語を。

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