第124話 下の名前とキス

 観覧車の前に来てみると、俺の想像以上に観覧車のサイズがデカい。これだと上にまで上るのに、結構な時間が必要そうだな。


「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」

「ありがとうございます。西園寺先輩、手を」

「おや、ずいぶんエスコートが上手になったものだ。関心関心」


 西園寺先輩をエスコートしながら、俺は観覧車の中に入ると、スタッフによって扉が閉められた。それからまもなく、俺達が乗ったゴンドラが、ゆっくりと動き出した。


「お~動いた!」

「観覧車なのだから、動くに決まっているさ。それよりも磯山君……折角の機会だし、話しておきたい事があるんだ」

「話しておきたい事?」


 隣に座りながら俺と手を繋ぐ西園寺先輩は、真面目な顔で俺の事をジッと見つめる。まさか別れ話なんて事はないよな。あれか、家の事か?


「私はずっと悩んでいたんだ」

「悩み? そんなの抱え込まないで、俺にも話してください。力になれるかもしれません」

「本当か? 力になってくれるか?」

「当然ですよ!」

「じゃあ……」


 あとちょっとで切り出せそうな所までいって言葉が出ない。よほど重い要件なんだろうか……さすがに身構えてしまう。


「わ、私の事を玲桜奈と呼んでくれないか!」

「……はい?」

「私達は付き合ってから少し時間が経ったが、まだ苗字呼びじゃないか!」

「ま、まあそうですね」

「それで、本当はずっと呼びたかったんだが……機会が無かったから……今こうして提案しているのだ!」


 呼び方の提案ぐらいで、そんな緊張しなくてもいいのに……西園寺先輩、可愛すぎないか? 可愛さ自慢の世界大会に出たら、間違いなく優勝して殿堂入りするだろうな。


「それで……どうだ?」

「もちろんいいですよ。その……玲桜奈さん」

「さんも敬語もいらない。我々は恋人で対等だ」

「いや、さすがにそれは……慣れてからで」

「やれやれ、仕方ないな。ごほん……陽翔」


 自分の名を呼ばれた嬉しさに、思わず顔がにやけてしまう。こんな顔を見せるのは恥ずかしい……って、あれ?


「西園寺先輩? そんな顔を真っ赤にして……」

「し、下の名前で呼ぶのも呼ばれるのも……想像以上に緊張してしまって……顔が熱い……」

「…………」


 西園寺先輩……いや、玲桜奈さんは、モジモジしながら視線を落とした。


 もう勘弁してくれ。これ以上可愛いを摂取したら、自分を抑えられる自信がない。


「だが……こういう緊張も、一緒に行動して得られる幸福感も……君と付き合わなければ一生知る事が出来なかったものだ。ありがとう、陽翔」

「俺だって同じですよ。ありがとうございます、玲桜奈さん」


 自然と俺は自分の手に力を入れると、玲桜奈さんもそれに応えるように力を入れてきた。そして、そのままどちらからともなく顔を近づけていき……最初のキスを交わした。



 ****



 観覧車を乗り終え、全てのアトラクションを制覇した頃には、もう外は暗くなっていたので、俺達は遊園地を後にして帰路に着いた。


 こんなに充実した一日は初めてかもしれない。今日の事は、どれだけ年月が経っても忘れる事はないだろうな。


「なあ陽翔。一つワガママを言ってもいいだろうか?」


 来る時と同じ車に乗っていると、玲桜奈さんがチラチラと俺の事を見ながら声をかけてきた。


「なんですか?」

「その……子供みたいだというのは重々承知なのだが……このまま解散するのは……寂しくてな。それで……よかったら私の家で食事でもどうだ?」

「急に行っても大丈夫なんですか?」

「急ではない。実は事前に準備はしてあってな」


 マジか、今回の遊園地の件もそうだったけど、どれだけ用意周到なんだ? さすが天下の西園寺家と言わざるを得ないな。


「お父様も、ぜひ連れて来いと仰っていたよ。ふふっ」

「なんか、ずいぶんと好かれたみたいで光栄ですよ。そういえば、今回の遊園地って玲桜奈さんのお父さんが準備したんですよね?」

「そうみたいだ。私は普通に一般客として行くつもりだったからな。お父様に陽翔と一緒に行きたいってお話自体はしたから、それを聞いて即貸切にされたのだろう」


 流石の行動力と財力だ……あと人脈も無いと出来ないだろうし……って、待てよ?


「玲桜奈さん、お父様には俺達の関係ってどこまで伝えてるんですか?」

「大体は伝えてあるぞ。付き合ってる事も、勿論伝えている」


 お父さんは知ってたのか……そりゃそうか。男と二人きりで遊園地なんて、デートくらいしか考えられないし。


「大層喜んでいて、これで西園寺の未来は安泰だと……気が早すぎて、思わず笑ってしまったよ」

「まだ俺達高校生ですよ?」

「私もそう思うが、お父様の中ではそうではないのだろう。お父様とお母様が結婚されたのも、二十歳だからな」


 二十歳か……あと数年で俺達も二十歳になる。そう考えると、遠くない未来に結ばれてもおかしくないんだな。


「玲桜奈さんは、もう結婚とか考えているんですか?」

「私は特には……幼い頃から、結婚相手は両親が決めた相手とするものだと思っていたからな。だから、こうやって自分の意思で交際をするのも、私の中ではイレギュラーと言えるのかもしれないな。ふふっ」


 親が決めた相手と……まさにお金持ちの人がやりそうなイメージだけど、西園寺家も例に漏れずって事か。


「陽翔は、私と結婚したいと思うのか?」

「今すぐにとは言えません。学校だったり金銭面だったり、色々問題がありますし。でも、いつかは一緒になりたいと思います」

「こんな可愛げのなくて、怒ると怒鳴り散らすし、自分を磨いているのに弱点だらけの私と?」

「はい。玲桜奈さんは可愛いですし、怒るのもちゃんと理由があるものでしょう? それに、努力を重ねる玲桜奈さんは素晴らしいですし、弱点は親しみやすさに直結しますから、俺からしたら何の問題もありません」


 俺としては、ごく普通の事を言ったつもりだったんだけど、玲桜奈さんには驚く内容だったのか、目を大きく見開いていた。


「むしろ、弱点の事は俺に頼ってください。恋人なんですから、どっちかに頼り切るんじゃなくて、支え合いましょう。だから、少しでも玲桜奈さんの肩に乗っている重荷を、俺に分けてください」

「陽翔……君は……」

「あはは……クサすぎる台詞でしたね。忘れてください!」

「いや、絶対に忘れないよ。君の真っ直ぐな気持ち……嬉しかった」


 噛みしめるように言いながら、玲桜奈さんは俺の方に頭を乗せてきた。それを迎えるように、俺は玲桜奈さんの肩を抱いて、そのまま静かに過ごしていると、車が停車した。


「おつかれさまでした。ご到着いたしましたので、どうぞこちらに」

「準備の方はどうなってる?」

「お食事の用意は既に出来ております。お嬢様の自室でよろしかったですか?」

「ああ、ありがとう」

「え……自室?」

「そうだ。食堂はどうにも広すぎるからな。私の部屋の方が落ち着いて食べれるだろう」


 確かにそうかもしれないけど、恋人の自室に招待って……やべぇ、緊張してきたぞ。何かあるとは思えないけど、それでも僅かに期待してしまう自分がいるのが情けない……。


「なに、緊張する必要は無い。今回は、前回と状況が違っているんだからな」

「そ、そうですよね……平常心……平常心……」

「ふふっ、それじゃ行こうか」


 玲桜奈さんの後を追いかけて玄関の前に立つと、自動で扉が開いた。


 あれ、ここって自動だったか……? なんて呑気な事を考えていると、玲桜奈さんの前には一人の女性が立っていた。


 歳は……いくつだ? あまりにも若々しくて、聖マリア学園にいてもおかしくないくらいに美しい。そして、玲桜奈さんによく似ている。


 ……って事は……!?


「おかえりなさい、玲桜奈」

「っ……!? お、お母様……!? どうしてここにいらっしゃるのですか!?」

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