第23話 ヨハネスへの想い
「それで?」
白桃の入った紙袋を持ちながら、ヨハネスを責める。
「な、な、なんだ」
まだ、戸惑っているみたいね。
「なんで空気みたいに、全然しゃべらなかったのよ」
恋人と言ったことは、バツが悪いだろうし聞かないであげるか。
どう考えても、婚約者と言いかけて『こ』がつく他の思いついた言葉を言っただけだろう。
黒歴史には触れないのが、優しさというもの。
「……いや、ちょっと言葉が出てこなくて」
「珍しいわね」
こんなに困っている様子のヨハネスも、珍しい。
――聞きたくはない。はっきりさせたくはないけど……後でもやもやするよりは……。
「一目惚れした? それとも、好きになる予感でもした? 気を遣わず、そのまま言ってくれていいわよ」
「い、いや、違うんだ。おかしいんだよ」
今までと明らかに違う様子のヨハネスに、諦めのような思いが胸の内に広がっていく。
やっぱり……ヒロインはヒロインなんだ。
「おかしくなるのが、恋なんでしょう」
「違う。おかしいんだ。僕は、息をするように適当なことが言えるんだよ、そういう訓練も受けている。なのに、おかしい。嘘がつきにくい。頑張らないと、取り繕えないんだ。僕は正直、あの子に近づきたくないよ」
これは、どういうことだろう。
本来のルートと違うことをすると、こうなるの?
いえ……そうではないわね。
ヨハネスのゲーム内の台詞を思い出すと、確かこんなことを言っていた。
『君の前でだけ、僕は僕でいられる』
『思えば最初から、君には上手く取り繕えなかった』
『なんでだろうな。君の前でだけ、素直になれるんだ』
この世界の、根幹部分。
……きっと、そうなるようにできている。
「相性、があるのでしょう」
「相性?」
「ええ。この相手はなぜか好きになれないとか、そういうのです。この相手の前でだけ上手くいかない。正直になってしまう。そんな相性の相手ということです」
「そうか。相性、か……」
「素直なあなたを、好きになってくれるかもしれない人、ですよ」
本当のところは、分からない。
彼は、平民を相手にしゃべる機会は、今までほとんどないはずだ。リックや、平民出身の使用人くらいのものだろう。
腹の探り合いの多い貴族相手とは違って、単に嘘がつきにくいだけなのかもしれない。
でも……もしもゲームの設定か何かの力で、ヒロインの前で素直にさせられる、としたら。
――――気持ち悪い。
「気持ち悪いな」
「え?」
思ったことを、すぐにヨハネスに言われて驚く。
「相性なんかで、素直になんかなりたくない。僕は僕の意思で、決めた相手の前でだけ素直でありたいよ」
「……格好いいこと、言いますね」
「あとライラ。口調が半分くらい、戻ってる」
「あら、失礼」
僕は僕の意思で、決めた相手の前でだけ、か……。
このゲームは、ヨハネスとの王道恋愛ルートが好きで、何度も繰り返した。回想も、何度も見た。
リックとは、シナリオがいきなり友情から恋愛に変わった気がして、しっくりとはこなかった。他のキャラにはそこまで魅力を感じなかったし、浮気している気分にもなるので共通ルートでしか絡んでいない。
大好きだったはずの、王太子様との恋愛。
――でも今、私はこっちのヨハネスの方が好きだ。
訳の分からない理由で素直になって、これ幸い癒されると喜ぶ十六歳のヨハネスより、ずっと十一歳の彼の方が、格好いい。
かつての息子と、同じ年齢。
ママ友の子供に恋なんてしていたら、変質者だ。
でも……と、小学生の頃の自分を思い出す。
好きな男の子がいた。
誰にも知られたくなくて、話しかけることもできず、じっと見ていることすら人の目を気にしてできなかった。ただ側にいたくて、席替えで近くになれることだけを祈っていた、小さかった自分。
もし目の前にあの男の子がいて、自分もまた小さかったら、ときめかずにはいられる?
私は、ライラ・ヴィルヘルム、十一歳。
ずっと彼に憧れて、好きで好きで振り向いてほしかった記憶もまた、私の中にある。
年甲斐もない。
変質者じみている。
そんなふうに思いながらも、藤咲綾香の記憶を持つライラとして、淡い恋心が微かに芽吹くのを感じた。
――仕方がない。覚悟を決めようか。
少しの間だけ、誰にも気付かれないように、小さな小さな恋をしよう。彼とメルルが恋愛ルートに入ったら、笑顔で送りだせるような、恋だ。
つついたら、すぐにパチンと割れてしまう。
大事に育てても、いつかは弾けて消えてしまう。
小さくて脆くて、期間限定の今だけの恋をしよう。
――今だけ、今だけだから、許してメルル――。
「じゃ、気を取り直して遊びに行こう、ライラ」
彼が私に向けて差し出した手を無視して、ぐいっと自分の手を彼の腕に絡ませる。
「わっとと、ライラ!?」
「そうね、恋人同士だものね」
小さくウインクをして手をほどき、ぎゅっと手を握った。
「さぁ、行きましょう!」
「いきなり、どうしたんだよ」
「せっかくここまで来たんだもの、楽しまなきゃ損でしょ」
「確かに、そうだけどさ」
「でしょ。はっちゃけても大丈夫よ、どっかの誰かが尻拭いしてくれるわ!」
わざとらしく、どこかで全部聞いているだろう大好きなメイドに向けて、大きな声で言う。
「はは、それもそうだ!」
最初で最後かもしれない、なんの変哲もないデートをしよう。
あなたの思い出に、ちょっとだけ私も、残しておいてちょうだい。
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