第63話 閉じ込め
テスト週間直前の土の曜日。
必死に勉強するはずのこの時期に、私は図書館に来ていた。
ジェラルドとの別れが近づいている。会えるのなら、少しの時間でも会っておきたかった。
ジェラルドも、他国に留学までして悪い成績は残せない。いない可能性が高いと思いつつ、螺旋階段を三階まで上る。
奥に奥に、ずっと奥に進んでいくと……いつ以来だろうか。また書庫が開いていた。
もしかしたら、この中……なんて。
薄暗い書庫の中、カツカツと靴の音だけが響く。
そうしてまたそこに……陽射しのスポットライトを浴びて、静かに彼が佇んでいた。
「ジェラルド……いたの」
「あれ、ライラちゃん。さすがに来ないと思ったよ」
「書庫、また開いていたのね。覗き見?」
「なぜか開いていたからね。さすがにあの二人も会ってはいないんじゃない? 勉強でしょ」
窓の外を覗いても、誰もいない。
そうよね……明後日からテスト週間だものね。
「ジェラルドは大丈夫なの?」
「息抜きだよ。午後は頑張るよ。ヨハネスに負けるかってね」
生徒ごとに取っている科目は違うものの、毎日五限ずつであることには違いない。テストにしろレポートにしろ十段階の評価点が合計され、各学年、各学科ごとに順位のみ上位十人の名前が掲示される。
おそらく、ヨハンは一位を取る。
ジェラルドも、三年生の中でそこを目指すのだろう。
「そう、王太子だものね。頑張って」
「ライラちゃんも将来の王太子妃でしょう? さすがに上位じゃないとまずいでしょ。なんで来たの」
「ジェラルドに会えたらなって思って」
「そんなこと言って、愛しのヨハンに怒られるよー?」
「ヨハンも分かってくれているわよ。大切な友人としばらく会えなくなるのだから、寂しいって気持ちは分かってくれている」
「あーあ、残酷だ。タラシだよね、ライラちゃんって」
「何よそれ。会いにきたのに随分ね」
「いいよなー、ずるいずるい。これからも皆で遊ぶなんて、ずるいなー」
「はいはい」
いつもの図書館での会話よりも、やや元気がいい。書庫の奥だから、多少声が大きくても大丈夫という安心感があるのだろう。
いつもは他の学生が来た場合のことも考えているのか、もう少し静かだ。
二人黙って外を見る。
彼が国に戻ってしまえば、こうやって話すことは二度とないのかもしれない。
遠く離れるだけではない。彼にも王太子という身分がある。
もしかしたらもう……、公的な場でしか会えないかもしれない。
寂しさで息が詰まる。
――ガチャン。
遠くで音がした。
不穏な音。
鍵が閉まる音だ。
「も……もしかして、閉じ込められた?」
「あーあ、ライラちゃん、こんなとこに入るから」
「あんたもでしょーが!」
急いで戻るも、やはり鍵が閉められていた。
「やられたわね……」
「だね。どうするの、ライラちゃん」
「窓を開けて誰か通りかかったら叫ぶわ。ちょっと勉強が不安だけど、明日は日の曜日だし取り返すわ」
「ふーん、それならもう少し僕と話でもしてよ。戻ろ戻ろ」
……奥まで戻る必要はあるのだろうか。
最初にここで会った時も奥だったし、奥が好きなのかしら。
もう一度さっきまでいた最奥に着くと、ジェラルドがこちらを振り返る。
――軽率だったかもしれない。
ぞくりとした。
感情のこもらない宝石のようなエメラルドグリーンの瞳が、こちらを見る。
友達だからと……、舐めていたかもしれない。
「分かるんだ。僕がしようとしていること」
つい、後ろに一歩下がる。
いつもより声が一オクターブ低い。
突然、この薄暗い空間が寒々しく思えた。
「さっぱり見当がつかないわね」
誰もいない。
護衛もいない。ヨハンは王宮、カムラもだ。
シーナは仕事中。
ここは密室だ。
抱かれるようにして、ザッと素早く後ろへ引き倒される。彼の腕が下にまわって、全く痛くはなかった。首の下から腕が抜き取られ、両手を握りしめられる。
体重はかからず重さはない。
真正面から私を見る顔は――、まるで自分が襲われているかのように……怯えていた。
女を襲う顔していないわよ、あんた……。
そんなの全然怖くない。
「へぇ、こんなことされても冷静な顔をしているね。普通は泣き叫ぶところなんじゃないの。僕にいいようにされても、いいわけ?」
「いいわけがないでしょう」
「それじゃ、何。僕なら何もしないって、ここまでされて信じているの?」
強気な発言をしているのに、ジェラルドは泣きそうだ。自分でもよく分からないまま衝動的に動いてしまったのかもしれない。
「ジェラルド」
右手を動かすと、いとも簡単に手は外れた。そのまま、真上のジェラルドの頭をなでる。
「なん……で……」
「あなたは優しい子よ、ジェラルド。弟を、メルルを、婚約者を気遣える優しい子。今まで王太子として、頑張ってきたのよね」
しばらくなでていると、ボタボタとジェラルドの涙が降ってきた。
「どうしたらいいのか……っ、分からないんだ。ライラちゃんが好きなんだ、好きなんだよ。分かってるよ、報われないって。こうやって会いに来てくれるだけで……十分だった」
もしかして好意を持たれているかもしれないとは、思っていた。
でも……、ここまでとは。
「誰も来ない。今日は誰にも聞かれていない。そうかもしれないと思ったら……ごめん……っ、体が勝手に動いた」
「……うん」
「どうしたらいい。これからずっと思うんだ。こんな時、ライラちゃんならどうするのかな、ライラちゃんならこう言ってくれるかな、ずっとずっと……もう死ぬまで二人では会えないのに、ずっと僕の頭から離れてくれなくなる。どうしたらいいのか、分からないんだよ……っ」
なんて言ったらいいのか、私も分からない。
彼の気持ちに応えることはできない。
私には、今の彼をなでてあげることしかできない。
「また、あの世界に戻らなきゃいけない。気が休まらない日々が、ずっとずっと続いていくんだ。通れと言われた道だけ、進む毎日だ。ライラちゃんがどこにもいない。それなのに、頑張り続けなきゃいけないんだ」
何も言えない。
言ってあげられる言葉が見つからない。
辛そうな瞳から涙を落とし続ける彼を……見上げることしかできない。
「きっと、君に会うたびに僕は泣くんだ。戴冠式、調印式、君に会える日はきっとある。そのよそよそしい会話に、僕はきっと帰るたびに君を想って泣くよ。ここで交わした会話の一つ一つを思い出して、声を殺して咽び泣く。それでも……会わなければよかったとは思えない。だって、大好きなんだ。何も望まない。僕の気持ちだけ覚えておいてよ。ライラちゃん、僕は君が好きだ。好きで、好きで、好きで、大好きなんだ……」
「……ありがとう、覚えておく。あなたはずっとずっと、私の大事な友人よ」
そう言うと、ジェラルドは諦めたような笑みを浮かべて肩をすくめた。
「ちぇ、つられて好きだって言ってくれればいいのになー」
悪戯っぽく言いながら、「ごめん」と言って手を引っ張って身を起こされる。
「それじゃ、言い直すわ。大好きな私の友人よ」
「うん、それでいいや」
もう、彼の表情は完全に元に戻った。
涙のあとがなければ、本当にいつも通りだ。
隠すのがうまいだけで、きっと色んな思いが渦巻いている。
私はそれを……無視しなければならない。
「……いつか、国境付近に別邸を建てるわ」
「別邸?」
「ええ、家督も子供に譲って、なんの責任もないじーさんとばーさんになったら、また皆でたまに集まってゲームをしましょう」
「ははっ。いーな、それ」
「あなたと可愛いお嫁さんと、セオドアとメルルと、私とヨハンと……リックは来れたらかしらね」
「リックのお嫁さんを忘れてるじゃないか」
「あら、確かにそうね。机は分けた方がいいかしら。四人ずつで順番に交代する?」
「八人でできるゲーム、もっと作っといてよ」
「そうね。そうしようかな」
わざとらしく、いつも通りのような会話をする。さっきのことは……なかったかのように。
でも、全部覚えておく。
――気持ちに応えられなくて、ごめんなさい。
あなたの幸せを、ずっと祈っている。
「……ねぇ、ライラちゃん」
「なに?」
熱を帯びた瞳で、もう一度彼は私を見つめた。
「ヨハネスがいいよって言ったらで、いいんだけどさ……」
そう前置きをして、彼は私に最後のお願いをした。
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