第53話 ジェラルドと書庫で
「むりむりむりむりむりむり……」
図書館だというのに、つい無意識に呟いてしまう。はっと気付いて止めるものの、思い出してはまた呟いてしまう。
これは、リアル乙女ゲーの世界ね……。
私はヒロインではなかったのに、どういうことだろう。……メルルは大丈夫かな。同じようにアンソニーに口説かれていたら、同情する。
ゲームと実際に目にするのとは、あまりにも違いすぎる。疲労感が半端ないわ……。
ヨハンのいない土の曜日はもう、寮に引きこもろうかな。もしくはメルルと約束でもして、部屋で女子会でもする?
女子会!?
いい響き!
そっかぁ、そうよね。卒業したら女の子同士でキャッキャウフフと女子会なんてできない。貴族同士のお茶会では言葉に気を付けなければならないし、疲れるだけだ。メルルがもしセオドアと恋人になるのなら隣国に行ってしまうし……。
そうね、今度メルルに提案しましょう。
セオドアとのデートに忙しいかもしれない。月に一度くらいにはしておこうかしら。
今日はもう疲れた。
絶対に誰も来ないような最奥で、顔の筋肉すらゆるめて、だらだらーっと休もう。
奥へと歩みを進め螺旋階段も三階まで上ると、行き止まりを目指して歩いて行く。
まるで迷宮ね……どこまで続くのかしら。
海底遺跡の中を漂う、ミジンコにでもなった気分だ。
本の品質保持ためにも、窓も奥まで来るとそこまで多くはない。本自体の内容も、需要がほとんどなさそうな研究者向けの小難しいタイトルの背表紙ばかりだ。
人も全然いない。
ん?
やっと行き止まりだと思ったら扉があるわね。半開きだし……なんだろう。
他とは空気が違う気がする……。
キィと音を鳴らしながら、そぉっと中に入ってみる。
「書庫……かな」
棚と棚の間隔が狭い。
本も年数が経っていそうな状態のものが多く、古書独特の匂いがする。
貴重な資料や古い本をしまっておく書庫なのかもしれない。
どこまで続いているのだろう。
薄暗くてよく分からない。
せっかくだから最奥まで行って、そうしたらすぐに引き返そう。
時間が止まってしまったかのような自分と本棚だけの世界を恐る恐るゆっくりと進み、やっと奥が見えたので窓際へと移動すると……。
なぜかそこには、ジェラルドがいた。
「ジェラルド……」
さっきまでアンソニー。
そして次はジェラルド。
もう、本当に限界。
でも……こうして見ると、やっぱり王子様ね。
小さな窓から射し込む陽の光に、緑がかった銀色の髪が透き通って見える。いつも快活にしゃべっているけれど、見た目だけは儚げだ。鮮やかな緑の瞳はまるで異世界のような美しさで、吸い込まれてしまいそう。
……ここ、異世界だけどね。
彼のいる場所だけが小さな舞台のような存在感を放って、彼が私に声をかける。
「やぁ、ライラちゃん。こんなところで会うなんてね。外……見る?」
いつもよりは大人しい。
外に何かがあるのかもしれない。
疲れているので返事もせず、ジェラルドの横に並んで窓の外を見た。
ここは三階だから少し見にくいけれど、セオドアとメルルが歩いている?
「……仲いいわね」
「セオドアの、第二王子の妻に相応しいと思う?」
「思うわよ」
「即答か……驚いたな。君がそう言うのなら、そうなのか」
ヨハンのような言い回しをする。
そっか……、いやに静かだと思ったら、そんなことを考えていたのね。
彼の妻になる人ほどではなくても、国への影響力は持つ。その存在に値するかどうか。そんな視点で見ると……彼女はどうなのだろう。
ゲームでハッピーエンドだったんだから、大丈夫なんじゃない?
なんて軽々しく私は思ってしまうけれど、ジェラルドから見れば切実な問題よね。
「窮屈な思いをする」
「するでしょうね」
「プライベートもほとんどない。護衛も張り付くし、自由も制限される」
「そうね」
「平民出身で、この学園の雰囲気。卒業後の突然の環境の変化に、耐えられると思う?」
「愛があれば大丈夫よ、きっと」
「そんな投げやりぎみに言われると、信じられなくなるじゃないか」
思った以上に私の言葉を信じているのかしら。
それに……いつもより口調が固いわね。
王太子として、ずっとここで考え込んでいたのかもしれない。
「いつもいつも、天井裏にすら護衛がいるんだよ?」
「……知っているわよ」
「君は平気なの? ヨハネスとの夜のアノ声だって……痛ぁ!」
セオドアの代わりに顔面チョップをしておいた。ほんっとコイツ……ぶれないわよね。
「痛いな。顔は大事なんだよ、知っているだろう?」
「あんたが、ふざけたことを言うからよ」
「それが嫌で逃げだされたら困るじゃないか。ねぇー、君は嫌じゃないの?」
いつものジェラルドに戻ったわね……。
天井裏といっても、そんな時まで真上というわけではないでしょう。護衛対象の部屋の上に侵入者がいないか見える範囲で、ものすごく離れるなりなんなり配慮はするはず。
――王子が暗殺されるわけにはいかない。
それが、何よりも優先される。
まだ目の前の王子様は、色々と割りきれていないのかしら。天井裏にすら護衛がいるという言い方は、自分も嫌だと感じているからよね。
だから誰もいないこの場所で、たまたま遭遇した聞きやすい私に聞いたのかもしれない。誰に相談したところで、王子なんだから我慢しろで終わってしまうでしょうしね。
完全にド直球セクハラだけど!
実はずっと、誰にも相談できずに葛藤していたのかな……それなら仕方がないか。
ダンっとジェラルドの前で足を床に叩きつけるようにして、ぐいっと彼の前に顔を近づける。
「ええ、そうね。うっとりするような王太子妃の声に、きっとそれまで以上に忠誠を誓いたくなるはずよ。私のために死にたいと思うような声を……天井裏まで響かせてさしあげますわ」
最後は公爵令嬢らしい言葉にして、妖艶に微笑んでみせた。
自覚しなさい。これくらい開き直ってこその王族でしょう。
「――――――――!!!」
ジェラルドが、棒立ちになっている。
勝ったわね!
「……そんなの、格好よすぎるよ……」
へなへなと顔を覆って座り込んでしまった。
……アンソニーとのやり取りでむしゃくしゃしていたのもあって、やりすぎたかな……。
窓の外を見ると、もう二人はいなくなっている。
座り込んだままのジェラルドを見て、急激に頭が冷えていく。
やらかしたわね、私……。
過去最大級にやってしまった。
相手が十代の男の子だということを、完全に忘れていたわ……。
ちょっと、いえ、完全に頭がおかしくなっていた。アンソニーの数々の変態発言も記憶に新しすぎて、麻痺していたとしか思えない。
……発言前の私に転生できないかしら……。
ヨハンだったらきっと、こんな反応はしていないわよね……。苦笑しながら「それでこそ、ライラだ」とか言いそうだもの。
ま……まぁ、王太子だし、きっと大丈夫でしょう。忘れたふりくらいは、してくれるはずよね。悩むよりも開き直れという私の意図も、きっと通じていると信じよう。
ど……どうしよう……。
ずっと顔を覆って座り込んでいるんだけど。
一度、一泡吹かせてやりたいと思ってはいたけれど、この状態になってしまったジェラルドを見ると罪悪感しかないわ……。
アンソニーの変態発言をまともに食らった、十代の女の子のような状態なのかもしれない。
実は、純朴で純粋な男の子だった……?
そういえば談話室に来なさいよと誘った時も、顔を赤くしていた。普段のあの態度は、繊細な心を守るための防波堤だったのかしら。
若い子って、よく陥るのよね。本当の自分を嫌いって言われるのが怖くて、わざと違う自分を演じるというような可愛らしい思考に。
王太子だから演じざるをえないだろうけれど、プライベート用の顔すらもそうだったのかもしれない。
分からないけど、ジェラルドが顔を覆っている手を外したら「そろそろ行くわ」と言って、早急に立ち去ろう。
申し訳ないけど、なかったことにさせてもらおう。
……もしかしたら彼には、誰にも言えずに持ち続けている悩みがたくさんあるのかもしれないわね。
セオドアとメルル、いつか二人が彼を支えてあげられればと思う。
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