第64話 ファーストキス
書庫からは、なぜかすぐに脱出できた。
シーナが講師から本の返却を頼まれたと、鍵を開けて書庫に来てくれたからだ。
……なんだか都合よすぎない?
釈然とはしないけれど、偶然に感謝しておこう。ジェラルドも首を捻りながら、「温情?」とかよく分からないことを呟いていた。
そして私は今日、またヨハンに怒られようとしている。
今日は日の曜日だ。明日からテスト週間になる。今日は少しだけお話をして、お互いそれぞれで勉強する予定だ。
その少しだけの話に、昨日のことをどう言えばいいのか、そしてジェラルドからのお願いをどう伝えればいいのか……。
「昨日は書庫に閉じ込められたって?」
「よく知っているわね……」
シーナが鍵を開けてくれたからかな。
早朝にでも報告を兼ねて、カムラとシーナは会っているのかもしれない。
「それで、好きだと告白をされまして……」
「ああ、そうなんだ」
「……驚かないのね」
「もう終わりも近いしね。気付いていなかったとしたら、ライラは鈍すぎるよ」
「……う。もしかしてとは思わなくもなかったけど……でも、婚約者の話もしていたし……」
「色々と相談をされていたんだろう? 男が弱音を吐くのなんて、好きな女の前でだけに決まっている」
……そうなのか。
おかしいな、ヨハンから弱音を吐かれたこと……ない気がする。
あれ?
それなら、ジェラルドの私への恋心を今まで察していたということ? その上で、私が会うことを今まで許していたのかしら。
おかしすぎるわね……そんなタイプではなかったはずだけれど。
そういえば大仏様のような顔で了承してくれていた気がする。私のお願いだから、という悟りの境地にいたのかしら。
「それで、もちろん告白は断ったんだけど、とあるお願いをされまして……」
「はー……。それで低姿勢なのか。どんなお願い?」
「実は……」
内容を言うと、そのまま東屋のベンチで後ろに倒れこんでしまった。
この反応は初めてね……。
さすがにこのお願いは、大仏様にはなれないわよね……。
「……きついな。それは正直、かなりきつい」
「セオドアとメルルがいてもいいって」
「そこまでなのか……」
顔を隠して深い息を吐いている。
そうよね……私も、どうなのかなとは思った。
「……今回は来なかったな……」
「え? なんの話?」
「いや、断られるのが前提なのかと思って」
「そうね。ヨハンが駄目って言うなら諦めるって言ってたわ。私も無理だと思うとは言ったけど。ただ、私的に会うのはもう最後かもしれないと思うと……」
「……いいよ、分かった。でも、僕も聖人君子じゃない。条件を出そう」
そう言って、ヨハンは吹っ切るようにして起き上がった。
「予定場所に連れていって。そこで言うよ」
「……分かったわ」
何を言うのかな……。
見当もつかないまま、共生の森へ連れていく。
私が前に寝てしまっていた場所、初めてジェラルドに会った場所だ。
まさか職員が仲間内で花見ができそうだと思った場所で、ジェラルドとそんなことをするとは思いもよらなかったわね……。
まだ、分からないか。
ヨハンができもしない条件を突きつけてくる可能性だってある。
……それは、ないだろうけど。
「ここか、ライラが寝ていたという場所は。誰もいないな」
「ええ、テスト前だしね。私はあれから来ていないわよ。セオドアのお気に入りの場所になりそうだと感じたから。メルルとのデートの邪魔になるといけないし」
「確かに、あいつが好きそうな場所だ」
ベンチを通り過ぎて、青々しく茂る芝生の上に立つ。
「それで、条件は?」
「この場所が、ライラの中であいつとの思い出だけになってしまうのは悔しいだろう?」
「どういうこと?」
碧い瞳が、柔らかく細められる。
ヨハンの表情は全く読めない。
金髪碧眼、この世のものとは思えない美しさで、彫刻のように人間らしさを感じない時がある。
「ライラから僕にキスをしてよ。唇にね」
「――――!」
そういえば、唇にはしたことがなかった。
今更のように思い出す。
なんで……だったんだっけ。
ヨハンがメルルを好きになると私が言ったからだ。婚約解消を宣言したあの日、こんなことを言っていた。
『僕があの子に恋をするんだと君が予想したせいで、何もできない。違うと証明するまで、我慢し続けなければならない。まるで拷問だ』
違うと証明された。
私は信じた。
そっか……、唇にキスをする関係になったんだ。
……自分の気持ちを抑えることに慣れすぎたのか、あまり現実感が湧かない。まだここを、おとぎの国のように感じている部分もあるからなのかもしれない。
「ライラ?」
「わ、分かったわ」
ヨハンの肩に自分の手を置いて、少しずつ首に回していく。
……私が、こんなに綺麗な人の唇を奪ってもいいの?
そう思いながらも、ドキドキしながら顔を近づけていく。
いつか手離さなければならないと思っていた、大好きな人。
当たり前のように側にいてくれた彼との、初めての距離。
かつてあの時、私が頬にキスをした日のように乾いた夏の陽射しに照らされながら――、
お互いに目を細めて、静かにそっと唇を合わせた。
息を震わせながら顔を離すと、「それだけ?」と優しく聞かれる。
「何度もなんて、聞いていない」
「それじゃ、ジェラルドとの思い出の方が印象に残っちゃうじゃないか。僕との思い出の方が濃くなるくらいに、何度もしてよ」
「それは何回なのよ」
「僕が知るわけないだろう? 君がそう思うまで際限なくするといい」
心臓がうるさい。
身体が、手が、汗ばんでいく。
なぜか息が上がる。
なぜか涙が滲む。
綺麗な彼を汚している気にもなって……、すごく悪いことをしている気分だ。それなのに、魅入られたように繰り返してしまう。
――私はずっと、この人が欲しかったから。
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